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 ようやくツキが回ってきたのだと思った。

 この櫂青かいせい高校を選んだのは、兄とは関係なく自分のためであり、つまりは彼女の方から転がり込んで来たのは本当に偶然だった。

 今の自分には生活サイクルのうちに昼寝が必要だと感じていた。しかし演出する自分の中で、自主的に睡眠を導入するのは現状、見合っていないと判断した。ならば制度として導入されている高校を選べば、自分の体調と体裁の両方を確立させることができる。昼寝を制度として導入していた高校はいくつかあったが、実家から一番近かったのがここだった。ただ、それだけだった。

 まさか自分のための行動が、こんな風にして好機を結ぶとは。本当に残酷なものだ。手に入れたいと躍起になってもがいた結果は空振りなのに、何の感情もなく振ったサイコロの目で思い掛けないものを得る。……どうして、こんなにもままならないことばかりなんだろう。




 七瀬梓真との接触する機会は、できるだけ多い方が良い。立場でも何でも利用して、とにかく近付く回数を増やすことが重要だろう。

 三学期の始め、朝の間に彼女の担任――久保野くぼのと交渉し、校内を案内するという役割を得た。これがきっかけとなり会話がうまく行けば、好印象でも与えられるだろう。好印象とならずとも、一度でも会話を成したという結果は、これからの行動に円滑な影響が出るはずだ。校内案内などという真っ当な理由は不審な点がないどころか、自主的な提案ということで教師陣には模範生の印象を強め、一挙両得の順調な切り出しになる。

 生徒会長というそれらしい立場も偶には役に立つ。やはり見せ方というものは自分でプロデュースできてこそ意味を得る。

 それにしても女子生徒で「七瀬(ナナセ)梓真(アズマ)」か……。言ってしまえば悪いが変な名前だ。音だけ聞いていればアズマの方が名字のようだ。いいや、これも利用できるか。

 名字ではなく名前を呼ぶ方が親密であると装える。時には形から入ることも重要だ。最初に名前を呼ぶ口実さえ作ってしまえば、後は意識的に繰り返し名前を呼ぶことでサブリミナル効果を期待できる。

 形式的に呼ばれていると自覚していたはずのものが、時間の経過とともに当初の理由を忘れ、名前で呼ばれるような親しい間柄なのだと徐々に錯覚していくはず。こちらとしてもナナセさん、よりアズマさん、の方が名字のようで良い易い。これもまた一挙両得、だろうか。

 うまい具合に転がっていきそうなこれからが、ようやく楽しみになってきた。自然に発音できるように練習をしておくべきだろうか。ああ、アズマさん、あずまさん。おはよう、梓真さん。梓真さん、さようなら。




 放課後は別件で職員室に呼び出された。新学期早々、雑用を押し付けられる。こちらは笑顔で了承するが、これは生徒会長という役職の、全く役に立たない部分だ。ただ、自分は会長であるので、仕事を割り振る権利がある。それを行使すれば済む話なのだが、割り振るという行為は発生するのだから、仕事が増えたことに変わりはない。慈善事業家じゃないんだ、同じ生徒であるのに生徒会役員というだけで、大量のコピーなんて雑務を増やされるのなら、もっと目に見えるより良い待遇が欲しいものだ。

 ……とも思うが、自分自身欲しいのは肩書きだけで、それは既に手に入れてしまっているのだから、その維持費と思えば仕方のないことなのだろう。

 目の前から垂れ流される長い世間話に、笑って適当な相槌を返していれば、職員室に生徒が入って来た。――あれは、七瀬梓真だ。

 耳の端で何となく入ってくる、彼女と久保野の会話を、脳内で組み立てて聞いていた。


「何見てる……てああ、転校生か。こんな時期に、ご苦労なもんだよ。親御さん亡くなったんだってなあ。ああこれ、あんまり言い触らしてくれるなよ。そういえば、案内してやるんだって? お疲れさん」


