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2-3


 リビングに戻ると、羽山さんと机を挟んで座った。先程と同じ席だ。

 すると座ったばかりであるのに、羽山さんは立ち上がった。


「あ。お腹すいたでしょ? 変な時間だけど、お昼食べよう。作るから。梓真ちゃんも食べてないよね?」


 言われてみれば、腹の小人は空腹の嘆きを今にも叫び出しそうだった。グルグルゴロゴロと雷鳴の儀を行うかもしれない。

 羽山さんは冷蔵庫へ向かっていた。


「はい、食べてないですが、え……と、よろしいんですか。そんな、何から何まで。お話が終わればすぐに帰りますし」

「いいのいいの。って言っても冷凍しかないんだけど。何が良い? トマトパスタか、ほうれん草とベーコンのパスタ、たらこパスタ、ミートスパ、ナポリタン、ジェノベーゼ、チーズカルボナーラ……ならあるけど」


 それは冷凍パスタしかない、と言うべきではないだろうか。羽山さんはパスタが好きなのか、冷凍食品の中ではパスタに魅力があるのか。

 ところで、羽山さんが料理までできてしまっては、そろそろ天を呪わねばなるまいか、と思っていたが安心した。大丈夫、羽山さんも人の子だ。

 どの企業のものかは知らないが、どこでも一番無難なのはミートスパゲッティだろうか。


「では、ミートスパをお願いしたいです。すみません、ありがとうございます」

「よし、梓真ちゃん。私の前では『すみません』禁止ね。じゃ、しばらく待っといて」

「は、はい」


 言うが早いか、バリバリと袋の破ける音が聞こえた。

 私は言われるがまま、少しそわそわしながら待った。なんとなく、落ち着かない。

 しばらく経ったが、「待て」ができずに、私はキッチンを覗いた。


「あの……何かお手伝いできることは――」

「うーん、これ待つしかやることないんだよね。あ、飲み物何か……紅茶とコーヒーしかなかったな……。ん、じゃあ、お湯はポットに……なかったんだった、そういえば。お湯、いる?」

「いえ、私は特に。羽山さんがご入り用でしたら、是非」

「ん~じゃあ頼もうかな。確かさっき使って……そうそれ。水はこれをこうすれば。うん。あとはここを捻って、そこスイッチ押して。そうそう。沸騰したらおっけ」


 ケトルの水が沸騰したころ、パスタも出揃った。

 遅い昼食会が始まった。



 何度か「後で話す」と聞いていたので、羽山さんが話し始めるのを待っていたが、食べ終えるまでは互いに無言だった。それでも気まずさは感じなかった。

 その間に考えていたことといえば、虫が苦手なのにこんな場所に別荘を建てるなんて変な人だな、というような、都合良く言い換えれば、羽山さんのことばかりだった。

 食器を片付けた後、羽山さんは落ち着いた様子で語り始めた。


「本当はね、最初から自分でここに住むつもりだったんだ。でも住もうと思ってた時期の、少し前ぐらいかな、段々忙しくなり始めて。仕事の都合で、ここまで来るのが無理だったんだよね。それで、ホテル暮らしが多くなって。そのうち、向こうにマンション借りた方が早いな、ってなって。で、今もそこで住んでるんだけど、ずっとここのことが気掛かりで。何て言うのかな……この家がずっと空っぽなのが、なんだか辛くて。誰かに住んでいてほしかったんだ。」


 私は羽山さんが経緯を話しているというよりも、とても大切なもの、それゆえに気掛かりだったことの話をしているのだと感じていた。

 切り替えるように、明るい調子で羽山さんは続けた。


「そうだ、あとで話し合おうと思うけど、前の条件にプラス、お給料も払うから。それでね、私はここを、好きな人で集まる場所にしたかった。色んな人を呼んで、ここに泊まっていってもらうようにしたかった。それにはまず、私が住まないと始まらないわけだけど、でも当分難しいのは分かってたから。だから、今はとりあえず、この家を空っぽにしないで済むように、ずっと人を探してた。それで、梓真ちゃんを見つけた」


