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どういうこと

 どういうこと──


 言おうとした。だが苦しさのあまり、言葉が出ない。必死でもがくが、明は平然としている。彼にとって僕の抵抗など、何ら障害になり得ていないらしい。


「翔、さっきのザマは何なんだ? 直枝はちゃんと戦った。素手で戦い、お前を助けた。しかし、お前は戦わなかった。武器を持っていたのに、抵抗すらしなかったな。お前は、上条と同じくらいに足手まといだ。俺には、足手まといを助ける趣味はない。直枝、お前の意見を聞きたい。どうする? こいつ殺すか?」


 明は何の感情も読み取れない声で、そう言い放つ。


 嘘だろ? なぜ僕が、殺されなきゃならない?


 薄れゆく意識の中、明の顔を見る。だが、彼の顔のどこにも、冗談だとは書いてなかった。その目には、はっきりとした殺意がある。


 殺される──


 そう思った瞬間、下半身に生暖かい液体が溢れた。地面に流れ、水溜まりを作る。その時、僕は恐怖のあまり失禁していたのだ。

 同時に、涙がこぼれる。だが、これは恥ずかしさのためではない。恐怖と苦しさのためだ。目の前に死が迫っている。恥じらいを感じている余裕などない。

 そう、僕は泣きながら失禁していた──

 その時だった。


「殺しちゃ駄目だよ!」


 薄れゆく意識の中、声が聞こえる。直枝の声だ。

 途端に、呼吸が楽になる。手が首から離れた。支えを失った僕は、漏らした小便の水溜まりに尻を着く──


「直枝に感謝するんだな。だが、もう一度あんな無様なマネしたら、本当に殺す。誰が何と言おうとな」


 感情の一切感じられない表情で、明は言い放つ。チンピラの脅し文句などとは、根本的に違う。これは警告なのだ。

 対する僕は、泣きながらウンウンと頷くことしか出来なかった。しかも、体の震えが止まらない。


「その小便臭い服を、さっさと着替えろ。漏らしたのがウンコだったら、問答無用で殺していたけどな」


 冷たい目で、そう付け加える。僕はたまらなくなり、目を逸らせた。その時、こちらを見ている直枝と目があう。

 直枝は僕に、嫌悪と同情の入り混じった視線を向ける。だが、それは一瞬のことだった。すぐに視線を外す。

 恥ずかしかった。また情けなかった。直枝に二度も助けられた挙げ句、彼女の見ている前で小便まで漏らしたのだ。

 このまま恥を晒して生きるより、明に殺されていた方が良かったかもしれない……という思いが頭を掠める。

 だが、それも無理だ。まだ死にたくない。

 そんな僕を無視し、明と直枝は話し始める。


「ところで直枝、お前は格闘技をやってたみたいだな。空手か? それともキックか?」


「実は、空手やってるんだ。小学生の頃に、習い始めた」


「そうか、空手か。小学生の頃に始めたのなら、キャリアは長いな。黒帯は持っているのか?」


「うん。一応、初段だよ。小さい規模だけど、女子の大会にも出たことあるし。三位だった」


「ほう、そいつは頼もしい。だったら、翔よりはマトモに戦えるな」


 二人がそんな会話をしている横で、僕は惨めな気分に苛まれながら着替えていた。

 その時、頭の中で考えていたことがある。明は、平気で人を殺せる男だ。さらに冷酷非情でもある。何のためらいもなく、上条を囮に使ったのだ。

 この状況で、使い物にならないと判断すれば、僕のことも簡単に殺すだろう。何せ、本物のシリアルキラーの息子なのだ。

 そういえば、彼は教室では死んだ魚のような目をしている。誰とも言葉を交わさない男だった。それが、今は別人のように生き生きしているのだ。今の明は、死んだ魚とは真逆……まさに水を得た魚だ。

