コンビニエンスホテル6
爺さんは、もう寝ている時間だし、範子さんも、夜は早い方だ。
超人隆はともかく、息子が寝ずに外で待っていると思ったら、おちおち寝てはいられないかもしれない。
仕方無く、身体を起こして、目を開けた。
真っ暗だ。
こんな暗闇の中、またも、手探りで歩いて行くのは、とってもイヤ。
できたら、枕に頭を埋めて、寝てしまいたい。
慌てて家を出たので、カバンにも半袖の着替えしか入っていない。
夜は、とっても寒い地域なのだ。
いやいやベッドから出て、苦労してシーツを外すと、二つ折りにして、肩からかけた。
自分の持って来たカバンを探すのも一苦労。
左手にベッドがあって、右手に鏡があったはずだから、その間を真っ直ぐ進めば、ドアに辿り着くはずだ。と頭ではわかっているけど、どこが鏡かわからないから、何度も、何かで足を打った。
ベッドに手をつきながら歩いていくと、ツルリと滑って転んでしまった。
手に触れる感触では、どうやら、床に抜け落ちていた髪の毛で滑ったものらしい。
わあ、身体中、髪の毛だらけになる!
と思いながら、髪の毛の海をシーツをかぶったまま、匍匐前進。
何とか、ドアを見つけて、開けると、トイレのドアだったらしく、小さな蝋燭が一本、鏡の前で揺れていた。
ああ、もうイヤ。
だから、寝ていればよかった。
「どこに行くのです?」という声と共に、肩に女の人の手が・・・
もう、イヤ!
もう、たまりません。
「今、連れから電話があって」と髪の毛にまみれて、床に寝そべったままの私。
「あなたは、私を大阪に連れて行く約束をしました。
そうですね」
「はい、そうです」と私は、素直だ。
「明日、私と二人で行くのです」
「けど、連れが、外で待ってるから・・・」
「明日、私と二人で行くのです」
私の肩の上にある、女の人の手に力がこもっている。
強い意志を伴った力だ。
「今日は、ここに泊まって、明日、二人で行くのです」
「ちょっと待って」と私は、相手の手の力に圧し潰されそうになりながら、言った。
「大阪に連れて行く約束はしたけど、明日二人で行くという約束はしていません。
今、私の連れが外で待っているので、私は、このホテルを出なければならない」
「そんなことはさせません」
「一緒に来たら、いいやないの」とつい大阪弁が出た。
「私は、他の人には、会いたくないのです」
「それやったら、離れて、ついてきたらいいやないの」
「私のことは、誰にも言わないと、約束できますか?」
まあ、言わんでも、わかるやろけど。
「言いません」
スッと肩にかかっていた女の人の手の力が抜けた。
「約束しましたよ」
「はい」
その瞬間、またも、蝋燭の火が消えたらしく、真っ暗闇になった。
もうちょっと照らしていてくれたら、歩いてドアまで行けたのに。
私は、またも、ドアの方角目指して、匍匐前進。
今度こそは、本物のドアだろう、と思ったとたん、鍵がないことに気がついた。
鍵は、電気の差し込み口の中と手探りで探しながら、別に、鍵がなくても、中からはドアの鍵を開けられることを思い出す。
アホや。
ようやくドアを開けて外の廊下に出たが、真っ暗なまま。
カバンを胸に抱え、シーツを身体に巻きつけたまま、その場にしゃがみこんだ。
303号室の前に、エレベーターがあったのは、わかっている。
でも、暗い中、エレベーターに乗るのは怖い。
第一、ボタンを暗い中で、どうやって探す。
また、電気系統が全部故障していれば、エレベーターも動かないのでは?
平和に、明日の朝まで寝ていればよかったかもしれない。
ほんまに、隆さんの大バカヤロウ!
