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三十九


 さらにいくつかの詳細を尋ね、何かあれば連絡がほしいことと謝辞を告げてMJ部を後にした。しばらくすれば最終下校の時間になるだろう。

 鞄を回収し、帰宅しようと下駄箱へと向かいながら思案した。

 梓真さんが悩んでいたのは一ヶ月以上も前だが、果たして宮原たちの行動が計画的だったのかというと、疑問点は残る。計画的であればまず校内は選ばないだろう。

 校内を選択したとしても、クラスの割り振られた教室も選ばない。使用されていない空き教室や校舎裏など、人目に付かない場所を選ぶはずだ。

 そして梓真さんがあの日あの時間まで居たのも偶然なのだから、やはり――。……いや、もしも中島が関与していれば、偶然ではない。

 だが中島が関与しているのなら、悔いていたのは演技だったのか。しかし演技であればなぜ古宮に伝えていなかったのか。

 中島以外に四組で誰か梓真さんについて情報を持っている人物はいないだろうか。新田にも尋ねてみるべきか……。

 下駄箱に着けば辺りは暗がり始めていて、頼りない夕陽が輪郭を映していた。

 ふと目に入った四組の列に、僅かに反射の違う扉があった。注視しなければ気付かない程度の差だが、なぜか目についた。なんとなくその箇所に近寄り扉の様子を見た。

 第一には、綺麗だからなのだと思った。その扉だけ汚れが一つもない。だが更によく見れば、コーティング塗装というべきなのか、表面の透明な保護に差があった。

 端末に内蔵されたライトを点け、他と見比べるとごく僅かに照り返しが違う。他の扉は全て汚れているものの、ツヤがある。しかしその扉だけは僅かにツヤが少ない。まるで何度も磨いたかのようだった。

 使用者は誰なのか、僕は既に知っている。この位置は、梓真さんが使用しているものだ。

 これが彼女の感じていた予感だろうか。考え始めようとしたところで、握っていた端末から通知音が鳴った。

 ライトを消して通知内容を確認する。阿部からだった。阿部はまだ校内にいるようだ。こちらは下駄箱にいると送れば、


『タイミングだけは良い会長で助かった』


 と返ってきた。『一言余計だよ』と忠告しておいた。


 下駄箱前の廊下で待機していると、阿部が誰か別の女子生徒を連れてやってきた。彼女は溝口だった。

 僕の表情には率直に疑問が浮かんでいた。溝口はこちらと目が合うとへらりと笑ってドモ、と軽く頭を下げた。今度は逆に溝口がキョロキョロとしながら下駄箱を進み、阿部が後を追った。僕も何となく彼女たちの三歩後ろにいるようにした。

 溝口は「多分この辺」と言って先程まで僕が調べていた下駄箱の周辺で立ち止まった。阿部はなるほど……と呟いてからこちらを向いた。


「キョウゾーによればこの辺りに落書きがあったらしい。見かけたのは随分前らしいけど」


 胸像……? ああ、溝口のあだ名か。

 僕は笑うと、先程の扉を指し示して溝口に尋ねた。


「それってここじゃない?」


 すると溝口は驚いたように口をすぼめた。忙しなく下駄箱のあちらこちらを行ったり来たりして、色んな角度から位置を確認した。そしてニカーッと笑うと、素早く何度も頷いた。


「あーそっすそっす! うんうん確かそこ! 何で分かるんす――アわかった超能力?」


 早口で放つ溝口に、僕は扉が綺麗である点を指摘した。溝口は感心したあと、目撃した流れを説明した。


「そん日は、……実は部活で結構やらかしちゃって、後始末で。そんで私だけ遅くなったんすわ。下校時間若干オーバーで。ちな若干だから若干! そん時かな、見たのは」


 溝口は腕を組み、唸りながら続けた。


「あ~こりゃ明日大騒ぎだわなぁー……と思いつつ時間もヤバいんでとっとと帰ったんすけどね。次の日、来たのはいつもどおりで――そんなに遅くもなかったんすけど、何事もなかったように元通りというか。てかマジで何事もなかったすわ! 疲れて強めの幻覚見ちまったかって! アははは!」


 ケラケラと笑う溝口と、真面目に尋ねる阿部の話を聞き流しながら、僕は脳内で情報を整理していた。その間、態度では耳に入る――培養部、マリモ、サボテン、半園芸など――特徴的な単語だけをオウム返ししていた。

 つまりは梓真さんのロッカーは落書きされていた。しかし翌日には完全に消えていた。

 無論誰かが消したことになる。しかし偶々見かけたからだとしても、最終下校よりも後でかつ朝に生徒が賑わうよりも前に、という短い間隔でだ。

 可能なのは早朝だ。早朝に登校する生徒の数はあまり多くない。部活動によって早朝に登校している場合は大抵運動部で、そして運動部は校舎に寄らずそのまま目的の場所で活動する。

