26-2
井門さんの「来たぜぇ」という呼び掛けと共に部室に入ると、シン……と皆一様に押し黙っていた。
普段では有り得ない空気感に、思わず尻込みした。なんだ、この緊張感は……。
先程まで普通に話していた井門さんも、席に座って一切しゃべらなくなった。とりあえず私も座った方が良いのかと前へ進めば、部長から声が掛かる。
「シジョウ」
「は……はい」
私は緊張したまま返事をした。
「そのまま。ニジョウ、タンゴ、起立、進行」
佐倉さんと八木さんが無言で立ち上がった。そして私の目の前に二人が並んだ。な、なんだなんだこれは。私は思わず両手を上げて降参の意を示した。
部長も無言で立ち上がり、私を指差した。力強い指令が下る。
「捕獲!」
一斉に左から佐倉さん、右から八木さんに襲い掛かられた、もとい抱き締められた。
「ばか! おまぬけ! ぽんすこたん!」
ポンスコタン……?
佐倉さんは私の目を見て、たぶん罵った。
「続き、楽しみにしてますって言ったのに……」
俯いた八木さんの頭で胸を押される。
な、な、なんだこれは。
よくわからんが、怒られている。たぶんそうだ。私はわけも分からず謝った。
「え、えっと、その、すみませんでした!」
「シジョウ、罪状は分かっているのか」
部長が真剣に尋ねた。こ、これは裁判なのか。私の脳内は混乱を極めていた。
「ざ、ざい……?」
「あ〜も〜!」井門さんは立ち上がると、こちらに来て三人丸ごと抱きしめた。「俺らめっちゃ心配したってこと!」
「ずるいぞカイ」
部長が便乗するように急いでこちらに来て、同じように抱きしめた。
く、苦しい。なんだこれは。何が起きているのか。
大きな一塊になった我々に、冷ややかな声が降りかかった。
「暑苦しいから座ったら」
一人座ったままの轟さんが冷静に告げた。
「俺たちは勝手にやっとくから気にするな」
「そうだな俺たちは暑苦しい集まりだからな」
「そうですね我々は思いやりで溢れてますから」
いつかに見た井門さん、部長、八木さんによる連携攻撃は、しっかり轟さんに刺さった。
轟さんは静かに立ち上がると、こちらに歩み寄った。私の後方へ回り、斜め後ろから塊を抱き締めた。
私の耳元で轟さんは小さく呟いた。
「俺も……心配した」
こ、これは――! 世に言う、『ツンデレ』‼︎
突然心を鷲掴みにされるこの感覚、今までに感じたことのないトキメキ、嗚呼『ツンデレ』、良きかな!
思わず顔がへにゃりと歪んだ。見ていた井門さんが密告した。
「こいつ、昨日泣いてたんだからな」
「バッ――言うなよ!」
轟さんは即座に離れて怒りを露わにした。見えないが、きっと顔は真っ赤なのだろう。部長も剥がれて、落ち着いた声で言う。
「みんな、シジョウが心配で、心配だったんだ」
私は思わず抱きしめ返した。誰かに思われている。それが、嬉しいことなのだと理解した。そして心配をかけていたということを申し訳なく思った。
私は謝った。
「ごめんなさい」
「それから?」佐倉さんが尋ねる。
「ありがとう」
私が笑うと、三人から再びきつく締め上げられた。苦しいのに嬉しかった。私は少しだけ涙が滲んだ。
全員が着席し、いつものような部活の雰囲気に戻った。
……良かった。あのまま裁判になったりしないで。
安心していれば、唐突に八木さんが尋ねた。
「それで、六番目の続きは」
私がもしも緑茶を飲んでいれば、噴き出したか、むせたであろう。しかしただ座っていただけなので、視線を彷徨わせるのみだ。続き……続き、ねえ。
「『続き』……と呼べるほど大したものはありませんでしたが、そうですね……」
例え話をしていた当時の状況はどうだったか。あれは確か、忌まわしき日以前の話だったな。如月が事あるごとに話し掛けてきて煩わしい時期だった。その後爆弾による爆破で私は死に絶えた。
「死んでいた、と思われていた六番目が実は生きており、その六番目に殺害されてあっさり終わりました」
八木さんは興味深そうに頷いた。
「ほぉ……なるほど。では、実際に起きた『事件』の方はどうなんですか」
「え」
「昨日、いえ一昨日? に実際に起きたことは。六番目が関与しているんですよね?」
普通ならばきっと、傷跡を抉られるような質問だろう。しかし私は別に傷心というわけでもないし、八木さんも知的好奇心が優っているだけで、傷付けようという意図はないはずだ。
ただ、質問の意図ではなく内容として、答え辛い。それに八木さんは六番目が如月と知っている。彼女の中では概ね答えが解っているのだろうが……。部員全員の前で、話すべきことなのだろうか。なんというか、いわゆる恋バナであるとか、そういう話をするようなグループではない、だろう?
