3-1
今日はクリスマスだ。
羽山さんにパーティーについて確認したところ、なぜか羽山さんと、多分羽山さんの「好きな人」が参加する結果になった。ナンデヤ。
羽山さんたちが元々この別荘を使う予定だったところに私が引っ越してきたので、私がりっちゃんに断りを入れるべきだったのだが、「それは悪い」と羽山さんたちが譲ってくれた。しかしそれこそ申し訳ないと告げれば、ならば合同パーティーをしようという流れになり、それを聞いたりっちゃんは気兼ねするどころか、手放しで喜び賛同した。りっちゃんに問題がないのなら、私には何の問題もない。
予定としては、りっちゃんより羽山さんたちの方が先に着くので、気まずくなることは間違いなしだ。緊張する。
早速羽山さんに、私の掃除人としての実力を判断される日とあって、昨日は念入りに掃除をした。どうか羽山さんが重箱の隅ツツキ魔でありませんように。
掃除人として、給与も頂けるとの話であったが、私は丁重に断った。その代わりとしては何だが、掃除技術が多少難有りでも、大目に見てくださいという意思をそれとなく伝えた。だから羽山さんは細かいことを言ってくることはないとは思う。だが、やはり良い印象を持ってもらいたかった。
つまり今日の見所は床!
ご覧ください! このピカツルボディを!
そう、助走をつければこのとおり、スケートリンクに早変わ……いかんいかん。ここで暴れてはいかん。どこか壊して弁償できる家ではないのだから。
しかし気を抜けば、うっかり滑ってしまいそうなぐらいには磨いた、つもりだ。
廊下を滑りたい心の少年を諌めていると、車のエンジン音が聞こえた。羽山さんだ!
ここは出て行くべきところなのだろうか。それとも羽山さんが、何らかのアクションを起こした後に、そっと向かうべきだろうか。
私は後者を選び、リビングで束の間待機することにした。
ガチャリと玄関の開く音が聞こえた。
「梓真ちゃーん。ただいま〜〜」
久し振りに聞いた「ただいま」という単語に、何とも形容しがたい気持ちが込み上げた。
私は返事をすると早足で玄関へ向かった。
玄関には羽山さんと、その後ろに男性がいた。
「おかえりなさいませ、羽山さん」
「ありがとね、梓真ちゃん。早速だけどこっち、秋良。彼女、梓真ちゃん」
羽山さんは男性と私を互いに紹介した。
男性は穏やかそうで、あっさりした黒い髪に黒縁眼鏡、黒いジャケットと、黒っぽい印象が強い。羽山さんと比べると、筋肉というべきか、体つきが幾分しっかりしていそうだ。
私は男性に頭を下げて挨拶をした。
「初めまして。七瀬梓真です。よろしくお願いします」
「はじめまして。俺は高橋秋良。よろしくね。俺も梓真ちゃんで構わない?」
「はい。もちろん、どうぞ」
目を合わせると高橋さんは微笑んだ。無駄を削ぎ落として整えた顔立ちで、優しそうな瞳をしていた。しかし、その奥には静かでいて、果てのない圧力を宿しているのを垣間見た。見えたのは一瞬で、気のせいだったと思い直した。
いつの間にか私の隣にいた羽山さんは、くすくすと笑い出した。
「アズマとアキラってなんか似てるね?」
「名前がか?」
高橋さんが疑問を返した。羽山さんのサッパリとした声に対し、高橋さんは低く落ち着いた声だ。
「そうそう。……あ。でも雰囲気も似てるかも。真面目なとことか。見た目は大人しそうなとことか」
み、見た目は……。えっ、そんな。私は見た目も中身も大人しいのに⁉︎ どういうことなの羽山さん。
羽山さんを見ても笑っているだけで、疑問の答えは出してくれそうにない。高橋さんと目を合わせれば、互いに首を傾げた。
疑問を渦巻かせたまま、パーティーの準備に取り掛かった。準備といっても私にできるのは食器を移動させたりだとか、そういう程度だったのだが。
高橋さんが鮮やかな手捌きで、次々と料理を作っていく。フランス料理との違いをよく分かっていないが、多分これはイタリア料理だ。だから羽山さんはパスタが好きなのか、羽山さんがパスタを好きだから、なのか。……邪推はやめよう。