 予想していたことが当たったことに少しだけ驚いた。やはり羽山さんはここで誰かに住んでいてほしかっただけということだ。私が警戒心を剥き出しにしていたからこそ、羽山さんはあえて節制という、自分の利点を引き出したのだろう。だが実際に別荘を目にすれば、その言葉がいかに不必要か分かる。斯様な別荘で必要とされる単語ではない。

 問題は詰まるところなぜ「私」であるのか。簡単な話、候補として真っ先に思い浮かぶのは家族だろう。だが、家族こそ色々と事情があるので、対象外になるのは分かる。特に現在家族のいない私などが最たる例で、そしてそれは容易に踏み込める話ではない。

 となると次に思い浮かぶのは家族になる可能性のある人、もしくは友人、さらに遠くには知り合いなど、私以外の誰かはいるはずだ。例えば羽山さんが口にした「好きな人」など、候補に上がってもおかしくはないだろう。それが一体どの程度の好きで、どういう立場の誰なのかは分からないが、「家族になる可能性のある人」でないとは言い切れない。


「その……なぜそこで私なのですか。ご友人であるとか、他にも人はいらしたでしょう。どうして今日会ったばかりの私なのです?」

「こういうのって、下手に知り合いとかの方が面倒なこともあるんだよね。そうなると赤の他人と契約した方が楽なんだけど……、梓真ちゃんが言いたいのは、それでもなぜ『自分を選んだのか』だよね? うーん……多分、言っても信じてもらえないんじゃないかな」

「では、私が信じない前提でお話しください。どんな話であっても私は絶対信じません」

「……はは、まいったな」


 羽山さんは観念したように笑った。その顔がどこか寂し気で、胸が痛くなった。


「私、宇宙人なんだ」


 ――ピッ、チュピピピ、チュ、チュピピピピ、ピッ。

 うむ、鳥の鳴き声がよく聞こえる。いい天気だ。

 ……さて、何の話だったか。

 そうだ、羽山さんは銀河M88視察担当、第七丸三艦隊司令官として出航、調査の後、帰還せんと銀河を渡る。しかし、突如発生した時空のひずみを回避できず、太陽系へ漂着した。そこにはかつて見た地球、青い惑星の姿はなく、燃え滾る灼熱の星、赤色巨星があった。

 司令官の瞳は、燃える星を――違う、羽山さんは、真っ直ぐ私を見ていた。こちらが現実なのだ。世の中に完璧な人などいないのだから、羽山さんのような人は、脳の作りが独特なぐらいで釣り合いがとれるのだろうさ。羽山さんが宇宙人……ねぇ。


「……地球外生命体の?」

「そう。正確にはこの地球外、なんだけど」


 地球外来返答だ。羽山さんは人の子だと思った途端に、本人から違うと言われるとは。そんなフラグってあるのか。


「で、その……、羽山さんが宇宙人だとして、私とどんな因果が?」

「私、『占い』って言ったよね? あれ、占いじゃなくて、――、その、現在……現代語でうまく言えないんだけど、マシン、これが近いかな、ま、とあるマシンがあるんだけど、それで調べたんだよ。それで自分の好きな条件を入れて、人を絞り込むことができる。そこに残った中の一人が梓真ちゃん」

「エッ、なんですかそれ」

「だからうまく言えないんだって」


 「人」を検索することができる? すごい機械だな。例えばこれから先、もっと個人情報が統一され、ナンバリングされてデータ管理されるようになって……となれば分からないでもない。だが現在、各人体にマイクロチップが埋められているわけでもない、「ただの人」にそれが適用できるというのか。宇宙の文明の利器、気になる。


「で、その候補の中でなぜ私を?」

「ん……それもちょっと別の意味で言いにくいんだけど……、えっと、気を悪くしないでね? 架空、架空の話だから」

「はい」

「その中で唯一、一番早い確定死が記されてたのが梓真ちゃんだった」

「カクテイシ?」

「確定的な死。何事もなければ確実にその日、記された時間、場所、状況で、人としての死を迎えること。でも、それも名前の割に曖昧でね。感覚としては合格通知とか、ああいうのに近いかな。取り消そうと思えば、幾らでも方法はある。ただし、現代人にそれを通知する手段はない」

