1
翌日。茉梨は学校に来ていない。ひょっとしたら登校してくるんじゃないか、と淡い期待はあったけれど、案の定って印象が強い。
事件に巻き込まれた可能性は……無い、と断定できない。
心臓が絞られるように、絶え間なく苦しくなった。
教室に着くと、既に隣の山田さんはいた。
「山田さん、見てくれ。ねんがんのスマホを手に入れたぞ」
銀縁の眼鏡がきらりと輝く。
隣の山田さんは「そう、かんけいないね」と眼鏡を押し上げ、スマホを取り出した。
言葉とは裏腹な行動に首を傾げる。
「か、関係ないか……?」しょんぼりと肩を落とした。
「え、もしかしてほかの選択肢だった?」
彼女は『やっちまった』って表情だけど、オレは煙に包まれたみたいで判然としない。
いまの、なにか含みがあったのか?
「殺してでも奪い取った方がいい?」
「なんでだよっ!」
「ごめん、ジョーク。ゲーマー以外には通じないよね」
「……オレだってゲームはやるぞ」
「ダウトだね、それ。ちなみにさっきの『ねんがんの』って行が有名なフレーズでした。話通じると思って舞い上がってごめんなさい」
「あ、こちらこそ……」無知でごめんなさい。
「まぁ気にせず不退転の心を抱いていこうね。心が世界だ」
お坊さんみたいなことを言うんだな。
気を取り直すように、山田さんは明るい笑みを浮かべた。
「スマホって便利だぞ~! アタシ、異世界になにを持ってくかって言ったら即答でスマホ持ってくね! 使えるかは別として、お守り代わり!」
電波通じないと宝の持ち腐れでしょ……
話が止まったタイミングで、章が登校してきた。
章は、オレを一瞥すると、そのまま席に座ってしまう。
「火堂君はさ、一般ピーポーだよね」
「一般……まぁ、そうだけど」
「そうだよね。そのまま……あまり偏らない方が身のためだぜ」
と、真剣味を帯びた警告を放たれた。
眼鏡越しの視線は、オレじゃない誰かを見ている。
「なんて、ガラでもない警告だけど。隣人としてのよしみだ」
イタズラっぽく切れ長の目を細め、彼女は舌を出した。
コロコロと表情が変わる。
猫を彷彿とさせる仕草だ。
「……警告ってったって、なにに対してさ」
愚痴るようにこぼして、席を立つ。
「何処へ?」
「別に、どこだっていいでしょ」
突き放すように言って、オレは章に近づく。
「おはよ、調べたぞ、中二病」
「……オマエも俺を笑い物に?」
「はあ?」オレは眉をひそめた。
なんだその被害妄想。
顔を上げた章の表情は、随分と元気がない。
「知ったんだろ? 中二病……頭おかしかったんだよ、あの時期は」
「知ったけど、章のことは知らないんだよ。なにひとりで拗ねてるんだ」
「ほっといてくれ、ほとぼりが冷めるまで」
ほとぼり? 眉を持ち上げ、暗い顔を見つめ返す。
「……オマエのためにも言ってるんだ。でないと巻き込まれるぞ」
「あ、いた!」
弾んだ声に振り返る。
明るく化粧した肌、鮮やかに染め上げた茶髪。
見覚えの無い女子生徒が、こちらを指差してクスクスと笑っている。
「おっじゃま~」と、三人が教室に入ってきた。
男子ひとりに女子ふたり。共通しているのは、酷薄な笑み。
制服のリボンからして、たぶん同学年(学年別にリボンの色が違う)。
「ウチになにか用? 知り合い探してるの?」
尋ねると、彼らは一瞬つまらなそうな顔をして、オレを押しのけた。
オレのリアクションを待たずに、彼らは章に詰め寄る。
「元気してた? 寂しかったよ~」
……悪寒がする。胸を騒ぎ立てる感覚には覚えがあった。
一昨日、茉梨が登校してきた日と似ている。
