コンビニエンスホテル10
「悪いけど、私、今日は寝る」と言ったけれど、そんな理由が、霊には通用しないことは、よく知っている。
「あのね、あんた、顔を見せられないから、娘を連れて来たんでしょ」と言った、当の娘は、息子の部屋で、既に熟睡していた。
大物だ。
『でも、会いたい』
ああ、超ムカツク。
お前の優柔不断のせいで、どれだけの迷惑を被ったと思ってる?
霧。
雨。
電車の不通。
ああ、ムカツク。
『でも、会いたい』
そうよね。
それだけのために、私を散々な目に会わせてくれたのよね。
「わかりました。
今から、オーナー、いや、得丸さんに会いに行きましょう」
もう、面倒なことは、早く済まそうぜ、ほととぎす。
まあ、まるとくスーパーには、徒歩で十五分の距離。
ああ、軽い、軽い、と思いながら、私の足は重い。
疲れてるんだよー。
もうええ加減にしてんか、と思うほど、途中で、私の足を止めたり、首を締めたりしながら、十五分の距離に四十五分もかかってしまった。
「あんまり遅くなったら、オーナー、いてへんからね」と疲れ切った私は言った。
ようやく辿り着くと、スーパー閉店のお時間だった。
趣味の悪い『ほたるの光』の音楽が流れている。
私は、もう半分以上寝ている。
その瞬間、スパーンという花火のような光線が、夜空に輝いた。
もう起きないと仕方ないでしょうが。
オーナーが、八十八歳のくせに、四十代にしか見えないオーナーが、スーパーの入口に立っていた。
暗いせいと、酔っているせいもあるかもしれないけど、今日のオーナーは、二十代か三十代にしか見えない。
やはり化け物系?
「得丸さん」と女の人は言った。
姿を現し、長い髪をなびかせて、オーナーの方に走って行った。
私の目の前で、二人はヒシと抱き合った。
私の胸にフツフツと沸き起こる気分というのは、一体、何なのか。
範子さんの言う『嫉妬』なのか。
いや、そんなはずはない。
「ほんまにもう、まだ成仏してへんかったんかいな」とオーナーが言った。
「成仏って?」と女の人が、無邪気な声でたずねている。
「わしはな、詰まらん金の無い男やった。
口だけの男や。
その口一つで、ホテルを建てたんや。
わしなんかと一緒になってたら、あんた」
「私は、それでもよかった」
「そやから、わしは、気になって、気になって。
うちの従業員に行かせたんや」
あ、そう、と思って、私は、ヨロヨロと家路に着いた。
私は、騙されて、偵察に行って、あの女の人を連れて帰っただけの、ただの『うちの従業員』やったわけね。
家に帰って、冷蔵庫に入っていた、ビールを飲んだ。
ほんまに、都合のいい『従業員』なわけか。
ああ、また、眠れない。
ビールを飲んでも眠れない。
私は、その夜、旅行中の全てを追体験するような夢ばかり見た。
翌朝、まだ眠っている私は、電話のベルで起こされた。
「私や」とこの声は、オーナーの声。
「帰ってるんやったら、すぐ、店に来て」
「ええ!」
何をまた、無茶苦茶なことを。
時計を見れば、まだ、朝の六時。
ほんまに、無茶苦茶なおっさんやな、と思って、顔を洗って、服を着替える。
スーパーに向かう途中で、まだ、休暇中だったことを思い出したが、後の祭り。
フと後ろを振り返ると、あの髪の長い女の人が、着いてきている。
ギョッとしかけるが、これは娘さんの方だと思い出した。
一体、いつの間に、私の後を・・・
もしかすると、よく似た性格の母娘なのかもしれない。
スーパーに着くと、店の前で、オーナーが待っていた。
「これ、あんたの娘さんか」と誰かに話している。
どうやら、横に、あの女の人がいるらしい。
明るいところで見られても、平気になったというわけか。
「佐和子さんか」
「はい」と答える娘さんの目に、またも、ハートマークが・・・
よっぽど周囲に男がいない環境なのか。
オーナーなんて、デブのお爺さんやのに。
まあ、歳よりは、ずっと若く見えるけれど。
「まあ、二人共、入って」とオーナーは、店の中に入って行った。
な、何と、こんな時間なのに、店内には、こうこうと明かりがついていた。
霊に見栄を張っている?
