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「私が彼の別荘に住んでいるとして、貴方とどういうご関係がお有りなのでしょうか」


 鋭い瞳に射抜かれることに達成感を覚え、同時に耐え難い辛さを持った。何か、認識を間違えているのか?

 関心であれば嫌われても良いと、思っていたはずだ。僅かであれ存在している己の弱さを唾棄する。


「関係はないよ。ただ興味があるだけ。気を悪くしたのなら謝るよ」


 すると彼女から温度が、関心が消えていった。

 安堵と同時に悔しさが渦巻く。たったの一瞬で、また道が遠のくというのか。何を間違えた?

 しかし彼女はこちらに一歩足を踏み入れた。


「ここでの話は口外しませんか?」


 温度のない顔は、どういう考えなのか、何一つ分からない。どうして。なぜ。なぜ話す気になったのか。

 警戒したかと思えば、すぐに興味をなくし、そのくせこちらに歩み寄ってきた。

 彼女は、何かがおかしい。到底理解できそうにない。

 しかしそれでも、僕はその山を登って行かなければならない。


「もちろん」


 僕は笑って頷いた。

 彼女は淡々と言葉を繋げていった。


「質問のとおり、私は羽山さんの別荘に住んでいます」


 なぜ彼女は話す気になったのだろう。彼女の思考回路は、参考にできそうな人物が思い当たらない。彼女が下した判断の前後関係を汲み取れない。


「そっか。梓真さんの他には誰が?」


 一人なのは既知の事実だが、噂により知ったという前提を貫くには必要な事項だろう。僅かであれ、一人でない可能性もあるにはあるのだし。もしも他に住人がいるのならば、そちらの対策も立てなければならない。


「いえ、一人で住んでいます」

「え、そうなの?」


 内容よりも、あっさりと告げたことに驚いた。事実であればこそ、もくしておくべき部分じゃないのか。彼女の警戒心は一体どこに向いているんだ?

 あれほど警戒しておきながら、なぜ信頼もしてない相手へ簡単に告げるのか。こちらは口外しないと承諾はしたが、本当にそれを言いふらされないかどうかの保証はない。それを微塵も想像しないのか?

 やはり彼女は何かがおかしい。感情と行動の辻褄が合わない。


「どうしてあの別荘に住んでるの?」

「そこまで話す必要がありますか?」


 かと思えばそこは伏せるのか。踏み込んで許されるところと、そうでないところの違いが分からない。彼女の境界線は一体どこで、どのように張られているのか。

 もう少し踏み込めば、理解できるだろうか。


「ないよ。ごめん、プライバシーだったね。でも普通、彼と出会うこともなければ、ましてや彼の別荘に住むことになる状況が分からなくてね。女性にも興味がないようだし、血縁者がいないから親戚のわけもないし。どうしてなのかなって」


