異世界は、とつぜんやってきた。
異世界転移。このファンタジーな現象が、とつぜんリアルになった日本。しかも人が転移していくのではなく、転移してくるという逆転状態に──。ずっと書いてみたかった、設定よりも視点を変えた異世界ものです。
──キィン~コン~カァン~コン
県立一ケ瀬高校1年3組。
教室のスピーカーから、一限目の予鈴が鳴る。
仲の良い者同士で駄弁っていたクラスメイトたちも、机に戻ってガタガタと席につく。
休み明けの月曜日なので、少しばかりみんなのテンションは高い。
とはいえ、なんの変哲もない、いつもの朝の風景だ。
──ガラリ
教室の扉を開けて担任の社会教師であるタカセン、高木先生が入ってきた。
手持ち無沙汰にグラウンドを眺めていたおれも、のんびりと視線を教壇に向ける。
しかし、そこに立っていたのは先生だけではなかった。
うちの高校のブレザー制服に袖を通した、見知らぬブロンドヘアーの女子も一緒に入ってきたのだ。
どうやら今日は「いつもの朝」なんかではないことに、強烈に気づかされた。
他のクラスメイトたちも同様で、教室の空気がいっせいにざわつく。
(えっ、転校生?)
(まじ?)
(あんな金髪、学校で見たことねえよ)
(てことは留学生?)
(しかし、すげえ美人だな)
(足なが~い)
(なによあのプロポーション、あてつけ?)
(ううむ最新の3Dレンダリングエンジンを超えているだと)
(まさに新作美少女TPSのPVのような)
(外国人かなあ、でも、まさか?)
(……これってひょっとして?)
一部意味不明なリアクションは別にして、突然のハプニングに興味津々のクラスメイトたち。さらに、ある可能性にも気づいてますます彼女を注視する。
起立、礼、着席といういつもの儀式で多少落ち着きはしたものの、だれもがタカセンの紹介を心待ちにしていた。
「えっと、今日からこのクラスで一緒に学ぶことになったアルマ・ローレントさんだ」
名前を呼ばれて少し緊張したように、彼女は頭を下げる。
「はじめまして。アルマ・ローレントです。日本での生活には、まだ慣れませんがよろしくお願いします」
背筋を伸ばしてにっこりと微笑んだアルマに、クラスメイトたちは大きく拍手をおくる。
「ちなみに彼女は海外からというか、もっと遠い、いや、……いわゆる異世界からやってきた人だ」
タカセンの言葉を聞いて、クラス中が一斉に「おぉおおお!」と歓声をあげる。
両手どころか机まで叩くやつも現れて騒々しいことこの上ない。
異世界という言葉に周囲がどよめくなか。けれど、おれ一人だけは机で頭を抱えていた。
(聞いてねぇぞ、くそ親父ぃ……)
異世界転移者。その存在が現代日本で確認されたのは、およそ15年前らしい。
長野県の山中で、国籍不明な若い男女5人が保護された。
彼らは日本語を流暢に話すものの、出身国や地域が一切不明。というか地球上のどこにも存在しない地名の出身だと主張した。
たんなる虚偽や妄言、あるいは集団催眠のようなものかと疑われたが、5人の語る内容には一貫性があり、診断の結果も異常が見られない。
しかもその後、同様の事例が日本各地で発生するようになったのだ。
これだけでも異常だが、事態はさらに予想外の方向に進んでしまった。
彼らをたんなる不法入国者あるいは精神異常者と見なすには不可思議な現象が確認されたのだ。
それは、魔法。
総じて身体能力が高いことは置くとして、なんと彼ら自身が「魔法」と呼ぶ超常現象を実際に行使してみせたのだ。
これは政府の関係者を驚愕させた。物理法則が根底から覆るような事象を目の当たりにして、さらに扱いに窮した。
存在を完全に秘匿することも検討されたが、彼らの現れる場所や周期などには法則性がなく、すべてを内密に保護することなど不可能だった。しかもこのままでは海外勢力から干渉されることは必至で、人権問題や宗教問題にも発展しかねない。
そこで7年前、政府は入管法を改正して高度外国人材に新たな規定をつくり、正式な永住権を付与したのだ。
これにより、ひとまず彼らを日本の法治下においた。
難民認定という手段をとらなかったのは、彼らの出身国での境遇を証明できず、制度の拡大による弊害を恐れたからだという。
以後、彼らは高度外国人材3級という資格をもつ異世界転移者として、日本での身分が保証されたわけだ。
えっ?おれがなんで、こんなことに詳しいかって?