で、電気代が・・・
「春子ちゃん、あんたには、ほんまに世話になった」と正面から礼を言われて、ビックリ仰天する私。
けど、『春子ちゃん』なんて、気安く呼ぶな。
「私は、戦争で一度死に、スーパーの焼けた時に、また死んだ男や。
この人の成仏に付き合って・・・」
「オーナー、何を言うてるんですか」と思わず、言った。
オーナーが霊の成仏に付き合って、一緒に死ぬ気かと思ったからだ。
「寿命の尽きるまで、一緒に暮らす」
あ、そう。
あんたは、百才以上確実に生きる。
『嬉しいわ、得丸さん』という霊の声が聞こえ、目の前に、オーナーに抱きついている髪の長い女の人の姿が見えた。
娘の佐和子さんは・・・
と思ったら、床に倒れている。
突然、母親の霊を見て、気を失ったものらしい。
女の人の長い髪が、微かな光りを放っている。
そのうちに、身体中から、光りが出始めた。
光りが渦を巻いて、女の人の身体中を覆い、オーナーの手を握ったまま、女の人の身体が、上昇し始めていた。
「何でや」とオーナーが言った。
「何で、成仏してしまうんや」
オーナーの声が震えている。
「待ってくれ。
成仏なんかせんでいい。
ずっと、わしと暮らそう。
絶対に幸せにする。
今更、わしを置いて、行かんとってくれ」
『ありがとう』という声を残して、髪の長い女の人の姿が、フッと消えた。
「また、クーラー代が助かると思ったのに」と言う、オーナーの声がくぐもっている。
オーナーは横を向いて、ティッシュで鼻をかんだ。
その時になって、娘さんの方が、息を吹き返した。
「ああ、怖い夢を見た」と娘さんは、周囲を見回している。
オーナーの濡れていた目が、突然、ピカッと光った。
「ほんまに、お母さんによく似ている。
それで、髪を延ばしたら、お母さんソックリや」
ちょっと待て。
このエロジジイ。
「あなたが、得丸さん?
お母さんが会いたがっていたという?」
「この年寄りに、お母さんの話をさせてくれるか?」と早くも、佐和子さんの手を握っている。
ついさっきまで、嘆き悲しんでいた人物とは、別人のようだ。
私は、どう言って慰めればいいのかと、ことばを探していたというのに。
「あんたは、まだ、休暇中やろ?」とまるで邪魔者のように言われ、またも、私は、フラフラと家に戻った。
佐和子さんは?
と見ると、またも、目にハートマークが・・・
もう、私には、関係の無い世界か。
隆さんと息子、範子さんと爺さんが帰って来たのは、それから、二日後のことだった。
彼らは、特急でいつの間にか私達を追い越して、大阪から北陸に出て、名古屋を回って帰って来たものらしい。
「隆さんは、反則や」と息子が怒っている。
「台風が来ていたのだから、仕方がないだろう」
そう。
後で知ったが、大型の台風が日本に急接近していた時だったのだ。
隆さんは、車掌をマインドコントロールして、青春十八切符を特急券だと思い込ませ、泊まったホテルでは、十年以上前の『まるとくホテル』の宿泊券と食事券を全国共通のチケットだと思い込ませ、完璧に、青春十八切符だけで、旅したものらしい。
「けど、一人分足りなかったんでは・・・」と私は、言った。
「隆さんとオレで、お祖父ちゃんをシールドした」と息子。
何のことかわからないが、とにかく、爺さんをいない人間にしてしまったわけね。
「明子さん、元気出してね。ガッカリしないでね」と範子さん。
「え?」とこの時は、まだ、何のことかわからなかった私。
範子さんは、近所の友人からの携帯電話情報で、既に事実を知っていたのだった。
翌朝、私と息子が食事をしていた時、ピンポンピンポンパーン、というインタフォンの音がした。
「はい」と出ると、「私や」とオーナーだった。
ゲエ。
オーナーが、我が家を訪問するなんて、一体どういう風の吹き回し?
