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で、事件は放課後。
オレは、日野茉梨の自由奔放っぷりを侮っていたと思い知る。
「刻限よ、火堂ケイ――」
終業のチャイムと同時に入室した彼女は、教室中の視線を意にも介さず、オレに言いのけた。
ぽかん。そんな顔で、突然の乱入者を眺める。
「マジかよ、また来た……!」
章の声が、横から飛び込んできた。
口にこそしなかったが、同じ気持ちだ。
嵐は過ぎ去ったとばかり考えていたけれど、軽率な判断だったと痛感する。
思考が止まった。
疑問ばかりが浮かんで、まったく頭が働かない。
「日野、おまえどうして……」
てっきり、今日は学校に来ないものかと。
虚ろな目でオレに一瞥をくれ、溜息をついてくる。
「浅はかね、火堂ケイ。すでに約定は交わされた、わたしは裏切らない」
当然でしょ? などと、呆れた眼差しを向けてきた。
「そりゃ約束はしたけど、時と場所を弁えてくれよ」
見ろ、担任の五島先生(朝に名前を教えてもらった)が憤然と肩をいからせてる。
成人女性とは思えない愛らしい外見で、五島先生は眦を鋭くする。
小動物と同等の迫力だ。あんまり怖くない。
「こら! ホームルームが終わるまで私語は慎みなさい!」
いや、今頃登校してきた日野を責めるべきじゃないか?
……ちょっと論点ズレてると思う、実際その通りだけども。
「お黙り」
お黙り!? 教師にそんな口効くかフツー!?
日野はバッサリと切り捨て、オレにまで距離を詰めてきた。
席に座るオレを睥睨すると、
「さあ、妖精探索に赴きましょう」
人々を魅了する妖しい笑みが浮かび上がる。
まずい、この感覚。魔法が発現する……!
「あれ、不発だ」
魔法の余韻を探すように、周囲を見渡した。
クラスメイトの誰ひとりにも、文字が浮かび上がらない。
昨日と今朝見えたものは、単なる錯覚だったのだろうか?
……そうだろうな。よかった。現実的に考えてみろ、魔法なんてありえない。
これまでのは、日野を目撃したことで幻覚を見てしまっていたのだ。
「……無視するだなんて、大した度胸ね」
失念していた。表情こそ動いていないが、日野の眦が鋭くなった。
無視されてお怒りである。
「ごめん、無視したわけじゃない。ちょっと意識が逸れてただけ」
非情な魔女に言い訳は通じない。
日野は毅然と冷たい眼差しを向けてくる。
「いいこと? わたしの言葉は、あなたにとって千財の価値。決して取りこぼさないように」
「以後善処します」
冗談じゃない。こんな曖昧な言葉に耳を傾けてられない。
「日野さん、席に着きなさい! 遅刻の件はホームルームのあとに職員室で!」
混沌としてきた場を繕おうと、五島先生が声を張り上げた。
これで大人しく言うことを聞けばいいんだけど……
「拒否するわ」淡い希望だった。
拒否すんなよ。なんで堂々としてんだよ。
狼藉もここまで徹底していると舌を巻く。
「我々には使命があるから、時間を浪費するわけにはいかないの」
「われわれ……いや、オレも巻き込まないで!?」
「あなたの〝運命瞳〟が探索には不可欠、理解していて?」
「ノー、アイキャントアンダースタンド」
カタコトで拒否する。やめて、胃がストレスで破裂しそう。
「ヤバ、頭おかしいじゃん……」
「中学からずっとあの調子なんだよ……」
「やべーくらいオタクなのな……」
「てことは、火堂もそうじゃね……」
教室のあちこちから聞こえる囁き声が、オレの胃を更に締め付けた。
そうだ、章なら……!
「…………」
耳と目を塞いで知らんフリ決め込んでる!?
ワラにも縋る思いだったが、頼みの綱がこの有様ではどうしようもない。
まずい、まずい、まずい……!
教室に充満した息詰まる空気。
クラスメイトに張り付いた薄ら笑い。軽蔑を孕んだ陰湿な目。
知っている。これ、村八分だ。集団が突出した個人を特定して迫害する、いわゆるイジメ。
田舎のように閉じたコミュニティだと頻繁に見かけるけど、都会でも同じなのか?
土俵際にまで追いやられている。このまま日野茉梨の暴走を許しては、オレは奈落に叩き落とされる。最終的に死んでしまうに違いない……!