 松川は世間話を彼女にも広げた。彼女も羽山秀繕と同じく天涯孤独だというのだろうか。いや、親戚や兄弟がいないと決まったわけではないし、会話を選ぶときの材料として使えるか。


「ええ、これから。その予定です」


 微笑んで松川に頷いた。会話が一時的に途切れたことで、彼女たちの声が聞こえてくる。


 ――相手の方には先生から断りを入れていただいてもよろしいですか。


 落ち着いた、芯のある声だった。

 はっきりと彼女が、七瀬梓真が言ったように聞こえた。案内を断ってくれと。

 そしてその言葉は、目の前の雑用を押し付けてきた教師にも届いていたようだ。


「おい、でもあれ。如月お前、フラれたんじゃないのか。ははは珍しいなぁ! まさかお前の顔、知らないのか。知ってて断る女子はいないだろうもんな。勿体ないことしたなあ転校生」

「そんなことありませんよ。何か予定があったのでしょう」


 笑って答えたが、全くもって面白くない。何を断る必要があるのか。よほど重要な用件だとでも?

 引き留めた久保野に、彼女は微笑んで応え、頑として辞退の姿勢を崩さなかった。久保野が身を引けば、彼女は要望が通ったことにより、一層笑った。ああ、面白くない。

 とりあえずこの雑用を処理して、彼女の動向を探らなければ。松川との会話を終わらせることにした。


「ではこちら、お預かりします。失礼します先生」


 用紙を鞄に詰め込んでから軽く頭を下げている間に、彼女は職員室を出て行った。自分も同じように出て行こうとすれば、必然久保野に近付くことになった。久保野は立ち上がり、こちらに近付いて来た。


「如月君、ちょっと」


 久保野に呼び止められ、笑って返事をした。


「はい、先生」

「今、七瀬さんと話してたんだけどね、案内はいらないって帰っていったわ。用事があるなら、日程をずらすのは? って提案したんだけど、案内そのものが『いらない』んですって。ごめんなさいね、折角提案してくれたのに」


 内容は概ね理解していた。使えそうな文章を引っ張り出した。


「いいえ。先生が謝られることじゃありませんよ。必要がないことでしたら、それはそれで良いことじゃないですか。予定があったのでしたら、かえって迷惑にもなりますし」


 微笑んで言えば、久保野がからからと笑ってこちらの左肩を軽く二回叩いた。


「ほんとできてるわね~如月君は! 七瀬さんにもちょっとはそういう精神を持ってもらいたいものだけど」


 そして久保野はこちらを軽く上目遣いで見た。

 ――話を聞いて(共感して)ほしい。

 言外に滲み出る空気を汲み取り、手を添えるだけで人は相手を「良い人」だと思い込む。楽な仕事だ。笑みを崩さず、側に適切な言葉を置くだけ。


「彼女は、何か」

「いやいや! 何もないんだけどね、なんていうか、一匹狼目指してるっていうのかな。郷に入っては郷に従えって言葉もあるくらいだし、和を重んじる日本社会で生きていくのなら、もうちょっと協調性というか、歩み寄る精神を身に付けた方が、彼女自身のためになると思うのよ」


 彼女がどう生きて行こうが久保野には関係がないし、彼女がずっと日本に居続けると決まった話でもない。しかしこの会話は「生徒を気に掛けている久保野」には必要なやり取りなのだ。そして「優等生の如月君」にも。つまりこれは互いの需要と供給が合致しただけの会話だ。

