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怪談



 以前に隣人にも話した通りだが、俺にはあまり趣味と呼べるものがない。


 趣味というのは突き詰めると大抵金がかかるもので、そのために捻出する金があるなら他の用途に使いたかった、というのが一番の理由だ。

 ただ、そんな過ごし方をしている内に、自分が何に興味を持っているのかも分からなくなってしまった。


 洋服だって着られればいいし、財布も鞄も使えるのならそれでいい。

 運動は嫌いではないが得意ではないし、必要最低限の健康のために出来ていればいいと思っていて、そこに楽しみを見出せるかと言えば少し違う。

 読書は趣味と呼べたかもしれないが、働き始めて読めなくなってから、あまり良い思い出がなくなってなんとなく避けてしまっている。映画鑑賞も同じく。


 結果として、休日の俺はただぼんやりと楽しそうな動画を見るだけの一日を過ごす状態になっている訳だ。

 寂しいような、これはこれで落ち着いていていいような、なんとも言えない感覚である。


 ただ、だからといって怪談を趣味にするのも何か違う気はする。

 隣人曰く、面白い趣味らしいけれども。


 違うなあ、とは思いつつも、ある日の俺はマンションの最寄から数駅離れた場所にある本屋へと足を向けていた。

 グ██ハイツ近辺はそれなりに利便性が高いが、歩いて行けるような距離には本屋がない。『夏には怪談を話す』という約束をしてしまったからには、一つくらいはそれらしいものを話せた方がいいかと、こうして参考になる本を探しに来た訳だ。


 店内を一通り回って、目当ての棚へと辿り着く。

 怪談本というのは俺が思っているよりも遥かに多く、現代の実話怪談から江戸時代の怪談まで、どれを選べばいいか悩む程に並んでいた。とりあえず、いくつか手に取って捲ってみる。


 そういえば、隣人が語る怪談の舞台は、俺が聞く限りは現代ばかりである。


 恐らく、登場する『友達』が聞き手と近い時代設定の方が、身近で恐怖を感じやすいからそうしているのだろう。

 年代が小学生から大学生までの間なのも、俺が聞くからなのかもしれない。あいつにとって俺は五歳に見えるようだが、それが見えるだけであることを理解している、とも伊乃平さんは言っていた。

 たとえば弧見さんが聞くのならば、また違った『友達』が出てくるのかもしれない。


 なんだかんだ、弧見さんの入居から一週間が経っていた。


 最初のメッセージ以降、彼から追加の連絡はなかった。そもそも彼は俺と同じで、あまり連絡がまめな方ではない。

 なんだったら、しなければならない連絡ですらしないことがある。つまりは、弧見さんにとっては七〇二号室の狭さは余程耐え難かった、ということでもある。

 もしかすると、何よりも部屋の間取りを不満に出ていくことになるのではないだろうか。それはそれで、極めて平和な退去理由で良いとは思うが。


 おすすめの怪談本を調べるついでに、既読スルーしたトーク画面を確認する。

 メッセージを送ろうかしばらく迷っている内に画面がロックされ、再度開く気にはなれなかったので、ポケットにスマホをしまい込んだ。


 ところで、改めて思い知ったが、こうしてマンションでの仕事を離れてみると、俺という人間の日々は、本当に何もすることがない。『ぼんやりと過ごす休日』が、ずっと続いていってしまう。

 グ██ハイツでの仕事を辞して転職することになったのなら話はまた別なのだが、いわば休職中ともいえるような状況に放り込まれると、途端に何もすることがなくなってしまう。


 そもそも、俺がまっとうな職に就くことを目指していたのは、あの人から離れて暮らすためである。

 良い意味でも悪い意味でも、俺が道を進む動機は家の状況にあって、それが失われるとこうもやる気がなくなるのか、と自分で自分に少し呆れた。


 そういう意味では、大学に行き直す、というハヤトの提案は適切なものに思える。俺のように日々を逃げるように過ごしている人間にとっては、目的が与えられるのは素直に有難いことだろう。


