魂の伴侶
宜しくお願いします!
クレイズの好みとは全く違う筈のその女は、小柄で、大きな胸があって、ふわふわしたストロベリーブロンドの髪をもつ、私とは正反対の可愛らしい女性だった。
「エレナ、私と離婚して下さい。彼女は私の魂の伴侶です。私は彼女以外必要ない」
何を言われたのか、理解するまで時間がかかった。
今まで向けられたことのないクレイズの冷たい瞳が怖かった。
信じられなかった。
信じたくなかった。
「…おなかの、子は」
そんな言葉しか出て来なかった。
絞り出した声は震えていた。
「あなたが育てて下さい」
時間が惜しいとでもいうかの様に、苛立った声でハッキリと拒絶される。
視界が白黒に変わった。
「ごめんね、クレイズ。直ぐにあたしがクレイズの赤ちゃん産んであげるからね」
甘く可愛らしい声に、クレイズの瞳が蕩ける。
「有り難う、スティファ」
抱き合う二人が口付ける。
あまい、あまい口付けが、何度も角度を変えて行われるのを、私はただ茫然と眺める事しか出来なかった。
「あー。ゴホン。まぁ、こう言う感じですが取り敢えず依頼は達成って事で宜しいですかね」
気まずそうなギルド職員の声に、ゆっくりと振り向く。
「…い。ありがとう、ございました」
ふらふらと、部屋を出た。
そうか。
魂の伴侶なら、仕方ない…。
しかた、ない。
ボロボロと涙が溢れた。
クレイズは早くあの子と結婚したいだろう。
だから、早く離婚しなきゃ。
一人で、育てないと。
心配、してバカみたい。
魂の伴侶に出逢えた二人は幸せなんだろう。
でも、じゃあ私は何だったんだろう。
クレイズと出会って、恋愛して、結婚して。
全部、魂の伴侶の前では意味のない茶番。
薄っぺらな愛でしか無かったってこと?
偽物の。
全部。全部否定された。
「バカみたい」
クレイズにとって、私は邪魔な存在になった。
魂の伴侶に出逢ったから。
私はその程度の存在だったのだ。
「バカみたい…」
魂の伴侶と出逢えることは何にも変え難い幸運と言われている。
じゃあ、魂の伴侶に夫を奪われた私は?
父親を奪われたお腹の子は?
違う。
奪われたんじゃ無い。
私達が、奪っていたのだ。
借りていたのは私。
偽物は私。
お腹の子が産まれたら、あなたのお父さんは魂の伴侶を見つけたとても幸運の人なのよって、そう教えてあげるのだ。
「…バカ、みたい」
そんな事、言えるわけ無い。
偽物の愛で産まれたのがあなたなの。
そんな事、言う必要ない。
父親は死んだことにしよう。
一人で、育てなくちゃ。
何処かに預けて、仕事を探して…。
再婚、出来ればいいのかも知れないけど。
再婚して、またその人が魂の伴侶に出逢ってしまったら?
わかってる。
こんな奇跡的な事がそうそう起こるはずないってことは。
でも、もうこんな思いはしたくない。
そもそも、私のこの見た目で再婚なんて無理だろう。
守ってあげたくなる様な女の子らしさなんて欠片もない。
しかも子持ちだ。
本来この世界の子持ちは羨望の的だけれど、子がいるのに伴侶に逃げられた女なんて不吉でしかないだろう。
この子に罪が無いのは分かっているけれど。
幸せの象徴だった筈のお腹の重みが、不幸の塊の様に思えてしまう。
腕輪が気持ち悪い。じわじわと不吉な物が這い上がってくるような…、手首ごと切り落としたくなるような嫌悪感。
外すには離婚届を持って教会に行かなくてはならない。
すぐに外せない事に無性に苛立つ。
あぁ、そういえばさっきあの人は手首に布を巻いていたっけ。
可愛らしい彼女の瞳と同じ紫色の布を…… …
───っ駄目だ。
クレイズの事は忘れよう。
私はこれから自分とこの子の生活できっと精一杯になる。
何時までも囚われていたって仕方ない。
この子には私しか居ないのだから。
切り替えよう。
私が、護らないと。
◆
───あれからニヶ月が経った。
出産予定日が近付いてきた為、今日は産院となる神殿へ向かう。