オレは咄嗟の機転で笑みを作った。
「日野さん、正確にはまだ放課後じゃない」
「つまり、ホームルームを終えてからが放課後と?」
「そうそう、だから一先ずはホームルームを受けるのが筋じゃないか?」
ぎこちない笑顔で首肯した。
妄想に取り憑かれてるくせに、なんだって頭は冴えてるんだよ。
一理ある、と呟き、彼女はオレの机に腰掛けた。
「よろしい、待ちましょう」
「よろしくない。机に座らない不作法だ」
あと邪魔だ。ぐいぐいと押して立ち退きさせる。
「なにするの、懲罰ものよ?」
「自分の席あっち、窓際の空席が日野のだよ」
不満げに移動していった。なんだ、えらく素直だな?
「ではホームルームを始めますね~!」
「始めるのか……」鉄の心臓もってるな、五島先生。
ホームルームの終わりと同時に、日野が五島先生に連行されていく。
抵抗する日野。掴んだ手を離さない五島先生。
「また明日ね、みなさ~ん! 最近は物騒だから、くれぐれも寄り道しないように!」
屈託のない笑顔で言葉を締めて、日野と扉を抜けていった。
「知ってるか、あれで三十手前なんだぜ……?」
「嘘だろ……? って章、回復したのか?」
注釈を加えた章の顔には、疲労の影が滲んでいる。
とても本調子には見えない。
「平気だ。中学から変わらないな、あの破天荒っぷり」
「その口振り、やっぱり知っているのか」
尋ねると、章は口を閉ざした。苦虫をかみつぶしたような表情である。
「なんとか言ったらどうなんだ。朝は話しかけてくれたのに、こっちが声掛けてもずっと塞ぎ込んでさ」
「…………」
「原因は日野か?」
章は押し黙ったまま、オレから目を逸らした。
沈黙は肯定と見なす他あるまい。
「過去に日野と関わりがあったんだろ」
「……ああ、半分正解だ」
「半分? どういう意味?」
「いずれ分かるさ、いずれな……」
「それは今だね」
顎を掴んだ。力をこめる。
質問はすでに拷問に変わっているのだ。
「いたいいたいいたい! 話すから離せ!」
「話し辛い話題なら、べつに構わないよ」
「だったら力抜けよ! 譲歩する気ゼロだろ! 言葉と反比例して力が強くなってんだよ!」
顎を離した。触れていた部分が赤くなっている。
ほかの生徒達は、ホームルームが終わるや下校していった。
教室に残っているのは、オレと章だけ。
章は、躊躇いながら口を開いた。
「実は……俺、高校デビューしたんだ」
「高校デビューっていうと、不良に転じたの? 全然そんな雰囲気に見えないけど」
「違う、逆だよ。中学の頃、俺は病を患っていた……」
顔を伏せて、物思いに耽る章。
病。思いがけない単語に目眩がする。明るく笑う章からは、想像も及ばない。
「そうか……ごめん、掛ける言葉が見つからない」
「いいよ、慰めなんか期待してねえから」
「強いな、章は」
「そんなことはない」曇り空がかかったような湿っぽい笑顔だった。
溜まらず、二の句を呑んだ。
「結果的に、俺は現実を知った。大人になったんだ」
真意が読めない。何を話そうとしてるんだ?
「かつて、俺は中二病だった……日野に憧れてな」
「……?」なんだそれ。チュウニ病? 憧れてって……?
「知らないか。だよな、普通は知らないよな……」
章の笑みが自嘲で歪んだ。皮肉な苦笑は、彼の後悔が作るものか。
「深刻だったのか?」
「ああ、周りにも散々迷惑をかけた。だから俺は決めたんだよ、普通の高校生として三年間を過ごす。オマエもそうしろ。日野には関わるな、碌な目には遭わないぞ……もう二度と、俺は夢を見ない!」
悲壮な決意を口にして、章は教室を去って行った。
結局、オレに具体的な話を聞かせないままである。日野とはどんな関係だったんだ?
分かったことと言えば、章がチュウニ病ってのだったくらい。
「チュウニ病……章を狂わせやがって」
オレは憤懣やる方ない想いで歯を軋らせた。
さすがに、これ以上の話を章からは望めないだろう。
となれば……
「日野に話を訊くしかないか」
「よろしい、何を訊きたい?」
「うわああぁああ!!?」
何処だ!? 背後だ!
職員室に呼び出されたはずの日野茉梨が、オレの傍に忍び寄っていた!
彼女はオレの机に腰を下ろし、こちらを見上げている。
神出鬼没すぎるだろ! ぬらりひょんの孫だったりするのか!?