 幸いにも、家賃も発生しないまま月の給金を貰っている今、去年の夏に比べて俺の口座は少しはまともな状態になっている。選択肢は、むしろ以前より広がっているとも言えた。


 稼いだ金銭を無にする要求してくる人が《《いなくなった》》のも大きな理由だ。

 離れている間は決して渡すまいと思っているのに、どうして顔を合わせた時には気づけば言われるままになってしまうのか。謎である。そして、その謎は今後一生、解明されることはないまま終わるのだろう。

 何せ、その原因がなくなってしまったので、確かめようがない。


「…………」


 何を買うのが一番良いか、悩んでいる間に幾人かが俺の隣に立ち、目的の本を抜き取って去っていく。

 選ばれるからには良い本ということだろうか。冒頭に目を通した中で読みやすかった数冊を手に取り、俺は会計を済ませた。



        ***



 さて。

 一つ分かったことがある。


 怪談は夜に読むと怖い。今更言うまでもない程に当然の話だが、改めて言いたくなるほどに怖い。

 俺は妙な緊張と共に、読み終えたばかりの本をそっと脇に置いた。しばらくしてから、部屋の隅の方に移動しておいた。

 怪談について知りたいなら、ホラーサイトを漁るくらいでやめておけばよかったかもしれない。


 実際にそういうものが居る(・・)ことを知っている上で読む怪談というのは、なんとも奇妙な不安感があった。

 どうせ居ないのだから問題ない、と断じる材料が存在しない。七階以上のあいつや澄江由奈が存在するのだから、きっとこの実話とされている存在だって必ず居るに決まっている。居るのか。嫌だな。とても。


 別に、普段隣人が語る怪談についても、怖くないなどと思っている訳ではない。

 けれども、こうした気味の悪い後味を感じることはあまりなかった。怪談を語った当人に感想を求められる、というのが胸の内の恐怖を消化する工程になっているのかもしれない。

 まあ、怪談を語っている当人が恐ろしい場面も多々ある訳だが。


 それにしても、何故怪談を聞かずに済む状況になっているのに、わざわざ自ら怪談を読んでいるのだろうか。

 習慣化には大体一月以上が必要だという。十か月近くも続けば、怪談を聞くという行為そのものが生活に組み込まれるものなのかもしれない。良い習慣か、悪い習慣か、俺にはちょっと答えが出せなかった。


 気晴らしにレビューサイトで感想を眺めていたところ、画面上部から通知が下りてきた。


『何か来ました』


 弧見さんからのメッセージである。


『何がですか?』

『扉がうるさいです。どうにかなりませんか』


 俺はここで、一つ大きな思い違いをした。

 グ██ハイツでは、月に数度はインターフォンの不調がある。七階を含めてほとんど全ての階で起こる異常であり、なんだったら、四階のこの部屋でも二日前に起こったばかりの事象だ。

 俺は、弧見さんが伝えてきたのはそれだと思ったのだ。


 弧見さんの説明は基本的に妙に分かりづらいので、こちらで補完しなければならない。

 俺はこれまでの経験から彼の言葉をなんとなく解読し、扉というのは玄関のことで、つまりはインターフォンによる呼び出しを指しているのだと理解した。


『無視するのが一番安全だと思います』

『本当ですか

 嘘だったら承知しません

 君がなんとかしてください』


 いや。その。

 そういうのも含めて、一応弧見さんの仕事となっているのではないだろうか。


 とは思ったが、わざわざ送るような真似はしなかった。かといって、それ以上に何か詳しく話を聞くこともしなかった。


 結果として、俺は半月後、本当になんとか(・・・・)する羽目になる。


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― 新着の感想 ―
弧見さん早くいなくなんないかなぁ…人としてウザいから怪異の餌になっても何ならスッキリするんだけども。関わりたくないから何もしないけどいなくなったらホッとするタイプの人だよね。
恐怖感覚麻痺ってそうで麻痺って無い主人公おもしろ
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