必要な物は全て神殿が用意してくれるので、私は何も持たずに行けばいい。
産後は子供と一緒に一ヶ月神殿で暮らす事になる。その際の食事や服も全て神殿が用意してくれる。
生命の誕生とは神の与えたもう奇跡であり、祝福されるべき事だから金銭をとるという考え自体が無いらしい。
家から神殿までは徒歩で三十分程だけれど、妊婦は無料で馬車の送迎もして貰える。
…クレイズとの離婚はあっさりと終わった。
それぞれが離婚届を教会に提出し、二人の腕輪を返納すれば離婚となる。
彼は離婚より彼女と共に居ることを優先させていたようだけれど、ギルドに連れて来られて直ぐに離婚届を書き、私が出ていったあとで腕輪と一緒に教会に提出したらしい。
未練は無い。
そんなもの、抱く隙さえ無かった。
クレイズと再会したあの日、帰宅した私を追いかける様にギルドから使いが来た。
彼に依頼されたのだと言って、離婚の書類を渡された。
記入したら共に教会に行って腕輪と一緒に返納するのを確認する迄が、彼からの依頼らしい。
会わずに済むのは気が楽だけれど、急かされるように記入する私の心は空っぽだった。
今日中に依頼達成すると報酬が倍になるのだそうだ。
申し訳無いと言いながら、気まずそうに渡された離婚の書類。
ギルドは、暴力が関わってくるような案件でない限り基本的に離婚に関する依頼は引き受けない。けれど今回ギルドは動いた。魂の伴侶という存在がそれだけ特別な事なのだと痛感する。
妊娠を祝福してくれた司祭様でさえ、それ以上の奇跡とされる魂の伴侶に出逢えたあの二人の幸運を讃えていた。
離婚届を出しに行って、おめでとございます、だなんて。
神の奇跡に感謝しましょう、だなんて。
よく言えたものだと嗤いたくなる。
考えるのは止めようと思っても、ふとした拍子に浮かんできては心を黒く重く染めていく。
「…行こう」
家を出て鍵を掛ける。
神殿への馬車が迎えに来るまであと20分程あるが、今日は良い天気だし外で待ったほうが気が紛れそうだ。
ふわりと、熟した桃のような良い香りがした。
果物の木なんてこの辺りにはない筈なのに。
市場は遠くは無いけれど匂いが来るほど近くも無い。
それに、この世界で桃を見たことも無ければ、桃のような匂いのするものも知らない。
馬車が来るまでに戻れば大丈夫だろう。
香りを強く感じる方へと足を進める。
導かれる様に、ふらふらと。
桃の様な香りはどんどん強くなっていく。
いつの間にか住宅街を抜けて市場へ出ていた。
けれど匂いの元はここじゃない。
香りを辿って市場を抜けると、人だかりが出来ていた。
お祭りとは違う殺伐とした雰囲気に、あぁ、と思う。
今日は魔女刈りがあるのか、と。
城から一直線上にあるこの広場は時に処刑場へと変わる。
邪悪な一族とされるルフォンの末裔を捕まえ、見せしめとして皆が見ている前で殺すのだ。
私は前世で言うところの魔女刈りの様なものだと思っている。
止める事も出来ないからずっと避けていたのに。
嫌だな、と頭の片隅で思いながらも、陶酔するような強い香りに頭の芯がぼぉっとなって、私の足は人混みを掻き分け前へ前へと進んでいく。
そして。
目が合った。
細目の平凡な見た目の男と、私の目が、バチリと音がするほど強く。
甘い、凄まじく強い香りが、その男からした。
見開いたままの目はそのまま固まり、お互いを穴が開きそうなほど見つめる。
男が何か言った気がした。
聞取ろうと、一歩前へ出て…。
男の首がスローモーションの様にゆっくりと、落ちていった。
男の身体は、台の上にあった。
身体だけが、処刑台の上に、あった。
首から噴き出した鮮血が、凄まじい香りを放つ。
周囲から湧き上がる歓声が、遠くに聞こえた。
錆びた人形の様なぎこち無い動きで、視線を下げる。
転がった男の頭があった。
光を失ったオレンジ色の瞳が私を見ていた。
ぐらりと、世界が暗転する。
有難うございました!