その時、暗闇の中で、ポウッと光るものが見えた。
また、あの女の人かと思えば、光るものは二つ。
ウワッ。
これは、目だ。
暗闇の中で、何かの目が光っている。
こ、怖い。
怖すぎる。
その光りが、フッと消え、何かが私の頭の上に。
「ウワアアア」と思わず、叫んだ。
『人形は、怖くない』という震える声が聞こえ、私の手の中に、触り覚えのあるものが落ちてきた。
「人形?
人形なの?」
『人形は、怖くない』とまだ、声が震えている。
「人形!」と私は、人形らしきものを抱き締めた。
「怖かったよー」と私は、言った。
『人形は、怖くない』とまだ、声が震えている。
人形も、ここまで来る間に、よほど怖い想いをしたに違いない。
「人形、会いたかった」
『人形は、来たところから帰る』と人形は言った。
人形の目が光っているので、それが、微かな蝋燭の明かりのようになっていて、エレベーターが見えた。
「人形、エレベーターに乗れる」と私は、喜んだ。
『エレベーターは、わからない』と人形が言った。
「わからなくてもいい。
これで、一階に行ける。
外に出られる!」
私は、エレベーターに乗り、人形の目の明かりで、一階のボタンを押した。
動く!
エレベーターは動いている!
違う。
このエレベーターで行く一階は、ジェット風呂だ、と思い出したのは、一階に着いた時だ。
フロントのある三階に、表に通じる出口があったはずだ。
私は、三階を押した。
しばらく登りかけた、そのとたん、エレベーターが、グラグラ揺れて、ガクンと止まった。
『人形は、怖くない』と人形が言った。
「うん、怖くない、怖くない」と私も言った。
怖くはないけれど、エレベーターに閉じ込められてしまった。
怖くはないが、困ったことになった。
人形が目を閉じてしまったので、再び、真っ暗になった。
「人形、人形、眠らないで。
目を開けて」
『人形は、眠らない。
目を閉じるだけ』
このヤロウ、怖いから目を閉じているつもりだな。
「人形、何でもするから、目を開けて」
人形がパチリと目を開けて、エレベーターの中が、また、ボウッと明るくなった。
『春子ちゃんは、何でもすると言った』
「言った、言った。
何でもする」
『逆立ちウンコ』
このヤロウ、んなことが、このエレベーターの中でできるか。
ま、エレベーターの外でだって、できないが・・・
「それは、できない。
できることなら何でもする」
『春子ちゃんは、約束した』
「できないことは、できないの」
『プーン』と言ったまま、人形は、また目を閉じてしまった。
またも、真っ暗闇。
人形の目を開けさせるために、逆立ちウンコをするべきかどうか、思案していると、エレベーターが、ギシギシ言いながら、動いた。
ようやく三階(だと思うが)に着き、真っ暗闇の中、ドアの開いた気配で、外に出る。
「人形、目を開けて」と言ってみたが、無駄のようだ。
真っ直ぐに歩くと、フロントらしき場所に着いた。
まだ無人のようだ。
この前にあったはずの出口(入口?)に進んだ。
出口からは、微かな月明かりが入って来ている。
こういう場合、大変に助かる。
その前に立って、ドアを開けようとしたが、自動ドアらしく、押しても引いても開く気配はない。
そうだ。
電気系統が、故障しているんだ。
『隆ウンコが待っている』と人形が目を閉じたまま、言った。
「どこで?」
『外で』
ダア。
わからん人形やな。
その外に出られへんのや。
私の頭は、高速回転する。
最初に来た通りに帰ればいいんだ。
あの壁で囲まれた、一階に通じるエレベーターは、三階にあった。
ああ、どの壁だった?
月明かりでは、どこも同じ壁に見える。
『人形は、来たところから帰る』と人形は言った。
「どこから?」
『人形は、知らない』
そう言ったとたん、手の中から、人形の姿が消えた。
そうだった。
あの人形、最近では、人形版瞬間移動ができるようになっていたんだった、と思ったのは、後の祭りだ。
だから、瞬間移動で、ここに来ることができたのだ。
ああ、私も他の誰も、瞬間移動なんてできないというのに。
あのバカ人形、何しに来たんだ!