「召喚に応じ、参上した。この身はあなたの師なのだから」
「音も無く現れないでくれ、忍者か!?」
「否、魔法使い――賢者」
「いやどっちだよ」
ビシリと裏返しの平手で突っ込み。
ステッキが閃く。まるで話を聞いちゃいない。
「またの名を〝希代の魔女〟」
「でぃざすたー……!」どういう意味だろう? 辞書に載ってるかな。
疑問符を浮かべるオレを置き去りにして、日野は酷薄に唇端を吊り上げる。
「日野、職員室には行ったのか?」
「当然、挑戦は拒まないもの」
「なら説教されたろ。帽子を外せよ、たぶん何かしらの校則に抵触するぞ」
「嫌」
言って、彼女は帽子を目深にかぶった。
章の忠告がまだ耳に残っている。
日野には関わるな――
半ば決心を固めていた。言われなくても、日野との会話はこれっきりだ。章との関係を聞いたら、そこでお終い。あとはただのクラスメイト。
オレは平穏な学生生活を送るんだ。
でも、日野の瞳に浮かんだ寂寞の色に目が離せなくなった。
降り出す直前の曇り空のような、濡れた瞳。
なんだってそんな目が出来るんだ?
「不思議な言動も自由にすればいいだろうけど、空気を読めよ。オレまで腫れ物扱いだ」
「嫌」
「……まあこの際、日野が嫌なら嫌でいいとして、なんだってオレに関わる?」
「あなたなら分かるはず」
分からないってば。
気分が滅入る。
悩みばかりが増えて、ちっとも気持ちが晴れない。
「魔法、だよな」
自分の中にある精一杯の答えを探り当てた。
にわかには信じがたいが、オレと日野との接点はそこに尽きる。
魔女は、丁寧な口調で言い聞かせてくる。
「〝運命瞳〟の所有者である以上、制御しなくては世界の均衡に関わるから」
「つまり、オレの魔法は本物なのか……?」
「然り。あなたの瞳は、すべての運命を見抜く――特級魔術に該当する」
日野は頷いた。
相変わらず、言っている意味はいまいち分からない。
けれど、魔女が騙る魔法は、幻覚には思えない生々しい感触だった。
「本物ならますますわからない。なんだってオレが魔法なんて使えたんだ」
オレは半信半疑だ。いくら日野の声に誰もが振り向く求心力に溢れていようと、仮面が剥がれた彼女を目撃したのだから。
彼女の仕業であるかどうか、判別が出来ずにいる。
「わたしが魔力を与えたの」
「ダウトだ! 忘れてないぞ、昨日の会話!」と口を挟んだ。
記憶を思い返す。
〝運命瞳〟なるものが開眼したオレに「なにそれこわい」と、日野は首をすくめたのだ。
本当に魔女ならば、そんな間の抜けた反応はしないはずだ!
「偽物なんだろ!」
「愚問――」
素人は黙っとれ――!
そう言わんばかりに澄ました表情である。ムカつく。
いつまでも子どもの遊びに付き合ってられるか、すぐに正体を暴いてやる。
「証拠を見せろよ、本物の魔法をさ。そしたら納得するから!」
「不可能ね。わたしは魔力不足に陥ってるから」
電力が無ければ機械が動かないのと同じように、ね。と淡々と日野が言う。
「……そうか、どうあっても偽物とは認めない魂胆なわけだ」
「なんですって?」彼女は柳眉をひそめる。「己の無知を棚上げして、憶測だけで判断するの? なんて愚かな……」
オレは冷たい視線を撥ねのけるように、胸の底で澱となって固まっていた疑問をぶちまけた。
「章と……その、どんな関係だったんだ?」
「……AKIRA?」イントネーションおかしいな。
「林崎章、この名前に覚えはないか」
「ないわね」
誰それ? と首を傾げる日野。本気で分からないのだろう。
章が乱心するきっかけは、間違いなく日野にあるはずなんだけど……
でも、この様子だと手がかりは掴めなそうだ。
くそ、と内心毒づく。
胡乱な言い回しはやめて、率直な言葉で話してくれれば、こんな黒々とした気持ちを抱えなくて済むのに。
「あなたの才能は貴重よ。俗世にかまけてないで、本腰を構えて幻想の過去……そして未来を見据えるべき。偽りだらけの世界で、あなただけが真実なんだから……」
話が右の耳から左の耳へと抜けていく。
日野にしても、章にしても、人を好き勝手に混乱させすぎだ。
もっと、こう……誠実な会話をしてくれるような人物なら……
「ケイくん?」
「え、ああ……そうそう、凪ちゃんみたいな人……」
聞き慣れた口調なのに、耳に馴染まない声質。
思案を巡らしていた意識が、慌てて現実に引き戻った。
耳朶を優しく撫でた声に振り向く。
「あ、日野さんもご一緒? 談笑って雰囲気じゃなさそうですね」
「久しいね〝隷属者〟……!」
おっと、険悪な空気。
ふたりの間に稲妻が走るのを幻視した。交錯する視線が火花を散らしている。
……唾を飲んだ。自分が場違いに思えてならない、どうにも。
「ケイくんったら中々昇降口に来ないから、心配して迎えに来ちゃった」
「それは……ご足労いただきまして、恐縮の極み……」
「ともかくこっち来て!」と、強引に腕を引かれた。
なんだなんだ。あまり密着しないでよ。ドキドキしちゃうでしょうが。
オレを傍に引き寄せると、凪ちゃんは糾弾する光に満ちた鋭い眼差しになる。視線の先は、意味ありげに勿体ぶった表情の日野がいた。
「過保護っぷりは健在みたいね」
「……まだ調教が足りなかったの?」
ちょ、きょ……え? え?
