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コンビニエンスホテル  作者: まきの・えり
8/10

コンビニエンスホテル8


「私は赤にしたけど、明子さんなら、白が好きでしょ」と言われても、ワインなんかとは、余り縁のない私。

 どっちでもいい。

 飲み放題にしては、ほんの少しだけ、グラスに注ぐウエイター。

「お口に合いますかどうか」と言って、待っている。

 グイッと飲んでしまった私と違って、範子さんは、香りをかぎ、一口飲むと、「これでいいわ」と言っている。

「明子さんは?」

「すっごい、おいしい」

 そう言うと、「ごゆっくり」と言って、ワインクーラーに冷やしたワインを置いて、ウエイターは行ってしまった。

「明子さん、飲み過ぎたらダメよ。

 ビールと違って、ワインは、足にくるから」

「はーい」と口では言ったけれど、聞いていなかった。

 いやあ、おいしい。

 この世に、こんなおいしい酒があったなんて。

 同じ冷酒でも、昨日の酒とは大違い。

 ステーキもおいしい。

 ローストビーフもおいしい。

 ワインもおいしい。

 何か知らない料理もおいしい。

 ああ、余は満足じゃ状態の時、「田鋤原さん」という声が聞こえて来た。

 反射的に、その声の方角を見ると、ギャア、あの髪の長い女の人が、ホテルの制服を着ている。

 制服の胸には、『田鋤原』という名札が。

 一瞬にして、今までのいい気分は吹き飛び、酔いまで冷める。

 私は、フラフラと立ち上がって、女の人のそばに寄り、「明日、二人で行くから、大丈夫」とささやいていた。

「はあ?」と女の人の不審そうな顔。

「田鋤原さんの娘さんでしょう?」

「はい。そうですけど、あなたは?」

 話しているうちに、声のトーンが違うことに気がついた。

 それに、髪の毛も長いとは言っても、肩の辺りで切り揃えてある。

 他人の空似?

 でも、名前は田鋤原。

「私、大阪の『まるとく屋』から参りました、坂口明子です」と言ってみた。

「『まるとく屋』?」と全然覚えがないみたいだ。

「フロントに父がおりますので、父に話していただけますか?

 私は、まだ新米なものですから」

「はい」と引き下がった。

 全然、わけがわからない。

「どうしたの、明子さん」と範子さんにも、不審がられる始末。

「オーナーの仕事が、まだすんでいないんよ」

「熱心ねえ。

 休みの時ぐらい、オーナーのことは忘れなさいよ」と言われても、仕事はすまさないと。

「範子さん、ごめん。

 ちょっとフロントに行ってくるね」と言いながら、残りのワインを飲み干した。

「じゃ、私も、これ飲んでから、部屋に戻っておくから」

 フロントには、何人か待っている人がいる。

 こっちの『まるとくホテル』は、繁盛しているようだ。

 ようやく、私の番が来た。

「田鋤原さんとお話したいのれすが」

 いけない、いけない。

 きちんと話さないと。

「はい。

 田鋤原は、私ですが」と言って現れたのは、あの田鋤原さんではない。

「あー」と相手の方が言った。

「もしかすると、あなたは、あの大阪から来た方?」

「は、はあ。

 そうですが」何で知ってる、こっちの世界の田鋤原が?

「シーツを持ち逃げして、ホテル代と食事代を踏み倒した・・・」

 な、何を失礼なことを!

 辺りにいた人達が、ジロジロと私の顔を見ていた。

「まあ、時効ですけど」

 時効?

 つい昨日のことなんだけど。

「あれ以来、大変だったんですよ。

 まあ、ここでは何ですから、奥ででも」とフロントの奥の部屋に通されてしまった。

「しかし、お変わりないですねえ」と私に椅子を勧めると、シミジミとした口調だ。

 そりゃあ、昨日の今日で、それほど変わるわけは・・・

 と思った時、オーナーではないけれど、ポン、と手を叩いてしまった。

「あー、あの田鋤原さんの娘さんの婚約者だった人」名前は知らないけど。

 かなり老けているけれど、何となく雰囲気が同じ。

「そうです。

 あれから、入り婿に入って、田鋤原の姓になったんですが」

「へえ、そうだったんですか」と言ったけれど、あれから一日しか経っていない。

「今更、あなたを恨んでも仕方がないですが、あれ以来、ずっとあなたが来るのを待っていたんですよ」

「誰がですか?」

「僕の妻が。

 娘を生んで、すぐに、死んでしまったのですが。

 そんなことなら、僕が大阪に連れて行ってやればよかった、と悔やみましたが、後の祭りでした」

 よく話が読めない。

「実は、私、『まるとく屋』の得丸から、六月から滞納されている、ホテルの売り上げ代金を徴収してくるようにと、頼まれてきたのですが」

「確かに、このホテルは、得丸さんが建てたもので、その時に、そういう契約をしたのは本当です。

 しかし、ホテルが壊れた時の補修費とか、その他老朽化した部分の交換費用というのは、全部義父が支払っていて、その他安い材料を使っていたための事故とか建築法違反の建て方とか、数え上げればキリがないほど、お金がかかったのです。

