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 家でコーヒーを飲み一息ついていた。そろそろ小林が来る時間だろうか。

 「通学は片道三十分以内に収めておけ」という父のお達しで、一人暮らしを決行するに至ったが、随分と楽なものだ。一人暮らしを始めたことで、自分が警戒していたことに気付いた。自覚はなかったが、心はあまり休めていなかったのだろう。極稀に、無性に寂しさを感じることもあるが、気の迷いと思えばいずれ終わるものだ。

 小林は週に一度か二度、こちらにも訪れてくれる。家事や雑務や困りごと、大抵のことは何でも叶えてくれるので、家族全員から重用される存在だ。つまり忙しいなかで、こちらの依頼をこなしてくれている。率直に感謝をしている存在の一人だ。

 インターホンが鳴った。案の定訪れたのは小林だった。迎え入れ、いつもの工程が終われば、こちらはソファに座った。小林はセンターテーブルの向こうで、立ったままだ。「座れ」と言ったところで、座らせる椅子がないことは申し訳なく思う。それに言ったところで辞退するのが小林だ。互いに分かり切っていることなので、小林は立ったままこちらに資料を渡した。

 受け取った茶封筒の中身をその場で確認した。さっと目を通せば、七瀬梓真に関する情報が並んでいた。羽山秀繕よりは多いが、小林にしては目ぼしい情報は少なかった。

 資料をまた元に戻すと、僕は笑って礼を告げた。


「小林さん、ありがとうございました」


 小林は美しい礼をとった。


「いいえ。お安い御用です。しかし……彼女に御関心がお生まれにでも?」


 小林には調べろと告げただけで、意図は説明していない。実際の報酬は父から出ているはずだが、特殊な依頼には特殊な報酬が必要になるだろう。情報を求めたのであれば、それに足る別の情報を知りたくなるのは分かる。

 しかしこちらとて簡単に告げられることではないのだと、理解してもらう演出は必要だ。


「そうですね、珍しいことですよね」


 内容には触れずに、小林の感情を肯定した。答える意思はある、という意思表示だ。

 小林は表情を変えずに、真っ直ぐにこちらを見つめた。しかし纏う空気に、同情を滲ませた。


「僭越ながら、今まで皆様のことを見守るような胸の内で、ここまで参りました。もちろん御事情に口出しをするなどということでもございません。しかし」


 小林の言葉に、こちらは微笑みながら首を振った。小林の感情、思考の傾向は理解している。仕事人間でありながら、人情を好む。ほどよい「人間臭さ」が必要なのだ。僕は仕上げに「不器用な人間」を入れて掻き混ぜれば、求められる人格が完成する。


「大丈夫ですよ。彼女がとても気になっている、というだけです。羽山さんに関しても、以前も申したとおり、とても興味が湧いたから調べていただいただけです。羽山さんと関わりのある女性が、同じ高校の生徒だったのです。運命を感じずにいられないというのは、あまりに幼いでしょうか」


 僕が言えば、小林の顔は和らいだ。正解だった。この方針で間違いはない。


「高校に通うようになって、色んなものに興味が出て来始めました。今までこういうことを言わなかったから驚かれている、というのは十分に理解しています」


 小林は僅かに頷いた。

 僕は膝に肘をのせ、手の指をそれぞれ合わせた。恥ずかしいことを告白するように、内心を打ち明けているように話を紡いでいった。事実と虚構を半分ずつ混ぜていく。


「人よりその……青春だとか情緒だとか、そういうものが遅れている自覚はあります。ようやく気になる相手ができたんです」


 小林はそんなことはありませんと小さく返した。僕は小林を安心させるように笑った。


「頂いた情報を悪用するつもりはありません。ご心配なさっていらっしゃるかもしれませんが、ストーカーだとか、そういう間違った方向に行くつもりもありません。お願いするのはもう今回切りにしますから」


 合わせていた指を絡め、両手を握る。


「だからそのまま、見守っていていただけませんか。違法行為だと、危ないと思われたのなら引き留めていただきたい。それまでは、決して誰にも告げないでください。言うべきときが来るのであれば、自分で報告したいんです」


 小林は頷いた。


「承知しました。如月家の皆様が、一度言ったことや決めたことを貫き通される方々だというのは、重々に理解しております。私のような者の心配は雑念であり、無用の長物であることは。ただ、意味などなくとも、心を配りたいと思う人間がいることを、記憶の隅に置いていただきたいだけなのです」