凪ちゃんから予想だにしない単語が放たれて、頭がとんでもない衝撃を受けた。
こういう事言うのは我ながら気持ち悪いけど、あの清廉潔白な凪ちゃんは何処に?
「冗談。あんなモノ、赤子の児戯と変わらないさ」
「そう……ケイくんに手を出したら、容赦しない」
「ふふ、手遅れね」
ぞっとするほど嗜虐的な笑みだった。
ぐるん! と凪ちゃんがこちらを振り向く。ひっ。
強張った顔で、オレの頬をペタペタと触れる。ひんやりとして、柔らかい手だ。
「だ、だいじょうぶ? トカゲの干物とか飲まされてない!? 爪の垢煎じられてないよね!?」
「なんだその気持ち悪いもののオンパレードは」
「随分と古典的なイメージを吐き出すものね、程度が知れるわ」
時代はポーションよ、と胸を張る日野。
日野、おまえすごい煽るじゃん。
口を挟みたいが、衝撃の余韻で頭が麻痺してる。傍観に徹しよう。
……決して、会話に混ざるのが怖いからじゃない。あたまがまひしているんだ。あばー。
「あなたが入学すると聞いて、私も根まわ……もとい準備を整えた。ええ、ええ……あなたが戦るつもりなら、応えなくては嘘になります」
「呪い殺す」
「望むところです。あなたの特殊な趣向を正しい道に導いてあげましょう。そして葬る」
くぐもった声で理解不能な呪文を唱える日野。嫋やかに呪詛を受け止める凪ちゃん。
シンプルな殺意のぶつかり合いだった。
凪ちゃん、後ろ暗いことは何もないとか言ってたけど、とんでもない恨み持ってるな?
現実的な凪ちゃんと、夢を騙る日野茉梨。まさに正反対な人物だ。
互いが互いを仇敵と認識しているのだろう。オレが想像しているよりも根は深そう。
「ケイくん、あなたはどっちを応援するの?」
「ええっ」急に矛先を向けられた。
どっちって言われたって……
「凪ちゃんに決まってるぞ。日野は微塵も応援してない」
「ええっ!?」
日野は驚愕の声を上げた。
当たり前だ。付き合ってきた年数が違うんだ。むしろ何で直前まで自信満々だったんだ。
「どうやら、勝敗は見えたね」
「勝ち負けあったんだ、この問答……」
凪ちゃんは誇らしげな顔で胸を張る。
対する魔女は敗北感にぷるぷると打ち震えていた。
「契約したじゃない……反故にするつもり……?」
「ケイくん、帰りましょ。せっかくだし家に遊びに来てよ。夕飯ご馳走するから」
「な……!」
凪ちゃんの、家……だと……?
「待って、心の準備ができてない」
「ふふ、平気だよ。お父さんもお母さんも、ケイくんなら歓迎してくれるって」
おじさんとおばさん。長らく会ってないし、そりゃ会いたいけど。
「でも親父に晩飯つくらないと」
「むー、なら連絡してみて。電話なら貸すから」
駄目だ、勝てそうにない。両手をあげて降参のポーズ。
「じゃあ、日野さん、また明日ね。サボらずにしっかり登校すること!」
ウキウキとした足取りで教室を後にする凪ちゃん。
「悪い、そういうことだから」
「あ……」
海底に沈んだ声色が、オレの胸に空虚な響きを生んだ。
日野を振り返る。彼女は俯き、足先をにらんでいる。
その佇まいが、取り残された子どもに見える。
「日野……?」
「無礼な、情けはいらない。早く向かいなさい」
魔法や章の病。日野と凪ちゃんの関係。
後ろ髪引かれる想いだが、いまは思考に整理をつけたかった。
日野の言葉に従って、後を追う。
視界の片隅で、魔女の紅の双眸が鬼火のように揺らめいた。
「絶対に、逃がさない」