気が付けば、ぽこぽこと料理が出来上がっていく様は、まるで魔法でも見ているかのようだった。キッチン周りは、良い匂いで溢れていた。料理ができるのは羨ましい。美味しい料理を効率的に作るのには、要領が良くないとできない。
私ができる準備は終えたところで、りっちゃんを迎えに行く時間になった。
二人に告げると、りっちゃんを迎えに行った。たったの数分だが、二人きりの時間とやらは多い方が良かろうて。夜も出て行った方が良いのかなあ。でも泊まるとこないしなあ。息を潜めてさっさと寝れば良いか。そうしよう。
「ずま吉! 生きてたか! おはよう! 久し振り!」
バスから降りてきたりっちゃんは、それはもう元気だった。打ち上げられたマグロと良い勝負だ。
真上を過ぎた太陽は朝日より眩しい。夜行性のりっちゃんには酷な時間かと思ったが、杞憂だったようだ。
「りっちゃんこんにちは。久し振りってほどか?」
「一日会わなきゃ久し振り。これでオールオーケー」
「アイシーアイシー」
またいつものように下らない会話をしながら、羽山邸への道を進んだ。りっちゃんはどこに行ってもりっちゃんだなぁと、その逞しさを尊敬する。きっとりっちゃんは火星に行っても、元気に飛び跳ねていそうだ。という話をすれば、さすがにそれはないと言われた。火星よりも金星派だそうだ。そういう話じゃないんだが。
坂の中程に来ると、唐突に立ち止まったりっちゃんは根を上げた。
「もうむりぴよ……」
この状態のりっちゃんには、雑な対応で良い。私はりっちゃんの前方へ回り込むと、手を鳴らしながら坂を登っていった。
「はいはい。あんよはじょうず、あんよはじょうず」
私の杜撰な対応を悟ったりっちゃんは、口をへの字に曲げると、こちらの対応に合わせて敢えて精神年齢を下げるという、厄介な報復をしてした。
「ママーッ! だっこー!」
闘牛のように突進してきたりっちゃんをひらりと躱した。
「ママはいません!」
「ビエーッ! 子供をろくにおだてられない大人ばかりの世界なんか嫌いだァー!」
雑に扱い過ぎただろうか。
りっちゃんはその勢いのまま走って行ったが、しばらくするとまた前方でへたばっていた。しゃがみ込むりっちゃんを宥めるために、こちらもしゃがんだ。
「りっちゃん。良いことを教えよう」
「おだてはじょうず?」
りっちゃんはちらりとこちらを見上げた。私は大仰に頷いた。
「ああ。これから会う羽山さんについて一つ。主観なので控えていたのだが、……イケメンだ」
「よし、さあ行こうずま吉」
りっちゃんは立ち上がると、私の手を引っ張り上げた。すぐにでも走って行きそうだったので、すかさず忠告を付け加えた。
「ただし。惚れるとヤケドするタイプだ」
カッ! と目を見開いたりっちゃんは、牙のような歯を見せびらかした後、勢いよく走って行った。現金だなあ。元気だなあ。体力があるんだか、ないんだか。
距離が離れてくると、りっちゃんは振り返り手を振った。
「ずま吉〜! 遅いぞー!」
りっちゃんの手綱を引くのは骨が折れる。
リビングに着くと、煌々とストーブが燃え、鮮やかな料理が机いっぱいに並んでいた。すごい。レストランのようだ。
私はそれぞれに紹介した。二人を紹介した後、りっちゃんはこっそり耳打ちをしてきた。
「おい。ヤケドするってそういう意味だったなら、先に言ってくれてれば五分で着けたぞ」
……ああ。そういえばりっちゃんは、そういう関係性がお好きな人の一人であったか。
「すまん。失念していた。じゃあ、二人きりの時間を増やすのに協力した、という体でどうだ」
「ふむ。よかろう。今回はそれで手を打ってやろう」
「へいへい毎度あり」
りっちゃんから見えない小判を受け取ると、そそくさと懐に仕舞うまでが茶番だ。
四人で机を囲むと、クリスマスパーティーが始まった。パーティーというよりは、お食事会だが。
グラスにシャンパンが注がれた――と思えばノンアルコールらしい。つまりただの炭酸飲料だ。大人組も同じ物だ。もしかするとこの後で、車を使う予定があるのかもしれないな。
乾杯をして、彩り豊かな料理を食べ始めた。王道のピザにパスタにサラダ……そして肉。高橋さんの料理はどれも絶品だった。胃袋を掴まれるとはこういう感覚か。365日この人の料理を食べ続けたい。そう思う気持ち。これは愛、それとも怠惰か。
