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2-2


 食器を片付ける流れの中で、リビングと地続きのキッチンを案内してもらうことになった。

 途中、リビングの隅に暖炉を見かけた。暖炉……初めて見た。

 暖炉といっても、くり抜いた壁の中を煉瓦で囲んだようなものではなく、黒い箱に四つ足を生やして、窓のある戸を付けたようなものだった。箱から煙突のように伸びた黒い管が壁と繋がっており、周囲の壁と床には煉瓦などが使われていた。

 羽山さん曰く、燃料は木材をそのまま、ではなく円柱形の粒のようにした物を燃やすらしい。

 しかし、暖炉があるということは、冬は結構寒いのだろうか。考えてみれば、この別荘まで上り坂であったうえに、土地が全体的に高いぶん、寒いのかもしれない。

 そもそも避暑地として利用しているのだから、やはり冬は寒いのでは……。

 来たる寒気かんきの予感に内心震えたが、それもキッチンを見れば忘れた。


 これは噂に聞くシステムキッチンというものではないのか。

 シンプルかつオシャレで機能的、一続きの天板は、理想を溶かして固めたようにぴかぴかと輝いている。キッチンさえも広く、そして高い。我が家の調理台は太腿の付け根より下ぐらいなのだが、こちらの天板は骨盤辺りにある。これは良い。

 私は調理などせず、主に洗うばかりではあるが、何にせよ低さはストレスだった。有り難い限りだ。と、見れば羽山さんが食洗機に先程のカップやらを放り込んでいた。しょ、食洗機だと……!

 す、すごい。初めて見た、貧乏人には縁のないシロモノだ!

 私は作動を始めた食洗機から、目を離せずに言った。


「こ、これは……食器洗い機ですよね?」

「そうだよ」

「あの、もし――」

「使って良いよ。その辺も後でちゃんと話すけど、この家にあるものは基本的に勝手に使ってくれたら良いからね」


 私が尋ねるより早く許可を得た。私は歓喜を隠しきれずに羽山さんを見上げて言った。


「ありがとうございます!」


 羽山さんは珍しいものでも見たような目をした。


「そんなに嬉しい?」

「はい!」


 仮に私が一日辺り、食器洗いに十分ほど使うとしてだ、一週間で約一時間、一ヶ月で約五時間、一年で約六十時間以上もの時間を削減できるのだぞ。嬉しいに決まってる。

 一人になったし、使用状況によって厳密にはそこまで削減することと同義とは言えないかもしれないが、私がごろごろしている間に洗い物が消えることには変わりない。ブンメイノリキ、大好き。


「よかった。ふふ、食洗機でそんなに喜ぶとは思わなかったけど、笑った顔が見れて安心した」

「そ、ソウデスカ」


 思わずそっと顔を逸らした。柔和に笑う羽山さんが眩しい。これ以上見惚れさせてどうするのだ。後光が見えそうだ。

 言われてみれば、笑ったのは久し振りかもしれない。心から喜べる事象に、久しく出会っていなかったのは確かだ。探せばあるはずの喜びが、ただ生きているだけの視野に転がり込むことはなかった。


 食器棚並びに食器の美しさに見惚れた後、リビングに戻り、ガラス戸の前に立った。

 羽山さんはガラス戸を開けると、スリッパを履き替えて外に出た。前に進んで振り返り、手を広げた羽山さんの笑顔も、明るい色の髪も、陽光に照らされ尚眩しい。


「ここはデッキになります。来てごらん」


 庭に下りて手招く羽山さんに倣い、外履きに替えた足でデッキに出た。本当に、どこもかしこも広いものだ。

 デッキも広ければ庭も広い。デッキの端まで歩き、庭を眺めた。

 並ぶ木々の赤い色は力強いのに、その佇まいはどこか儚げだ。自らの美しさは一時ひとときのものであると、自覚があるかのような錯覚をする。後は枯れるばかりであるはずの葉が、どこか瑞々しく思うのはなぜだろう。

 謎に満ちた姿は、雇い主にそっくりだ。

 羽山さんは目の前にいて、会話もして、同じ空気を吸っているはずなのに、どこか現実味がない。掴もうと手を伸ばせば、すり抜けてしまうような、一度瞼を閉じてしまえば、次に開けたときにはもう消えてしまっているような、不思議な空気をした人だ。もしかすると人ではないのかもしれない、と馬鹿げた考えに、笑いにもならない小さな鼻息を出した。