そりゃまあ親父が、彼らの日本での生活基盤を支える「人材派遣会社」を経営しているからだ。
そうこうしている間に授業開始のチャイムが鳴る。
「いろいろ聞きたいことはあるだろうが、それは休み時間にでもしてくれ」
さっきからアルマに勝手に質問を投げていた連中が「えぇぇ」とブーイングをする。
「静かにしろ。じゃあアルマさんは、窓際の一番うしろに座ってくれ」
「はい」
「ほんで朝霞、前の席のよしみでちゃんと面倒見てやるように」
「はーい」
教師に指名されたおれ、朝霞逸人はめんどくさいという本心を気づかれぬよう返事する。
ずっと背筋を伸ばしたまま、足音も静かに歩を進めるアルマ。
地球なら北欧系を思わせる整った顔立ちに、ゆったりとウェーブしたブロンド。
たしかに男子連中が「美少女」と騒ぎ立てるのも無理はない。
おれの横を通り過ぎるとき、彼女は軽く会釈をしてから席に着いた。
そしてカバンから教科書やノートを取り出し、てきぱきと支度をはじめる。
「それじゃ、授業をはじめるぞ。教科書121ページからな」
1限目が終わっても、月曜日は2限目が選択科目のため教室移動があり、4限目には体育の着替えもある。この時間割のおかげで、みな休み時間も忙しく、アルマへの質問大会はなかなか開催されなかった。
そして昼休み。噂を聞きつけた他クラスの連中も混じって、アルマの周囲はまさに人の山と化していた。
「ねえねえ、異世界から来たってほんと?」
「はい。わたしはマルク大陸の東にあるガルデナン王国、そのカナルという街で生まれ育ちました」
「どうして転移なんかしちゃったの?アニメや小説みたいに事故にあったとか?」
「いえ。そのような記憶はありません。いつものように父と母におやすみの挨拶をしてベッドに入り、目覚めたらこの世界の森の中にいたのです」
「じゃあ神様とかには会っていないんだ」
「そうですね。残念ながら、そのように尊い御方にはお会いできませんでした」
「そうだ、あれあれ。やっぱりジョブとかスキルとかって持ってるの?」
「ジョブは14歳の成人の儀で剣聖を授かりました」
「おおおおおお」「すげえ」「かっこいい」
「ですが、それからすぐに転生したため、ジョブとしての能力にはまだ目覚めておりません」
「じゃあスキルとかも?」
「そうですね。こちらの日本では銃刀法というのがあるそうで、個人で真剣を所有することもできませんし。木刀などは試してみたのですが……」
「それってあれだよね。こっちの世界にはモンスターとかいないから、異世界転移してきた人でもレベルが上げられないせいだとか」
「ですので、普段はみなさまとなんら変わらないと思います。ご期待いただいていたなら申し訳ありません」
「なんの!美人さんだから、OK!」
最後に発言したやつは周囲の女子から激しく睨まれ、男子から盛大な張り手を食らっていた。
しかしまあ。見事なまでにテンプレの受け答えだった。
おそらく編入までにいろいろトレーニングをしたんだろう。ご苦労なことだ。
たしかに嘘は言っていない。
異世界転移者の世界に比べて、この地球には魔王も魔族もいない、ダンジョンもない。つまりレベルアップするための「魔物」つまり「モンスター」が存在しないわけだ。
とうぜん彼らはレベル1のままで、ジョブの強化やスキルの覚醒は望めない。
一時社会を震撼させた「魔法」についても、レベル1だとマッチ程度の火を出せるファイヤや、コップ一杯足らずの水を出せるウォータとかだ。しかも、日に何度かしか使えないときた。
研究過程で判明したこれら事実は、転移者という存在に安全性の面から疑念を向ける人々を安心させたし、法整備においては追い風にもなった。
けれどほんとに剣聖なら……。
他の転移者の大多数が就いているジョブ、例えば剣士などに比べて明らかに上位職だ。ならば常時発動のパッシブで身体能力強化ぐらいは持っているだろう。
レベル1だとしても、こと運動能力においてはトップアスリートぐらいの力を余裕で発揮できるはずだ。
えっ?なぜそんなこと知っているのかって? そりゃまあ親父が、以下略だ。
その放課後。大質問大会は延長戦に突入かと思いきや、主役のアルマが「用事がある」と謝りながら早々に下校したため翌日以降に開催持ち越しとなった。
おれは自転車を漕ぎ、帰り道のスーパーで食材を買い込んでから帰宅する。
商社勤務の母親が海外赴任中なので、我が家の男どもは自炊が原則なのだ。
どうせ親父はいつもどおり外食だろうと、自分用の独りメシだけ準備する。毎月、外食分の食費も貰っているのだが、高校一年生にとって可処分所得は一円でも多いほうが良い。
使った食器を食洗機に放り込み「さてゲームでもするか」と自室に戻ろうとしたとき。
駐車場の方でエンジン音が聞こえた。親父のクルマだ。
(今日は帰りがえらく早いな)
無視するのもなんだしな、と玄関に向かうとちょうど、ガチャリと鍵を開けて親父が帰ってきた。
「おお逸人、ただいま」
「えらく早かったな」
「ああ、なにせ今日は新しい家族と一緒だからな」
「はぁ?家族!?」
「そうだよ。さあ、入って入って」
まさか母さんの留守を良いことに堂々と浮気でもする気か、こいつは。
そう思って玄関を睨みつけたおれの目に入ってきたのは……。
「……こんばんは」
異世界転入生のアルマだった。
おずおずと、しかし礼儀正しくお辞儀する彼女の背後に、おれは、たしかに見た気がする。
これからの、ただひたすらに「めんどくさい」生活の始まりを。
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