門まで出ると、佐和子さんも一緒だった。
「春子ちゃんにだけは、報告したいと、この人が言うもんですから」と佐和子さん。
あんたまで、『春子ちゃん』なんて呼ぶな。
それに、『この人』?
「実は、私と佐和子は、皆に内緒で婚姻届けを出して、今、一緒に暮らしている」
ゲエ。
オーナー、それは、犯罪やて。
『おめでとう』のことばが、喉元で凍ってしまっている。
「父になんか報告に行く必要はない、と言ったんですけど、この人ったら、それは、きちんとご挨拶しないといけないと言って」
しかし、父親の田鋤原さんの気持ちを思うと、ソッとしておいた方がいいような気が・・・
妻を奪われ、娘まで奪われて・・・
気の毒すぎる。
「それに、私のホテルのこともあるし」とオーナーの目が、ピカッと光る。
わあ、その上に、ホテルまで奪うつもりや、この狸オヤジ。
「私は、当分戻って来ないつもりやから、これは、全部、あんたに預けて行く。
私の留守の間、スーパーのことは全部まかせたで」とオーナーは、ずっしりと重いカバンを私に渡した。
「な、何を突然、アホなこと、言うてるんですか。
私にスーパーのことなんか、わかるわけないやないですか」
「いや、いや、大丈夫や。
あんたには、強い味方が大勢いてる。
じゃ、まかしたで」と言って、オーナー夫妻?は去って行った。
「お母さん、これは、事実上、店をお母さんに譲るいうことやで」と書類を見ながら、息子が言った。
「お母さんが、スーパーのオーナーか」とポカンとした顔をしている。
「けど、私、スーパーのことなんか、全然わからへんわ」と言ったその時。
『僕がお手伝いします』
『私も』
という、以前、クーラー代わりに、オーナーに使われていた、元店長の大塚さんと、その恋人の惣菜係さんの声がした。
『経理のことなら、私におまかせください』
『私も』
『私にも』
色々な声が、一斉に聞こえてきた。
そうだった。
我が家は、こういう家だった。
成仏した霊までもが、常に遊びに来ている家。
『よかったやないの、明子』と久し振りに、亡くなった母までやってきた。
『グオオ、グオオ』とこの家に取りついていた元悪霊までもが、喜んでいる様子。
『あんたには、強い味方が大勢いてる』というオーナーのことばは、こういう意味だったのね。
ま、何とかなるか。
そう思って、店に顔を出すと、
「気を落とさないでくださいね」
「また、いいこともありますって」
と店中の人が、私に同情してくれていた。
お客さんまでが、何だかソワソワと気を使っている様子。
そのお蔭かどうか、いつもに比べて、客数も売り上げも倍以上になった。
平日にしては、珍しいことだ。
「あれが」
「気の毒に」というヒソヒソ声も聞こえる。
『スーパーの火事では、炎の中、命がけで命を救い、
炎天下野菜売りまでして尽くしてきたのに、
若い女に旦那を奪われて捨てられた、可哀相な女』
というレッテルが、自分に貼られていることを、範子 さんから教えられたのは、それから、三日も経った頃だった。
「まあ、気を落とすな」と隆さんまで一緒になって。
「でも、ポンと店一軒もらったんだから、いいやないの」と範子さん。
「その若い女って、明子さんが連れて来たんでしょ?
明子さんもバカね」
しかし、そのあらぬ噂のお蔭で、スーパーは、連日大繁盛。
ま、いいか。
当分、捨てられた女をやるのも、とオーナーは、商魂まで置いていった模様。
多分、二十年前の修羅場が再現しているであろう方角に、気の毒な田鋤原さんに向かって、つい合掌してしまう私だった。
田鋤原さん、どうか、ご無事で。
了