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コンビニエンスホテル  作者: まきの・えり
7/10

コンビニエンスホテル7

 地震の揺れは、長くて数分でおさまるけれど、ポルターガイストとなると、そうはいきません。

 エネルギーが全部放出されるまで、続きます。

 ようやくおさまってきたので、恐々と、シーツを被ったまま、辺りを見ると、亀裂の入っていた玄関の自動ドアのガラスは、綺麗に無くなっていた。

 辺りは、薄明るくなっている。

 どうやら、夜が明け始めたようだ。

 余震は、まだ続いているが、こんなクソホテルから逃げるのは、今しかない。

 そう思って、ガラスが無くなったドアから、颯爽と脱出しようとしたが、うまく足が立たない。

 ようやく立っても、千鳥足だ。

 後のことも考えて、もう少し飲むのを控えるべきだったか・・・

 ガラスの破片が散乱しているので、匍匐前進は、無理。

 何とか、転んで怪我をしないように、ヨチヨチと歩いて、よっこらしょ、と何度もフラフラと行ったり来たりしながら、ようやく、ガラスの無くなったドアから、外に出て、そこから、ヨロヨロヨロと、階段を転げ落ちるようにして、下まで歩いた。

 ようやく、下に辿り着いたとたん、「このバカ」と誰かに、頭をゴツンと殴られた。

 ウヘヘヘ、と笑う。

 酔っているから、全然痛くもないし、腹も立たない。

『春子ちゃんは、嘘つき』と人形が、言った。

 エレベーターの中で、『逆立ちウンコ』を強要したバカ人形だ。

「人形」と言って、人形を抱くと、ヘナヘナと腰がくだけて、地面に座ってしまった。

「ほら。

 おぶされ」と隆さんが、背中を出した。

「恥ずかしいれすよー」

「そんなところに座っている方が、よっぽど恥ずかしい」

「そうれすかねー。

 そんなことないれすよー」

 と頭はハッキリしているつもりなのに、口調が私を裏切っている。

 やだなあ、恥ずかしいなあ、と思いながら、隆さんの背中におぶさろうとしたら、身体が逆九十度に折れ曲がって、ブリッジの体勢になってしまった。

「ヘッド・ブリッジ」と私は、言った。

 得意そうに言ったつもりだったが、悲しい口調になってしまった。

「バカ、何をこんな時に、ブリッジなんかやっている」と隆さんには、怒られる。

 別に、やりたくてやっているわけではない。

 酔って、身体の自由がきかないだけだ。

「ええい、もう、世話の焼けるヤツだ」とだっこされてしまった。

 おんぶよりも、数倍恥ずかしい。

「恥ずかしがっている場合じゃないだろう」と勝手に考えを読まないでください、こんな時に。

「どれだけ飲んだ。

 酒臭い」とまで言われてしまった。

「ほんのちょっとれすよー」

「お前の、ほんのちょっとは、一升か」

「まさか、そんなアホな」

 アハハハハ、と笑ったけれど、トータルで一升以上いっているのは確実だ。

「本当に、ひどいホテルなんれすよー。

 ほら、あのホテル・・・」

「どこに、ホテルなんかある」と隆さんが言った。

 だっこされたまま、ホテルのあったと思える方角を見たが、一面の畑と田圃で、他には何も無かった。

 割れたガラスのドアもなければ、ホテルそのものもない。

「あれー?

 おかしいなあ」

「おかしいのは、お前だ。

 今まで、一体、どこに迷い込んでいたんだ」

 フアアア、と私は、あくびをした。

 隆さんの腕の中で揺られていると、何だか眠くなってきた。

「寝ずに、朝まで飲み続けか」

「そんなわけれは、ふにゃあ、ないんれすが・・・」と眠ってしまった。


 目が覚めると、ベッドの中だった。

 ガバッと飛び起きる。

 服を着たままだ。

 辺りを見回す。

 誰もいないので、ホッとする。

 寝心地のいいベッドだったらしい。

 熟睡してしまった。

 しかし、ここはどこ?