教室内の空気が張り詰めて、不気味な静寂が訪れるのだ。
「ね、またアレやってよ」「闇の炎に、とか」「なんの呼吸使えんだっけ?」
彼らの詰問だけが、室内で響く。
「や、やめろよ~! 昔の話だろ?」
と、章が強ばらせた顔のまま無理矢理笑っていた。
聞くだけで、心を蝕むほどに弱々しい声。
「いいじゃん! お前だって楽しんでたっしょ?」
「はやくやれよ、ちょっとやるだけだろ。あんま拒否んなよ、うぜー」
「はい、やーれーやれやれやれ~!」
浮ついた声が連続する。いつの間にか、教室内の誰かの声も混じっている。
章は、わずかに腰を浮かした。
引き結んだ唇が『やめてくれ』と、精一杯の矜持で泣き出しそうな言葉を塞いだのを見た。その姿が、昔のあの人と重なる。
決定的だった。
「あんたら帰れ。人を貶めることでしか笑えないなら、相当寒いぞ」
「はあ?」と、彼らはオレを試すように見る。
ちょっと我慢できない。
無意識に、語気が荒くなる。
「ノリが違うんだ。そっちが楽しくても、こちらは大変冷めつく。感性を疑う」
「なんて? ノってんの見えんの?」
「あと、イジメはいけないことだぞ」
告げると、胸がすいた。
スッキリした。章がオレを避けたのは、イジメにオレを巻き込まないため。
それから、茉梨がいるとイジメの効果が倍増するから、積極的に離れていた。そんで、茉梨とオレが接点を持ち始めてるのを察して、警告した。大筋はこんな感じかな。
どうしてイジメを受けているとか、茉梨との関連性とかは一旦保留。
章に関する疑問がほぼ解けて、大変気持ちが晴れやかです。
「なにこいつ、冷めるわ」
名も知らぬ男子が机の脚を蹴り、一団は教室を去っていった。
すれ違い際、睨み付けられるのと同時に「覚悟しとけよ」と呟かれ、オレは小便ちびりそうになる。ちびらなくてよかった。
「巻き込まれたね、どうにも」
「なにしてんだよ、バカが……何考えてんだ……!」
「オレ、あいつら、嫌い」
言って、荒く鼻を鳴らす。理屈じゃない、感情論だ。
席に戻ると、山田さんが何か言いたげにこちらを見ていた。
「絶対後悔するよ」と、山田さんはうれしそうに言う。「ブレイブだね、火堂君」
なんでうれしそうなんだ。
彼女は片目を眇める。
「勇者みたいじゃん。弱きを助けて」
思いがけない単語に不意をつかれて、心臓がドキリと跳ねる。
勇者。オレの抱えた運命。
特別意識してこなかったくせに、胸の底にこびりついていた。
「思わずアタシも火堂君の隣々々人になってしまいそうだ」
「距離離れるね、マス目二つ分くらい」
「さよならだね。グッバイスローライフ!」
「ええ……そんなテーマパークのキャストさんみたいな明るいトーンで言うこと?」
能天気な山田さんは、なははーと気の抜けた笑いと共にスマホゲームに没頭してしまった。会話が途切れた瞬間これだ。中々のマイペース。
最初の警戒に満ちた対応はどうしたんだ。これじゃ気まぐれな猫と変わらない。
しかしまあ、山田さんが間接的に警告を促してくれたのは伝わった。
オレはたぶん下手こいた。
和みかけた意識を引き締める。
敵を作ったのは確実だ。田舎でのイジメには覚えがあるけど、都会式となると結構変わるかもしれない。……人間ってどうして集団になると誰か虐めたがるんだろ。
穏便に事態の収束に従事しよう……
午後の授業は、すべて部活動説明会に回された。
時折、ヒソヒソとした声が聞こえてくる。
居心地の悪い時間は継続中。顔見知りのいない空間は、心理的によろしくない。
