表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
コンビニエンスホテル  作者: まきの・えり
1/10

コンビニエンスホテル1

    コンビニエンス・ホテル


 ガタコーン、ガタコーン、と鈍行列車に揺られている。

 何の因果で、また、こんな羽目に・・・


「オーナー、私、連休を取ります」とつい数日前、スーパーのオーナーに宣言した。

「そうか。どっか行きたいとこでもあるんか?」と言われて、グッと返事に詰まった。

 休みたい一心で言っただけで、何の予定があるわけでもない。

「わ、和歌山です。

 き、紀伊半島を一周します」とつい言ってしまった。


 年末年始に、紀伊半島一周の予定が、急遽、宮島行きになったことを思い出したからだ。

 思い返せば、まだ梅雨の頃、私が住んでいる家の家主であり、息子の気功の先生でもある隆さんに頼まれて、スーパーに手伝いに行ったものだ。

 そこで散々扱き使われたあげく、スーパーは、火事で焼け落ちてしまった。

 焼け跡で、オーナーと二人、炎天下、テントで野菜を売った。

 今年の異常な猛暑の中、来る日も来る日も、野菜を売り、火災保険で、生まれ変わったように綺麗になったスーパーでの開店準備に加えて、開店セール、と夏の間中、お盆も夏休みもなく、働き続けだったのだ。