 小林は目元の薄い皺とともに、眉根の皺を少し深めた。


「夏樹君が心配なのです。あなたは時々、悲しい顔をして笑うようになられた。その夏樹君に気になる方ができたというのであれば、大変喜ばしいことなのです。しかし夏樹君自身に『熱に浮かされた』というような様子があまり伺えません、いえ、推奨したいわけではありませんが……」


 小林の感情は理解している。本当に「好きな人」とやらができたときは、ちゃんと報告するから、許してくれ。

 僕は苦い思いを詰め込んで笑った。


「まだ始まったばかりです。言ってしまえば片想いで、初めてのことばかりなんです。浮かれるより先に慎重を選んでしまう。そういう性格なのだということも、初めて知りました。だから小林さんには、応援していただければ、それで十分なのです」


 懇願するように、思いを告げる。これは、本心だ。


「祈ってはいただけませんか。ただ、うまくいくようにと」

「……承知しました」


 小林は深く頷き、綺麗に頭を下げた。去る小林を玄関まで見送った後、ソファに体を投げた。

 綺麗になった部屋の外は、もう真っ暗だった。

 人が去った後は、やはり何とも言えない虚しさを感じる。一過性のものであると分かってはいれど、信頼できる、気の置けない誰かと共に過ごしていれば、こんな感情に包まれることはないのだろうかと夢見てしまう。

 そんな相手を求めていないわけじゃない。ただ、それどころではなかった。日々が、一杯一杯だった。

 ……ああ、そういえば彼女とは「そういう」役割になることを狙って動かなければならないのか。ならばこの感情もしっかりと記憶しておかなければ。うまく使えれば、有効的に心を揺さぶれるはずだ。

 テーブルに置いていた資料を再び取り出して眺めた。前回は遠方から撮った写真のみだったが、今回は提出された写真も載っている。

 真正面から見る彼女は、意思の強そうな瞳をした美しい顔立ちをしていた。そういえば、真正面から見たことはなかったっけ。じっと写真を眺めていれば、睨まれているような、写真越しに見透かされているような気がして、どきりとした。

 写真から目を移して、情報を入れ込んだ。

 ……散歩が趣味? あの顔で? 時折風景を眺めながら、長時間ボーッとしている? あの顔で?

 しかし羽山秀繕との直接的な接触はほとんどないようだ。何かやり取りをしているとなれば、室内でとなる。さすがに調査範囲外だったか。どういう関係なのだろうな……。全くもって読めない。

 ああ必ず、必ず何をしてでも暴き出す。絶対に。






 翌日に登校し昼休みになれば、携帯端末に三年の辻出つじでから「三石玉砕」の一報が入った。

 詳しく尋ねれば、三年の三石が二年の転校生に告白し、振られたとのことだった。二年の転校生といえば七瀬梓真しかいない。そういえば彼女に絡んでいたのは三石と青柳と芝崎……だったか。

 ……なんだ? 彼女はトラブルメーカーか何かか? 表立った事件はないが、何かしら事件を引き寄せているような引力を感じる。

 それにしても三年生がこの時期に告白なんてしている場合か? 職員室では案の定、担任の河西が頭を悩ませていた。三石はそこそこな落ち込みようらしく、こんな時期に進路以外の悩みをわざわざ作りに行くなと文句を垂れていた。

 正直河西に同意しかなかったが、三石の考えも無視できない。三石が告白した理由は、よっぽどのことがない限りは外見以外にないだろう。辻出の情報にも、似たようなことは書かれていたからほぼ間違いはない。

 そうだ、あの外見が厄介だ。自分も、もしもこんな状況でなければ、僅かであれ魅力を感じている一人かもしれない。三石は振られた、ということで一先ずは安心できるが、今後他の人間が手を出さないとも限らない。

 もしも突撃して行った他の人間に、彼女が了承を返せば困るのだ。本人の警戒意識が高まるどころか、警戒する人数が増えるのだから、付け入りにくくなることは必至だ。そうなれば、また、また遠ざかる。