「え、でも今、この会話は……」

「過ぎたからね。具体的な内容も言ってないし。それから、普通の宇宙人……っていうのも変な話だろうけど、普通は知らないから。私はとあるツテがあるから知ってるだけで」

「それが『好きな人』だと」

「そう、よく分かったね。そのマシンも、普通は存在自体大っぴらにはされてない」

「羽山さん、本当に一体何者なんですか」

「私がすごいんじゃなくて、その人がすごいだけなんだけどね」

「それでその『確定死』がなぜ決め手になったんですか?」


 羽山さんの瞳は揺らいだ。


「本当は決めていなかった。迷ってたんだ。残った候補は数人だし、せめてどんな子かだけでも実際に会って確認してみようと思った。そうなると当然、死の近い人から状態を確認するでしょ? でも確定死を覆して良いものなのか、覆せるものなのか、悩んでた。それでギリギリまで、今日まで考えてた。事前に会って、話をして、もし情が湧いて、確定死を回避できなかったら、どうすれば良いのか分からなくなる。だから、今日、ギリギリになって梓真ちゃんに近付いた」

「…………」

「背中でも分かった。この子がそうだ、と思った。赤信号で一番前に並んでて。少し斜め後ろにいた。こんな直前に姿を見ただけで、このままじゃ死ぬと分かっている人を見るのが、あんなにも辛いとは思ってなかった。事前に会わなくて正解だった。そう思った矢先、まるで見えない力が背中を押したみたいに、梓真ちゃんが急に倒れ込んだ。私は焦った。車はすごいスピードで近付いてくる。この状況、このままで、数秒もしないうちに死ぬ、それが分かって、知って、今咄嗟に動けるのは自分だけだ、そう思ったら、いつの間にか梓真ちゃんを思いっきり引っ張ってた。目の前で誰かが死ぬ瞬間を見ることができなかった」

「いいです、羽山さん。もう、いいです」

「私、自分のことしか考えてなくて。結局、自分の寝覚めが悪いからって、それだけで。目の前で死なれちゃ困るって。だからね、梓真ちゃん。アタシは、わたしは、今梓真ちゃんが生きてくれてるだけで、もの凄く嬉しい。梓真ちゃんが死ななくて良かったって。目の前で笑ってくれて良かったって、本当に、心から――」

「いいです、もう、良いんです、羽山さん」


 私は笑みを湛えながら、羽山さんの話を制止した。

 今の話がたとえ嘘でも、妄想でも、思い込みでも、羽山さんが恩人であることに変わりはない。だから私は、羽山さんのために生きよう。


「自分のことしか考えていないのは、私の方こそ、ですから。私は、今こうして生きていますから。ピンピンしてます。羽山さんに出会えて、それだけでもう救われました。今死んでも悔いはないくらい、最高の出会いです。でも、羽山さんに助けていただいた命ですから、決してすぐに死んだりはしません。誓います。その上こうして、綺麗な別荘に住まわせていただけるのですから。これ以上必要なものはありません」

「ありがとう……梓真ちゃん。生きててくれて、本当にありがとう」


 何かが込み上げてきそうになった。

 轢かれる予定だったのが私でなくとも、羽山さんは同じことをして、同じことを言ったのだろう。偶然が重なり、それが私となった。今ここに居るのは、私でなくとも良かった。それでも、それでも私は、何かを許してもらえたような気がした。それは存在なのか、過ちなのか、不明瞭だが、確かにあった氷塊は、とけて流れ出ていった。


「私の方こそ、ありがとうございます。助けていただいて、住む所まで用意していただいて、感謝に堪えません。奢ってもいただきましたし、食事もいただいて、本当に、ありがとうございます」


 くしゃくしゃな顔をして、私達は笑いあった。



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