わたしを必要としてくれるなら ~家族と婚約者に追い払われた元聖女は、清流の騎士様に幸せを教えられる~
わたしは幼いころ、とても病弱だった。
外にいては風邪をこじらせる可能性も高くなるからと、塔に隔離されて育てられたほどだ。
だから、わたしはずっとひとりぼっちだった。
会えるのは家族や婚約者のみ。
その面会も、月に数回。
それも丈夫になるにつれて少なくなっていった。
それでもわたしは、誰かと共に生きたかった。
誰かの傍にいたかったし、誰かに一緒にいてほしかった。
特別なことはなくていい。ただ必要とされたかった……。
けれどそれは、叶わぬ願いだったらしい。
◇◇◇
「フラウラ。お前との婚約を破棄することにした」
塔を訪ねてきてくれた、婚約者のぺルド様。
そんな彼をもてなそうとしたとき、唐突にそう告げられた。
ペルド様の隣には、妹のシェイラの姿も見える。
二人はなぜか、すごく怒っていた。
「っ! この状況がわかっているのか!? なんでそんなに表情が出ないんだっ!」
どうして、そんなに怖い顔をしているのだろうか。
分からずに首をひねっていると、ペルド様は苛立ちを隠さずに声を荒げた。
「お前はずっとそうだ。会いにきてやってもずっと無表情。出会ってから一度も笑っているところも見たことがない! 気味が悪いったらないぞ! どうせ、家格が下の俺のことを見下していたのだろう!」
「仕方がありませんわ、ぺルド様。お姉様は聖女の任についてから、変わってしまったもの」
「変わった……? いったいどういう」
思わず戸惑った声を上げてしまった。
聖女とは、デュナミス王国に存在する「魔物の森」に結界を施す者のこと。
聖女は森の周囲に大樹の壁を作り、魔物をはじく結界を作るのだ。
そのため、聖女は強い植物魔法を扱える人でなければならない。
そこで白羽の矢が立ったのが、我がセルマン侯爵家。
セルマン侯爵家の者は代々、強力な植物魔法を扱える素質を備えている人が多い。
それに加え、家柄も侯爵家と申し分がなかった。
その二点から聖女には、代々セルマン侯爵家の長子が就任すると決められた。
だからわたしも聖女の任に就いた。
けれどそれは、あくまで地位の話。わたし自身に変わったことなどない。
そのはずなのだけれど……。
シェイラは蔑むように目を細めた。
「そうよ。体がよくなったのなら、塔から出て聖女の務めに精を出せばよいのに、それもしないないでわがまま放題だったらしいじゃない。それどころか、私のことも見下していたんですってね。もっと早くに気がつくべきでしたわ。お姉様は聖女としてふさわしくないと」
「見下す……?」
「とぼけてもムダよ! お姉様の本性は、ぺルド様から聞いているわ。内心では私のことをバカにしているって!」
「ちょっと待って。そんなこと思うはず……」
シェイラの言うことに、ついていけなかった。
だって本当に誰かを見下したり、バカにしたりなんて、考えたこともなかったから。
「嘘おっしゃい! 聖女になってから、ほとんどの面会を断っていたくせに!」
「……え?」
強い衝撃を受けた。
(面会を、断る?)