「どうしたの?」


 不思議そうにこちらを見た羽山さんに、私は笑みを返した。


「なんでもありません」


 庭に下りて羽山さんの案内を聞いた。なるほど、振り返り見上げればバルコニーがあった。デッキに落ちた大きな影を考えれば分かりそうなものだが、バルコニーという発想はなかった。デッキもバルコニーも、単語自体が縁遠いのだ、仕方ない。上手く活用できれば洗濯物がよく乾きそうだ。

 つまらないことばかりを考えながら、ぽつぽつと歩を進めた。知らない庭を歩くのが、どこか観光気分になっていた。そして、そんな隣に羽山さんがいてくれるのが有り難かった。

 私はこれまで観光などができる状況ではなかった、が、できたとして、一人で近場を歩くのが関の山だ。一人は好きだ。だが、誰かと歩く可能性もあるのだと、新たな選択肢を与えられ、運命を少し変えてもらったような気がした。さながら更新手続きに間に合った安堵感に似ていた。


 庭を一通り見るとリビングに戻った。

 続いて和室と客室を案内された。それぞれ位置関係と内装を把握した程度だったが、リビングと比べれば狭かったことに安心していた。それでも十二分に広いので、リビングの広さが少しおかしいのかもしれない……。計算間違いか、目盛りの読み間違いでもしたんじゃなかろうか、なんて考えになる。

 和室があるのは意外だった。ちなみに現在は閉じられていたが、掘り炬燵もあるらしい。こちらも自由に使っても良いとのことだ。やった。

 客室は大きな机にいくつか椅子が並んでおり、どことなく会議室のような印象だった。もしかすると、休暇中でも仕事の話が来たりするのだろうか。お疲れ様です。


 一階の残りには、風呂場と多目的室があるそうだ。

 風呂場は分かるが、多目的室とは、なんだ。

 聞いても分からなかったが、見ても分からなかった。

 まるで体育館のようだった。面積だけで言えばリビングより少し広い程度なのだそうだが、何一つ物が置かれていない空間は、広大に感じた。体育館との相違点はダークブラウンの床や……つまり雰囲気がおしゃれであることだ。マシンなどがあればトレーニングジムのようにも思える。

 部屋の奥にある扉は倉庫で、マットやボールや縄跳びなど、本当に体育館と変わりない道具やらが備えてあるらしい。それから映写機とスクリーンもあるらしく、もうほぼ体育館だ。さらにトレーニングマシンもあるらしい。つまり体育館ジムだ。そういうことだ。


「目的としてはただ、体を思いっきり動かしたくなったときのために作った場所なんだ。この辺でそういうとこないでしょ。わざわざ車出すのも面倒だし。それから大勢人をよんでも、ここでわいわいできるし、あとは単純に、ただ広い空間を見るのが好きなんだよね」

「……なるほど」


 分かったような、分からないような。

 なんだか意外だった。羽山さんが運動をするイメージが全く湧かなくて、より掴み所が分からなくなった。どんなスポーツであれ様になるのだろうが、羽山さんはエクササイズではなくデトックス、プロテインではなくサプリ、スポーツドリンクではなくスムージー、そんなイメージだ。

 とりあえず「多目的」がいかに多目的であるかは分かった。


 謎の多目的室を出ると、いよいよ噂の大風呂との対面と相成った。

 私は目を見開いたまま、数秒呼吸を忘れた。

 脱衣所を抜けた先に広がっていた景色に、風呂場であるという前提が一度、頭から抜け落ちそうになった。

 リビングや多目的室同様、広大なその空間は、床も壁も天井も黒く、横たわる大きな風呂も真っ黒だった。そんな真っ暗な箱の中へ、心置きなく壁をくり抜いたガラス窓が、眩いコントラストを注ぎ込んだ。大きな窓が切り取っていたのは、庭にあった紅葉の、動脈血を吸い上げたように鮮やかに色付く姿だった。

 それは先程見たばかりの庭だった。だが、見る角度が、演出が変われば、こうも雰囲気が変わるものだとは思っていなかった。より色鮮やかに美しく、幻でも見ているかのような気分だった。

