3. 優しいままでいてくれたなら
「寄り道ですって? ふざけないで! 早く、デイブレイク駅に戻りなさい!」
リアの声を無視して、運転手はスラム街の脇道に入り、City Cabのスピードをあげる。
そして、窓を開け、ダッシュボードからIQOSを取り出した。
加熱式タバコ独特のポップコーン臭が外に抜けてゆくと同時に、生臭い魚の匂いが車内に香ってきた。
女刑事の手を握り締めながら、じっと黙りこくっていたジュリエットが、ようやく囁くような声を出した。
「町はずれの波止場……こんな場所に来て、こいつ、ヤバイ……」
リアはしっと少女を諫めた。おそらく、ジュリエットの頭の中には、今、流行りの連続絞殺魔の犯人像が浮かび上がっているのだろう。だが、今、そんなことを態度に出すのは不味すぎる。その気持ちを知ってか知らでか、運転手が軽く笑いながら言った。
「女刑事さん、そう構えないでさ、今日は非番で急いでなんてないんだろ。だったら、ちょっとだけ、俺の身の上話を聞いてくれよ」
「冗談じゃないわ! 私は生活相談員じゃないのよ。どうしても身の上話をしたいっていうなら、町の教会の神父にでも聞いてもらえば? 」
「あぁ? ダメダメ。この話は、ここだけの秘密なんだから」
若い運転手が、車を波止場の突端に止めた。
雨はいつの間にか止み、辺りにある明かりはぽつぽつと灯る街灯と、遠くに見える漁船の照明だけで、裏淋しい。生臭い魚の匂いを運んでくる夜の風が、嫌な予感をさらに強くさせた。
「俺はさっき通って来たスラム街の生まれでさぁ……」
City Cabのフロントミラーに映し出された運転手の顔は、浅黒い肌の顔に黒い髪がさらりとかかって、甘いマスクをしているとリアは思った。その反面、切れ長の目は剃刀めいた眼光で、ミラー越しでも背筋に冷たいモノが走る気がした。
だが、運転手は、そんなことなどお構いなしに話を続ける。
「俺ってさ、親の顔は母親しか知らないんだ。けど、母親は俺の顔が嫌いだった。父親にそっくりでムカつくんだと。それって俺のせいじゃないよな。なのにさぁ……母親は毎日、毎日、俺の顔を見ては、泣いたり、怒ったり、拗ねたりで、挙句の果ては、6回目の俺の誕生日に、俺を家に一人置いて出ていっちまった。元々、貧しかったから、食べ物は何もなかった。駄菓子の一つも残ってなかった。おまけに、あいつは、家に鍵をかけて外側にガムテープを張っていきやがった……で、俺はサイテーの6歳の誕生日を迎えたってわけ」
「ちょ、ちょっと待ってよ。それって、家の中に閉じ込められたってこと? でも、食べ物がなかったら、あんた、生きてゆけないじゃん」
たまらず、声をあげたジュリエットに、若い運転手は、
「当たりっ。母親はさ、多分、俺に死んで欲しかったんだと思うよ……でも、水道は止まってなかったから何とかなった。誕生日からちょうど14日目に家の扉が開いた時……は嬉しかったなぁ。だって、母親のあんなに優しい笑顔が見れるなんて。でもさ、彼女は俺の体を抱きしめて、マリア様みたいな柔らかな声で、言ったんだ。」
― さっさと、死んで ― って。
「長くてしなやかな指が、俺の首に伸びてきた。そして、美しかったあの顔が見る見るうちに、悪魔みたいに変わっていった。俺は……あの時、別に死んでも良かったんだ。もし、母親が笑顔で、優しいままで……」
― 殺していてくれたなら ―