久し振りに口にした健全な料理に、ほんの少し泣きそうになった。嬉し涙というべきか。今日だけは、この夢の食事を謳歌させてくれ。心の中で号泣しながら、切り分けられたぶ厚いステーキを噛み締めた。
「高橋さん、最っっ高に美味しいです」
「あはは。ありがとう。良かった、口に合ったみたいで」
私が思いを告げると、高橋さんは朗らかに笑った。そこにりっちゃんも同調した。
「このサラダのソースと、ステーキの焼き加減、パスタの味付け、ピザ生地のもちもち食感、どれもめっちゃ美味しいっス」
「いやあ嬉しいなあ」
高橋さんは少しだけ照れたように笑っていた。そんな高橋さんを、羽山さんは微笑みながら見つめていた。初めて見た、羽山さんの溶け入りそうな優しい眼差しに、愛の違いを悟った。そりゃ赤の他人と恋人とでは、違っていて当然で、むしろ違っていなければ怖いのだが。
その光景を目の当たりにして、ほんの少し切ない気持ち、この場にいて申し訳ない気持ち、純粋に二人の在り方を祝福したい気持ちが、同時に体を通り抜けていった。
私は一人きりの空間で食べる料理がこの世で最も美味しいのだが、それとは別に、好きな人たちが美味しそうに食事をしている姿を見るのは、自分が美味しいものを食べているのとは違った充足感があった。
しかしどこか遠い世界を覗いているような、空想を現実に落とし込んだ映像を、客席から見ているような気がした。
穏やかな食事会が終わると、全員で片付けをした。
羽山さんたちがケーキまで用意してくれたのだが、全員一致でしばらくしてから食べることにした。高橋さんの料理を心ゆくまで堪能したので、胃袋にある程度の空きが必要なのだ。
その間、プレゼント交換をすることにした。まず大人組と我々で贈り合った。申し合わせをしていたわけではないのだが、互いに用意していたとあって、結果としてそうなった。
我々が貰ったのは、ハンドクリームだ。オシャレなデザインで、香りの違う三種がセットになったものだ。ハンドクリームなら用途が分かるのでありがたい。羽山さんから物を貰うのは初めてだが、さすが、という感想が突いて出た。
我々からは、めちゃくちゃに書き心地が良いと評判のボールペンを贈った。正直なところ、大人の男性に、しかも全然知らない人に、何を贈ればいいのか全くもって分からなかった。加えて時間もあまりなかった。りっちゃんと相談し合った結果、ボールペンであれば消耗品ということで、使う機会がないとしても、一本や二本増えたところで、困り果てるものでもないだろうとの意見が一致した。二人は無難に喜んでくれたように思う。
それから、りっちゃんと私でプレゼントを交換した。二人でソファに座ると、りっちゃんがドヤ顔で先に開けるべしと言ったので、私から先に開封した。
出てきた物は、――鬼だった。
鬼の顔を埋め込んだ真っ赤な塗装の陶器、頭頂部に大穴、人間でいう耳の辺りに取っ手があるこれは、そう、マグカップだ。鬼の起伏ある顔面に合わせた凹凸が、真っ白な目玉と牙をより目立たせる。飲みづら。物理的にも精神的にも。
だが、りっちゃんらしい。私はくつくつと笑いながら感想を呟いた。
「いかついな」
「ずま吉に似てるだろ?」
「どこが?」
「今の顔とか」
「失敬な」
「あとは赤いからな! クリスマス感あるだろ?」
「赤にも仕事を選ぶ権利はある」
ケラケラと笑いながら、りっちゃんが私の選んだプレゼントを開けた。
中身を取り出したりっちゃんは、きょとんとした。
「なんだこれは……本? の割に重さが――ん?」
正体は、英語の辞書を装った金庫だ。私も赤を選んでいる時点で、りっちゃんのことは言えない……。
「ああ! 金庫か! なるほどずま吉、お主も悪よのう。けけけ」
「お代官様ほどじゃあアーリませんヨ」
「なーんだ、中は空ジャアないカ!」
「オー見えないのか、愛が詰まっているのサ」
「うわお! ワンダホー!」
私とりっちゃんは顔を見合わせると、二人揃ってガハハハハと大笑いをした。