第1部 第1章 何気ない日々
神谷悠真は高校二年生。彼女の佐倉凛は同じクラスで幼馴染。何気ない日常を、小さな幸せとともに過ごしていた。
秋の風が校舎の窓を通り抜け、カーテンを優しく揺らしていた。
神谷悠真は、開けっぱなしの窓から吹き込んだ風に、ふと目を細めた。暖かい光が差し込む教室の中、周囲のざわめきは心地よく耳に入ってくる。誰かが笑い、誰かが小さなため息をつく。そんな、どこにでもあるような昼休みの風景だった。
「ほら、これ見てよ。めっちゃ可愛くない?」
隣の席の佐倉凛が、スマホの画面をこちらに差し出す。表示されているのは、カフェの新作スイーツらしい。季節限定のいちごパフェが、画面いっぱいにキラキラと輝いていた。
「……甘そう」
「そこじゃないでしょ、感想!もっと『美味しそう』とか『一緒に行こう』とかさあ」
頬をふくらませる凛に、悠真は肩をすくめて笑った。彼女とは中学からの付き合いで、気づけばこうして自然に隣にいる時間が増えていた。お互い特別な言葉は交わしていなくても、それは確かに――彼女は「特別」な存在になっていた。
そんなやりとりの中で、凛の視線がふと、悠真の首元へ向いた。
「ねえ、それ……いつも着けてるよね?」
凛が指差したのは、悠真が胸元にぶら下げている小さな銀色のペンダントだった。形は少し古めかしく、表面には細かな傷がいくつも刻まれている。
「これ?……昔の友達にもらった、大事なものなんだ」
「ふうん……そうなんだ」
凛は、しばらくそのペンダントを見つめていたが、やがて「似合ってるよ」とだけ言って微笑んだ。
そしてまた、進路の話や週末の予定など、何気ない未来の話へと戻っていく。
だが悠真は、このときまだ知らなかった。
この「何でもない」日々が、取り戻せないものになるということを。