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 彼女の反応が、全くわけが分からなくて、とにかく話を続けるべきだと判断した。冗談だと告げれば、彼女の発言と同時だった。思わず聞き返せば、言葉の代わりに返ってきたのは彼女の鞄だった。

 反射的に受け取ったが、これはどういうことか。


「ではこれを持ってあちらの席に移動してください」


 ……何が起きているのか。コミュニケーションが順当でない。つまり彼女の意図は、……よほど離れてほしいらしい。

 しかしそういう態度を取られると、こちらも多少ムキになるというべきか、率直に不服だ。返答も貰えていないわけだし。

 彼女はこちらを見つめた。


「鞄だけでは心許ないですか? 他にも何か?」


 自分のペースを乱されて、動揺しているようではダメだと理解しているはず。冷静に、会話を続けなくては。


「いや、だから冗談だよ。さっき、何て言ったの?」

「先程の表情が素晴らしかったと、申し上げたのです」

「え? どういうこと?」

「言葉どおりの意味です」


 わけが分からない。表情が? 素晴らしい?

 彼女は日本語を話しているはずなのに、未知の言語を耳にしているようだった。

 彼女を見るに、嘘でも世辞でもないようで、ならばなぜそんなことを言うのか。僕に対して無関心なのではないのか? 警戒している相手ではないのか? 戸惑いばかり生まれる。

 これが、彼女の持つトリックなのか? いずれも不可解なことを放ち、相手が戸惑っている間にその場を去る。そういう手口を常習的に使用しているのか。なるほど、ならば彼女は、敢えて不可解なことを言っている。それに惑わされてはならない。己をしっかり持たなければ。

 彼女は思っていた以上に手強い。自分は舐めていた。

 預けられた鞄を向かいの座席に置いて、即座に彼女の隣へ戻った。まだ、逃げられては困る。

 すると彼女はこちらを睨んだ。彼女の手口に惑わされてなるものか。自らの意志を笑みに変えた。

 目には目を、ならばこちらも同じく、不可解な言葉を。立ち向かうべく、彼女に体を向けた。


「梓真さん。僕と友達になる?」


 彼女は片眉を上げたがすぐに戻した。


「状況として無理、心情として無理です」


 また「無理」なのか。


「どうして?」

「ご自身でお考えください。秀才と伺いましたが?」


 その物言いに少し腹が立って、子供じみたことを調子を変えずに言った。


「別に? 普通だよ? やるべきことをやってるだけで。けど、友達になれない状況って分からないなぁ。会ったこともなく、意思疎通をしたこともない人なら、なれないかもしれないね? でも梓真さんは目の前にいて、こうして会話もしてるし……あとは何が問題あるんだろう?」


 彼女は目を細めてこちらを見た。しばらくの沈黙が降りた。すると彼女はこれまでの姿を捨てるように、姿勢を切り替えた。


「分かりました。私と貴方は友達です。今日限りの友達です。明日以降は友達ではありませんので、事務連絡以外はしません。以上」


 へえ、そんなに簡単に承諾するのか。ここには気にするべき世間体もないだろうに。彼女を切り替える引き金はどこだ? 何の基準をもってして態度を変える?

 しかし、了解は得たのだから、有効活用させてもらおうか。


「ふーん? じゃあ今日限りでも友達なら、敬語では喋らないよね」


 彼女は口の端で笑った。


「よし。じゃあお前はあっちに座れ。狭い、邪魔だ、鬱陶しい」

「お前……」


 あまりの変わりように、碌な言葉が出なかった。口の悪さ以前に、何の飾りもない言葉が本心なのだと理解し、衝撃を受けていた。僕には狭いと感じさせるほどの体積はない。至って標準的な体重だ。邪魔だなんて、僕が思いこそすれ言われたことなどないし、あまつさえ鬱陶しいなど、誰一人として……。

 彼女は顔を顰める。


「なんだ、何が言いたい」

「鬱陶しい……」

「嫌なら今すぐにでも友達をやめよう」


 そういうことじゃない。だがそれどころじゃない。

 彼女の言葉でこれほど精神的衝撃を受けているようではいけない。分かっているのに。自分の精神なかみがボロボロに砕かれたようだった。

 踏み込んだ結果、踏んだのは地雷だったのか。


「それが友達への態度なの?」

「大丈夫だ。今日さえ我慢すれば友達じゃない」


 彼女は綺麗に微笑んだ。ようやく見た微笑みが、このような形でだったとは。しかし彼女の意図を理解して、落胆がまさった。

 つまり彼女は、こちらから友達をやめようと切り出させる計画を一瞬にて作り上げ、露悪的に振る舞った。彼女の行き着く先と、それに向かう経路の変更、その切り替えの早さに脱帽する。