 また、このホテルの敷地は義父のもので、その借地料も一度も支払われてはいない。

 本当だったら、得丸さんには、こちらから催促する方が多いのですが、義父は、律儀に、売り上げ代金の一部を支払い続けていたのです。

 その義父がこの五月に亡くなり、弁護士と相談した結果、得丸さんへの支払い義務はなく、むしろ、こちらから、請求すべきだと言われ、ま、今まで支払った分の返還も示唆されましたが、全てチャラにして、お互い、貸し借りなしにする、という提案を書面で送ったのですが、返事はありませんでした。

 それが、まさか、請求に来られるとは、思ってもみませんでした。

 それと、お持ちになった宿泊券やお食事券は・・・

 申し訳ないんですが、十年以上前のものでして。

 いえ、今回は、せっかくおいでいただいたので、料金は申し受けませんが」

 あんの狸オヤジめ。

 一体、何が目的で、私をこのホテルに行かせた?

 そんな十年以上も昔の券を持たせて、恥をかかせただけ?

 その後、田鋤原さんは、色々な過去の資料を出してきて、私にわかるように説明してくれ、オーナーに送ったという書面のコピーまで見せてくれた。

「あのう、信じていただけないかもしれませんが、私が、このホテルに来たのは、昨日が初めてで・・・

 このホテルではなくて、あなたが言っておられる時のホテルなんですが。

 それで、あのう、奥さんに、大阪に連れて行ってくれと頼まれまして・・・」

 まあ、頼まれたというか、脅迫されたというか。

「何で、連れて行ってやってくれなかったんですか」とこの世界の田鋤原さん、あんた、話が読めてへんね、当然だけど。

「で、まあ、明日、一緒に大阪に行く約束をしているんです」

「明日って言ったって、あなた、もう家内は死んでるんですよ。

 どうやって、連れて行くって言うんですか。

 二十年前のあの時なら、ともかく」

 そのとたん、ズーンと部屋の気温が下がるのがわかった。

 パシーンという音がして、この部屋の電気が消えた。

「わ、何だ。

 この二十年、こんなことは無かったのに。

 さっきも、風呂場の電気が消えたという報告を受け取ったばかりなのに」

 田鋤原さんが話している間に、ポウッと小さな蝋燭の明かりが灯った。

『こんな男の言うことを聞くんじゃない』

「わかってるって。

 明日、一緒に、大阪に行こう」

『約束よ』

「約束は守る」

『絶対にね』

「わかった」

 気温が元に戻り、部屋の電気がついた。

 田鋤原さんの顔から表情が無くなっている。

「あんたは、一体、何なんですか。

 あの暗い中で、誰と話していたんです」

「奥さんです」

 ワアアア、と田鋤原さんが叫び、何人かの従業員が顔を見せた。

 その中に、あの女の人の顔を見つけて、私も、ワアアア、と叫びそうになったけれど、これは、娘さんの方だ、と心を落ち着かせた。

「お父さん、どうしたの?」

「この女のせいだ。

 全部、この女のせいだ」と田鋤原さんが、わめいている。

「この女さえ現れなかったら、お前のお母さんだって、あんな風にならなかった」

 アチャー。

 全部、私のせいにされてしまった。

「お父さん、落ち着いて」と娘に言われ、父の田鋤原は、少し落ち着いたように見えた。

「私、今まで、お母さんのこと、聞いたことないのよ」

「お前は知らなくていい。

 お前だけは、何も知らなくていい」

 まあ、私も同感だ。

 知らない方がいい話は、この世には多い。

 ところが、そう言いながら、この父は、私にとっては、昨日のあの出来事を、全部娘に話してしまった。

 アホ父だ。

 その結果、「私も、一緒に、大阪に行きます」と娘が言うという、大変な展開になってしまった。

「何を馬鹿なことを言ってる」と自分がバカなことを言った父。

「私も一緒に連れて行ってください。

 母が、それだけ行きたがっていた大阪に」と私に頼む娘。

 頭がクラーッとして、一度にワインの酔いが回って来た。

「けど、私は、二人で行くという約束をしてしまったので」とかろうじて、思い出す。

「二人じゃありませんか」と言われると、どう答えていいものか。

『娘ならいい』という声が、頭の中に聞こえた。

『私の顔は見せられないけれど、娘の顔なら見せられる』という、霊独特の理屈だ。

「わかりました。

 一緒に行きましょう」

「ちょっと、あんた、何を勝手なことを」と言った田鋤原さんは、途中で、誰かに首を締められたように、沈黙した。

「だ、誰かが、私の首を」と辺りを見回している。

「きっと、お母さんだわ」と娘が言うと、父の田鋤原さんは、白目をむいて、後ろに倒れてしまった。