月が陰ったのか、またも、真っ暗闇の中に取り残された私だった。
覚えている限りでは、エレベーターの前がフロントだ。
この辺りのどこかの壁が、外の一階に通じる、壁型エレベーターだ。
真っ暗闇の中では、フロントのデスクに手探りで到着するのが精一杯。
はあ、もう、どうにでもなれ、というヤケクソの境地になっている。
もう、酒飲んだる、という心境だ。
フロントの横のレストランの引き戸まで辿り着く。
引き戸をガラガラッと開けようとするが、鍵が閉まっているのか、ビクとも動かない。
ああ、このクソホテル!
頼まれたって、二度と来るか!
「お酒なら、ご用意できますが」という声が暗闇の中で聞こえて、ギョッとした。
この声は、確か、田鋤原さんというオーナーの使用人にして、オーナーを呼び捨てにする人物。
「ください」と条件反射的に言った。
「少々お待ちください」
何ぼでも待ったるわい。
酒でも焼酎でも持って来い。
それより明かりを持って来い。
そう思ったとたん、小さな蝋燭の灯ったお盆に、一升瓶が二本現れた。
ほんまに、蝋燭の好きな人達だ。
しかも、すぐ消えそうな細い蝋燭。
電気系統の故障が多いんやったら、もっとでかい蝋燭を用意しとかんかい!
と大阪のヤクザ状態になってきた。
「電気系統の故障で、ご迷惑をおかけしております。
お酒は、燗にした方がよろしいでしょうね」とよく気の利くことだ。
「何分、レストランは、もう閉店しておりますので」
湯気の立った電気温熱機のようなものと、大きなポットまで登場した。
「いやあ、こんな時間に、どうもすみません」と急に、平常心を取り戻した私。
お酒の威力というのは、凄いものだ。
「ロビーの方に移動しましょうか」と田鋤原さんは、フロントから、ロビーと呼ばれているらしい一帯に、酒類を移動させた。
その時、フと、電気が通じてないんだから、電気温熱機は使えないのでは、という疑問が起きた。
「蓄電式ですから、大丈夫です」という、私の考えを読んだかのような答えだ。
手早く、燗の準備をしている。
「こんなものしかありませんが」とスルメとピーナツまで登場。
「いえ、こちらこそ、こんな時間に申し訳ありません」と恐縮する私。
実際には、今、何時だか知らないわけだけれど。
「まだ、夜中の三時過ぎですよ」
ゲッ。
もう夜中の三時過ぎ。
隆さんと息子は、ずっと外で待っているかも。
「まあ、いいではありませんか。
じき、燗ができますから」と言われて、まあ、いいか、とアルコールを前にすると思ってしまう自分が、少し嫌い。
うん?
もう一人、いや、もう二人増えた?
いつの間にか、フロントで見たもう一人の男の人と、あの例の髪の長い女の人も、同じテーブルに座っている。
「さ、どうぞ」と燗をした酒を、安っぽいコップに注がれて、グイッと一息に飲んでしまう私。
寒いのもある。
「焼酎のお湯割りもできますが」と田鋤原さん。
「それもいただきます」と私。
少しでも早く温まりたいのと、全部忘れて、早く酔ってしまいたい気分だ。
「梅でよろしいですか?」と私の好みまで熟知している模様。
もしかすると、オーナーが前もって、連絡を入れていた?
