今日も担当編集者のお姉さんが可愛い
都内某所の喫茶店にて。
ラノベ作家の堂島康之は緊張の面持ちで担当編集者と待ち合わせていた。
トレンチコートをばたつかせ、黒い髪に眼鏡の若い女性が慌ただしく入店して来る。
「あああっ、エンドレス・ファイアーさん! お待たせして申し訳ありませんっ」
「いえいえ、君沢さんはお仕事忙しいから……っていうか、あの……」
堂島は困った顔を作り、咳ばらいして見せた。
「店内では、僕をペンネームで呼ばないで貰えますか……?」
「……本名の方がよろしいですか!?」
「う、うーん……じゃあ〝ファイアー〟で」
「分かりました!ファイアーさんでよろしいですね?」
相手の言葉にいちいちテンション高めに反応するこの女性は──ラノベ作家エンドレス・ファイアーこと堂島の担当編集者であり、ペンドリー出版社の社員、君沢茜だ。
他方の堂島は小説投稿サイト「小説家にならんか」においてホラー作品で総合月間ランキング十位入りをするという快挙を成し遂げ、ペンドリー出版からようやく最近、一冊のライトノベル「切り取られた蒼穹」──略して「蒼穹」──を出版するに至った駆け出しのラノベ作家である。
その書籍化作業において、二人は主にメールでやり取りしていた。なので、今日が初対面なのである。
(「出版した記念に食事でも」と誘われて、興味本位で出版社近くのこの喫茶店に来たはいいものの──)
堂島は、自らの服装をしげしげと眺める。
十年以上着ているよれたライブTシャツに、擦り切れたジーンズ。
明らかに、女性と食事をするという状況に不釣り合いな服装だ。
彼は普段プラスチック製造の工場で働いており、日常では作業着と部屋着を交互に着ることしかない。外出着を買い足すようなイベントに参加することもないため、今日はとりあえず割とマシな方の部屋着を着て来たに過ぎない。
堂島は決まり悪そうな表情で、君沢編集を観察する。
シルバーの縁の眼鏡をかけ、黒く艶やかな髪を肩に落とした清楚な女性。彼女がトレンチコートをするりと脱いで椅子に掛けると、ピンとした生地のブラウスにひざ下スカートが現れた。その黒い髪を耳にかけると、耳たぶからチラチラとカットストーンのピアスが輝いているのが見えた。
(作家と編集者という関係でもなければ、俺みたいな底辺がこんなキレイな女の人と食事なんか出来るわけがない……)
堂島は心がざわざわする。
彼はあえてこんなことを言った。
「……どうです?〝蒼穹〟の売り上げは」
その問いに、君沢は少し顔を曇らせた。やっぱりね、と堂島は心の中で吐き捨てる。
「あんまり、だったでしょう?どこのランキングにも引っかかっていなかったですもんね」
すると君沢編集は曇りを振り払うように、きっと前を向いた。
「いいえ、本当の売り上げと言うものは、二か月以上経たないと正確に分からないものですから」
「そうですかね……でも重版するかどうかは、十日ぐらいの初動で決まるらしいじゃないですか」
言いながら、堂島はひやりと汗をかく。
まただ。
また、いつもの癖が出てしまった。
初対面の人間にはマイナスの話題を先に出し、これ以上嫌われまいとする最低の話し方。いい人を演じても上手く行かなかった学生時代がトラウマになっており、あえて露悪的なキャラクターを装うというこの難儀な性格。
堂島はこれが、子供じみた失礼極まりない行動であることは充分に理解している。
けれど、癖と言うものは厄介で、抜けないものなのだった。
他方、目の前の君沢編集は困り顔でテーブルに視線を泳がせてから、ふいに顔を上げた。
「私、この作品が好きなんです」
堂島は予想していなかった答えに、ぽかんと口を開ける。
「だから、今は売り上げどうこうより、この本を世の中に出せてほっとしています」
堂島は毒気を抜かれた。
「え……?でも売り上げが大事でしょう、出版社的には」
君沢はまるで何事もなかったかのように、そばにあるメニュー表を手に取った。
「勿論そうですね。でも、私は出版社の社員である以前にひとりの読者で、ひとりの人間です」
「……」
「売れる本を出すというのも至上命題ですけれど、好きな本を世に出す楽しみもあったりするのです」
「……」
「それではいけませんか?」
堂島はごくりと息を呑んだ。
ふんわりした空気の女性なので、どこか見くびっていた。単にランキング上位に躍り出たから作品だからというのではなく、彼女には彼女なりの信念があって〝切り取られた蒼穹〟に書籍化打診をしたのかもしれないのだ。
言葉に詰まっている堂島に笑いかけ、彼女はメニューをさし向けた。
「経費で落ちますから、好きなもの食べて下さいね」
私オムライス、と呟いてから、君沢はとても興味深そうにじっと堂島の顔を眺める。
堂島はどぎまぎしながらメニューを受け取り、彼女から顔を隠すようにそれを読み耽った。
「僕は……ハヤシライスで」
「決まりですね。長話したいですから、ドリンクバーも付けちゃいます?」
「!?」
堂島が拒否する間もなく、彼女は店員を呼んでランチセットメニューを素早く注文してしまった。