「そ、それから、旅行の費用もいるので、今までの給料を払ってください」と思い切って言った。

 そうなのだ。

 焼ける前に働いていた分も未払いなら、炎天下での野菜売りの分もまだもらっていない。

 開店以来働いた分も、全然もらってはいない。

「あれ? 銀行振込してなかったか?」

「え? 銀行振込やったんですか?」とあやうく誤魔化されるところだったが、オーナーに振込先を教えた覚えはない。

「今まで働いた分、メモしてきましたから、全部払ってください」と全三ページに及ぶメモ帳を取り出した。

「あんたも、見掛けによらず、細かい人間やな。

 細かい人間は、大成せえへんで」

 この歳になって、大成なんか、もうせんでもいい。

 とにかく、働いた分は払ってちょうだい。

「いずれ、共同経営者やねんから、もっとドッシリ構えてたらええのに」

「パートのおばさんで結構ですから、払ってください」

「欲のない人やな」とオーナーは、ブツブツ言いながら、店の奥に消えた。

 無休で無給の共同経営者になんか、誰がなりたい、誰が。

 休み無しの三ヵ月、たまった未払い賃金は、三十六万円。

 貧困家庭の我が家にとっては、物凄い大金だ。

「アカンわ、今、そんな大金、どこにもないわ」と奥から出て来たオーナー。

「小切手でええか?」

「いえ、現金でください」

「そんな無茶言われても、無いもんは無いで」

 店が新しくなってから雇われた人達には、きちんと給料を払っているのは知っている。

「お世話になりました」と言うことばが、喉元まで出かけた時に、オーナーは、ポンと手を叩いた。

「ちょうどええ話がある」

「・・・何ですか」

 イヤな予感がする。

 オーナーの『ええ話』に、本当に『ええ話』があった試しはない。

「あんた、紀伊半島を一周する、言うてたな。

 そしたら、伊勢も通るやろ。

 伊勢の一駅鳥羽寄りに、私の建てたホテルがあるんや。

 そこやったら、二割引きで泊めたげる」

「いえ。そんなん結構です。

 どうせ、オーナーのホテルやったら、目茶苦茶高いんでしょ?」

「何言うてんねんな。

 一泊二万の二割引きいうたら、四千円も得やで」

「私、ホテル代に、五千円以上払う気ありません」とキッパリ言った。

「よし、わかった。

 五千円で泊めたげよう」

「二割引きやから、四千円」

「わかった。四千円」と物分かりが良すぎる。

「その代わり、何があるんですか?」

「実はな、ここの開店準備にかまけて、このホテルのことをスッカリ忘れてたんや」

「それで?」

「田鋤原いうのが、責任者やねんけど、六月からの収益の報告もないし、振込もない。

 収益から従業員とかの経費を引いた分の振込が、年々少なくはなってるけど、最低でも、月に二百万はあるはずや。

 それを取り立ててきて欲しいんや」

「アホなこと言わんとってください。

 何で、私が、自分の休暇中に、そんな取り立てみたいなこと、せなアカンのですか」

「今までの給料プラス取り立てた分の一割払おう。

 六百万取り立てたら、六十万や」

「相手が払わへんかったら、タダ働きやないですか」

「今度の休暇は、有給休暇にしよう。

 日給一万。

 それプラス取り立てた分の一割」

 私は、ゴクリと唾を飲み込んだ。

 もしかすると、本当に、『ええ話』かもしれない。

「よし。私も男や。

 ホテル代は、タダ。

 何人、お友達連れて行っても、全員タダ。

 食事もタダ」

「お酒は?」

「・・・タダにしとこう」

 その瞬間、『タダほど怖いものはない』という格言が、頭に浮かんだ。

 が、すぐに消えた。

「ほんまに、ほんまですか?」

「武士に二言はない」

 といつから武士になったんや、このおっさん。

「けど、きちんと書類にしてもらえますか?」と私は言った。

 どうも、信用できない。

 相手は、三ヵ月分の給料を、何やかやと言いながら、全然支払っていない人間だ。

「私は、忙しいから、あんたが書類を作って来たらええ。

 私は、それに、ポンと判子を押すから」

「わかりました。

 書類を作ってきます」

「連休は、一週間でええか?」

「え!」と私は、驚いた。

「もっといるか?」

「い、いえ。

 一週間で結構です」

 連休の話を出した時は、二日も連休がもらえれば上等だと考えていた。

 それが、有給で、しかも日給一万で一週間も、信じられない展開だ。

 たとえ、一日十時間働いても、八千円にしかならない時給なのに。


「連休やー」と家に帰ると、気功の稽古の最中だった。

 我が家の一番広い和室は、週に三回、隆さんの気功の教室に使われている。

「シー」と自分で、自分の口を押さえる。

「よし、まず書類を作ろう」と便箋とボールペンを出してきて、大事なことを忘れていたことに、気がついた。

 しまった。

 未払い分の給料をもらう話が、有給休暇の話で、どこかに飛んでしまっている。

 まだ、一銭ももらっていない・・・

 んなもん、紀伊半島一周するお金なんか、どこから出る?

 あの狸オヤジめ。

 こうなったら、それも、書類に書いておこう、と思ったとたん、ジリリリリーン、と電話のベルが鳴った。

「はい」と出ると、あの狸オヤジだ。

「早速、明日から連休取って。

 頼んだで」

「あ、ちょっと待ってください。

 未払い分の・・・」

 ツーツーツー、と電話は切れていた。

 明日からやなんて、な、何を、突然、目茶苦茶なことを・・・

 いつから連休取るかなんて、自分で決める。

 そう思いながら、明日から一週間連休か、と思うと、何となく嬉しいから困ったものだ。

 しかし、その前に、書類を完成させて、まだオーナーが店にいる間に、判子を押してもらわないと、タダ働きの上に、さらにタダ働きになりかねない。


『契約書』と書いて、便箋を丸めて捨て、新しい便箋に、『誓約書』と書き直した。

『坂口明子に対し、未払い分の賃金三十六万円を、即支払うこと。

 九月六日からの一週間(七日間)、日給一万円の有給休暇とすること。

 ホテル料金(食事、酒代込み)を全額無料にすること。

 ホテルからの取り立て分の一割を支払うこと。

 以上のことを、ここに誓約します。』


 よし、と思って読み返し、その足で、スーパーに向かった。

 徒歩にして、十五分の距離だ。

 スーパーの前で、呼吸を整えた。

 しみじみと、焼け落ちたスーパーとの落差を思う。

 うらぶれた、昼でも暗く見える、ほこりで一杯だったスーパーが、真新しい近代的な建物に変身した。

『まるとく屋』という信じられないような名前は、そのままだが。

「オーナーは?」とレジにいた女の子にたずねると、「アッ」と驚いた顔をされた。

 え?

 私の顔に、何かついている?