 起き出して、窓のカーテンを開ける。

 まぶしい。

 この光りは、昼の光り。

 部屋中を歩いて回る。

 どうやら、ホテルの部屋のようだ。

『まるとくホテル』とは、大変な違いだ。

 壁紙が高価そうだ。

 どこにも埃はない。

 布団カバーも光るような白さ。

 しかし、部屋の間取りは、あの303号室に似ている。

 ベッドがあって、鏡があって、トイレとドアの位置も同じだ。

 同じ場所に、冷蔵庫がある。

 中を開けると、ビールとか酒・ジュース・お茶が、ギッシリ入っていた。

 机の上に、メモがある。

 この字は、息子の字だ。

『電車で、あちこち行ってきます』

 冷たい息子だ。

 母よりも、青春十八切符の消化の方が大事なのか。

 コッコッコ、とドアにノックの音が聞こえた。

 昨日の余波か、身体がビクッとする。

「明子さん?」という声が聞こえて、ホッとした。

 ドアを開けると、白のスーツを、半袖Tシャツとパンツに着替えた範子さんが立っていた。

「範子さん」と思わず、抱きついてしまった。

 私が心配で、あの連中の旅行に同行せずに、残っていてくれたのだ。

「私は、皆と一緒に行きたかったのに、兄が残ってやれて、言うのよ。

 ひどいと思わない?」

 ひどいのは、範子さん、あんたです。

「明子さんたら、どこかで一晩中、それも、朝まで飲んでたんですって?

 皆で心配してたのに」

 そう言われると、そういうことになってしまうかもしれない。

「でも、ここは、いいホテルね。

 ジェット風呂は入り放題やし、食事も豪華やし、ディナーなんか、ワイン飲み放題やったのよ」とどこかで聞いたような話だ。

 そのとたん、『まるとくホテル』と書かれた、ホテル案内を見つけて、ギョッとした。

「範子さん、ここは、『まるとくホテル』?」

「当たり前やない。

 明子さんが、オーナーから、たくさんの無料宿泊券や、お食事券をもらってきたじゃない」

「ま、まさか、ここは、303号室?」

「そう。301、302、303、305、306と一人一部屋よ。

 304は、ないのね。

 4て、不吉な数てこと?」

 ああ、また、頭が混乱してきた。

 じゃあ、私が泊まっていた『まるとくホテル』の303号室、フロントの田鋤原さん、あの女の人、電気系統の故障・・・

 あれは、全部、何やったの?

 あの『超豪華』ディナーとサケワインは?

 朝まで飲んだアルコールが、急に回ってきたような気がした。

「兄達は、朝から鳥羽まで行って、また戻って来て、今度は、和歌山の方に向かって、行けるところまで行って、戻って来るらしいわ」

 兄達って、隆さんは、朝まで、私をあのホテルの外で待っていたんじゃあ・・・

「あの・・・隆さんは、寝ていないんじゃ」

「大丈夫、大丈夫。

 兄は、寝なくても、平気な人だから。

 その代わり、とんでもない時に、寝てしまったりするけど」

 そ、それは、私も知っている。

 そうか。

 寝なくても、大丈夫な人だったのか。

 そうだった。

 化け物並みの体力の持ち主だったっけ。

「けど、二人で、朝帰りだなんて」ウフフフと、範子さんは、意味深な笑みをもらした。

「しかも、お兄さんに、抱いて帰ってもらうなんて」

 カッと顔が熱くなった。

 そうだった。

 酔ってはいても、頭はハッキリしていた。

 う、恥ずかしい。

 おんぶしようとして、ブリッジしてしまい、元に戻らなくなって、抱いて帰ってもらった。

 その上、そのまま寝てしまったのだ。

「明子さん、顔が赤い。

 何があったか、白状したら?」

 その瞬間、様々なことばが、頭の中を縦横無尽に駆け巡ったが、到底、説明しても信じてはもらえまい。

「ベロベロに酔ってしまって、隆さんに連れて帰ってもらって、ああ、恥ずかしい」

 ま、嘘は、一つも言っていない。

「オーナーのことは、どうするつもり?」

「張り倒す」と私は、言った。

「え、オーナーに、何か変なことでもされた?」

「うーん」どう説明すればいいのか。

「孫ぐらいの歳の女の子に、プロポーズしたみたい」

「え!

 いやがる女の子に?」

 そう言われれば、あの女の人は、いやがっていなかった。

 むしろ、喜んでいた。

「うーん。

 いやがってないみたい」

「なーんだ。

 それやったら、明子さんの嫉妬?」

 私の嫉妬?