そんなこと、するわけがない。
だってわたしは、少ない面会の機会を待ち望んでいたから。
これは間違いなく誤解がある。
そう思うも、シェイラはわたしの言葉に耳を傾けてはくれなかった。
「どうせ、聖女になれなかった私を裏で笑っていたんでしょう!?」
「ち、ちが」
「何が違うのよ! 今だって、これだけ文句をいっても少しも顔を動かさないじゃない! 私が相手じゃ、表情を作ることすら面倒だってことでしょ!?」
「これは」
「人としゃべる機会がなかったから、顔が動かなくなったとでも? どこまでバカにするつもり!?」
ぎろりと睨まれ、口ごもる。
でも、本当に言い訳ではない。
一人でいる時間が長すぎて、顔の筋肉が発達しなかったようなのだ。
手本となる相手もいないし、どういう感情のときに、どんな顔をすればいいのかもわかっていない。
(それでも会いに来てくれるシェイラたちに伝わるように、本で勉強していたのだけど……)
努力もむなしく、シェイラには無表情に見えていたらしい。
「聖女はね、我がセルマン侯爵家の優秀さを象徴する地位なの。私の誇りなのよ。そんな立場を利用するなんて、許せるはずがないわ」
「本当にな。俺も、こいつがこんな奴だと知っていたら、婚約などしなかっただろうに……」
「ぺルド様も災難でしたわね。こんな大ウソつきと婚約を結ばされるなんて。……でも、それも今日までよ。知っている? 過去には二度、代替わり以外で聖女が入れ替わったことがあるの。どんなときか、分かるかしら」
「さあ。どうなんだ?」
シェイラは真っ直ぐに指を立てた。
「聖女がいなくなったときよ。誘拐でも、失踪でも、ね。いずれの場合も、二女が引き継いでいる。つまり、お姉様がいなくなる……なんてことがあれば、聖女の地位は私に移るの」
「へえ。長女じゃなくてもいいのか。それならいつも努力を怠らないシェイラがなるべきではないか?」
それからぺルド様は、シェイラがいかに聖女に向いているのかを口にしだした。
一方のわたしは、全くの逆。高慢で、怠惰で、無関心だと……。
(そんな風に思われていたなんて……)
泣きたくなるが、それでも顔は動かない。
……これじゃあ、勘違いされても仕方がないのかもしれない。
「……もうわかったでしょう? 貴女はじゃまでしかない。この家にはお姉様のような聖女はいらないの。さっさと出て言ってちょうだい」
いらない。その言葉が胸を抉る。
すがるように見つめるも、シェイラはわたしの顔も見たくないというようにぺルド様の後ろに隠れてしまった。
そのぺルド様も、わたしに厳しい目を向けている。
わたしの居場所は、ここにはないらしい。
これは罰なのだろう。身の丈に合わない願いを抱いた罰。
だとしたら、受け入れるしかない。
わたしは手を握りしめ、塔を飛びだした。
◇◇◇
ずっと姉を慕っていた。
父が姉の為に建てたという塔に行ける時間は決まっていた。
だから長い時間は話せなかったけれど、それでも幼いころは通い続けていた。
姉はいつも苦しそうな顔か、無表情だったけれど、それでも温かく迎え入れてくれていた。
変わってしまったのは、姉が正式に聖女となったとき。
聖女になってからの姉は、誰かに会うことを避けるようになった。
面会をお願いしても、断られることが増えたのだ。
でもそれは、役目に集中しているからこそだと思っていたのに……。
「……はあ」
「おや。せっかく聖女の地位につけたというのに、浮かない顔だね」
ため息を吐きだしたシェイラに、ぺルドが声をかけた。
「そりゃあそうでしょう? お姉様があんな人だったと気がつかないで、ずっと慕っていたなんて……」
「ははは。俺だって、初めは分からなかったからな。仕方がないよ」
「ぺルド様に教えていただけなかったら、今も気がつかないままだったわ。……本当に、自分の見る目のなさが嫌になる」
シェイラの目線に、ぺルドは優しくほほえむ。
ある日シェイラは、フラウラのことが知りたくてぺルドに声をかけた。
家族である自分とは会わないフラウラでも、ぺルドだけは塔へと招きいれていたからだ。
姉が聖女として、どういう生活をしているのか知りたかったのだ。
けれどぺルドは、フラウラを聖女とは思えないと告げた。
婚約者であるぺルドですら、ストレスをぶつけられる道具として扱われ、見下されている、と。
姉は聖女になり、傲慢になってしまったようだ。
シェイラは自分が必要なくなったのだ、と気がついてしまったのだ。
「どうして今まで気がつかなかったのかしら……」
「シェイラはあいつと会える時間が少なかったんだろう? それなら仕方がないよ」
「でも……」
「まあ、もう済んだことじゃないか。シェイラはセルマン侯爵家の名誉を守ったんだ。誇るべきさ」
「……そうね」
もしもフラウラの本性が外にもれれば、聖女のイメージも、代々積み上げてきたセルマン侯爵家のイメージも悪くなるだろう。
