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 一言断りを入れ、門の内側へと足を踏み入れた。

 昂然と建つ別荘を見上げ、思わず溜め息が漏れた。その佇まいに一種の畏怖さえ感じるのは、自分が怖気付いているとでもいうのか。

 いいや、迫り上がる高揚は、対象を臨むべき場所として定めた。対峙する存在を侮り、足元を掬われることを思えば、恐れは必要な感情だ。

 後ろから声が掛かった。


「先に外から見るか? 庭もあるんだが」


 確認を焦る必要はない。自ら飛び込んで失態を犯すよりは、彼女の采配に従おう。


「梓真さんに付いていくよ」

「そうか。では一先ずその荷物を置いた方が良いだろう。中に入ろう」


 彼女は喋りながらこちらを一瞥して追い抜き、玄関の解錠をした。

 そして自分は彼女の言葉で、手土産の存在を思い出した。握っていたのは洋菓子の入った小さな紙袋だ。彼女は甘い物が苦手ではないと判明しているので、問題ないだろう。苦手でない限りは、選択の幅を狭められることはないので楽でありがたい。


「ああ、これ。手土産です。どうぞ」


 差し出せば、振り返った彼女はきょとんとしていた。表情を変えぬまま、半ば自動的に反応したような口調で言った。


「え?……あ、ああ。わざわざ、悪いな。ありがとう」


 礼を口にしながらも、彼女は一度あらぬ方向に目をやって眉を歪め、その後瞬時に真顔へ戻して受け取った。

 ……一体何を考えていたのだろう。何となく、自分には都合の悪そうな内容である気がした。

 だからだろうか、悪意ではないのだと、まるで言い訳のように説明をしていた。


「梓真さんの好みが分からなかったから、洋菓子のアソート。あと梓真さんだけって聞いたから一番小さいタイプのにした」


 僕が近付くのは、彼女にとっては悪意かもしれない。そして僕にとっても彼女や、羽山の存在もまた、悪意だ。それなのに、自分が近付く理由が悪意なのだと思われるのは、状況として不利になるからという以前に、心情として、なぜか想定したくなかった。

 彼女は同じように怪訝な、変なものを見る顔をした。


「お菓子……」

「あ、洋菓子苦手だった?」

「いいや、大好きだ。ありがとう」


 そう言って彼女が柔らかに微笑んだ。

 その顔に一瞬、何も考えられなくなった。最後まで見逃すまいと、ただじっと見ていることしかできなかった。

 束の間、一層の静けさが場を支配していた。


「……なんだその顔は」


 打って変わって、不審なものを見る目で彼女はこちらに問うた。

 ――自分の愚かさを憎んだ。

 慌てて、繕うようにそれらしい理由を告げた。


「い、いや。険しい顔してたし、ダメだったのかな、と思ってたら、その、予想外の言葉だったから」


 口にしながら、それが真実だったのかもしれないと思った。予想はできなかった、だから動揺した、それだけのことだろう。


「私だって謝礼ぐらい言うさ」

「いや……うん。そうか。うん」


 彼女の行動は予想も、そして理解もできない。いつも真顔だとか、怪訝な顔をしているからといって、ちょっと微笑んで礼を告げられた程度で、こんなに、動揺してるだなんて馬鹿みたいだ。本当に。

 僕が術中に嵌めるのではなく嵌められるのであれば、そんな愚かな話はない。

 彼女はドアを開け、もう一度こちらを見た。


「とりあえず、中へ。どうぞ」

「ああ、うん。お邪魔します」




 広い玄関を抜けると、リビングに通された。

 大きなガラス張りの戸が開放感を出す、シンプルだが上質な空間だ。

 歩いて内装を把握した。リビングは一際広く、そのままの感想を告げた。ここは実家よりも広い。この場所に、彼女は一人で住んでいるのか。……自分ならば耐えられないかもしれない。ある種尊敬の念を抱いた。

 どこも、見ただけでは不審な点はなく、本当にただの洒落たリビングだった。普通に考えて、他人が見えるような場所に重要な情報を置いているはずはない。しかし情報が秘されていそうな場所は、機会が訪れたときに確認できるよう、当たりを付けておかなければ。


「そこにコートハンガーがあるので使ってくれ」


 遠方から彼女の指示を受けた。反対する理由もないので「了解」と告げ、素直に従った。

 荷を預けると、ふらりとガラス戸の方へ向かった。なぜだろう、庭を見ていると胸騒ぎに似た、妙な感覚が呼び寄せられた。

 何か……何かが似ているのか、違う。どこか、いやこの感覚は一体何だ。胸の奥底で何かが渦巻き始めたような、酷く心を乱される何かが……違う、違う。その栓を抜いてはならないのだと――。