 ひょっとしたら、明はこういう状況が好きなのだろうか。戦うこと、人を殺すことが大好きなのかもしれない。

 いや、そんなことはどうでもいい。問題なのは、僕がまた同じヘマをした場合どうなるか、だ。

 使い物にならないと判断され、殺される──

 だから、また敵が現れた時には、僕が戦わなければならない。どんな奴が相手だろうと戦い、必ず殺すのだ。

 でないと、明に殺される。あの高宮や他の連中のように、いとも容易く命を奪われるだろう。

 こんな場所で死にたくはない。死にたくないのなら、敵を死なせるしかないのだ。


 この時に考えていたことは、半分は正しかった。だが、半分は間違いだったのだ。

 もし、その間違いに気づいていれば、僕は今頃どうなっていたのだろう。

 もっとも、そんな事を今さら考えても無意味だ。人生にタラレバはないのだから。




 着替え終わると、その場に座り込んだ。泣きたい気持ちを必死でこらえ、ずっと下を向いていた。

 そんな僕とは対照的に、明は何か食べ物を口に入れている。既に二人を殺しているというのに、平然とした表情で口を動かし咀嚼していた。

 一方、直枝は疲れきった表情で座り込んでいた。下を向き、じっと何かを考えこんでいる。


「ところで、他の女たちはどうなったんだ? それと、なんでお前は助かったんだよ?」


 明が尋ねると、直枝は顔を上げる。


「二人は、ヤカンに入ってたお茶を飲んだ。それ飲んでしばらくしたら、急におかしくなったみたいで……二人とも、テレビで観るヤク中みたいにぼんやりしてた。あたしは飲まなかったけど。そしたら、いきなり男が入ってきて……見るからに怪しそうだった。あたし、とっさにそいつに蹴り入れて逃げ出したんだよ」


「やっぱり、そうだったか。ありきたりな手口だねえ」


 言った直後、明の表情が一変した。口を閉じ、入口の方を見つめる。

 姿勢を低くし、人差し指を口に当てた。僕たちに向かい手招きする。黙ってこっちに来い、というジェスチャーのようだ。

 僕と直枝は頷いた。指示の通りに姿勢を低くし、這いながら明のそばに近づいて行く。

 すると、人が接近してくるような足音と、話し声が聞こえてきた。

 ややあって、二人の男が現れた。何やら話をしながら、僕たちが隠れている物置を目指して真っ直ぐ歩いて来る。

 片方は懐中電灯で辺りを照らし、もう片方は棒のような物を持っている。どちらも若く、中肉中背だ。高宮のようにレインコートを着ている。

 その瞬間、僕の鼓動が異様に早くなる。ひたすら天に祈った。ここには来ないでくれ、と。

 そんな僕の祈りも空しく、二人の話し声が聞こえてきた。


「逃げ出した奴らなんか、ほっときゃいいじゃねえか。何を言おうが、証拠がないんだから大丈夫だろ。死体がなければ、ただの行方不明じゃん。今までだって、逃げた奴いたけど大丈夫だったぜ。それに、明日にはここを引き上げるんだしよ」


