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コンビニエンスホテル  作者: まきの・えり
5/10

コンビニエンスホテル5

「あんた、間違ったことで来てますよ」と言われてしまった。

「そうみたいですね」と言うしかない。

「じゃあ、私は、まだすることがありますんで、これで」と去って行かれてしまった。

 まあ、いいか。

 まだ、日はある。

 おなかがすいていたので、超豪華ディナーをアッという間に食べ尽くし、昔、近所の食堂で見たような安っぽいガラスのコップに、サケワインを注いで飲んだ。

 いくら飲み放題と言っても、一人で一升は飲めません。

「あのう」とレストラン(食堂?)の女の人に聞いてみた。

「他の人達あいつらは、もう食べました?」

「はい」という簡潔な返事。

 やっぱり。

 一升瓶に半分も、アッという間に、サケワインを飲めば、かなり出来上がっている。

 まあ、息子が一緒なら、「お母さん、いい加減にしときや」ときつく言われるところだ。

 鬼のいない間の命の洗濯。

 まあ、有給休暇、有給休暇。

 しかも、休暇分の七万プラス十万円も前払い。

 ウッフッフッフ、と一人で不気味に笑っていると、「閉店です」と冷たく言われてしまった。

 フロントで、せめて、あいつらの部屋を聞こうと思えば、フロントまで暗くなっていて、田鋤原さんも、あの別の男の人もいない。

 何というホテルだ!

 ま、部屋に戻って、手当たり次第に電話でもかけるか。

 エレベーターで、1階下へ。

 エレベーターの前が、303号室。

 あれ?

 部屋が無い。

 私、酔っている?

 うーん。

 酔っているかもしれない。

 しかし、おかしいな。

 303号室は、一体どこに消えた?

 まあ、こういう場合、大抵は、隣の部屋とかを続きで借りているはず。

 ドンドンドンと302号室、301号室、305号室と思える辺りを叩いて回ったけれど、どの部屋からも応答なし。

 何でや?

 そうか。

 皆で、二十四時間営業のジェット風呂に入ってるんや。

 しかし、ジェット風呂って、一体、どこにある?

 まあ、とにかく、もう一度エレベーターに乗った。

『超豪華ジェット風呂 一階』というセピア色になった紙が、エレベーターの壁に貼ってあった。

 そうか。

 一階か。

 一階と言えば、私が入って来た場所。

 四方を壁で囲まれた要塞みたいなエレベーターがあったきりだと思ったが。

 もしかすると、露天風呂?

 ゲ。

 男女混浴?

 エレベーターで一階に降りると、元は赤かったんだろうけど、今ではオレンジ色に脱色している矢印があった。

『超豪華ジェット風呂』と矢印の横に書いてある。

 そうか。

 壁型エレベーターと普通のエレベーターとは違うのだ。

 フロントの前にある、普通のエレベーターがジェット風呂に通じている。

 あのオーナーのホテルらしい、ややこしい造りになっているようだ。

 たった一つ灯っている『非常口』の明かりを頼りに、矢印の方向に進んでいくと、『ゆ』と書かれた、脱色した紺色ののれんがかかっていた。

『ゆ』か。

 おそるおそる引き戸をガラガラッと開けると、中は真っ暗。

 節電か。

 オーナーのホテルらしい。

 手探りで、電気のスイッチを探していると、誰かに肩を触られたような気がして、ギョッとして、辺りを見たが、当然真っ暗。

 常備灯ぐらい灯しておいてよ、オーナー。

 または、田鋤原さん。

 壁を手探りで探っているうちに、何だか怖くなってきた。

 何かわけのわからない場所を手探りで進んでいるような気分だ。

 もしかすると、同じところをグルグル回っているだけ?