 彼女は少し考える様子を見せた。


「ご両親もいらっしゃらないのですか?」


 今度は答えも線引きもない。


「うん、確か。正真正銘一人だったと思う」


 彼女は再び考えていた。

 同じようにこちらも思考していた。もっと踏み込むべきなのか、踏み込む方向を間違えているのか。まるで彼女との会話そのものが霧中を彷徨うようだ。

 何に警戒して、何に関心がなく、何であれば拒絶するのか。

 過去の質問を振り返る。彼女は、彼女自身の情報には無頓着なのだろうか。ならば彼女の個人的な情報を混ぜてみるべきか。

 あまり使いたくはない情報だが……試す価値はある。


「あ、もしかして梓真さんのご両親と仲が良いとか?」


 彼女は意外そうな顔はしたが、苦い顔や辛そうな顔はしなかった。


「いいえ」


 しかし語ることもなかった。わざわざこちらに教える情報でもないしな。そこは順当な対応かもしれない。

 ではどこを掘り進めるべきか。


「梓真さんと彼が仲良いの?」

「悪くはないと思います」

「じゃあ、彼から住んでみないかって言われたとか?」


 彼女は鼻から深い溜め息をついた。答えることなく黙々と机の上にあるものを胃に収めた。


「私は尋問を受けるためではなく、話を聞くために来たのですが。話が終わったのであれば、先に帰らせていただきます」


 ――質問をしすぎたか。

 彼女は合掌したかと思えば、鞄を持って立ち上がった。まだ逃げられては困る、何も収穫がない。思わず手を伸ばせば、伝票へと伸びる手を幸いとばかりに抑えこんだ。

 冷たい感覚に、動揺を覚える。


「あー待って待って。気を悪くしたならごめん。ね、分かった。もう一つ用件があるから」


 彼女は片眉を上げた。冷ややかな視線に見下ろされ、ゾクリとする。手のひらにある、滑らかな感触が――。

 何を……とにかく、引き止めるべきで。


「あ、ガトーショコラ、もう一つ食べる?」

「不要です。手を。……離していただけませんかね」


 離し難いと思うのは、彼女が逃げ出しそうだから。それとも、ようやく掴めたから、掴めたばかりだからか。

 渦巻いていきそうになる思考を笑って払いのけた。


「先に座ってくれる?」


 こちらを見下ろす彼女は目を細めた。彼女は無言で座るが、空気には「不愉快だ」と書かれていた。手洗いに行くと宣言するので、少し訝しんだが了承した。

 彼女を探る発言は一度取りやめるべきだ。ならば次の一手は。

 現時点ではとにかく突然の逃亡を阻止すべきで、方法ならば単純、彼女が座った後で自分が隣に座れば良い。片方は壁なので、逃走経路は完封したに等しい。残る上下への逃走を、実行することはないだろうし、したとして引き止めるのは容易だ。

 さて、隣に座るにはまず自分が立ち上がらなければならず、立ち上がっていて不自然でない口実は、ドリンクバーだ。それでは、追加で入れてくるとしようか。

 ドリンクバーからは出入り口の方が確認しやすい。彼女が帰っていく様子は見えない。たぶん彼女は人を騙すような人ではないだろう。

 そうして先程と同じものをそれぞれ入れて戻れば、帰っていた彼女は目を閉じて座っていた。彼女にも深く考えるべき点があるのか。考えさせてしまう余地を作ったのは、己の過失だ。有無を言わせずに全てを承諾してしまうような、出会いの演出をやはりしっかりと考えるべきだった。

 目を開いた彼女がこちらを見た。真っ直ぐでいて、静かな瞳と視線が会う。また少しだけ、動揺する。

 彼女の前にカップを置き、誤魔化すように答えの分かり切った問いを掛ける。


「抹茶ラテで良かったかな?」

「……ありがとう、ございます」


 上辺だけの、形式的な感謝の言葉が、なぜか心の端に沁みた。

 自らのカップも側に置き、彼女の隣へ座った。

 彼女はこちらを横目に見ながら言った。


逃げたり(・・・・)は致しませんが」


 ――帰り(・・)はするんでしょう?

 野暮なことは言わず、僕はただ笑って受け流した。

 彼女はこちらから僅かに距離を取り、カップを引き寄せ静かに嗜んだ。流れるような鼻筋が描く横顔に、ゆっくりと瞬きを繰り返す瞼は、とても穏やかな人柄を持つように見えた。……どうして、こんな感想が湧くのか。

 なぜかその横顔を、姿を、しばらく見ていた。

 異性とこんな距離になったことがないわけじゃない。むしろもっと密着するような距離を、向こうから詰めて来ることもあった。なのに今までに得たことのない、この感情は緊張、しているのか?

 ……時間の無駄であるはず。僕は話を進めるべきだ。


「本題はね、別荘の中が見たいんだ。つまりお邪魔させてもらえないかな? だからと言うべきか、梓真さんが羨ましくて。どういう経緯で住んでるのかなって気になって。ごめんね? 立ち入ったことを聞いて」


 彼女はこちらを見ることなく答えた。


「それは羽山さんに許可を得ないと分かりませんので。今ここで返事はできません」


 やはりあの別荘そのものに、何か情報が秘されているのか。彼女は何をどこまで知っているのだろうか。


「分かった、じゃあ結果の連絡が欲しいから、電話番号かアドレスか、あ、何かSNSやってる?」


 彼女はこちらを見て言った。


「いえ、携帯電話は所持していませんし、各種SNSもやっておりません」


 僕は目を見張った。そうか、その可能性を考慮していなかった。これは面倒だな。手元で済む話も全て、彼女と直接やり取りをしなければならない。煩わしい。

 この情報化社会でそんな人物がいると? だから難解なのか。それとも本当に持っていないのか。


「へえ、珍しいね。ポリシーか何か?」

「取り立てて必要ありませんので」

「ということは友達と遊びに行ったりとか、あんまり遠出とかしないんだ?」


 彼女はこちらを睨んだ。


「……そうですね」


 声の調子は変わりなかったが、交友関係はあまり探らない方が良いのか。やはり聞いて許されるところと、許されないところの違いがどこなのか分からない。

 しかし本当に通信機器がないのか? ならば羽山との連絡はどのようにして取っているのか。


「へえ。古風なんだね。それで、別荘には固定電話とかないの?」

「使用許可を得ておりません」


 情報機器の使用は厳格なのだろうか。電波の傍受を危惧しているのか。しかし彼に確認(・・)をするのならば、必ず羽山秀繕と七瀬梓真は何らかのやり取りが行われているはずだ。