「得丸に言っておいてください。
娘を大阪になんか行かせないと」
「はあ?」と私には、一体、何のことかわからない。
「娘には、きちんとした婚約者がいるのです」
「はあ・・・」とますます、わけがわからん。
「ええと、私が来たのは、そういうことではなくて、六月から滞納しているホテルのお金を取り立て・・・
いいえ、ええと、いただいて来るようにと言われて来たのですが」
「娘は、来月、結婚することになっている」
ちょっとは、人の話も聞けよ、田鋤原。
そういうやり取りの間にも、田鋤原さんの手は職業的に動いて、お酒を燗したり、焼酎のお湯割りを作ったりしている。
さすが、プロ。
このホテルとの交渉は、十万円の取り分だけで終わりそうだな、と思って、熱燗の酒と焼酎のお湯割りをチャンポンで飲んでいる私。
もう、後はジャンジャンただ酒を飲んだる。
寒いんじゃー。
これは、アカンと思ったのは、またも、気温がグングンと下がっている気配がしたせいだ。
「熱燗、もう一杯」
手に持っているコップの酒が、ゆらゆらと揺れている。
ありゃー、酔ってきたか、よいよい、と思っていると、コップの酒がバッシャンと顔にかかった。
アチャー、酔いすぎだー、と思って、カバンからタオルを出して、顔を拭こうとするが、身体が揺れて、うまく拭けない。
テーブルまでが、ガタガタと揺れている。
「ひどいわ、お父さん。
私の邪魔ばかりして」と言う女の人の声がした。
「私は、明るくなったら、この人と一緒に、大阪に行きます」
ゲ。
突然、親子の紛争に巻き込まれた私。
「許さん。
絶対に許さん!」と田鋤原さん。
「照子さん、僕のどこが気にいらないんですか」ともう一人、影のように座っていた、もう一人のフロント係が言った。
そうか。
あの女の人は、田鋤原さんの娘さんで、この男の人が、婚約者なわけか、とゴクゴクとアルコールを飲みながら、私は、ようやく事態を飲み込んでいた。
しかし、オーナーは、一体どういう役割を果たしているんだろうか。
「得丸は、お前のことなんか、何とも思ってはいない。
このホテルが欲しいだけだ」
「だって、私と結婚したいと言ってくれたわ」
ゲエ。
オーナー、あんた、孫みたいな歳の女性に、そんなとんでもないことを言うたらアカンわ。
下手したら、曾孫の歳かもしれないのに。
そう言えば、スーパーの土地欲しさに、範子さんにプロポーズした過去もあったらしい。
ほんま。
見境なしの強欲エロジジイ。
「私は、大阪に行きます」と女の人が言ったとたん、地面が大きく揺れて、ビシッという音がし、開かなかった玄関のドアのガラスに亀裂が入った。
遠くで、ガラガラガッシャーン、という何かが壊れる音が聞こえて来た。
息子の言う、ポルターガイスト現象か、と私は冷静に酔っていた。
震源地は、この若い女性のエネルギー。
または、怒り?
そりゃあ、電気系統も故障するし、客なんか誰も来んわ。
「照子、落ち着け。
お前は、得丸にだまされているんだ」
「嘘よ、そんなこと、嘘よー!」
「照子さん、落ち着いて。
僕がついているから落ち着いて」と必死でなだめている、父と婚約者の図。
「イヤー!
あなた達なんか、大嫌い!」
さあ、来るぞ、最後の大揺れが来るぞ、と思って、私は、残っていた酒と焼酎を、グイーッと一息に飲んだ。
ドッカーンという音がして、硝煙の臭いが、辺りにたてこめた。
何となく懐かしい臭いだ。
私は、床面に身をふせて、シーツを頭からかぶった。
その瞬間、ドーンという縦揺れに続いて、グアラグアラと震度五ぐらいの横揺れが襲ってきた。
ガシャーン、ガラガラという音が、あちこちで聞こえてくる。
私の身体は、ソファとテーブルの間で、シェイクされている。
酔っていても、かなり痛いぞ。
電気系統が故障していて、よかったですね、と思った。
下手したら、大火事になるところだ。
ま、この揺れなら、すぐに停電するだろうけど。