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23-1


 バイトが終わり、陽が落ちていく中で約束したバス停へと向かった。バイトをしながら、過去の全てに後悔したくなるような気分になっていた。

 なぜ今日にバイトを追加で入れてしまったんだろう。テストの前日だというのに。なぜ今日私は如月と会わなければならないのだろう。テストの前日だというのに。そしてなぜ如月への贈呈品を用意しているのか、自分で自分が分からない。

 初回サービスや、手袋などを受け取っておきながら、何も返さないというのは、自分の心理的負担があるには違いない。つまり恩だとか、貸し借りだとか、目に見えないああいったやからが心に居座られると居心地が悪いのだ。

 しかしそれらは如月が勝手にやったことであり、馬鹿正直に受け止める必要はない。その上度重なる迷惑並びに違反行為、返事の放置など、私は謝罪と共に利益を送られて然るべき立場で、むしろもっと要求すべきとの意見もある。

 脳内会議が混乱を極めるなかで、議長が怒鳴った。

 ええい、自分で決めたことだ! 悩むな! なるようになる!

 しかし、出会った当初の私なら、こんなことをしたのだろうか。

 湧き上がる後悔と叱咤、疑問を繰り返しながら、バス停の手前まで来た。如月は既にいた。その姿を見れば、緊張が走った。いや、落ち着け七瀬。深呼吸、それのみだ。

 如月はこちらに気付くと笑った。こんな寒い中で待たせていたのは人として申し訳ない。しかも用があるのは自分が帰る道程までというのも、申し訳なくなってきた。

 如月の元へ着くと、私は開口一番謝った。


「すまない、待たせた」

「ううん。ありがとう梓真さん。来てくれて」


 私は逡巡したが、口に出した。


「どこかに入ろう。冷えただろう」

「いや、良いよ。梓真さんが帰るまでの間で」

「……そうか」


 如月が良いのならば、言うことはない。私は少し遠回りになった帰路を歩き始めた。商店街や街の中はまだ迷いがちなので、海沿いの道へ出るように目指して進んだ。

 忘れてしまう前に、贈呈品を渡すことにした。だが、妙に緊張する。誰かに何かを一方的に押し付けるという行為は、経験が少ない。経験値不足により、予想ができない。この行為は正解なのか。私は間違ってはいないのか。答えは、私には出せない。

 そう考えると、如月はどんな感情で私にアレを渡したのか、想像できなかった。きっと如月には、慣れたことなのだろう。だが例えそうであっても、申し訳なさが込み上げた。私は失礼な態度だった。その上、礼も告げていない。

 私は持っていた紙袋を、両手で差し出して言った。


「如月、これを……君に贈る」

「え、何?」

「君が……誕生日だと聞いた。それからこの前の礼を言っていなかった。ありがとう。次の……冬から使用する」


 如月は立ち止まった。見れば呆然と呼ぶに近い姿だった。

 私は紙袋を突き出したまま止まった。断るか、受け取るかをしてほしいのだが。嫌な緊張感を抑えようと、音に出さず深呼吸をした。大丈夫、受取拒否なら自分で使えば良い。使えるかは分からないが。

 すると如月は突然、私の両手を包み込んだ。手袋越しに、握られた圧力を感じる。な、なんだ。目標座標がずれてるぞ。Y軸の座標は、そこじゃない。

 如月は俯きがちに独り言のように呟いた。


「――期待して良いの?」

「い、いや、ダメだ。その辺のアレだ、君からしたら大したやつじゃない。違うダメ」


 私は慌てて訂正した。期待なんてされては困る。如月は静かに笑うと、受け取った。拒否されなかったので、私は胸をなで下ろした。


「ありがとう梓真さん。僕の誕生日を知ってくれてるとは、思ってなくて……すごく嬉しい」

「そうか。なら良かった。しかし私が知っていたわけではなく、『君のことが好き』な人が吹聴しているのを耳にしただけだ」


 一度唇を引き結んでから、如月は尋ねた。


「でもなんでくれたの?」

「初回サービス並びに先日の物を統合した返礼品だ。金額は釣り合っていないだろうが、そこは黙認してくれると助かる」

「ありがとう」


 如月は柔らかに笑った。

 なんだか、今日の如月はやりにくい。うまく言えないが、今まで見てきた如月と何かが違う。今までの如月から類似する態度を見つけられないので、対応しにくいんだろう。

 再び歩き出すと、疑問に思っていたことを如月に問うた。


「どうして君の名前は『夏』なんだ? 生まれが今日なら冬だろう?」


 如月の名前は「夏樹」だったはずだ。署名を思い出しても、確かに「夏樹」だった。「那月」とか「奈津希」とかそんなのじゃなかった。冬に生まれたのになぜ「夏樹」なのか。気付いたときには、不思議だった。