私は膝に握り拳を乗せたまま、まごついていた。
「そ、それは……」
「言いにくければ、答えはいりません。前回立てた予想のまま、本当にグレーが吊るし上げられた。私にはそう見えてなりません」
八木さんはいつになく真剣に言い切った。
「……そう、ですね」
私が肯定すれば、井門さんがこちらを覗き込んだ。
「本当なのか? じゃあ冤罪なんじゃないのか?」
「冤罪とも言い切れないよう、な」
というより実行したに近い。気持ちとしては全くそんなつもりはなかったのだけれども、結果としてそうなった、という。ああ、最低な言い訳だな。
八木さんが好奇心を隠し切らずに語った。
「では私の仮説はこうです。六番目に殺害されかけたグレーは致命傷を逃れ、生きていた。しかし既に虫の息、その状態で別の容疑者に見つかった。それを『好機』と捉えた別の容疑者は、グレーを葬った。『良心の呵責により自害します』と偽の遺書を残して」
再び部室は静かになった。
「こ、怖い怖いやめて」
「こわ〜〜……」
佐倉さんは自分を抱くように、井門さんは静かに怯えていた。
またもや冷静に、轟さんは指摘する。
「でもそれグレーにトドメをさしたら、その『別の容疑者』が自分で犯人だって言っているようなもんじゃん」
対する八木さんは、しっかりと轟さんを見て意見を述べた。
「もちろんその可能性も大きいでしょうね。しかしトドメをさしたとバレなければ自害のままで通りますし。また、極限状態にあれば、自身が犯人でなくても、互いが疑心暗鬼に包まれているというストレス状態から脱却したい、というのも十分動機になり得そうですが」
轟さんはどことなく気まずそうに黙った。怯えを忘れた井門さんが困惑を示した。
「ええっ殺人がストレス発散?」
「人身御供と同じですよ」
首を降って八木さんが言うが、怯えを忘れていない佐倉さんは会話を終わらせようと試みた。
「ねーもーいーじゃんやめよーよ」
「ていうか生きてた六番目に狙われたってことはやっぱり……恨まれてたんじゃないの」
佐倉さんの提案は却下され、不安そうに轟さんが続けた。恨まれているかは分からないが、目的はあっただろう。私は曖昧に同意した。
「かもしれませんね」
私の同意に、轟さんはなぜかしょんぼりと、僅かに悄気たように見えた。ようやく佐倉さんの希望どおり、会話が終了したかに思えたが、八木さんがとんでもないことを言った。
「愛憎のもつれという可能性はありませんか?」
「ええー……」
「いやぁ〜ナシで」
「同様に」
佐倉さんと井門さんに続き、私も否定に同意した。あってたまるかそんなもん。おぞましい。八木さんは構わずトンデモ推理を続けた。
「愛しくて憎い。もしもグレーが捕まればそれは、六番目が死んだ容疑で、です。グレーにとっては冤罪かもしれません。ならばなぜ自分が捕まったのか、自分は無実だ、そう主張せざるを得ません。その際にずっと向き合うのは、『六番目を殺害した』という事件。グレーは忘れたくても六番目を忘れることはできないでしょう。そう、拗れた愛憎は『私だけを見て』ということです」
何度目かの静寂が訪れた。遅れて佐倉さんから悲鳴が漏れる。
「ひっ……ひえぇ」
「怖い! やめよう、ほんとに!」井門さんが言った。
「はい! もう終わり!」
佐倉さんが一つ手を叩いて、恐怖の愛憎劇は終わった。
ようやくちゃんと安心できるぞと、内心で一息ついた。
しかしそれも束の間で、今度は部長が爆弾を投げ入れた。
「そういえばシジョウ、如月とはどういう関係なんだ?」
私は後ろへひっくり返りそうになった気持ちを抑え、ガタッと椅子を鳴らすに留まった。
「ど……何かあったのですか?」
「昨日放課後に聞かれてな。それから前に『個人的に』って言って訪ねてきていたし。どういう関係なのかと」
部長が何でもないことのように説明した。
私は心拍数が上がっていく。嫌な緊張ばかりする。やめてくれ本当に。これでは心臓が過剰労働で倒れてしまう。タスケテ羽山さん!