 思わず溜め息が出ていた。


「梓真さんが君主になれば暴君になりそうだね」

「それも大丈夫だ。私は賎民となり、君のような主を恨みながら、日々寝首を掻くことばかり考えて生きているのが精々さ」


 彼女であれば、確実になしとげるかもしれない。そう思えばこそ、目の前で満足そうに微笑む彼女が恐ろしかった。


「それは怖いなぁ……」

「そうだろうそうだろう。実行されたくなければあちらの席に座ると良い」


 にこやかに言い放つ彼女の言葉を噛み砕いた。ここまで来ると、逃走経路の確保以前に、純粋な本心のように思える。つまりそれほどに彼女にとって、自分が隣にいることがストレスなのだろうか。それは即ち嫌われていると判断しても良いのか。

 しかしやはり「嫌われている」以前の問題のようにも思える。


「そんなに隣がイヤ?」

「そうだな」


 そこで僕は対面の席へと戻った。

 嫌われるためには居続けるのも有効的な手段だが、単純に「嫌なことをされるので嫌いになる」という関心の在り方では僕の意にそぐわない。身体を経由するストレスと、精神に直接受けるストレスのうち、身体から得るストレスは補助としての役割で良い。あくまで主軸は精神的ストレスが望ましいのだ。有効的で、何よりも証拠には残り辛い。

 彼女から今後の方針について確認があったので、了解すれば彼女は流れで言った。


「では他に何かあるか?」


 僕は思わず笑った。彼女は警戒心があるのかないのか分からない。

 灯台下暗しというものだろうか。きっと警戒はしているが、警戒しているところと、していないところの落差が激しい。そしてその差に相手は戸惑いを覚えるのだろう。裏門には驚くほどの警備兵がいるのに、正門に人一人いないような。

 ならば警備が手薄なところさえ分かってしまえば、あとはそこを攻めればそれで終わる。意外と簡単かもしれない。

 今はとにかく、先程までの傾向から鑑みて、彼女に精神的負荷が見込めることを言えば良い。


「じゃあ、本日限りの友達さん。明日以降も友達であれる条件は何?」


 しかし彼女は真顔だった。外を確認している。逃走経路を把握しているのか。


「ん? そんなものはない」


 少しは彼女がどういう人間なのかを掴めたかと思ったのだが、思い込みだっただろうか。いや、当初に比べれば、多少は掴めただろう。今回は逃げられても良しとするか。

 しかし本当に「少し」でも掴めたのか。掴めた気でいて、結局は雲を手にしていたという状況でも不思議はない。彼女は、分からない。

 ……何が分からないのかさえも分からなくなったような気がしてきた。


「今日は友達なのに、なぜ明日以降は友達じゃないの?」

「理由はない」

「友達って期限があるものだっけ」


 僕が執拗に尋ねれば、彼女は憐憫の眼差しを向けた。


「……君、他に友達がいないのか? ああ、そうか。そんな風にしつこい性格ならできそうにないか」


 嫌味を言われたことで広角が上がる。これは僅かでも進んでいる証であるはず。


「そうだよ。僕はしつこいからね。納得できるまで君を追い詰める」


 彼女は真顔のままこちらを見ていた。

 もう少し踏み込めばどうなるのだろうか。いつの間にか頬杖をついたまま彼女に尋ねた。


「さあ、僕が納得できる理由を話してごらん」


 すると彼女は大きく溜め息をついたが、どこか笑っているようにも見えた。

 笑いたくなるほど、くだらないやり取りだということは分かっている。


「あーあー、分かった。明日以降も偽りの友達さ。無理やりなったところで、何の意味があるのかは知らんがな。君は本当に友達はいないのか? そちらこそ納得のいく回答を頼むぞ」

「いるよ。それなりにね」

「へえ。良かったじゃないか。なら私一人減ったところで、どうということはないだろう?」


 貴女を他の奴らと一緒にしないでほしい。有益な情報を持っているのは、貴女だけなのだから。違う、言うべき言葉はもっと簡潔なものだ。


「梓真さんは特別だよ」

「ふん。そりゃ羽山さんの橋渡しはそうそういないからな」


 ……彼女はやはり勘付いているのか? 僕が求めている情報を、何を望んでいるのかを。

 いや、まだ具体的には分かっていないはずだし、知れたところでこちらがやるべきことは何も変わらない。しかし僕が彼女個人を気に掛けているのだ、という印象は与えていて損はない。