 左側面奥と正面と、一続きの絵画が魅せる光景に、思わず溜め息が漏れた。


「……すごい、ですね」


 見上げた羽山さんは嬉しそうに「でしょ?」と笑って言った。

 羽山さんはきっと紅葉が好きなんだろう。でもそれ以上にきっと自然や、風景が好きなのだろう。そうでなければ、わざわざこんな所に別荘なんて建てたりしない。


「じゃ、次は二階に案内するね」


 言うや否や、羽山さんは私の両肩を掴むと、くるりと回転させて外へ促した。




 二階へ着くと、羽山さんはこう切り出した。


「そういえば、どの方角が良いとか希望ある?」

「ほ、方角? ですか?」

「窓の位置は~とかなんとか。て言っても大差ないけどさ。梓真ちゃんの部屋、ここから好きなの選んで。案内するからそのつもりで見て」

「あ、はい」


 唐突な物件案内じみた状況に多少驚いたが、考えてみれば当然のことだ。そうだ、私はここに住むのだし、何よりこういう状況を得るために、わざわざ学校を休んだのだから。

 五つの部屋を見て回ったが、どれも似たような構造で、かつ、ホテルのような美しい清潔感と安心感があった。特にこだわりはなかったので、階段から一番近い部屋に決めた。どうも、怠惰です。

 二階と大風呂、そして多目的室を宴会会場と見立てれば、羽山邸はまるで旅館か何かのようだ。


 残る二階の奥は、普通の風呂場と羽山さんの部屋だった。

 風呂場は今までと比べれば普通に感じる大きさだったが、それでも私の所よりは比ぶべくもなく広いし、広さの感覚が狂っていないと断言できる自信はない。

 どうやらここも多機能そうだ。パネルにはなんだかよくわからないボタンが並んでいるし、冬場は寒くないらしいし、汚れる予定はありませんとばかりにあちこちピカピカツルツルだ。そして、最近の家庭では別に珍しくないらしいのだが、追い焚き機能があるらしい。なんてことだ。

 前時代人間の風呂場には追い焚き機能なぞ夢のまた夢だ……。しかも機械制御で洗剤さえ放り込んでおけば、あとは勝手に洗ってくれるうえに、お湯も入れてくれるらしい。なんてことだ、信じられん。

 時間を計り忘れて止め損ない、大量のお湯を無駄にする、なんてことが起こり得ない世界だ。出し続けてやがて出なくなったお湯が水に変わり、水風呂になったとき、何度追い焚きがあれば……と涙をのんだことか。ああ、でもこの世界ではそもそも、その入れ損じがないと、そう仰る。なんてことだ。

 私は過去の自分と、これからの世界に涙が出そうになった。オヨヨ……。


 感傷に浸っていると、羽山さんの部屋に案内された。といっても、こちらも位置と内装を確認した程度だ。

 意外なことに、羽山さんの部屋には、小物や置物などが沢山あった。

 これまで見たどの部屋も空間も、シンプルかつ機能的でお洒落、という構造だった。したがって羽山さんの部屋も似たようなものだろうと思っていたのだが、違ったようだ。

 部屋の内装には青地に白い柄のラグに、紺に同じく柄の入った壁紙が使われていた。観葉植物(本物かどうかは定かでない)もちらほら見えたし、動物の小さい置物、あと見間違いでなければ、――トナカイがいた。本物よりは小さいと思うのだが、見た一瞬は心臓が止まるかと思った。

 そしてはっきりと確認できたわけではないが、壁二面にある大きな本棚には、びっしりと本が入っていた。

 輪を掛けて羽山さんの掴み所が分からなくなった。この人は一体、どんな人なのだろう。


「後でもう一度説明するけど、誰か呼んだときとか、ここは通さないでね。梓真ちゃんは掃除してもらうためだからいいけど」

「はい。承知しました」


 人様の部屋を勝手に踏み荒す趣味はございませんとも。ご安心くださいませ。



 室内を見終わると、最後にバルコニーに出た。

 自分の感想に対して飽きるというのも変な話だが、バルコニーも当然広かった。机と椅子を引っ張りだし、スコーンと紅茶を頬張れば、優雅を気取れること間違いなしだろう。

 バルコニーの下を覗けば庭、そして遠くを見れば山と海がある。耳を済ませると微かに感じる波の音に、本当に海があるのだと、今更ながら実感が湧いた。いろいろと余裕ができたら、砂浜まで行ってみたい。

 全てを見て、羽山さんにとって、どの部屋もどの風景も、自慢できるものだったのだと気付いた。ここは確かに、誰も住んでいないのはもったいない。もしかしたら、節制や清掃とは一部の建前で、誰かにここを使ってほしいというのが、大部分を占めているのではないか。

 しかし本当に、私で良かったのだろうか。



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