「でもさ、高宮と竹原が殺されてるんだぜ。このままにはしておけねえだろ。そいつらも生け捕りにしてやろうぜ」


「しかしな、あの二人を素手で殺すとは驚いたぜ。どんな奴なんだろうな」


「知るか。どうせ油断してたんだろうよ。俺は昔、剣道をやってたんだ。もし奴らがいたら、お前は徳田さんや黒川さんに知らせろ。俺は、コイツで頭をかち割ってやる」


 二人の男はべらべら喋りながら、中に入ってきた。僕たちは息を殺し、様子を見守る。

 懐中電灯の男が、あちこちを照らし始めた。


「何もないな。ここには居ないんじゃないか……ん? 何だこれ?」


 懐中電灯を持った男は歩いて来て、地面の上にあるものを照らした。

 その瞬間、僕の心臓は止まりそうになる。奴らは、先ほど僕が脱ぎ捨てたズボンを照らしているのだ。


「おい、これ何だ? なんかくせえぞ」


 棒を持った男が近づき、まじまじと見つめる。


「それ、制服のズボンじゃねえか。それに小便の匂いだよ。ガキども、ビビって小便もらしたな! ダセえ奴!」


「てことは、ここいらに隠れているかもしれねえぞ! おい探そうぜ! 俺たちで取っ捕まえようや!」


「そうだな。ビビって小便もらすヘタレなら、俺たちで充分だろ」


 二人の会話を聞いた瞬間、僕の体から一気に汗が吹き出した──

 これは、僕のミスだ。このままでは、本当に殺される。仮に殺されなかったとしても、明に呆れられ、見放されてしまう。

 こうなった以上、自分のミスを埋め合わせる。それしかない。

 そう、僕が奴らを殺す。

 

 サバイバルナイフを握りしめ、僕はひとり忍び寄って行く。

 全身の震えが止まらない。言うまでもなく怖かった。怖くて怖くて仕方ない。出来ることなら、その場に這いつくばっていたかった。全てを、明と直枝に任せたかった。

 でも、それだけはしてはいけない。僕の恐怖は、二人の男に対するものよりも、明に対するものの方が大きかったのだ。()らなければ、見捨てられてしまう。

 この状況で、ひとり見捨てられる恐怖に比べれば、目の前にいる二人の男など物の数ではない。


 僕は、奴らのすぐそばにまで近づいていた。

 まだ、男たちは気づいていない。あちこちに視線を向け、潜んでいるかもしれない者を探している。

 しかし、懐中電灯の光が僕を照らした。と同時に、片方の男が何か叫ぶ。声は聞こえていたが、言葉の内容までは聞き取れなかった。そもそも、聞いている余裕など無かった。

 光が当たった瞬間、僕は立ち上がった。直後、男に襲いかかって行く──

 震える手でナイフを構え、懐中電灯を持った男に体ごとぶち当たって行った。口からは、無意識のうちに声が出ていた。喚きながら、ナイフを構えてぶつかって行ったのだ。

 すると、驚くほど簡単に刃が突き刺さる。


 死ぬまで忘れられないだろう。ナイフの刃が男の体に刺さり、肉を貫いていった時の感触。男の体の奥深く、刃をめり込ませていく感触を。

 男はというと、驚愕の表情を浮かべて僕を見ている。ナイフの刃が己の体に突き刺さっているというのに、何が起きたのか把握できていない様子だった。

 次の瞬間、表情は一変した。その目に、怒り、恐怖、憎悪、苦痛といった様々な感情が浮かぶ。

 直後、僕を思い切り突き飛ばした。その弾みでナイフが抜ける。僕は、ナイフを握りしめたまま後ろに倒れた。

 男は傷を押さえ、僕を睨みつけた。その傷口からは、大量の血が流れ落ちている。僕のそれまでの人生において、こんな流血を見たのは初めてだ。

 怖かった。だが、僕は攻撃を止めなかった。ここで止められるはずがないのだ。止めたら、殺されるのはこちらだ。

 もう一度、ナイフを構えて突進して行く。体ごと、思い切りぶち当たって行った。

 すると、男は呆気なく倒れる。必死の形相で抵抗しているようだが、それも弱々しいものだった。僕は男に馬乗りになると、逆手に持ったナイフを降り下ろした。何度も何度も突き刺す。

 その時、何か叫んでいる声が聞こえた。何かがぶつかるような物音も。

 だが、僕は目の前の男を殺すことにのみ集中していた。人はいざとなったら、なかなか死なないのだ。一度や二度、刃物で刺したくらいでは動き続けている。

 だから、僕は何度も刺した。

 せめて、この男だけは殺さなくてはならない。でなければ、明に見捨てられてしまう──






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