 彼女が、こちらへとやってくる足音で、意識が現状に向いた。調子を戻すために、返ってくる答えの分かり切った質問をした。


「向こうが庭なんだね?」

「そうだ」

「この庭の手入れも梓真さんが?」

「いやいや、さすがにそれは。雑草を抜いたりはするが、芸術に素人が手を出してはいかんだろう」

「ふうん、なるほど」


 芸術、か。そういう表現をするタイプだとは思わなかった。


「デッキに出るならそこの外履きを利用してくれ。なお、その外履きはデッキ限定だ。厳守してくれ」


 そう言って彼女は、ガラス戸の向こう側に置いてあったスリッパを指差した。示した物を確認した後、彼女の方を向いた。

 「厳守」ということは何か明確な規則が存在しているのか。彼女と羽山の関係は一体何だ?


「破ったらどうなるの?」

「私がこの家を追い出される」

「えっ」


 やはり規約を結んだ関係性なのか。ならば赤の他人、羽山にとって彼女を囲う利益は。


「――というのは言い過ぎかもしれんが、似たようなものだ。羽山さんの指示は絶対だ。管理人として規則違反は見過ごせない」

「厳格だね」


 ……管理人。この別荘の管理を彼女に託していると? ただの高校生だろう? たった一人で? 彼女に特別な技術があるのか?

 彼女は否定するように首を振った。


「遵守しているだけだ。理不尽な条文があるわけでもなし、気を付けるべきところだけ気を付ければ良いだけのこと」

「はは、なるほどね。梓真さんの考え方がよく分かったよ」


 彼女は、規則や効率は優先するようだ。ならば優先度の低いものは感情、か? だが不快は優先しているようにも思える。やはり感情の細分化を進めていかなければ。

 できるだけ様々な感情を導き出せることが望ましいが、果たして、できるのだろうか。彼女はもはやどの感情が出現するのか、そしてどの感情なのか、見極めるのも骨が折れる。

 困難であればこそ、立ち向かうに相応しい。笑って、次の目的地を尋ねる。


「外は後で見させてもらっても良いかな?」

「分かった。では次はキッチンだ。この奥にある」


 彼女に従い、キッチンへと向かった。途中、机の上に見えたのは漫画のようだった。直前まで読んでいたのだろうか。

 彼女が漫画を読むというのは意外だったが、表紙に大きく鍋料理の絵が描かれていたので料理漫画なのだろう。以前質問に回答は貰えなかったが、レシピに加え、漫画ででも読んでいるとなれば、相当な料理好きなのだろうか。共通の趣味として話題にできれば良いのだけれど。

 向かったキッチンはリビングと地続きで、こちらも機能から考えれば十二分な余裕のある空間だった。

 見当たる家電はどれも新調されたように綺麗な状態で、よく見れば使用されているのは分かるが、ほとんど使われていないようにも思えるほどだった。そしてシンプルで洒落たデザインかつ、落ち着いた色合いのもので統一されていた。だからこそ、その調和を乱すような、マグネットで冷蔵庫へ雑に貼られたメモに目を引かれた。

 まるで暗号かと思うほど読み取りに労を要する。内容自体は日常の覚え書きのようだが、以前見た彼女の字との違いに驚きを禁じ得ない。あの字は、彼女の中ではとても丁寧に書かれたものだったのだと知った。その事実に僅かでも浮かぶこのむず痒い感情は……愉快、なのだろうか。

 ふと彼女を見れば、腕を組んでこちらをじっと見ていたので、思わず「良い冷蔵庫だね」と言った。冷蔵庫が冷蔵庫の質として良いのは間違いないし、ユニークな情報を得られたという意味でも良い冷蔵庫だった。と、なぜそんな言い訳をわざわざ考えているのか。

 彼女は何も言わず、ただこちらを見ているだけなので少々居心地が悪い。誤魔化すように見学を続ければ、コンロで話の手掛かりを見つけた。

 料理をする身としてはコンロの汚れというものは気になるのだが、その汚れが全く見当たらない。今はIHだからまだ手入れはしやすいが実家はガスだった。やはり彼女には特殊な技術か何かがあるのだろうか。


