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『訪問者』


「友達から聞いた話なんだけどね」


 小学生の頃の話だ。

 共働きの両親を持つ友達は、学校から帰った後は両親が帰るまで家には一人でいることがほとんどだった。


 ある日の夕方、友達はリビングで好きにゲームで遊んだあと、そのままソファで眠ってしまった。

 明かりをつけたままだったので眠りは浅く、目を開けた時にはいつも両親が帰って来るより少し前の時間だった。

 寝ぼけたままで天井の明かりを眺めている時、友達は視界の端に違和感を覚えたそうだ。


 ダイニングテーブルの椅子に、誰かが座っている。


 母親が帰ってきていたのだろうか。そう思ったが、すぐに思い直した。

 母は几帳面な性格で、物の場所も生活の場所もきっちりとした人である。

 ソファで眠るなんてだらしがない、といつも口にしていて、そんな母がこの状況を見たのなら、友達が起きるより前に小言を言われるに決まっていた。


 だが、母ではないのなら誰だというのか。

 意識が段々とはっきりとしてくるのと同時に、友達は緊張と妙な居心地の悪さから汗を掻いていた。


 十秒、二十秒と悩んで、それでも気配が消えないとなった頃。

 友達は勇気を出して、ほんの少しだけ首の角度を変えた。


 知らない女性の後ろ姿が見えたそうだ。

 服装は何の変哲もないブラウスと、黒い水玉模様のスカートだった。

 腰元まで伸ばした黒髪に、強めのパーマがかかっている。


 家の中に知らない人が居る。それは確かに異常事態だった。

 驚きと恐ろしさを感じつつも、友達は同時に、未だ夢の中に居るようなぼんやりとした感覚を味わってもいた。


 確かに存在しているように見えるのに、再び目を閉じればすぐに姿が消えてしまいそうな、そんな印象すら受ける後ろ姿だったという。

 友達はその場から離れるでもなく、誰かを呼ぶでもなく、そのまま、襲ってくる眠気に促されるかのように目を閉じてしまったそうだ。


 次に目を覚ましたのは、着信音に起こされたためだった。

 両親が事故にあった、という連絡だった。父は大腿骨を骨折し、母は腰を強く打って、それぞれしばらく入院した。


 別々の場所に居たのに、ほとんど同じタイミングでの事故だったそうだ。

 あまりの事態に気が動転した友達は、そのまま必死に連絡を聞いている内に、妙な女が居たことなど忘れてしまった。


 両親の怪我も良くなり、生活にも問題がなくなった頃。

 友達はふと、あの日見かけた女について口に出していた。両親が事故に遭った日の出来事だったから、落ち着いた頃になって連想されたのだ。

 怪奇現象など信じない母親のことだから、くだらないと笑って終わるだろう。そう思っていたのに、それまで機嫌よく晩ごはんを作っていた母は、途端に鋭い声で聞いてきた。


 どんな顔をしていたの。背格好は。髪は? 洋服は?

 次々と重ねられる質問の中に、特に冷たい声音の問いかけがあった。


「赤いネイルをしてなかった?」


 友達はよく覚えていなかった。半分寝ぼけていたようなものだし、もう随分と前のことだったからだ。

 ただ、水玉模様のスカートを穿いていたことは覚えていたので、それは伝えた。


 母親の反応は、あまり良いものではなかったそうだ。

 ただ冷めた声で「そう」とだけ相槌を打ち、それきりその話題には少しも触れなかった。



 大学生になった頃、友達は自分が不貞の末に出来た子だと知った。

 母は浮気相手で、父親を元の妻から略奪したそうだ。


 その話を知った時、まさか、と友達の頭には暗い想像が過った。あの日現れた『女』は、もしや父親の前の妻なのでは、と。

 その妻は、もしかしたら自ら命を絶ち、ああして恨みを持った存在としてこの家に現れたのでは、と。


 暫くの間悩み続け、学業にまで影響が出た友達は、結果として耐えきれずに父親に問い質した。

 父は困った顔をしていたが、しつこく食い下がる友達に、結局は全てを教えてくれた。


 前妻は今も元気に生きていて、もうとっくに再婚して子供もいる。二人の間で話はすっかり済んでいて、今ではわだかまりもなく、むしろ結婚前の友人関係に戻れている、と。

 話の合間に聞き出した情報から察するに、やはりあの『女』が父の以前の妻のようだった。

 言いづらそうに語る割に、父の声音には妙な明るさが含まれてもいた。男女の仲としては色々とあったが問題を乗り越えて友情となった、と父は心から信じている様子だったようだ。

 少なくとも、一度はああして現れる程に恨まれていた筈なのだが、父には自覚はないらしい。


 友達はそれ以上は深く聞かなかったし、これ以上は考えるのもやめた。知りたかったのは、あの家に現れた『女』が、死人であるかどうか。それだけだった。

 生霊ではあるのかもしれない。だが、生きていれば別れた夫にいつまでも構っている暇もないだろう。


 友達はそれからも、表面上の両親への態度を変えることはしなかった。

 少なくとも、これまでの両親は間違いなく良い父と母だったからだ。


 ただ。どうしても、心の中の距離は出来てしまった。

 あの日、友達が見知らぬ『女』について母に告げてしまった際、母は一度だけ、吐き捨てるように呟いた。


 なんで今更、という冷たい声が、今でも忘れられないのだという。



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