彼はやたら力技で寄り切ろうとして来る君沢に、次第に恐縮し始めた。
「な、長話……?」
「ああいった奇抜な小説を書く人って、どんな人か気になるじゃないですか」
堂島は戸惑いつつも、君沢の人となりに頭を巡らせる。
出版社なんかに勤めているから、きっと彼女は四大卒の才女だ。いいところのお嬢様で、いい家に住んでいて、友人たちもきらきらしていて、きっと恋人なんかも──
「どんなって……大した人生送ってないですよ。35歳にもなって未婚ですし。高卒で、ずっと工場勤めで」
堂島は正直に言った。
「小説家にならんかだってお金がないから始めた趣味でしたし……無事書籍化まで行けたのはよかったけど、売れないんじゃやっぱり今までの苦労も無駄だったのかなーって」
すると君沢はふるふると首を横に振った。
「私は、逆立ちしたって小説なんか書けません」
堂島はぽかんと口を開けた。
「だからあなたに書いて欲しいんです──エンドレス・ファイアーさんにしか書けないものを」
そう言って、君沢はふんわりと笑った。
一方で、堂島は自らのつけたふざけたペンネームを今、死ぬほど呪っていた。
「えーっと、君沢さん……」
「ああああ!ごめんなさい私ったら!ついまたフルペンネームで呼んでしまいました!」
「店内でフルペンは勘弁してください」
「ファイアーさんっ。ですから、あの……」
君沢は目を輝かせ、居住まいを正した。
「私、もっとファイアーさんの作品が読んでみたいんです。続きを書いてくださいますか?」
堂島はどきりとして、目を逸らした。
「……もちろん」
「本当ですか!?よかったー!」
君沢はほっと胸をなで下ろす。堂島は少し赤くなりながら続けた。
「でもね、君沢さん。あんまり売れてないんだから、二巻を出せるかどうかは──」
「何ですかファイアーさん!私、あなたのお返事を待っていましたから。絶対次巻も出しましょう!」
「ぜ、絶対……?」
「はい!編集会議でゴリ推ししますね!」
「だからって次巻は……」
「何ですかいちいち。推すか推さないかは私の自由ですよ。ファイアーさんが是非出したいとおっしゃったから、私も乗っかったまでです!」
「えええ……」
堂島は彼女の勢いに押されたようなふりをしたが、内心めちゃくちゃに嬉しかった。
自分を作家として売り出そうとしてくれたこと。
売り上げは芳しくなくても、自分の作品を好きだと言ってくれたこと。
ゴリ推ししてくれるらしいこと。
思わぬ言葉が彼女の口から次々に出て来て、堂島はひっそりと胸を射抜かれていた。
(……やっば)
冴えない人生と思いきや、何が起こるか分からないものだ。
(やばいやばい……!)
堂島は急に沸き起こったウン十年ぶりの恋愛感情というものに戸惑い、同時に悶えた。
(何?こんなおっさんを褒めちぎって、何を企んでるの、この人?)
それから今までもやって来た通り、お得意のネガティブ思考を脳内に定着させて恋心を冷まそうと試みる。
(いや、冷静になるんだ。売れなかったらきっと彼女は冷たくなる。そうに違いない……)
そうやって彼は心の均衡を保つ。
(こうなったら、売れてくれるな、一巻。そうしたらきっと、俺はこの人を好きにならずに済む──)
すると心を読んでいたかのように、君沢がこう言った。
「また、会ってくれますか?」
堂島はもはや青くなって顔を上げる。
彼女は少し赤くなって微笑んでいた。
「あの、二人とも都内在住でしたし、これからはメールじゃなくて、会って打ち合わせをしてもいいんじゃないかって思いまして……」
だめですか?と小首をかしげた彼女に、堂島は完全に脳を破壊された。
「……そうですね。次からはそうしましょう」
「本当ですか!?やっぱり顔を合わせてお話した方が、お互い、いいアイデアが出て来ると思ってたんですよね!」
「アイデア……?」
「次巻の構想ですよ!ホラーのネタ出しなら私得意なんで、じゃんじゃん相談してくださいねっ」
食事が運ばれて来る。
堂島はくらくらしながらハヤシライスを頬張り、
(帰りに新しい服を買って帰ろう……)
と心に決めるのだった。
君沢は食事を終えると職場に戻った。
デスクに着くと、隣の席の同僚、小野寺かなえが声をかけて来る。
「お疲れー、どうだった?エンドレス・ファイアーさんは」
君沢は曖昧に笑うと、頬杖をついて応えた。
「ファイアーさん、B級映画が好きなんだって。あと、古着着てた」
「古着?」
「凄いしっくり着こなしてた。で、痩せてて、頭もさもさで、結構背が高くて」
小野寺はしげしげと同期を見つめてから、ふーんとからかうような声を出した。
「随分興奮してるじゃない?」
「そんなことないってば……思ったことを言っただけですっ」
「……随分慌ててるじゃない?」
「もう、小野寺さんったら……!」
君沢は赤くなり少しムキになってから、デスクに置かれた「切り取られた蒼穹」の冊子を眺めた。
「そう、対面の方が色々と正確に伝えられるから……そう、そうなのよ。だからまた会わなくちゃいけないのよ」
などと、どこか言い訳がましく呟きながら。