 ならば可能性として大きいのは、早朝に登校している運動部でない二年の生徒だ。条件に当てはまる人物は少ないだろう、明日から二年の各クラスで聞き込んでいくか……。

 しかしそもそもが、落書きをされている扉をわざわざ綺麗にするなど、彼女とある程度親しくなければボランティア精神溢れない限り実行しない。触らぬ神に祟りはないからだ。だがMJ部員は誰もそんなことは言わなかった。

 最も可能性が高いのは、彼女自身が――


「さて行こうか如月君」

「え?」


 阿部の声に、僕が周りを見れば溝口はもうどこにもおらず、阿部は廊下にいた。どうやら阿部が溝口を帰したらしい。


「会長なら当然、私と同じく該当箇所がここだけとは思わないだろう?」


 軽く笑う阿部に僕は頷いた。


「ああ、そうだね。四組に行こう」


 四組の教室は開いているだろうか。僕は教室に、阿部は職員室に向かった。



 教室に着くと電気は消えていたが、なぜか鍵は空いていた。阿部へ先に入室する旨を伝えておいた。

 僕は前部ドアを開けたままにして足を踏み入れ、明かりを点けた。やはり人はいなかったが、まだ空気は暖かかった。

 見渡さずとも、異様な様子の机はすぐに目に入った。茶色い天板の机が並ぶ中で、中央列の後部にある机の一つだけ天板が黒かった。教卓の角に貼られた小さな座席表と該当の机を照らし合わせる。

 予想どおりではあるが、やはり梓真さんの席だった。暗い感情が底から迫り上がってくる気がした。

 机に近寄り見下ろした。下劣な単語ばかりが並んでいた。

 ふとロッカーの方を見れば、そちらにも一箇所だけ似たように黒い文字が刻まれていた。……低俗だ。

 念のため証拠として写真に収めておいた。

 必要な部分を撮り終えたところで、足音が聞こえた。振り返れば阿部が前部ドアに立っていた。阿部と分かり少し安堵した。

 僕は阿部の方へ少し近付き、彼女もこちらへ近付いた。阿部は黒い机を目にして言った。


「どうやら当たりか」

「……そうだね。まさか目にするとは思ってなかったけど」


 阿部は机やロッカーの文字を眺めては眉間に皺を作った。そして疑問を口にした。


「しかし、なぜ誰もいないんだろう。もしかして今は下駄箱の方に?」

「いや下駄箱の方で実行するなら鍵を掛けていくと思うけど」


 自然と小さな声でやり取りをしていた中へ、大きな声が割り込んだ。


「まさかあんたたちが――如月君⁉︎」


 声の方を見れば、いたのは宮原だった。その後ろには田代と佐村もいた。

 ……まさか、どこか遠方から見張っていたのか?