しかし恐怖に立ち向かわねば、疑問は晴れない。
「な、何を一体、聞かれたのですか……?」
「何か聞いていることはあるかって」
部長ではなく、八木さんが答えた。私は質問を繰り返した。
「何か、とは」
「私も同様に返しました。『質問が不明瞭です』と」
「それで何と」
「最近ここに来てるのかとか。ここではどうしてるのか、とか。何か悩みとか、困っている様子はあったか、とか。まるで保護者みたいに」
「ホ……ホゴシャ……」
私は渋面を作った。如月は、今更何を聞き回っているのだ?
昨日の放課後ということは、尋問が終わった後だろう。事件は当の如月により、解決したのだ。何も不思議は残っていないのに。
……いや、昨日、如月は怒っていた。どうして頼らないのかと、疑問を持っていた。それに対して出した私の答えに、満足できなかったのだろうか。
部長は申し訳なさそうに言った。
「個人的なことだし、俺たちは言うつもりはなかったんだが……」
「なあ……ブン太が泣きさえしなけりゃなあ……」井門さんが漏らした。
「だから! 言うなって! 言った‼︎」
轟さんが立ち上がって猛抗議した。しかし聞いてしまったからにはもう遅い。
なぜ轟さんが泣く必要があったのだろうか。というか轟さんが泣いている姿が思い浮かばない。瞳の潤んだプードルなら容易に想像できるのだが。
「なぜブン太さんが」
「『俺が恨まれてるって言ったからだぁ』って。『本当は悩んでたに違いない』とか『もう来ないつもりだ』とか色々言ってたよな」
井門さんが密告を続けた。
……そんなことを? 私は何とも思ってなかったし、だいたいもう一ヶ月も前の話で、何か思っていたにせよ一ヶ月も引きずる値のものではないだろう。そんなことを、本当はずっと気に病んでいたのは、轟さんの方だった。
彼はあまりに優しすぎる。それなのに自身の心情を上手く表現できないでいて、その精神と現実の差に苦労していることだろう。だが、この部の人たちならば、まだ苦労は少ないはず。轟さんにも、幸せであってほしい。
真っ赤になった轟さんは、両手で顔を覆った。
「やめて……もうそれ以上言わないで……」
やっぱりというか何と言うべきか、轟さんって乙女だよな。轟さんがいつか、ちゃんと自身を表現できるようになることを祈っておく。
私は話を進めた。
「つまりどこまでお話しに?」
「例え話のは、した。すまん」
なぜか井門さんが腕を組んで謝った。謝られることではない。謝るべきはむしろ如月だが、私は謝罪など求めていない。続いて佐倉さんも謝った。
「ごめんね〜ほんと。あの子結構怖くてさぁ〜。耐えられなかったよねぇ」
如月に「あの子」という単語は似合わないなとぼんやり思いながら、疑問が生まれた。
「怖い?」
私の疑問に井門さんは腕を組んだまま答える。
「笑ってるけど怖ぇよな」
「うーむ、確かに何とも言えない威圧感はあったな。いや、焦っているような」
井門さんの発言に部長が付け足した。威圧感は、確かにたまに感じる。今までに感じた怖さは、音もなく背後に現れるという点だが、佐倉さんらの指す怖さとは種類が違うだろう。私が感じる怖さは警戒であり、佐倉さんらが指すのはおよそ畏縮のようなものだろう。
つまり高圧的な雰囲気を放ってまで何が聞きたかったのか? しかしあべこべ君であることを考慮すると、圧力はうっかり漏れ出たものかもしれない。如月は対外的には基本、柔和を装っている。つまりその逆であるということは、本来は圧力を伴っている人間だという可能性も考えられるだろう。
……いや、部長の言う「焦り」が足掛かりなのかもしれない。私は数秒如月への考えを巡らせていた。