 もしくは、扱い辛い人間を、管理しやすいように調整せよという雑用か。いいや、たとえ一方的な感情の消化であれ、今の自分には必要な工程だ。


「だから何て言うのかその、良かったら、如月君も面倒見てあげてくれない? 私たちみたいな年上に言われるより、同い年の子に言われる方が本人も聞きやすいだろうし」


 僕は笑みを深めた。あなたの意見を肯定しています。そう感じさせることが重要だ。

 協調性の高い、従順で素直な、扱いやすい生徒を量産してくれ。久保野の要望が行き着く先は、ただそれだけだろう。

 だからこそこちらは、彼女の要望を具現化する。そして要求を通らせた後の報酬を、従順そうに待てば良い。


「それに『如月君』なら誰だって言うこと聞いてくれそうじゃない?」


 久保野は少し首を傾げてこちらを伺った。こちらは笑顔のまま、しっかりと頷いた。


「ええ、分かりました。折を見て、少し話してみようと思います」

「ありがとうね! クラスも違うのに。こういうこと、如月君が一番頼みやすくて」


 久保野は大振りな動作で手を合わせ、殊更嬉しそうにした。相手が求めている言葉に、人のさそうな言葉を上乗せすれば、誰からも好かれる人物像が出来上がる。


「はい、いつでも頼ってください。信頼されてるって証拠ですから、嬉しいです」


 久保野は再びこちらの左肩を叩いた後で、そのまま肩を掴んでしばらく手を置いていた。


「あ~ほんと、君みたいな息子が欲しいわ~! まず相手がいないんだけどね~!」


 ここは親子ほど歳は離れていない点を指摘するべきか。だが面倒な話題に近付いてしまう。ならば相手の斡旋を? いや高校生として求められているのは、ただの感想だ。線引きは明確に示しておかなければ。

 困ったように、残念であるという雰囲気を出しながら微笑んだ。


「すみません、その相談には乗れそうにありません」


 久保野は笑った。肩に乗せていた手を下にずらして、こちらの腕を叩いた。


「違うわよ! はいはい引き止めてごめんね。じゃあね如月君」


 久保野は手を振った。こちらはにこりと笑って頭を下げた。


「はい、失礼します先生」


 少し無駄足を食った。彼女はもう帰っただろうか。

 急いで音を立てずに下駄箱へ向かった。下駄箱で彼女の後ろ姿を見た。追い付いた、ということは歩行速度からして、火急の用事ではない、ということか。忌々しい。ようやく、順調に踏み出せそうだったのに。出鼻を挫かれた。これで大した用事じゃないのなら、呪ってしまいそうだ。

 陽光の下に出た彼女は一度、動きを止めた。こちらに気付いたのだろうか。建物の影に身を隠せば、丁度彼女は振り返った。……勘は良いようだ。彼女も、自分も。

 しばらく停止していた彼女だったが、やがて身を翻して歩き出した。ああ、イライラする。だめだ、自分らしくない。落ち着いて、深呼吸して、「如月君」でいて。

 雑務の割り振りは明日になる。今日は、僕も帰ろう。

 下駄箱を出ようとすれば、校門の辺りで彼女が男子生徒数人に道を阻まれていた。初日から早々に絡まれるとは、厄介な星回りをしていそうだな。……いや、自分が言える立場ではないか。そもそも彼女からすれば、自分は絡もうとしている人間の一人であるわけだし。

 ――ああ、これも好機か。絡まれているところを助けるという展開も悪くないだろう。少し都合が良すぎるぐらいだが。算段を終えて下駄箱を出たところで、彼女は何のわだかまりもなく校門を出て行った。追尾する気力は疑問によって消えた。

 ……どういうことだ。今のはよくある、ほら、ああいうのじゃないのか。手首やらを掴まれて「やめてください」とかそういう、段取りになるやつなんじゃなかったのか。だからそれを救助に向かえば、「できすぎた」展開になるはずだったのだが。

 いや、あの光景、見覚えがある。以前もそうだった。剣呑な雰囲気だったが、悪化することなくすぐに立ち去っていった。一体どんなトリックを使っている?

 彼女はやはりおかしい。ならばこそ、希望は見える。おかしい人間であればあるほど、他人をおかしくさせる可能性は高くなる。彼女は関与しているはず。きっと、きっと近付ける。彼女は希望、目指す先の道標、彼女を手掛かりに、ようやく僕は前へと進める。ああ、ようやく。

 楽しみだ。これからがずっと。彼女に近付けば、兄に近付ける。道が見えたのだ。間違ってはいなかった。ようやく報いを、受けることができるのだろうか。



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