 宮原は驚愕した顔でこちらを見た。慌てたように喋る。


「そ、そこで何してるの、如月君」


 僕は冷えていく教室で、当たり前のように言った。


「電気がついていないのに、教室が開いていたから気になって。戸締りのし忘れかと思って入ったら、この机が目に入ってね。あまりにもひどいね、これは」


 宮原は苦笑いをしながら、こちらへと近寄った。


「ほ、ほんとだ、何それ。ヤバいね、ヤバいから、ほっとこ?」

「放っておくの? 消すべきでしょ?」


 僕は宮原の目を見る。


「そ、そうだよね。そうだね、そう思う。でも、消えるかな」


 たじろいだ宮原は、視線を彷徨わせた。

 阿部はいつもと変わらない調子で言った。


「ああ、そういえばこういうのは除光液などで落ちると聞いたことがある。ちなみに私は持っていない」

「僕もないな」


 僕も言葉を重ねれば、宮原は再び苦笑いをした。


「あ、あわ、私。持ってるから。消すよ。けすから」

「じゃあ僕も手伝うよ」

「わ、悪いからさ。ウチのクラスのことで、如月君がさ」

「クラスは関係ないでしょ。雑巾借りるから」


 僕が掃除用具入れの方へ向かおうとすれば、宮原は腕をつかんで引き止めた。細い指が食い込んだ。


「良いって! もう良いからさ。ウチらがやっとくから」


 僕はただ宮原を見た。繕うことのない声で言った。


「誰がやるとかどうでも良いんだよ。時間ないでしょ、そんなに自分で消したいなら僕を引き止めてるこの時間で早く消しなよ」

「――如月君」


 阿部がどこか宥めるようにこちらの名を呼んだ。

 僕はちらりと阿部を見たあと、宮原の方を向いて笑った。


「ごめん言い方が悪かったね。手分けした方が効率的だと思ったから。責任持ってやるならちゃんと行動に移してくれる?」


 宮原はどこか信じられないものを見るようにこちらを見た。小さく「やっぱり……」と聞こえた気がした。田代と佐村も意表を突かれたように動かないままだった。

 僕がさらに笑みを深めればようやく三人は動き出し、黙ったまま机を拭き始めた。

 教卓の隣で僕は三人を見ていれば、斜め後ろにいた阿部が小さく言った。


「君も一言余計だよ」

「良いんだよ」


 僕は雑に言った。

 正直に言えば(ぬる)いぐらいだ。それを余計な一言だけで済ませているのだから、僕は寛大にすぎる。沸々と煮えたぎったものを頭から掛け流さなかっただけマシだろう。

 よく見ればそれぞれ机と座席の間に三つ鞄があった。最後まで残っていたのは三人。気付かないはずがない。

 もしも落書きした者が僕のように、誰もいない間に教室に入り実行したのだとして、あの文字量を書ききれるのか。誰かが戻ってくる可能性があるのに実行に踏み切るか。それでも実行したというのなら、三人の協力は確保しなければならない。

 どの道、三人が関わっていない方が不自然になる。

 あの三人が落書きを含め、梓真さんに何かをしていた。それも一ヶ月以上も前から。それがたった一度の後始末だけなど、不相応だ。だが今、手元に切れる証拠がない。

 新田の動画は、僕が使用してはいけない。活用できるのは、新田本人の働き掛けがあってからではないとおかしくなる。

 新田があの動画を流布できないのは、報復を恐れているからだ。現状誰も入手できないはずの動画を、唯一手にできる可能性を持つのは新田だけだ。

 それが広まったとあれば新田が疑われ、再び殴られる対象になる未来は想像に易い。

三人が拭き終えると、全員で教室を出て僕が鍵を閉めた。廊下の電気はまだ点いているとはいえ、先程よりも暗がりが増すようだった。僕がそのまま職員室に鍵を返しに行こうと少し進んだところで、突然後ろから悲鳴のような声が上がった。

 振り返れば三人の誰かが声を上げたようだ。三人は一つの端末を覗き込んで、言葉にならない言語を口から出していた。

 僕と阿部は顔を見合わせ、それぞれに端末を取り出した。

 それは昨日と同様に、そしてそれ以上に騒がしいやり取りが為されていた。

 それぞれのグループメッセージで、新田が久保野らに見せた動画と同じものが拡散されていた。宮原たちの行動が全て映された、音声のないものだ。

 僕は再び阿部と顔を見合わせた。阿部は神妙な顔をしていた。

 もう一度三人の方を見ると、宮原は震え、田代は蹲り、佐村は泣いているように見えた。

 ……新田か藤村が動いたのだろう。動いたのなら、始まりは新田のはずだ。まさか、その場しのぎで杜撰に植え付けた正義感が響いたのだろうか。

 手のひらで収まる世界で起こる出来事を、どこか不思議なものを見るような気持ちで眺めていた。

 ――これで、大きく動けるかもしれない。

 元凶が本当にこの三人なのか、協力者はいないのか。全てを調べるためのハードルが下がる。

 端末を仕舞いながら心の中で新田に感謝を告げた。帰宅してから改めて連絡を入れよう。とにかく今はこの好機を使わせてもらう。


「如月君。どうする、彼女たちは」


 阿部が尋ねた。僕は頷くように阿部を見た。


「僕が手を回すよ。後で――もしくは明日、阿部さんにも頼むことがあると思うから、今日は先に帰って」

「……そう。お疲れ様」

「お疲れ様」


 阿部の去る足音を聞きながら三人へと近付いていく。僕は「タイミングだけは良い」のは事実かもしれない。そんなことに小さく笑った。


「宮原さん、田代さん、佐村さん」


 僕は笑いながら声を掛けた。

 宮原は顔を真っ赤にして、田代と佐村はくしゃくしゃにして、こちらを見ながら震えていた。田代と佐村は小さく後退る。


「大変なことになったね。――助けるよ。協力する」

「……え」


 宮原が呟いた。三人はしばらく呆然とこちらを見ていた。

 ある程度、落ち着かせることはできるだろう。


「このままだと、どんどん大変なことになっていくでしょ。協力するよ。少しはマシになると思う。だから正直に全てを話してくれないかな。僕の質問にも全て」


 僕が笑みを深めればようやく、唇を噛み締めた宮原がこくりと頷いた。それに倣うように残りの二人も小さく頷いた。


「じゃあ帰りながら話を聞くよ。一緒に行こうか」


 さて、穏便にかつ迅速に。やることは多そうだ。私生活でも雑用精神が染み付いているのかもしれない。



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