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エッセイ

小説は筋肉から ~私なりの小説の書き方~

作者: 大久保周

自分の小説の書き方まとめようと思ったら、とんでもない結論になったのでなろうさんでも見てほしいなと思って挙げました。


異論反論は受け止めますが、考え方を強要しているわけではないのでご了承ください。

 以下の文章はすべて私個人の考え方であり、誰かにこの考えを強要するつもりなどまったくもってないということをここに明記しておきます。その旨を了承できる人だけ以下を読み進めてください。異論も反論も受け止めますが、だからといって誰かの思想に染まることはないし、自身の考え方の糧にするだけです。みなさまも「この人はそう考えるのか」と自身の糧にしてくださるとありがたく思います。




 小説を書くというのは多くの創作の中で一番簡単で一番大変だろう、とここ最近の私は思う。一番踏み出しやすくて一番奥が深い制作だとも言い換えることができる。そもそも創作というのは、自身の考え方やら心情やら抑圧された性癖やらをぶちまけてこねくり回して見せつける自慰行為なのだから、文字だけで表すことは「言語」という存在に押し込めてから排出することを考えると二段階の苦行と言えよう。


 自分の中の言語、つまるところの語彙が足りていなければ現れる性癖も大したことにはならないはずなのだ。であれば、鍛えるしかない。では語彙とはいかにして育てるのか。調べたところで出てくるのは、言い換えようとか、本を読もうとかよくある言葉だけだ。まったくもって心に響かない。なぜならやり方は自分の中に眠っているのだから。自分の性癖を吐露するには自分について知らなければならない。故に答えというものは総じて自分の中にしかないのだと思う。


 ではどのようにすれば語彙が増えるのかというと、自身を抑圧することが最もふさわしいと思われる。どう頑張っても完全に自分を押さえつけることは不可能である。著名人の文章を写生すると自分の個性が出てくるということと似ている。注射の背を押せば液体が漏れるように。シュークリームをつかめば皮を破ってクリームが押し出されるように。形を変えて必ず出てくるものこそが語彙であり、また個性とも呼ぶべきものだ。だからこそ創作するならば縛りを付けるべきなのだ。



 私は世界観が面白くても小説は下手くそだ。何度も言われてきた。だからこそ語彙が武器になるのだと考え、ここ最近は伝えられる文章を書いたり自身の感情を正確に表す方法を学んでいる。それらの過程で最も有効だと考えた結果が、「マインドマップ」「プロット」「画面設定」である。それぞれがアイデア出し、ストーリー決め、本文制作に分けられる。


 マインドマップを作る時はテーマから連想されることを思うままに書き殴る。一般的に知られるマインドマップと同じで特に変わった点はない。主に主人公の性格、トラウマ、舞台上でどのように行動するか、舞台外でどう行動するか、時間の流れ、仕事、衣食住、安定した生活の上に不完全な感情は成り立つのか、好きなものと嫌いなもの、などを書き出す。この辺りは下書きから書き換えていないのでなぜ書き出すのかわからない人もいるだろうが、「必要な工程なのだ」と理解してほしい。


 プロットを書くときが製作の中で最も細かく大変な作業だ。五段階に分けて説明しよう。

 ①初めと終わりを書いて、間に起こるターニングポイントを書いて、こんな出来事があったらいいなと書いて、ありえたかもしれない可能性を書く。

 ②それらを並べて何を足して何を引くのかと選別を行い、組み替えて割ってくっつけてはがして、数珠の玉をつなげるようにいくつも並べていく。

 ③出てきた内容量を鑑みて、合計文字数、話数を決める。

 ④話ごとにどの話が何話に当たるのか割り振り、一話ずつの大まかなあらすじを作成していく。作成する間だって一話の中で見どころはどこなのだとか次回へ続けるにはどう煽るのか考え簡単な各話のあらすじを書くことを忘れてはならない。

 ⑤最後に出来上がった内容を読者として楽しみ、作者として場面を割りながら自分の頭の中に映像を流し込み、一度真っ白にしてから書かれたことだけを頭に浮かべて足りなければ書き足す。


 今度は画面設定をする。ここでようやく本文の下書きに入る。用意するのは指定された文字数の最大値が画面いっぱいに並ぶシート。視界にすべてが収まりきるようにするのがポイントである。もちろんすべての話を行うことはできないので一話ずつ行う。シート内にぴったり押し込めるように書くことによって、終わりまでの文字数を考えながら書くことができる。

 劇的な文章を書きたいのならば常に終わりを意識しなければいけない。授業や駅伝がつらいのは視覚的情報としてはじめと終わり、至るまでの道筋、一歩にかける時間、一歩をどこに踏み出せばいいのかという詳細が書いていないからだ。


 小説が難しいのはこれらにあるのだ。文字を書き連ねれば小説になるだろう。ジャンルは問わない。二次創作でも何でもいい。三行でも書けばそれは小説だろう。だけれど、それをうまく伝えようとすると見境のない沼へと落ちて行ってしまうのだ。例えばイラストなら、この一枚にどういう絵をかくのだと下書きしてゴールが決まっている。漫画なら、枠内に収めればよいだろう。もちろん絵や漫画を描くことが簡単だなんて一ミリも思ってはいない。ただ、視覚的情報の中にゴールを組み込み、一歩を踏み出すのに必要な労力と意味を持っているとクリーンな状態で足を進められると言いたいのだ。


 最後に。ここまでの文章ではわからないと思うけれど、私の小説の書き方は筋肉と同じで膨張させてしぼませることの繰り返しである。その差が大きければ大きいほど小説は鍛えられていくのである。


 小説は筋肉から。忘れてはならない。

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― 新着の感想 ―
[一言] リアルな人体の話をすると 人は何故、脳が発達したのか? というと人は脆弱だからだと思ってます そして脳みそは筋肉を護るために思考をするわけです 筋肉バンザイですね!
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