 どこをどうつつけば、そんな考えが出る。

「だって、夫婦同然なんでしょ?」

「あのね、言うときますけど、私とオーナーは、仕事だけの付き合い。

 春樹に変なこと、言わんといてね」

 息子の名前が出ると、今度は、範子さんが、ポッと頬を染めた。

「私、春行、いえ、春樹さんと一緒に旅行できるなんて、夢みたいで、今日だって、本当に楽しみにしてたのに」

 あ、そう。

 悪かったですね、お邪魔虫で。

「だって、明子さんがいなくなったて、本当に、皆で心配したのよ。

 あちこち探したりして。

 それやのに、どこかで、朝まで飲んでるなんて」

 そうか。

 皆に、凄く心配かけたわけだ。

「父なんか、『春子ちゃん、春子ちゃん』て、ずっと泣いてたんやから」

 お爺ちゃん、ごめんね。

「兄と春樹さんは、顔色を変えて、あちこち探したみたいよ。

 何で、人形を持って行ったのかは、知らないけど。

 ま、あの二人は、人形オタクやから」

 そうか。

 心配してくれたんだ。

 ま、その心配以上に、怖い目には会ったけれど。

「ねえ、ねえ、一緒にジェット風呂に入りに行こう」と範子さん。

「まだ、食事には時間があるし」

 そう言われて、昨日も一昨日も、入浴はおろかシャワーも浴びていないことを思い出した。

 昨日の朝から、服も着替えていない。

「うん」と答えた。

 入浴準備をして、やはりやはりの一階にエレベーターで降りる。

 エレベーターの中には、『超豪華ジェット風呂 一階』というパネルが貼ってあった。

 一階に着くと、真っ赤な矢印と『超豪華ジェット風呂』の表示が。

 まさか、『ゆ』というのれんは、かかっていないだろうな、と思ったら、紺色ののれんに、『ゆ』と書いてある。

 やっぱり、『まるとくホテル』なのだろうか。

 眩しいぐらいに明るい脱衣所。

 しかし、私は、油断なく辺りを見回した。

 が、不審な気配は、何もない。

 着ていたTシャツやパンツが臭い。

 硫黄の匂いやら、埃や汗の匂いやらが染み着いている。

「来て、来て、明子さん」と言われて、ガラガラッと引き戸を開けると、中は、広大な浴場になっていた。

 あの『まるとくホテル』の浴場は、見る機会がなかったので比べようもないが、とにかく広い。

 浴槽につかって、おお!と思った。

 へえ、これが、ジェット風呂か。

 湯の中をジェット噴射のように、様々な流れが、錯綜している。

 ある流れは、肩に当たり、ある流れは、腰に当たる。

「ここって、エッチな流れ」と範子さんが、嬉しそうに言った。

 そう。

 息子の登場、つまりは、初恋の人『春行』の生まれ替わりが登場して以来、少なくとも十才は若返り、非常に色っぽくなった範子さんだった。

 母としては、それも、心配の種だ。

「範子さんて、スタイルいい」と私。

「何言ってんの。

 明子さんこそ、ナイスボディ」と虚しく女同士で褒め合う。

「最近、週に三回は、フィットネスに通ってる」と範子さん。

 毎日スーパーで扱き使われて、私の出っぱったおなかも、少しは引っ込んだけど、そうか、範子さんは、美しくなる努力をしてるんだ。

「ねえ、ねえ。

 お兄さんとオーナーと、どっちが本命?