家名に泥を塗るようなことだけは避けたかった。
シェイラにとって、セルマン侯爵家に生まれたこと。それは何よりも誇るべきことだったから。
「私、頑張るわ。聖女として、領地を守り抜いてみせる」
「そうだね。俺ももちろん協力するよ。新たな婚約者として、ね」
「ありがとう。しばらくはごたごたすると思うけれど、よろしくね」
「ああ、もちろん」
これから忙しくなる。
フラウラを追い出したことは、シェイラとぺルドの判断によるもの。
だから父親にも報告しなくてはならないし、やることも多いだろう。
もしかしたら怒られるかもしれないが、理由を話せばきっとわかってくれるはずだ。
だってフラウラを追い出したのは、聖女と侯爵家の名誉を守るためなのだから。
だから自分は、聖女の地位を守り続けることだけを考えればいい。
シェイラは姉への罪悪感を振り払い、塔を出ていった。
けれどシェイラは見逃していた。
彼女の後ろで、ぺルドがニヤリと笑っていたことを。
◇◇◇
「知らなかった。外って、こんなにも気持ちがいいのね」
わたしは蔓のハンモックにゆられながら、ぼんやりと空を眺めていた。
塔を飛びだしたわたしは、いつの間にか深い森に入ってしまっていた。
歩いても歩いても、人一人見当たらない。
恐らく、ことが魔物の森なのだろう。
そう気がついたときは、とても焦った。
だって魔物の森は、人を襲う狂暴な魔物ばかりが生息している場所だと聞かされていたから。
一度踏み入れれば魔物に群がられ、生きてはでられない。その危険性から、一般人は近づくことすら禁止されている。
……そのはずなのだけど。
「なんでか見かけないのよね……」
魔物の森に入って、早一週間。
どういう訳か、未だに魔物と遭遇していない。
初めこそ怯えていたけれど、あまりにも出てこないので生活を整え始めた。
川の近くに寝床を作ったり、果実のなる木を生やしたりして、今では快適に暮らしている。
それに、塔にいるころよりも体がよく動くようになった。
運動不足が解消されつつあるのかもしれない。
ただ一つ、問題があるとすれば……。
――グウウウ。
今もなお鳴り続けるお腹を押さえて、ため息をつく。
「お腹、空いたなぁ」
慣れない生活でエネルギーを使っているからか、やたらとお腹がすくのだ。
「やっぱり果物ばっかりじゃ、お腹が減るのも早いよね……」
植物魔法を使えば、果物や木の実などを生やすことはできる。だから空腹で倒れるようなことはない。
けれどお肉やお魚は自分で取るしかないのだ。
とはいえ、当然ながら釣りや狩りなどやったことがあるはずもなく、今日までお預けを食らっている。
そろそろ食べたいところだ。
わたしはハンモックから降り、川沿いを歩くことにした。
「やっぱり、いないわね」
流れる水はキラキラと陽の光を受けて輝くほど澄んでいて、川の底まで見える。
けれどどういう訳か、魚の姿は少しも見当たらない。
一週間も川の近くで過ごしていたけれど、一度も見かけたことがないのだ。
もしかしたらこの付近には生息していないのかもしれない。
「……別の場所なら、いるかな」
わたしは決心して、さらに奥へと向かうことにした。
「……あれ?」
しばらく歩くと、遠くから物音が聞こえてきた。キンっという金属音のようなものだ。
わたしは音に導かれるように、歩いていく。
「くそっ。すばしっこいなっ!」
焦った声が聞こえた。すぐ近くだ。
勘を頼りに木々の間から覗いてみると、騎士のような恰好の人が何かと対峙しているところだった。
さらに覗き込んでみると、それの正体が分かった。
(お、大きい!)
人間の身体ほどもある巨躯に、鋭い針、そして背中にある大きな翅――。
それは、大きなハチの群れだった。
ブンブンと大きな羽音を立てるハチは、凶悪な牙をぎしぎしと鳴らしている。
よく見れば、口元に赤い液体を付けている個体もいる。それに、騎士さんの後ろの道には赤い液体が点々と続いていた。
恐らく血だろう。誰かが怪我をしたようだ。
「っ」
そう理解すると、一気に恐怖心が湧いてきた。
あれが――魔物。
と、そのとき。
騎士さんの死角から、ハチが襲い掛かろうとしているのが見えた。
「危ない!」
わたしはとっさに、彼を囲むように魔法を展開した。
とにかく必死だった。
地面から生えた太い蔓が、騎士さんを守るように覆いかぶさり、魔物の攻撃をはじき返す。
一瞬だけ大きく見開かれた彼の薄いグレーの瞳が、わたしを捉えた。
「君はっ……!」
騎士さんは何かを言いかけた。
けれど返事をしている暇はなかった。
ハチの群れに見つかってしまったのだ。
「危ないっ!」
「っ!」
思わず目をつぶる。
だが、どれだけ待っても痛みは来ない。
恐る恐る目を開けてみると、魔物はなぜか動きを止めていた。
仲間内で戸惑うように顔を見合わせている。
(……? なに?)
