働かない怠惰令嬢は婚約破棄されたので田舎に帰ります
「我慢ならない。我慢ならないぞイライザ・チルバイトハイン!私はお前との婚約破棄を宣言する!」
「こんなところで何ですか」
貴族学園の廊下にて、制服を着た少年が同じく制服を着た少女に食ってかかった。
廊下の壁には文字の書かれた紙が貼られている。
「この成績は何だ!」
「何と言われましても」
紙にはずらりと生徒の名前が並び、名前の横には数字がある。中間テストの順位と得点だ。
少年が掌で叩いたのは最下位にほど近い位置だった。
「母国語なんて誰でも点が取れる科目だ。それなのに赤点スレスレとはどういうことだ!」
「設問になっていた古典の内容がこの辺り中央に伝わるものと私の出身地に伝わるもので違っておりました。視点が変わると語られ方も変わる、良い勉強になったかと」
「ふん、出身を言い訳にするのなら、領地に接する隣国の言葉はさぞ堪能なのだろうな。実態はこれだ。実技が丸々欠点ではないか!」
「追試を予定しております。その日は気分が優れなくて」
「いつもそれだ!攻撃魔法も!防衛魔法も!ろくに出席していない!」
「身体のことを考えるとどうしても。ですので必修単位から外してよいと学園の許可をもらっています」
「ならば座学しかない紋章力学を、受講すらしていないのは何故だ!」
「必要と思えませんでしたから」
濃い茶色の髪に緑色の瞳の少女、イライザ・チルバイトハインはそう述べた。
対して彼女の婚約者、黒の髪に榛色の瞳のワイリー・ツネルガットは熱り立った。
「貴様の異母妹は領地を巡り、魔法で土地を蘇らせ、豊穣の女神と呼ばれているのに!」
「それがあの娘の役割です」
「よくものうのうと。とにかく婚約破棄だ!お前のような怠け者は勤勉をならいとするツネルガット家にふさわしくない!幸いにもこの婚約は私とお前ではなく、ツネルガット家とチルバイトハイン家の間で結ばれたもの。チルバイトハイン家にはウルリナ嬢を嫁がせるよう父上を通して申し込む!」
「あら、それなら、学園に通う理由もなくなりますね」
辺境伯の娘のくせに実技のある魔法訓練はほぼ欠席。座学も大して振るわない。中央に領地を持つ家と婚約しているのをいいことに領地の仕事を異母妹に押し付け知らぬ振り。
稀に見る怠け者と名高い令嬢はそこで初めて笑んだ。
婚約者の少年はたじろぎ、再度激怒した。
「どこまでも!ああそうだろうな怠惰令嬢!この程度の成績を取るためにもう無理をする必要はない!領地で好きに怠けるがいい!」
そうして、ワイリー・ツネルガットとイライザ・チルバイトハインの婚約破棄は成ったのだった。
*
チルバイトハイン家の領地は隣国に接する辺境にある。隣の領地との境にあたる山々を抜けて辺境伯令嬢が領地に帰還すると、それを待っていた馬車団から輝く金髪の美少女が飛び出し、駆け寄ってきた。
それを見たイライザも馬車から降り、美少女と抱擁を交わす。
「おねぇさまっ」
「ただいまウルリナ。領地をありがとうね」
「とんでもありません。私が領地を守れるのもおねぇさまの力あってのことですもの」
「でもあなたがいないと、私だけじゃ無理だもの」
チルバイトハイン家次女。ウルリナ・チルバイトハインだ。
「これでおねぇさまが無理をする必要はなくなります」
「どうかしら。またすぐ婚約させられるかも」
「そんなこと私が許しません。ツネルガットとの婚約は無理があったとお父さまも言っておりました。ねぇおねぇさま。それより私、お話したいことがあるのです」
稀に見る怠け者の伯爵令嬢と仕事を押し付けられている異母妹。中央の社交界でそう噂される二人は仲睦まじく笑い、同じ馬車に乗りこんだ。
*
ワイリー・ツネルガットは釈然としない思いを抱え過ごしていた。
婚約破棄して領地に帰った元婚約者を連れ戻せと、大人が口々にそう言うのだ。
ツネルガットの栄光は勤勉により成ったと口酸っぱく言っていた父親は、稀に見る怠け者と名高い元婚約者との婚約破棄を撤回するべく動いている。
隣国出身の外国語講師は気安いお喋りができる相手が居なくなったと嘆き、いつ中央に戻るのかと聞く。
直接関わりのなかったはずの講師たちまで退学を惜しがり、復学はないのかと聞く。
誰も彼も勉強しない怠惰令嬢が悪いとは言わないのだ。勤勉ではないことを糾弾したワイリーこそが正しいはずなのに。
そうだ直接会って文句を言おう。
そう思い立ったのは婚約破棄から半月が経った頃だった。
イライザ・チルバイトハインの出身地は辺境にあり、魔力を使って推進する最新の馬車を使っても数日かかる。しかし貴族には、平民よりも恵まれた魔力量に加えて、祝福と呼ばれる力がある。ワイリー・ツネルガットの祝福は"転移"だった。
思い立って数秒。祝福の力を使って降り立った辺境伯領は噂されているよりも更に豊かな様子だった。
暖かい地方からの風は高い山に遮られ、起伏が多いため日当たりも充分といえない。そんな領地に関わらず、畑には麦が実り、それを収穫する人々が楽しげに働いている。