 バタバタバタと奥に向かって走って行く。

 ちょっと待ってよ、レジを放ったらかして。

 仕方無く、レジに並び始めた客の応対をする羽目になった。

 またも、時間外無給労働だ。

 奥から出て来ると、レジの女の子は、飲料を補給していたバイトの男の子と、何やら、私の方を見て話している。

「へえ、あれが」という声が聞こえて来る。

 きっと、『この店で、一番古い人』とでも噂しているのだろう。

 ほんの三ヵ月先輩なだけですけどね。

「何や、奥さんが来た言うから、どこの奥さんが来たかと思ったら、あんたか」と言いながら、オーナー登場。

『奥さん』?

 誰の?

 それは、まあいい。

「誓約書を書いてきました。

 ポンと判子を押してください」

「そんなんでええのんかいな」と言うと、オーナーは、ろくに内容を見もせずに、ポンと店の判子を押した。

「あ、それから」と言う間に、オーナーは、また奥に戻ってしまった。

 このやり取りの間にも、手は勝手にレジを打って、袋詰めして、お金を受け取り、お釣りを渡している。

「ちょっと」と私は、仕方無く、レジの女の子を手招きした。

 初めて会ったのだから、当然名前は知らない。

「はい!」と女の子がやって来る。

「レジ、お願いね」

「はい!」

 奥に行こうとすると、「はじめまして、奥さん」とバイトの男の子に挨拶された。

「はじめまして」

 どうも、勝手が違う。

 我が家は、母子家庭。

 私は、誰の奥さんでもないけれど、年齢的に『奥さん』に見えるのは、仕方がないかも。

「オーナー」と店の奥の監視カメラの前に座っているオーナーに、声をかけた。

「今までの給料をいただかないと、紀伊半島まで行けないんですが」

「振り込んだはずやけどなあ」

「いいえ、振り込まれていません」

 振り込み先も知らずに、振り込めるもんなら、やってみろ。

「ああ」とまた、オーナーは、ポンと手を叩いた。

「肝心のもんを渡してなかったんや」

 そう言うと、机の引き出しをアチコチ開け始めた。

「おかしいな、どこ行ったんかな?」

 私の目の端に、涙が滲みかけた。

 そうまでして給料払いたくないのか、この強欲オヤジ。

 それやったら、ホテルの取り立ての話なんか全部ご破算やからな。

 それだけちゃうで。

 裁判に訴えても、取るもんは取るから、そう思え。

「あった、あった」とオーナーは、嬉しそうに、引き出しから封筒を取り出した。

 封筒の中からは、『得丸得二郎』名義の通帳が出て来た。

 信じられないようなスーパーの名前は、この本名から取ったものらしい。

「何なんですか、それ」

「あんたの振込先がわからんかったから、私の通帳に振り込んどいたんや」

 自分名義の通帳に振り込んで、私に払ったと思う根性が理解できない。

 どういう基準で振り込んだものか判断できないが、残高は、四十三万になっている。

「あのう」七万も多いような気が。

「今回の有給の分も、前もって振り込んでおいたんや。

 な、よう気がきくやろ?」

 それは、また、手回しのいいことで・・・

 気がききすぎることで・・・

「これが、その通帳の印鑑。

 これが、キャッシュカード。

 暗証番号は、1234。

 どうや、絶対忘れへんやろ」

「そら、忘れませんけど」

 盗まれた時や落とした時、すぐわかってしまうんでは・・・

「あんたやから教えるけど、私の暗証番号は、全部1234」

「はあ」やっぱり、ただのアホなんやろか、このおっさん。

「それから」とポケットに手を突っ込んで、一万円札の束を取り出した。

 手に唾をつけて、一枚二枚と数えている。

 き、汚い。

「これは、取り立て分の前払いや。

 十万渡しとこ」

「は、はあ」と狐につままれたような気分だ。

「取り立てがうまくいかんかっても、それは返さんでええ」

「はあ」気前がよすぎて、気味が悪い。

「じゃあ、頼んだで」

「はあ」と帰って行こうとする私を、またも呼び止めるオーナー。

「そうそう。これも持って行き」と別の封筒を渡された。

 頭が混乱して、何も考えられない。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