知り合いがいないなら作ればいいのだ、とクラスメイトに果敢に話しかけるも「あ~悪い用事が」「ちょっとごめんよ、兄ちゃん」などと、惨敗に終わった。
露骨に避けられている。
章はといえば、空き時間は机に突っ伏すかトイレに向かうかの二択。決して誰ともコンタクトを取ろうとしない。
どうしたものか。ぼんやりと考えるも、名案は浮かばない。
頬杖ついてぼーっと部活動説明会を眺める。
「つぎはサッカー部の紹介で~す!」
ゆるい声で五島先生がユニフォーム姿の男子たちを招き入れる。
数人の、よく日焼けした肌の先輩方があらわれた。
「サッカー部です! オレたちで目指そうぜ、甲子園!」
「それ野球部!」と、キャプテンらしき少年にツッコむ先輩。
陽気な笑い声が教室中に広がる。
……いいな、サッカー部。このまま友達が出来なかったらボールを友達にするかぁ。
楽しそうと思うことは時々あれど、全体を通してピンとくる部活はなかった。
勧誘方法は様々だった。
運動系は情熱とパフォーマンス。
文化系は自主制作のチラシを黒板に貼り付けていった。
「最後に、生徒会執行部のみなさんです!」
「失礼します」と、聞き慣れた声。
がく、と顔を支えていた腕が崩れる。
せ、生徒会!?
「生徒会執行部所属、生徒会長の碧木凪です。みなさんとは入学式以来ですね」
凜々しい声が教室に澄み渡る。
すう、と少女が一礼した。
淡く、微笑んだ。
その一連の仕草だけで、教室中の心を掴んでしまった。
「すっごい、綺麗」「ほんと顔ちっちゃい」
「やべえ、タイプ」「彼氏いんのかな」
黄色い歓声と野太い声が入り交じる。
浮き足だった雰囲気を制するのは、ただ一声。
「お静かに」声の渦を掻き分け一閃。
生徒会長の声は、凪いだ湖面のように静かだった。
ややあって、静寂が落ちる。脅威的なまでの求心力だ。正直かなり怖い。
「私の挨拶をもって、レクリエーションは終了です。所属したい部活動は決まりましたか? 焦らずじっくり検討しましょうね。生徒会は、あなた方の有意義な学生生活を支援します」
ぷるぷると震えるオレを補足し、彼女は笑みを深めた。
「もしも、生徒会への所属を希望される方は、部活動との兼任もできますので」
「ひぇ……」
「俺立候補しま~す」と、さっきオレが話しかけた佐藤くんが恐ろしく素早い挙手。オレじゃなきゃ見逃しちゃう。いいぞその意気だ! とオレのなかの全米が喝采。
「残念ながら、既に枠は埋まっています。来年度を期待してください」
冷たくあしらい、凪ちゃんは教室をあとにする。
最後に、オレを一瞥した……気がした。気のせいです。
視線を水平に流して、交錯した視線を逸らした。
「生徒会でした~!」
ひとり拍手を上げる五島先生。
先生の言葉で、一瞬殺伐とした空気が穏やかになる。
知らず緊張していた。溜息をついて弛緩する。
「火堂君はなに系男子? 運動系? 文化系?」
「ニュートラル系かなぁ」
「わお、おもしれー男……」
「へへ、照れる……照れすぎて、照り焼きチキンになる」
山田さんとの会話は頭を使わなくて良いから楽ちんだ。
部活かぁ。なににしよう。どこかしらに所属しなきゃいけないだろうけど。
部活……茉梨が作ろうとしてたっけ。
『魔術研究会』。活動内容および部員数が不適切という、至極真っ当な理由で凪ちゃんに「却下デース」された設立以前の部活。
論外デース。
吟味する猶予は一週間ほど。
体験入部もあるし、ゆっくり決めよう。
さて、ホームルームだ。欠伸を噛み殺しながら、正面を向く。
「これよりは、我らが時……」
日野茉梨があらわれた。不遜な表情である。
あいついっつも突然あらわれるなぁ。