「お父さん、お父さん」と田鋤原さんの介抱は、娘さんにまかせるとして。

 きちんと話せたのは、自分でも偉いと思うけど、目がクーラクラと回り始めている。

 椅子から立ち上がろうとするけど、どうも、足が・・・

『ワインは、足にくる』と範子さんは言ってたけど、足だけでなく、目にも来た。

 これは困ったことになった。

「また、飲み過ぎか」という声が聞こえて、ギョッとした。

「範子が心配していた。

 ワインをボトル一本も一気に飲むな」

 猫のように足音を立てない隆さんだった。

 いつどうやって部屋に入って来たのかも、不明。

「どうせ、椅子から立ち上がれないんだろう」と図星です、隆さん。

 ああ、恥ずかしい。

 またも、抱き上げられてしまった。

「この方は?」と父の介抱を忘れた、田鋤原さんの娘さんが言った。

「ああ、連れの佐藤隆さんです」と言ったけれど、聞いていない目だ。

 ゲッ。

 目にハートマークが入っている。

「大阪の方ですか?」

「そうです」と答えたけれど、聞いていない。

 ほんまに、母娘そろって、大阪の男に弱い家系?

「私、一緒に大阪に行きます」と隆さんに訴えている。

「ああ、この人の家は広いから、泊めてもらうといい」と無責任なことを勝手に言っている隆さん。

「はい・・・」

 ポウッとしたままの田鋤原さんの娘を残して、私は、ホテルの宿泊客にジロジロと見られながら、ああ、恥ずかしい、部屋まで運んでもらった。

 この旅、二度目。

 しかも、二日連続。

「大体、お前は、自分の限度を知らないからイカン」とガミガミと部屋で叱られる羽目になった。

「すみません」と今回二度目の犯人は、いつになく殊勝に謝った。

「それに、勝手に、霊と約束なんかするな」

「はい」

「まあ、してしまったものは仕方がない。

 で、何時に出るつもりだ」と言われて、何も考えていなかったことに、気がついた。

「まあ、霊と相談することだ。

 オレ達は、お前より一電車遅らせる」

「すみません」と謝りっぱなし。

「家に帰ったら、春行にも謝れ。

 どれだけ心配ばかりしてたか」

「はい」と小さくなってしまった。

「お父さんは、泣いていた」

「すみません」とますます小さくなる。

「まあいい。

 霊を怒らせるとまずい。

 なるべく早く連れて行ってやれ」

「はい」

「じゃ、オレは、これで」と去ろうとする隆さん。

「あの、隆さん・・・

 ありがとう」とかろうじて、言えた。

「バカ!」と怒ったように言うと、隆さんは去って行った。

 今回の隆さん、何となく、かっこいいかも。

 そうか、霊と相談か、と思ったとたん。

 ジリリリリーン、と電話のベルが鳴って、ギョッとした。

「はい」

「明子さん、私」と明らかに酔っている範子さんだった。

「お兄さん、今、部屋から出たわね」

 と一体どこでのぞいているんだ!

「私も、今から、春行さんの部屋に行く」

 おい、ちょっと待て。

 範子さんが、息子を『春行さん』と呼ぶ時は、相当以上に酔っている。

「ア・・・」アカンと言おうとすると、電話は切れた。

 ベッドから立ち上がろうとするが、立てない。

 そうだ。

 ここは、電話が通じるホテルだ。

 息子の部屋に、電話しよう。

 そう思ったが、春樹の部屋を知らなかった。

『春樹、今から範子さんが、お前の部屋に行くつもりだ。

 決して、ドアを開けるな』とテレパシーを送ったつもりだが、私は、テレパシーの使えない人。

 ああ、どうすればいいんだ、と思ったとたんに、パシーンと電気が消えた。

 あのね、今は、霊の相手をしている場合じゃないのよ。

 息子の危機だ。

 しかし、ポウッと蝋燭の明かりがつき、鏡の前に向こう向きに座った髪の長い女の人が現れた。

『明日の朝八時の電車で』

「そんなことより、息子の危機なのよ」と思わず言った。

『お前の連れと話している』と女の人。

「え、ほんと?」

『二人とも、いい男だな』と娘同様、母親までポウッとしてどうする。

『得丸さんみたい』

 ゲッ。

 隆さんはともかく、息子も、将来、オーナーみたいになるのか・・・

 八十キロのデブジジイ、と思ったとたん、誰かに首を締められたように、息が詰まった。

『得丸さんに、早く会いたい』

 ほんまに、自分のことしか考えてないヤツ。

 ま、霊は全員そうみたいだけど。

「けど、私思うんやけど、いい旦那さんやないの」

 急に、気温が下がった。

「わかった、わかった。

 得丸さんの方が、ステキ」と仕方無く言った。




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