 そう思っていると、ポウッとした明かりが微かに見えた気がした。

 地獄に仏、真っ暗闇に明かり。

 その方角に行くと、女の人が一人、向こうを向いて、髪をとかしていた。

 腰を通り越して、膝まで届きそうな長い髪だ。

 何と、女の人の横に、小さな蝋燭が立っている。

 微かな明かりは、この蝋燭の明かりだったのだ。

「ああ、よかった。

 他にも人がいて」と私は、言った。

「また、お会いしましたね」と女の人が向こうを向いたままで言った。

 ああ、そうか。

 ホテルの前まで車に乗せて行ってくれた女の人だ。

 私達以外にも、このホテルに泊まり客がいたわけだ。

 よかった、よかった。

 長い髪だとは思っていたけれど、こんなに長いとは思わなかった。

「綺麗な髪ですねえ」と私は、しみじみと豊かな黒髪を見ていた。

「放っておいたら、こんなに延びてしまって」と女の人は、髪をとかし続けている。

「あのう・・・

 停電ですか?」と私は、たずねた。

「電気系統が故障したらしくて」という返事だった。

「ああ、そうなんですか。

 で、(超豪華)ジェット風呂というのは、ここなんですか?」

「ええ」

「あの、まさか」

 蝋燭の明かりで、風呂に入ったのでは・・・

 私は、ちょっとイヤかもしれない。

「明かりを、お貸ししましょうか?」

「い、いえ。

 (超豪華)ジェット風呂というのが、どんなものかと思っただけなんで。

 そ、それと、他の客が、入っていませんでしたか?」

「いいえ」

「そうですか。

 霧の中で、連れとはぐれてしまって。

 もしかすると、お風呂に入っているかと思ったんですが」

「まあ、そうなんですか。

 それは、お困りですね。

 私も、霧の中で、連れとはぐれてしまいまして」

「ああ、そうなんですか。

 本当に、濃い霧でしたもんね」と言いながら、車で来ていたくせに、どうやって、連れとはぐれたのだろうか、と考えていた。

「実は」と女の人が、私の方を振り向こうとしたはずみに、フッと蝋燭のか細い明かりが消えて、また、真っ暗になってしまった。

 ギャア、と内心叫んでいる。

 声に出したらもっと怖いので出さなかったけれど、恐怖感で息が詰まる。

「もしもし、そこにいるんですか?」と言ってみたが、返事はない。

 スーハーと呼吸を整える。

 手を延ばせば、あの長い髪に手が届きそうな気もするが、何となく、暗闇で髪の毛に触るのは、気が進まない。

「あのう、そこにいるんでしょう?」

 怖さで、耳の周りの血管が、ドクドク言っている。

「お願いですから、返事をしてください」

 突然、ソッと両肩に手が触れる感触がして、思わず、「ギャッ」と叫んでしまった。

「明かりが消えてしまいました」と女の人が言った。

 そ、そんなことは、言われんでも、見てたらわかるわい。

 この女、ほんまは、人を怖がらすのが趣味のイヤーなヤツ?

「お部屋にお伺いして、かまいません?」

「そ、そりゃあ、かまいませんけど」

 本当は、あのこ汚い部屋に入られるのは、何となく気が進まない。

 それに・・・私の部屋303号室は、現在行方不明になっている。

 女の人に肩を抱かれた恰好で、何とか、風呂場の外の常備灯で薄明るい場所に出た。

 内心、非常にホッとしたことは、言うまでもない。

 エレベーターで、一緒に二階まで行くと、今度は、前と同じで、エレベーターの前に、303号室があった。

 おかしいなあ。

 さっきは、どっか階を間違えたのだろうか。

 鍵、鍵と思って、自分の手を見ると、ちゃんと鍵を握っている。

 ガチャッと鍵を開けて部屋に入り、電気の差し込み口に差し込むと、パアッと部屋が明るくなった。

「どうぞ」と後ろを振り返ると、女の人の姿がない。

 あれ?

 どこに行ったのだろうか、とドアの辺りをウロウロするが、どこにも姿が見えない。

 ドアを閉めてから部屋を見ると、何となく、前より小奇麗になっているような気がする。

 私のいない間に、ホテル側が、慌てて掃除でもしたのだろうか。

 田鋤原さんの言っていた、しなければならないことって、これ?

 ベッドカバーが綺麗になっているし、埃も積もっていない。

 安っぽい壁紙は元のままだが、端から端まで磨いたような感じがある。

 破れたところも無くなっているし、壁の亀裂も補修したようだ。

 何という早業。

 しかし、それだけの時間、食事と風呂場探索に時間を使っていたというわけだ。

 ははーん、と私は、思った。

 もしかすると、あの女の人は、実は、ホテルの回し者で、こうやって、ホテルが掃除の時間をかけるのを手助けしている?