五島先生が手際よくつまみ出している。
「離しなさい、無礼な」じたばたもがく哀れな小動物。
しかし、よかった。無事だったんだな。
姿を確認できて安心した。
一夜にして急速に成長していた罪悪感が、かすかに消える。
拠り所が壊れてショックを受けているだろうに、茉梨は変わらずの傾奇っぷりだ。
「何度も重役出勤して! 今日ばかりは只じゃおきませんよ!」
「はーなーせー」
相棒ぉお! と悲鳴をのこしてフェードアウト。
かと思えば、五島先生の蛇がごとき拘束を抜け出してカムバック。
扉のレールをステッキで塞ぎ、茉梨は籠城の姿勢を取る。
機敏な動きで背後の扉に回り、同様の処置。
「魔術結界〝スクエア〟」
「めっちゃ物理でしたけど」
苦言をスルーし、茉梨はオレに近づいてくる。
同時に、胸に黒い不安が忍び寄ってくる。なにかしでかす気だな。
「あなたは――勇者、なのね」
「えっ」と、確信をもって放たれた指摘に耳を疑った。
つられて、俯きがちだった顔を上げる。
紅蓮の双眸が、オレを睨むように見つめていた。
ただならぬ気迫に息を引き切る。
「わたしは騎士に出逢い――真実を悟った。すなわち、わたしとあなたはは不倶戴天であると」
「ちょ、ちょっと待てよ。そっちの土俵で語りすぎだ。何を言いたいかさっぱりだ!」
頭を掠めたのは〝運命瞳〟とやらで見た光景。
勇者と魔王。オレと茉梨は、対照的な関係に在る。
でも、茉梨は魔法を使えないはずだ。
オレの運命を悟っているわけがない。
「って、騎士?」
昨日見かけた女性が脳裏に蘇った。
『クラス:女子高生』の文字が浮かんでいた、炎のような女性。
長い睫に縁取られた深紅が細まる。
茉梨は、鋭さを帯びた瞳でオレを見据えた。
「ええ、騎士……あなたとの運命をたしかに見破ったの。でも安心して、わたしは――」
「いい加減にしろよ」
固い声で遮ったのは、章だった。
「まだ続ける気かよ、そんなママゴト」
「あなたは……」と、茉梨が重たい眼差しを章に流す。
次いで、小首をかしげる。
「どなた……?」
「……いや、忘れてるならいい」
忘れてるっていうか、おそらく茉梨の性格的に認識すらしていない可能性も……
「知らないのか?」と気になったので問う。すごい勢いで首を振られた。知らないらしい。
章がなんだかとても不憫だ。
不服そうに、章が告げる。
「……〝闇魔〟だ」
「ああ〝闇魔〟か」
心に落ちるものがあったのか、茉梨は頷く。
だーくねす? とオレは疑問符を浮かべる。
疑問に答えるように、茉梨が補足してくれる。
「第五級の魔法使い見習い未満。平たく言えば雑魚」
とんでもない罵倒だった。
旧知であるのは判明したけど、穏便な仲ではなさそう。
「ちょっと日野さん?」
五島先生、帰還。ステッキだけの籠城は意味をなさなかった。
そして、先生は凪ちゃんを連れてきていた。
オレは、教室が戦場になるのを察する。
茉梨も分が悪いと察知したのか、離脱を試みる。
「生徒会長からは逃げられない!」と、隣の山田さんが声を上げていた。
茉梨は身を躍らせ、ローブを翻して机の上を駆ける。パルクールめいた挙動で、瞬く間に窓際から飛び出ていた。
黒猫を彷彿とさせる機敏さだ。
「待って、日野さん!」「茉梨!?」
最後に一瞬、彼女はしゅぴっと腕を交差させた。
「逃げたな」
「やつは、とんでもない物を盗んでいきました」
深刻そうな顔で山田さんが言う。
「あなたの心です」
「……いや、ないない」
そんなこんなで、放課後を迎えた。
ひとまずこれで一区切り……! また明日から投稿します!