第1部 第9章 混迷の教場
「ねえ、どうしたの? 本当に大丈夫?」
昼休みの教室。教科書を机に出しながら、凛が不安そうにこちらをのぞき込んでくる。その大きな瞳がまっすぐに悠真を射抜き、心の動揺を見透かされそうで、思わず目を逸らしかけた。
「ああ……うん、大丈夫。なんかちょっと、寝ぼけてただけかも」
そう言って笑ってみせる。なるべくいつも通りに――何も気づいていないふりで。本当は心がぐらぐらと揺れていた。
凛の声、表情、昼の光、教室のざわめき――すべてが“同じ”なのだ。事故のあと、病院のベッドで目覚めたはずだった。それなのに、気づけばまた“あの日の昼休み”に戻っている。
「ふーん……なんか変だよ? さっきからボーっとしてるし、返事もちょっと遅いし」
「そっか? そんなつもりなかったんだけどな」
軽く肩をすくめてごまかすと、凛は少し安心したように笑った。
(あの事故は……夢だった? でも、リアルすぎた。痛みも、涙も……)
目の前にいる凛は確かに生きていて、いつもと変わらない笑顔を浮かべている。
けれど、それが逆に怖い。まるで壊れたレコードが、何も知らないまま同じ音を繰り返しているような感覚。
授業が始まり、先生の声が教室に響き渡る。黒板に書かれる数式、窓の外を流れる曇り空、机の表面に光が反射してきらめく――どれも、確かに見た記憶がある。だけど、それが「今日」の記憶なのか、「前に経験した何か」なのか、自分でも判別がつかなくなっていた。
(これは現実なのか……それとも、ただの夢なんだろうか)
ノートを開きながらも、ペンは動かない。
教科書のページを開いても、文字は目に入らない。まるで自分だけが、どこか違う時間を生きているようだった。
(でも、もしこれが……本当に、もう一度やり直せるっていうなら――)
そこで思考が止まる。
何をやり直せばいい? どこまでやり直せる?
まだ何も確かじゃない。ただひとつわかるのは、目の前にいる凛が今、生きているということ。