 なんとしても彼女が「告白される」という事態から根絶しておかなくてはならない。早急に、何か対策を立てなければ。そして、早く彼女と接触しなくては。






 さて本日も、慈善事業という名の雑用に駆り出された。

 作業名目は休暇中に溜まった校内のゴミ拾いだ。昨日のうちにそれほど量はないと判断していたので、本来放課後にと設定されていたものを朝に回した。

 今回のような案件は美化委員が主体であるはずなのだが、なぜか生徒会まで駆り出されるのである。校外で駆り出されるのは分かるが、なぜ校内まで参加しなくてはならないのか。

 生徒会まで出ると、立場上はこちらが纏める側なので、自分が仕切らなければならない。清掃範囲を割り振り、生徒会だけで割り振った範囲を済ませることにした。つまり美化委員は放課後に活動する。元々纏まっている団体同士、活動が被るのはやり辛いだろうし、美化委員長の柏木から了解は得ていた。

 それに放課後を削られるのも面倒だった。生徒会の皆はこちらの意思を汲み取ってくれるのでありがたい。ただし寝坊して不参加だった奴は、次の雑用で量が増されることだろうが。予定どおり作業はそれほど時間が掛からなかった。

 ゴミ捨ても終わり、手ぶらで校舎へと戻っていく。

 声がしたので顔を上げれば、校舎の窓から身を乗り出すようにして、数人の女子生徒が叫びながらこちらに手を振った。慣れたもので、とりあえず笑って手を振り返せば済むので、ゴミ拾いに比べれば楽なものだ。単純な疑問だが、飽きないのだろうか。別に自分の外見に変化があるようにも思えないし。

 彼女たちが投げ掛けてきている質問には、代わりに岩田が答えていた。彼は一緒にいれば彼女たちのような存在を毎度、的確に捌いてくれるので助かる。

 彼女たちが満足する程度まで笑っておけば良い、と窓を見ていれば、端の方で新たな顔が見えた。なぜか強制的に顔をこちらへ向けさせられていたのは、七瀬梓真だった。彼女の顔を持っているのは中島か。あの二人は仲が良いのか?

 見ていれば彼女と――七瀬梓真と初めて目が合った。

 冷めた瞳がこちらを見下ろしていた。どこまでも冷ややかな視線は、見ていてゾクリとする。

 だがそんな感情も笑い飛ばすかのように、様々な感情が湧き出してくる。やっとこれから動き出せる。必ず捕まえる。絶対にのがしはしない。どんな情報でも引きずり出す。どんな手を使ったとしても。必ず、必ず捕まえてみせる。

 気付けば、自らの口角は上がっていた。自覚した頃には七瀬梓真は見えなくなり、手を振っていた宮原たちもある程度満足したようだった。サービスを終えると、校舎に戻った。


 放課後は本日寝坊した古賀に、役員全員で仕事を押し付けていた。報告書は、こちらが声に出した文章を書き取るだけなのだから、楽なものだろう。一度しか言わないけれど。


「でも夏樹先輩って、イメージ変わりました」


 僕は口上を停止すると、頬杖をついて黒澤に笑みをもって尋ねた。


「なんで?」

「もっとこう……ほら、『僕がやってあげるよ~』って感じかなって思ってて。結構こき使いますよね、我々を」


 陳腐な感想だな。


「仕方ないんじゃない? そもそも僕がこき使われてるんだからさ。仕事を割り振るのが僕の仕事だもの。陳情したいなら自分で意見を纏めてね。提出ぐらいならしてあげるから」

「それも仕事じゃないですか~! 仕事を減らすために仕事するってわけわかんない」


 そもそもは仕事をしたから仕事が減るのであって、放っておけば増えるのみだ。

 黒澤が嘆けば、大場が同情するように彼女の肩を叩いた。


「世の中はねぇ……矛盾に満ちてるもんだよ」


 可哀想に黒澤も大場も、気付いてしまったのか。一時的な目眩しを、慈悲でもってそれらしい台詞にする。


「十の仕事でも一人でやれば十のままだけど、五人で割れば二の仕事になるから。みんなを積極的に活用させてもらうよ。仲間(・・)だからね」

「か~いちょ~! ずっと付いてきます!」岩田の妄信的同調だ。

「おいそれしれっと俺を省いてないか?」


 除外されたと気付いた古賀に、阿部が無情を言い渡した。


「アンタは十の仕事を十でやってれば良いんだよ」


 僕は笑顔で頷いた。



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