 どうやら、あんまり客の来ないホテルらしいし、別に予約を入れていたわけでもないから、ホテル側は大いに慌てた?

 けれど、かなり冷房がきつい。

 寒いぐらいだ。

 冷房を緩めようと思って、エアコンを操作しようとすると、エアコン自体が、まだ作動していなかった。

 部屋を出ると、つまり、電源のキーを抜くと、自動的に切れる仕組みになっているようだ。

 ということは、夜は、クーラーなしでも寒いぐらいに涼しい、気温の低い地域なんだ。

 うう、寒い。

 しまった、あの一升瓶の残りを少しもらってくればよかった。

 そうだ。

 こういうホテルの冷蔵庫には、ちょっと高いけど、ビールとか酒が入っているはずだ、と思って、冷蔵庫を開けると、何も入っていなかった。

 それどころか、電源も自分で入れないといけないようだ。

 電気代超節約というわけか。

 酔いも冷めかけていて・・・

 しかし、日本酒を(二級だけど)五合も飲んだのに。

 寝酒が欲しい。

 それに、冷えるせいか、トイレに行きたくなってきた。

 トイレの電気をつけて、ドアを開けると、あれ?

 中は真っ暗だ。

 電気をパチパチするが、どうやら電気が切れているらしい。

 仕方がないなあ、と思って、ドアを大きく開けて、思わずギョッとした。

 部屋の明かりが差し込んできて、髪の長い女の人が、洗面所で髪をとかしているのが見えた。

 もうイヤ。この女。

 一体、いつの間に中に入ったの。

 けれど、そんな詮索よりも、トイレが先。

「あのう、すみません。

 私、トイレを使いたいもので」

「どうぞ」とは言ったが、洗面所から動く気配はない。

「ええと。あのう、そこにいられると、トイレができないもので」と私の方は、段々と切羽詰まってきた。

「髪がもつれて、中々とけないもので」とのんびりした返事だ。

「後で、私が、といてあげます、約束します。

 だから、あっちの部屋で待っていてください」

「わかりました」と女の人が言ったとたん、パシーンという音がして、部屋中の電気が消え、トイレに入ってきていた微かな明かりも無くなってしまった。

「真っ暗になってしまいました」と女の人。

 そんなことは、言われんでもわかる。

「失礼します」と私。

 もう真っ暗なんだから、どうでもいいわい、という気持ちになっている。

 手探りで便器を探り当てると、何とか、下着を下ろして座ることができた。

 はあ、もう少しで、もらしてしまうところだった。

 水を流しながら用を足すと、少し気分が落ち着いて来た。

 衣服を整え、手探りで洗面所を探すと、もう女の人は、向こうの部屋に行ったものか、そこにはいないようだった。

 暗闇の中で用を足すのも変な感じだったが、手を洗うのも変な感じだ。

 タオルを探しても無駄だろうから、仕方無く自分の着ているシャツで手を拭いた。

 これは、もうフロントに電話でもかけて、何とかしてもらわないと、と思って、トイレから外に出ると、ほのかな明かりが・・・

 またも、小さな蝋燭の明かりだ。

 いつも蝋燭を常備しているのだろうか、この女の人は。

「電気系統の故障が多いのですよ、このホテルは」と言いながら、またも、部屋の中の鏡の前で、髪の毛をとかしている。

「ちょっと、先に、フロントに電話しますね」と言うと、フッという笑い声を聞いたような気がするが、私の気のせいか。

 受話器を取って、フロントと書かれている番号を押すが、ウンでもなければスンでもない。

 ツーツーツーという音も聞こえない。

 全くの無音だ。

「電話もよく故障するのです」と女の人が、向こうを向いたままで言った。

「そうですか」 

 このクソホテル!

「髪をとかしてくださいますか?」

「え?ああ、そうですね。

 約束でしたね」と言って、私は、女の人から櫛を受け取ると、髪を梳き始めた。

 少しとかして驚いた。

 髪が長いせいか、手に数十本の抜け毛が残る。

 薄暗い中で、足下を見ると、抜けた髪の毛が何百本も床に散乱している。

「髪だけが自慢だったのに、どんどん抜けてしまって」と女の人が悲しそうに言った。

 確か、車で見た時は、とても美しい人だった。

 髪だけが自慢なんて、厭味な謙遜だ。

「確かに美しい髪ですけど、お顔だって」

 とても美しいと言おうと思って、鏡の中を見たが、そのお顔が無かった。

「・・・車で拝見しましたけど、とてもお綺麗で」

 胸がドキドキして破裂しそうになった。

 お顔だけでなく、鏡の中には、お姿も・・・

 無い。

 首筋の血管がズキンズキンしてきた。

 では、私が、髪をとかしている、この人は、一体、何者?