祝福によって移動したワイリーの前には目的の人物が立っていた。
「あらワイリー様。ウルリナならもう結婚しましたよ」
「何だって??」
稀に見る怠け者と名高い辺境伯令嬢。イライザ・チルバイトハインだ。
イライザは作業着とわかる地味なドレスを着ていた。
「私も驚いたんですが何でも領地を回る中で護衛の騎士と良い仲になったとか」
「展開が早くないか」
「田舎の結婚は早いものですから」
「そ、れは。おめでたいことだな。やはり怠け者の貴様と違ってウルリナ嬢のように領地のため身を削る人物には見初める人もいるということだ。仕事を異母妹に押し付けてさぼる貴様のような人物とは違ってな」
「ですからウルリナと婚約いただくことはもうできないのです。私との婚約も破棄されましたし。我が家とはご縁がなかったということで」
元婚約者は返事を待たずに立ち去ろうとした。
「待たないか!」
「何でしょう。私これから藁を積むので忙しいのですが」
「貴様が?藁を?ふん。領地に帰って少しは改心したのか。それともこれまで怠けてきた罰でも与えられているのか」
「藁を積むのは次の収穫に必要なことですから罰にはなりませんよ」
見ると、領民たちがイライザの言うように刈り取られた藁を収穫の済んだ畑に積んでいる。
「イライザ様。その人は?」
「ウルリナに求婚にいらしたの」
「もう結婚してるのに…?」
「いや、違う!俺はウルリナ嬢ではなく」
「じゃあイライザ様に?」
わらわらと領民が集まってくる。
「またイライザ様を連れていくなんてとんでもない」
「土地を蘇らせるためにずっと苦労してくれていたのに」
「こいつは異母妹に仕事を押し付けて」
「そりゃあウルリナ様ももちろんだけど」
「ああ、失礼。ウルリナだわ」
口々に言う領民たちをそのままに、元婚約者は開けたところに歩み出る。
手の甲に浮かんだ模様を高く掲げると、そこから光がほとばしり、山の向こうへ飛んで消えた。
領民たちから歓声があがる。
「何だ今のは!」
「何って、祝福です。私の代わりに隣村に行ってくれているウルリナに送りました」
「貴様、貴様の祝福は"豊穣"のはずだ。それなのに異母妹に領地を押し付けて」
「ですから『代わり』です。私では領地中を回るのは難しいですから。妹が」
差し出された模様を見るとそれは魔法紋だった。魔力を用いて図を描き、魔力に指向性を持たせるためのもの。
「紋章力学…!」
"豊穣"の気配が色濃い魔力で形作られたそれは、イライザ・チルバイトハインが自ら描いたことが明らかだった。それも、学園で習うよりもずっと高度な組み立てだ。
「そんなことができるなら、何故学園で受講していなかった!」
「すでにできていることを学びなおす必要が感じられませんでしたから」
「攻撃魔法も、防衛魔法も、それだけ実用できるなら応用できたのではないか」
「常に領地に祝福を送っていては、授業で扱う分の魔力は残らなくって」
「外国語の講師が貴様としていた雑談ができなくなったと。他の教科も」
「領地のことを優先して学業に身を入れていなかった自業自得です」
元婚約者の話が本当なら、成績が振るわなかったのは理由あってのことで、怠けてなんかいなかったことになる。
「恵まれた才能があるのに努力しないのは恥ずべきことなんだ」
「ワイリー様には特別恵まれた祝福があって、ずっと努力してらしたものね」
"転移"の祝福は、貴族の中でも珍しく、有用だ。しかし、勤勉を至高とする一族において天から与えられたものが手放しに褒められることはない。
いつも、恵まれているのだから、もっと努力をしなさいと言われていた。
「私は、お前の努力を踏みにじったのだろうか」
だから、隣に並ぶ人には一緒に努力をしてほしかった。
「いいえ?」
イライザはとうとう領民に混ざって藁を積み始めた。
「あなたのことより領地を優先していたのだもの。婚約破棄も当然です」
"豊穣"の祝福は、さほど珍しくないものの、その有益さから嫁ぐにも婿に入るにも引く手あまただ。元々ワイリーの父が是非にと頼み込んだ婚約だった。
「しかし」
「ウルリナと結婚した騎士が、幸いなことに祝福を持っているのです。家のことは妹が継いでくれるそうですから、私はのんびりしようかと」
言葉とはうらはらにイライザは手を止めない。
後にツネルガット伯となったワイリー・ツネルガットは言った。
「どうしようもなく惚れてしまって泣き落としで結婚してもらった」
実家と嫁ぎ先、両方の領地に豊穣をもたらし『祝福の女神』と呼ばれたツネルガット伯爵夫人、イライザ・ツネルガットは言った。
「泣けばどうにかなると思われるのは心外だったのだけれど、生真面目な人だから私だけ愛するという言葉に嘘はないと思って」
しかしそれも、成績を棒に振って辺境伯領に留まったワイリーが"転移"での手伝いを申し出たり、山向こうの隣村から帰ったウルリナ・チルバイトハインに祝福で殴られたりしてから数年が経ってのことである。