「はは、そういうことにしとこうか」


 彼女は何の反応もなく、真顔でこちらを見つめるだけだった。そして唐突に全く違う話を始めた。


「ところで、教室で会ったときの話なんだが。君は誰からの紹介もなく、一人で真っ直ぐ私の所を目指してきたな? 名前を間違える程度の認識であったにも関わらず、だ。これはどういう矛盾なんだろうな?」


 やはり出会いの演出は凝るべきだった。反省している。どこかの曲がり角で激突するべきだったのかもしれない。


「見たことない顔だったから、間違いないと思ったんだ。同じ学年の人は全員、顔と名前を覚えているからね。教室に入ったときに、こっちを向いたでしょ」

「では、同学年全員の顔と名前を覚えられるような記憶力の持ち主が、たったの六文字を覚えられなかったのか。自ら校舎を案内すると買って出ておきながら?」


 やはりわざと間違えていたことには気付いていたのか。しかしあの場で指摘しなかったのは、大衆がいる手前、下手に話が広がるのを恐れた。その状況を思い返せば愉快で笑った。

 大衆は僕の味方だ。これからも人前で声を掛けよう。


「噂で名前を聞いたから、東七瀬さんかと思ったんだ。先生に確認しておけば良かったよね、ごめん。そこまで傷付けてるとは思わなくて。案内を提案したときは、『転校生』が来るっていうのは聞いていたよ。だから会話の流れで、僕がしましょうかって言ったんだけど。でもその時に名前は教えて貰ってなかったかな。結局断られたしね」


 彼女は鋭くこちらを睨んだ。


「この顔で傷付いているように見えるなら、目を治療するか認識を更新した方が良い」


 内心驚いた。笑いそうになった、いや、笑っていた。

 目を治療する、かあ。ケッサクだなぁ。睨んでいるからといって、傷付いていない証明にはならない。表情と心中が必ずしも一致するとは限らないはずなのに。

 それとも彼女は全てが一致しているとでも? そうであれば愉快、不可解、痛快だ。


「そんなこと本当に言う人いるんだ。じゃあ、今のその顔はどういう顔?」


 彼女は面倒臭さの滲む真顔で、人差し指から順番に立てていった。


「では問題だ。次の三つの内から選べ。その一、バカらしい。その二、鬱陶しい。その三、面倒臭い」

「ああ、なるほど。全部だね」

「なんだ。分かってるじゃないか」

「説明されればね。ククッ」


 彼女は質問を投げ掛ける度に予想外の反応をくれる。それがたったの今日一日だけで、面白いと感じるようになっていた。彼女の表現は、素直なのだろうか。それとも捻くれているのだろうか。もしも二人の彼女がいて、質問する度にどちらが答えるのか分からないのなら、彼女は確かに愉快な人だ。

 中島の言葉を思い出す。「面白い子」で「あたしは好き」だと。僕も彼女を興味深く思う。そして彼女は僕をバカらしくて鬱陶しくて、面倒臭い奴だと思っている。

 そう思われていることが愉快だった。彼女は少しでもこちらに関心を持っている。そして僕をそう断じる人材は、信用できる。

 人生には予想外のスパイスがあるからこそ旨味が出る。

 彼女と過ごすのは、しばらくは飽きそうにないだろう。これからが、楽しみになってきた。僕はずっと声を漏らして笑っていた。


「さて、もう良いだろう。暗くなってきたし」


 業を煮やしたように、彼女は切り出した。笑っていた僕は反応が遅れた。

 気付けば彼女は、既に鞄も伝票も手にしていて、その姿を認識した頃にはもう会計に向かっていた。やっぱり逃げるのか。

 即座に追い掛ければ、彼女は会計を済ませていた。僕が支払うのは、自分のドリンクバー代だけだった。

 彼女はこちらを振り返って頭を下げた。――戻した顔に浮かぶ、あの勝ち誇ったかのような表情よ。


「では後日。さようなら」


 その表情に、なぜか惹かれる。

 彼女はすぐに店を出た。

 一瞬、何も考えずに彼女の背を見ていた。数歩先を歩く。あなたはいつもそうだった。


 ――いつも?


 対面したのは今日が初めてだから、確かにいつも横顔や後ろ姿しか碌に見ていなかったが、自分にしては妙な表現が浮かんだものだ。

 我に返ると会計を済ませて、慌てて彼女を追った。



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