 アカン、アカン。

 このままでは、脳の血管が破れてしまう。

 深呼吸、深呼吸。

 スーハー、スーハー。

 鏡に写らないということは、吸血鬼?

 または、この世の人ではない人?

「とても、お見せできるような顔ではないので。

 でも、あなたが見たいのなら」とこっちを向こうとする。

「いえ、いえ。

 大丈夫です。

 人の顔を見たがるような趣味はありません」と必死で抵抗。

 蝋燭の明かりでは、綺麗な人ほど怖い顔に見えるに違いない。

 鏡に唯一写っている私の顔だって、相当怖い顔をしている。

 自分の顔だから、諦められるだけで。

 手は、自動的に髪をとかし続けているが、この抜け毛の量は、異常だ。

 それでも、豊かな髪のせいか、はげてきたりする気配がないのが救いだ。

「あのう、変なことを聞くようですけど、あなたは、実は亡くなっている?」

「いいえ」と言われて、ホッとしようとしたが、まあ、自分では知らない場合もあることを思い出した。

「大阪から来られたんですよね」

「え?

 はい」

「大阪に連れて行ってくださいませんか?」

「は、はあ」どう言えばいいんだ。

「行きたいけれど、一人では行けないのです」

「そうなんですか」

「この町から出たことがありませんので、どう行けばいいのかわからないのです」

「そうですか」

 町と言ってたけど、ここは村だろう。

 若い身空で、しかも、東京アクセントからして、親は関東人?

 こんな村に閉じ籠もって暮らしていれば、都会に出たいのも無理はない。

「でも、ご両親とかが、心配なさるのでは?」

「あんなものは、親ではありません!」と大層な剣幕だ。

「連れて行ってあげるのは、かまいませんが、けど、一応、ご両親には知らせておいた方がいいのでは?」

「本当に、連れて行ってくださるんですか?」と非常に喜んでいるが、私の話も少しは聞けよ、この女。

「ありがとう」と言って、私の方を振り向こうとした時に、またも、蝋燭の炎が、フッと消えた。

 またも、真っ暗闇だ。

 もういい。

 もうどうでもいから寝てしまおう、と手探りで、ベッドのあった方向に進む。

 そのとたんに、ジリジリジリーン、という電話のベルの音がした。

 当然、心臓が止まりそうになる私。

 電話は不通だったんじゃあ、と考える間もなく、音のする方角に、手探りで進む。

 その途中で、ベッドも発見。

 ベッドの上から、音の方角に進むと、ようやく電話に辿り着いた。

「春子、どこにいる」と隆さんだ。

 隆さんの声を聞いて、何となくホッとするから、おかしなものだ。

 いつもは、バカにしていた、念で電話をかける習性に感謝したりする。

「まるとくホテルの303号室って、言うたでしょう」

「それは聞いた。

 大丈夫か?」

「何とか」

「すぐ、そのホテルの外に出ろ」

「んなこと言ったって、ここ、真っ暗なんですよね」

「外で待ってる」

「いや、私は」もう寝ます、と言おうとしたら、電話は切れて、シーンとしている。

 念で電話をかけて不便なところは、長い間はかけられないというところだ。

 しっかし、何時だか知らないけれど、多分真夜中過ぎ。

 こんな時間に、真っ暗な中をウロウロする方が、よっぽど怖い。

 暗闇の中、苦労してベッドカバーを外し、枕と掛け布団の間に、身体をすべりこませる。

 ほらね。

 目を閉じたら、真っ暗だって感じない。

 ここで、グウッと寝たら、極楽、極楽。

 グウッと身体を延ばしたとたんに、『外で待ってる』と言った、隆さんのことばを思い出してしまった。

 はあ、と溜め息をつく。

 あのバカ隆は、きっと、一晩中、外で待っているかもしれない。

 もしかすると、息子も?



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