「へえ、綺麗だね。新品同様だ。使われた形跡が一切見えない。どうやって掃除してるの?」


 言って彼女を振り返ると、その形相に内心怯んで後退した。眼差しの鋭さは先程の比ではない。明らかにその目には怒りが込められていた。

 そ、そんなに怒らせるようなことを言っただろうか。彼女は分からない。思わず自らの心情が漏れた。


「……そんなに睨まないでくれるかな」


 彼女は変わらぬ表情のまま、苦々しさを含ませて言った。


「ご慧眼のとおり一切使用しておりませんので。汚れていなくて当然でございますとも」


 一瞬、理解に時間を要した。

 ……なるほど。誤解があったようだ。自分は彼女が料理をするものと思い込んでいたが、どうやら事実は違うらしい。

 とにかく原因が誤解だっただけなのなら、問題はない。安心して、笑いが滲んだ。


「ああ、はは。そういうことか。ごめんごめん、皮肉のつもりはなかったんだけど。てっきり梓真さんは普段から料理してるのかと思ってたから」


 僕が弁解をすれば、ようやく彼女の表情からは険が取れたが、今度は怪訝な顔をした。


「どこからそんな飛躍した思い込みが」


 ……飛躍していただろうか?

 こちらは先程見掛けた料理漫画を指し示した。


「だっていつも料理の本を読んでるし、そこにも料理の漫画があるし。料理好きなのかなって」


 彼女はこちらが指し示した先を見ると、一変して目と顎を開いた。面白い顔だな。


「ゲッ」

「ゲッって」


 そして少し視線を彷徨わせると、慌てたように彼女はこちらを非難した。


「な、何で私が読んでる本を知ってるんだ、大体なんだ貴様、ことあるごとに料理料理と、料理に一体何の因縁がある」

「貴様……」


 僕が呟けば、彼女は「あっ」という顔をした。声がなかったのが不思議なくらい、「あ」という文字の似合う表情だった。

 もしかして彼女は、先程も名字ではなく貴様と呼ぼうとしていたのだろうか……。まさか彼女の心中では貴様と呼ばれているのか……?

 彼女は右手を上げて、顔を逸らした。


「――失敬。悪意はない」


 ころころと表情や態度を変える彼女が面白かった。先程まで一貫して無表情だったのが嘘のようだ。

 動揺をしているのか、これが彼女の素なのか。どちらにせよ、難攻不落の要塞というわけでもなさそうだ。突破口の手掛かりを見つけた。

 もう少し様子を見てみようか。


「日常で貴様って言う人初めて聞いたよ」

「……すまん。私が悪かった」


 彼女は謝ったものの、すぐに言い訳を付け足した。


「だが、あれだ、貴様はほら、昔は尊敬の意があったと言うじゃないか?」


 慌てて言い繕おうとする彼女に思わず笑った。彼女の攻略法が分かったのなら、それは喜ぶべきことであって、面白おかしくて笑う、というものではない。それなのに彼女の言い訳も、自分が言い訳をされていることも、妙に面白かった。貴重な姿だからだろうか。


「その場合のアクセントは『き』に付けた方が良いんじゃないかな? それに言葉の意味そのものより、本人がどういう意思で使ってるかの方が大事だと思うけど。それと、本に関しては梓真さんが読んでるときに中が見えたから。不快にしたなら、それはごめん。料理のことを聞くのは、共通の趣味があるのかと思って」


 こちらも言い訳をすれば、彼女は不思議そうな顔をした。


「共通の趣味?」

「料理が好きなんだ」

「エ゛ッ」


 僕はこれまで聞いたこともないような音を聞いた。


「どこから出たのその声」


 こちらが思わず問えば、彼女は質問には答えずに、独り言のようだがはっきりと言った。


「なんだそれ。腹立つなあ……腹立つ」

「え、なんで」


 彼女の言う「それ」とは、僕の言った「料理が好き」という点についてだろうか。なぜ僕が料理が好きであると、彼女に腹立たれるのだろう。


「貴様に賎民の気持ちが分かるまい。……失礼、うっかり本心が。次は和室を紹介しよう」


 言い終えれば、すぐに彼女は次の目的地へ歩き出した。こちらは後を追いながら不思議に思った。

 賎民? 彼女は自らが賎民であるとの意識があるのか。変な人だな、こんな所に住んでいるのに。いや、彼女は管理人、なのか。ならば以前は全く違った暮らしだったのかもしれない。しかし管理人に選ばれたのであれば……いや経緯は分からないので、今はそれよりも彼女が「本心」を言ったという点に着目するべきだ。


「はいはい。僕としては少し心を開いてくれたみたいで嬉しいけど」

「はあ。恥ずかし気もなくよくそんな台詞が出てくるものだ。鳥肌が出そうだ」

「貴様もなかなか出てこないよね」


 彼女は舌打ちをしそうな表情で一瞬こちらを睨んだが、すぐに前を向いて歩き続けていた。

 これはそろそろ嫌われていると思っても大丈夫だろうか。良い傾向だ。彼女の関心がこちらに向いているのであれば。



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