 直接会っている様子は、彼女が現れてからは一度別荘ではあったようで、それ以外は確認がとれていないようだった。町や店で会っているのか、それとも公衆電話で、だろうか。しかし近辺で現存している場所があったか?

 邸内や周辺の状況を調べてみないことには、現状では判断できそうにない。僕は思わず唸っていた。


「それも許可がいるのか……。じゃあ学校だけだね。僕は大抵自分のクラスか、放課後なら生徒会室にも居ると思うから。結果が分かったら伝えに来てくれる?」

「それは……ちょっと、無理ですね。下駄箱ならなんとか処理できます。事前に鍵を開けていただければ良いですから。そこにメモを入れておきます。最悪、開いていなくても、紙程度なら隙間から差し込めるでしょうし」


 嫌がるだろう、とは多少想定していたが「無理」だとは。そして「処理」できる、と。やはり僕は彼女の中でそういう存在なのか。彼女の関心をこちらに向けることなど可能なのか。

 嫌がると分かっていることをわざわざ言いたくなった。


「会う方が早くない?」


 彼女はこちらを見ることなく、また鼻から小さく溜め息をついた。


「貴方と校内で接触したくないという意味で申し上げたんです」


 それは嫌われているということだろうか? しかし僕に関心があるようには思えない。どういう意味なのか。

 僕は眉を寄せていた。また、無意識で表情を動かしていた。こんなことではいけないのに。彼女の発言は想像し難い上に、意図を噛み砕くにも煩雑だ。かと思えばあまりに率直な表現もある。読み取りや分析、想定することが厄介で、全て手探りだ。


「それって……僕を嫌いになった?」

「貴方を嫌いか否かは無関係です。ただ、私は自分の安全を優先しているだけです」


 無関係? ということは内心では嫌っているのか? それとも無関心なままなのか。そして「安全」を意識するということは、彼女は危険を感じているということ。


「安全? 僕と話すことが危険ってこと?」

「左様です」


 僕個人と接触することで得られる危険とは。


「今梓真さんは危険なの?」

「我々以外の学校関係者がいれば、ですが」


 ……なるほど。ではやはり僕個人に対しては何の感情もないということか。彼女にとっては、関心を抱くほどの交流もなかったのは確かだ。ならばこれからもっと過干渉に、何度も接触を持とうとすれば、嫌でも関心が生まれるはず。

 つまり今は何の感情もない。


「じゃあ、僕のことが嫌いってわけではないんだね?」

「繰り返し聞かれると嫌いになるでしょうね」

「分かった。嫌いかどうか(・・・・・・)はもう聞かない」


 僕は姿勢を戻した、ことで前傾姿勢になっていたことに気付いた。自覚したそばから無意識で行動してしまうとは。いつからこんな行動を取っていたのか。彼女以前に、自分がままならない。ペースを乱されて、調子を保てていない。このようなことばかりでは、先行きが不透明だ。しっかりしなくては。


「――あの。もう一度申し上げますが、逃げませんのであちらに座っていただけませんか。狭いのですが」


 彼女は冷えた温度でこちらを見た。まさか無意識で距離を詰めていたか? さすがにそれはない、と思うのだが。


「あれ、狭かった? あ、鞄があったんだね。ごめん、気が付かなくて」


 言い訳を添えれば、彼女はこちらを睨んだ。さすがに杜撰だったか。そして珍しく彼女からの視線が続く。貴重だと思っていれば、「離れろ」という意思表示だということに気付いた。そっと距離を取った。

 彼女は淡々とした中に苛立ちを混ぜて言った。


「繰り返しますが、あちらに――」

「逃げない証拠はある?」


 僅かに見えた苛立ちに、自分は思わず笑った。代わりに冗談粧して言えば、彼女はまじまじとこちらを見た。なぜか彼女の警戒が取り払われ、こちらを興味深そうに見ていた。わけがわからなかった。



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