「もらった!」
騎士さんはその隙を逃さなかった。
素早く切り込み、群れの統率を奪うと、的確に一匹ずつ無力化していく。
もともと動きさえ捉えられれば、ハチに負けることはない腕前だったのだろう。
その場を制するのに、あまり時間はかからなかった。
「――ふう。……そこの君、無事ですか?」
騎士さんは剣を収めると、こちらへとやってきた。
黒だと思っていた髪は、濃紺だったらしい。
木漏れ日を受けてキラキラと光る様子は水面のようで、わたしはその美しさに息をのんだ。
無意識に頷けば、騎士さんは切れ長の目を細めてほほえんだ。
「ならばよかった。森の調査中に部下が負傷してしまい、食い止めているところだったので、本当に助かりました。……ところで、君はこちらで何を?」
「…………魚を、とりに」
「は?」
騎士さんはポカンとしてしまった。
その顔にハッとする。
美しさに見惚れてつい正直に答えてしまったが、何をしているのかを尋ねられて「魚を取っている」と答える女なんて、どう考えてもおかしい。
わたしは急に恥ずかしくなった。
「あ、えと。違います。あの、わたし森で生活していて……」
「森で生活……? こんな危険な場所で、お一人で?」
わたしの言葉を受けて、騎士さんは警戒したそぶりを見せた。
「えっと、その。事情がありまして……。でもお腹が減ってしまったので……」
「……なるほど。それで食べ物を探していた、と」
コクコクと頷くと、騎士さんはじっとわたしを見つめた。
薄いグレーの瞳が、わたしを覗きこむ。
久しぶりに人の視線を浴びたからか、なんだかふわふわとした。
「なるほど……」
騎士さんはぼそりとつぶやくと、気まずそうに頬を掻いた。
「とりあえず、この森に食べられる魚はいないですよ。この森にいるのは魔物だけ、ですからね。いたとしても、怪魚のようなものだけでしょう」
「え!?」
今日一番の驚きだ。
まさか魚がいないだなんて……。
ショックだった。
どうやらこの森にいる限り、自分で生やした果物とかで我慢するしかないらしい。
地に伏せたわたしを憐れに思ったのだろう。
騎士さんは困ったように眉を下げた。
「……ええと。腹が減っているのなら、僕の家に来ませんか? 助けていただいたお礼もしたいですし、料理をお出ししますよ」
「え? でも」
「何やら訳ありの様子ですし、放っておくことはできませんからね。肉も魚も出しますので、ぜひ」
そう誘われてしまっては、断ることなどできない。それに今のわたしにとって、その提案はとても魅力的だった。
控えめに頷けば彼は嬉しそうにほほえんだ。
「よかった。恩人にお礼すらできない、なんてことにならなくて。自己紹介がまだでしたね。改めまして。……僕はリヴィエール家当主、グラセルト・リヴィエール。よろしく頼む」
「えっ?」
「ん?」
あいさつされ、思わず声がもれた。
だって……。だってその名は……。
「リヴィエールって、もしかして……あの侯爵家の……?」
「ええ。知っていらしたんですね。そうです。水の魔法を扱い、国の治安を取り締まる家柄から、清流の騎士家とも呼ばれている、あのリヴィエールです」
わたしはあんまりにも驚きすぎて、ポカンとしてしまった。
だってリヴィエール家と言えば、忠誠心が高く、国王陛下に最も信頼していると言われている家柄だ。
公爵家のないこの国では、貴族たちの頂点に君臨していると言ってもいい。
「それで……。できれば、君の名前を聞きたいのだけど」
そう言われ、ハッとした。まだ名乗っていなかったのだ。
慌てて頭をさげる。
「はじめまして、侯爵様。わたしはセルマン侯爵家の娘、フラウラ・セルマンと申します」
「……まってください。今侯爵家の娘って言った?」
「あ、はい」
「傍系とかじゃなくて、セルマン侯爵の娘?」
「? はい」
「……。なるほど」
わたしの言葉に、侯爵様は重たいため息をこぼした。
「セルマン侯爵家の関係者だとは予想していたけれど、まさかご息女本人だったとは……」
「えっ。気がついていらっしゃったんですか?」
「ええ。魔物の攻撃を弾き返せるほどの植物魔法を扱える者など、セルマン侯爵家の血縁しかいないに決まっていますからね」
「そう……なの?」
確かに、セルマン家の植物魔法は強いと言われている。
けれどわたしは自分の魔法しか見たことがない。だから自分の力が強いのか弱いのか、知らなかった。
なんだか外に出てから、自分の知らなかったことをたくさん知っている気がする。