 けど、オーナーが、若い女にポロポーズしたんなら、オーナーとは、前途多難やね」と範子さんの話題は、最近、色恋系ばかり。

「兄は、あの通りの変人やけど、昨日のあの心配のしようは、普通やないわよ」

 ま、普通じゃない状況だったのは、多分、人形情報で知ってるだろうから。

「兄の肩を持つわけやないけど、私は、オーナーより、兄を勧めるなあ」

 あんたが勧めても、それは、仕方のない世界。

 私以外の誰だって、同じ状況に陥れば、隆さんは同じように心配したはず。

「それに、兄は・・・」と範子さんは、ことばを切った。

 な、何なんですか、その思わせぶりな間は。

「明子さんが来て以来、『春子がこう言った』『春子がこうした』と言っては、よく笑うようになったの。

 本当に、兄が、華さんと人形以外に興味を持つのは、珍しいのよ」

 それと、『念』と『霊』ね、と私は、心の中で付け加えた。

「それに・・・兄は、明子さんが、自分に惚れてると思い込んでるみたいやし」

 ガーン。

 確かに、最初に会った時、その美貌に目を奪われてしまったことは、否定しません。

 胸がドキドキしたことも、確か。

 けど、それ以後、あの性格の悪さを知って以来、うーん、五十七にして、三十代にしか見えない、化け物並みの若さと体力と美貌は認めるけど・・・

「ま、オーナーのことだけじゃなく、兄のことも、時々考えてやってね」

 そうか。

 今まで知らなかったけど、範子さんは、お兄さん思いだったのだ。

 てなことを話しているうちに、何だかのぼせてしまった。

「範子さん、私、のぼせたみたい」

「じゃ、あがって、お酒でも飲もうか」と飲み友達。

「よーし」と言ったけれど、この二日間の飲み過ぎで、かなり肝臓が弱っているのは、自分でも認める。

「ねえ、ねえ。このホテルって、外国のホテルと違って、寝まきでウロウロ歩いてもいいみたいよ」と外国のホテルを知らない私に、範子さんは言った。

「へえ」とホテルの寝まきに着替える範子さんと違って、私は、脱いだのと同じような、Tシャツにパンツ姿。

 けど、ああ、サッパリした。

 その時、私は、脱衣所の鏡の前に座っている、髪の長い女の人を発見して、思わず、心臓が止まりそうになった。

 鏡を見ると、きちんと姿が写っていたので、ホッとするが、恐怖感は残る。

 いや、いや、あれは、他の『まるとくホテル』の話。

 この『まるとくホテル』とは、一切関係がない、と思おうとするが、のぼせたはずの身体が冷えるほど、何だか怖い。

「明子さん、何か、顔色が悪い」とカンの鈍いはずの範子さんにも言われてしまう。

「のぼせたからかなあ」と言うが、不安は、ドンドン強くなっていく。

「お酒でも飲んだら、治るって」

「そうかな」本当に、そうかな。

 あ、来る、と思ったとたん、パシーン、という音がして、あの明るかった脱衣所の電気が、全部消えた。

 またも真っ暗闇だ。

「キャア」と範子さんの悲鳴が聞こえる。

「範子さん、どこ?」とたずねる私の肩に、よく知っている手の感触が蘇る。

『忘れてないでしょうね、私との約束を』

 むきだしの私の腕に、長い髪の触れる感触がする。

「約束は守るから、こんなことは、二度としないで。

 他の人達まで巻き込まないで」

『あなたが、私と二人で大阪に行けば、こんなことにはならなかったのに』

「わかった」と私は、言った。

「二人で、大阪に行こう」

 その瞬間、冷気が消え、パチパチパチと蛍光灯がついた。

「大丈夫ですか」

「怪我はありませんか」と言うホテルの人達の声が聞こえてきた。

『約束しましたよ』という声が、頭の中に響いた。

『ただし、明日。

 私は、しなければならない仕事があるから』と通じるかどうかわからないけれど、頭の中で考えた。

「ああ、ビックリした」と範子さんが言った。

「けど、明子さん、誰と話していたの?」

「幽霊」と答えたけれど、「もう、明子さんたら」と冗談に取られてしまった。

「お兄さん達は、いつになるかわからないから、二人で先にディナーに行きましょう」

 場所的には、例の『まるとくホテル』と同じ場所に、レストランがあったけれど、入口は引き戸ではなく、両開きのドアになっていて、中は、広いレストランだ。

「朝と同じ食べ放題なんだけど、夜は、ステーキやローストビーフもあるの」

「え、それで、七百円?」と私は、たずねた。

「何言ってんの。

 お食事券のお蔭で無料やけど、実際に食べたら、一万二千円もするのよ」

 ゲエ。

 一万二千円のお食事が、タダ。

 普段は食べられない、ステーキにローストビーフを皿に山盛りにして、食べたことの無いものを恐々と別皿に取る。

 席に戻ると、蝶ネクタイをしたウエイターが、ワイングラスとワインを持って来た。




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