「それにしても、セルマン侯爵令嬢か。……二女のシェイラ嬢とは何度か会ったことがあるが、長女にはお会いしたことがなかったな。確か、病弱で家から出てこられないと聞いていたような……」
「その長女です。幼いころは病弱でしたが、今はさほど」
「そうなのか。それは何よりだ」
侯爵様は安心したようにほほえんだ。わたしの体調を心配してくれたようだ。
「でも長女ということは、聖女なのだろう? なぜ、そんな方が一人で……」
「ああ。それは大丈夫です。今のわたしは、聖女ではありませんので」
「聖女じゃない?」
「今の聖女は、二女のシェイラです」
「ええと?」
侯爵様は混乱したように首を傾げた。
確かに、いきなりこんなことを言われたら誰でも混乱してしまうだろう。
でも、わたしだって混乱しているのだ。
誰かに分かるように、今までのことを説明できる気がしない。
それに、説明することになれば、塔でのいざこざを話さなくてはいけない。
そうなれば、おのずとあの事も伝えなくてはいけなくなるだろう。
家族と婚約者にじゃまだと追い払われたことを……。
「……」
今思い出しても悲しくなる。
表情が動かないから騎士さんにバレることはないだろうけど、自分の口からそれを言うのは避けたかった。
「……なにか、悲しいことがあったのですね」
口ごもっていると、騎士さんが心配そうに問いかけてきた。
わたしの心情を察したようなその問いに、思わず顔を上げる。
「もし困っているのなら、話してみてくれないだろうか。何か力になれるかもしれない」
「……どうして見ず知らずのわたしに、そこまでしてくれるのですか? 嘘をついているかもしれないのに……」
シェイラに、ペルド様に言われた言葉が、棘のように心に刺さって抜けない。
わたしは「大ウソつき」で「迷惑」な存在でしかない、と。
向けられた視線、感情。そのすべてがわたしを否定していた。
それもこれも全て……。
「わたしは……顔も動かない不気味な女だから……」
顔が動けば、何か変わっただろうか。
シェイラのようにコロコロと表情を変えられれば……。
「っ。だからあなたも、わたしには深く関わらない方がいいです」
いけない。
また身の丈に合わない望みを夢想してしまうところだった。
わたしは慌てて言葉を切り、俯いた。
静寂が周囲を満たす。
「……僕は、君を気味悪いとは思わないよ」
ふいに涼やかな声が響いた。
顔を上げると、真剣な表情の侯爵様と視線が合わさる。
「……なんで」
そんな風に言えるのだろう。
言葉に詰まると、侯爵様は柔らかく笑った。
「僕はね、人の持つ魔力の流れが見えるんだ。水の流れと言ってもいいかもしれないね」
「水の、流れ……?」
「そう。僕らリヴィエール家は、それを読むことができる。魔力はね、その人の本質を表すものなんだ。穏やかな流れの人は性格も穏やかだし、逆に気性の荒い人はとげとげしい流れになる」
侯爵様の話では、その力があるからこそ国王陛下からの信を頂いているのだとか。
にわかに信じがたい話だが、侯爵様の目に嘘はないように見える。
「それに嘘を吐くと、すぐに濁ってしまうものでもある。だから嘘をついているかどうかなんて、すぐにわかるんだ。……でも君には、少しの濁りもなかった」
「え?」
「不躾ながら、先ほど君の流れを見させていただきました。目が合ったときに、浮く様な感覚がなかったかな」
「……そう言えば」
確かに、ふわふわとした感覚があったような気がする。
あれは、久しぶりに人と話したからではなかったのか。
「勝手に見たことはすまない。けれど仕事柄、怪しい人物を見かけたら判断の為にみなくてはいけなくて……」
「あ、謝らないでください」
侯爵様は目を伏せた。
合意を取る前に見たことを謝っているようだが、警備が仕事の騎士なら正しい行動だ。
だってわたしは、誰がどう考えても怪しさしかなかっただろうから。
「そう言ってもらえると、助かる。やはり、僕の見立て通りの心の美しい人ですね」
「う、美しい?」
「ええ。君は……今まで見たどんな人より清らかで、よどみがない美しい流れをしていた。それはつまり、君の言葉に嘘などないということ。恐らく今までも嘘をついたことがないのでしょう。だから話を聞きたい。……困っているのなら助けになりたい。そう思ったんです」
「……!」
「……ここに来るまでに何があったかは知らない。けれど僕には君が悪い人だとは、どうしても思えないんだ」
侯爵様は眉を下げたまま困ったように笑った。
言われた意味を理解して、目の奥がジンと熱くなる。
悪い人だとは思わない。そう言ってくれたのが嬉しい。
家族や婚約者でさえ、わたしを酷い人間だと否定したというのに。
彼は否定するどころか、肯定してくれるなんて……。
傷ついた心が、その言葉に救われた気がした。
この人になら、話してもいいのかもしれない。
いいや。聞いてほしい。
「……実は」
わたしは、気がつくと口を開いていた。
◇
「――つまり、誤解を受けて聖女の地位から降ろされ、魔物の森にいた、ということ?」
「そうです。でも、わたしは誰かを下に見たことなんてないのに……」
「いや、おかしいだろう。そんなバカな話……」
侯爵様は何かをぶつぶつとつぶやくと、再びわたしへ視線を向けた。
「セルマン侯爵は知っているのか?」
「どうでしょう……。なにしろ突然だったので」
「ならば、抗議の手紙を送ろう」
「いえ。そこまでしていただくわけには」
「けれど……君はそれでいいのかい?」
「仮に帰れたとしても、もうあそこにわたしの居場所はないですよ。だから、もういいのです」
「……そうか」
侯爵様はそれきり、考え込んでしまった。
(……やはり、話すべきじゃなかったかしら)
困らせるつもりはなかったのに。
どうしていつも、意図しないことになってしまうのだろうか。
やはり、わたしは誰かと共に生きることなどできないのかもしれない。
「……なあフラウラ嬢。一つ提案なんだが」
悲しくなりうつむいていると、侯爵様がふいに声を上げた。
「行く場所がないのなら、僕の領地にこないか?」
「え?」
「衣食住は用意するし、気が済むまでいたらいい。どうかな?」
「でも……」
侯爵様の顔は真剣で、冗談を言っているようには見えない。
「迷惑になるわけには……」
もう迷惑だなんて言われたくない。じゃまになりたくない。
そんなことになるくらいなら、ずっと一人でいたほうがいい。
「どうしても気が引けるというのなら、僕の手伝いをしてくれないだろうか」
そんなわたしの気持ちに気がついたのか、侯爵様は少し困ったような笑みを浮かべた。
「手伝い?」
「ああ。ここ最近、魔物が活発化していてね。陛下からその調査を任されているのだけど、活性化した魔物は想像以上に厄介だった。だから君の力を貸してほしいんだ」
「わたしの……力?」
「そう。さっき、君の魔力の流れが清らかだって話はしただろう? その反対で、魔物の魔力の流れは酷く濁っただものなんだ。だからかは分からないが、魔物は君を避けているようだった。僕らが出会ったときも、ハチの魔物は君を見て戸惑っていただろう?」
「そういえば……」
言われてみれば、あの魔物は不自然な動きをしていたように思う。
「相反する性質を避けようとするモノは多い。自分の弱点になりうるからね」
「それじゃあ」
「そう。君自身が、魔物の弱点なのかもしれない」
頭を殴られた様な衝撃を受ける。
(わたしに、そんな力が?)
にわかには信じがたいが、魔物の森で暮らしていたのに全く会わなかったのも、それなら頷ける。
「与えられた任務は、魔物の掃討ではなく、あくまで調査。だから何が起っているのかを突き止めなくてはならない。……ただ」
魔物が活性化していると、急襲されたり、連戦になってしまったり。
思うように調査が進まないらしい。
「だから君の力を借りたい。君がいてくれれば、無用な戦いは避けられるはずだから」
侯爵様はそう言うと、すっと手を差し出してきた。
「もちろん、君に害のないように守ることを誓うよ。どうだろうか」
誰かに必要とされること。
それは奥底に秘めた、わたしの切なる願いだった。
叶うのなら、わたしだって誰かと共に生きたい。そして役に立てたなら……。
(わたしに、そんなことができるのかしら)
でも彼の手は、わたしを必要としているというように伸ばされている。
それを見ていると、熱い何かがこみ上げてきた。
心が奮い立つような。それでいて温もりに包まれるような……。
こんなことは初めてだ。
(これが……幸せ、という感情なのかしら)
動かないはずの口角が、少しだけ上がったような気がする。
予感がした。
この先彼はいろんな感情を、幸せを、教えてくれる。そんな予感が……。
もう、迷いはなかった。
(わたしを必要としてくれるのなら――なんだってやってみせる!)
だからわたしは、伸ばされたその手を掴んだ。
この日から、わたしの運命は大きく変わり始めたのだ。
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