 如月は少しだけ驚いていた。


「そんなことを梓真さんに聞かれるような日がくるとは思ってなかったな」

「同感だな。私も聞く予定はなかった。それで?」

「生まれた季節と反対だからだよ」

「だからこそなぜだ? そういうのは大抵、生まれた季節をそのまま名前にするだろう」

「父親の考えだよ。『名前負け』を逆に解釈した発想って言えば良いのかな」


 聞けば聞くほどに、分からなくなっていくようだった。


「名前負けというのは、勇ましいという文字が入っているのに臆病だ、とかだろう? それを逆に?……よくわからんな」

「つまりそういった願望を入れたことで、実際は逆になってしまうのであれば、始めから逆のことを入れておけば良いってこと。そして生まれた時点で決定してしまう、当人だけの要素っていうのは、生まれた季節ぐらいしか分からないでしょ? 優しいとか賢いだとか、成長しなければ分からない。だから生まれた季節と反対の季節を入れたんだって」


 由来を聞けば、私は納得していた。

 それで君からはいつも、あべこべな印象を受けるのか。あべこべで、どこかつぎはぎのような。矛盾した感情と行動で、君自身は辛くはないのか。続けていけば、いずれ身を滅ぼしかねない。

 君のこれまでの行動が「逆」だったのなら、好意には無関心、親切にはやはり目的がある。ならば今は、何が逆なのか。

 如月をしっかりと見れば、やはり冬に生まれた人間だと頷く。夏は対極、だがそれを刻まれて生きている。名前という形で、手中に収めた。夏の太陽はさぞ、君の肌には痛いだろう。哀れだ、とも思う。合わぬはずのものを手にして、生きていかなければならない。

 別に名前そのものに呪術のような効力はない、とは思う。だがその名を受けてどう生きていくのかは、人によるだろう。無意識の底で、その名の意味が沈殿している人、血肉となって巡る人、意味などなく、ただありのまま生きている人。

 私の名は、呪いだったのだろうか、希望だったのだろうか、何だったのだろうか。いや、何にするのかは、自分自身が決めることで、考えることじゃない。


「へえ。興味深いな。なら君は、一生掛かっても手に入れられないものを、既に手にしているのか」

「あ……梓真さんて、よくそんなことを言えるね」


 それはたぶん、一番に思っていることじゃないから言えるのだろう。本気で思っていたら、そんなミラーボールのような台詞を言うわけはない。

 私は心にもない謝罪をした。


「不快だったならすまなかった」

「いや、そうじゃない、けど」


 辿々しい返事をする如月を横目に、再び疑問が浮かんだ。その法則は、他にも適用されているのだろうか。それとも如月だけなのか。そもそも如月には如月以外の誰か――兄弟は存在しているのか。

 ようやく海沿いの道に出た。日は沈んでいて、あとは暗くなるばかりだ。海沿いといえば、高橋さんとも歩いたっけ。試験が終わったら、また教えてもらった景色を巡りに歩こうかな。運動不足だし、鈍った体も鍛えるべきか。しかし今日はとにかく、勉強一択だ。最後の悪足掻きをせねば。

 時折流れていく車の走行音を耳にしながら、如月に疑問を投げた。


「そういえば君は、兄弟はいるのか?」


 唐突な質問に、如月は不意を突かれたのか、少しだけ言い辛そうにした。


「……兄と妹が」


 一人っ子じゃないのか。というか如月に人間の兄弟が……と、それはさすがに失礼だ。


「へえ。意外だなぁ。一人っ子かと思ってた。なら同じ法則で?」

「そうだね」

「名前を聞いても?」


 如月は笑った。懐かしいものを思い返すような笑みだった。


「兄さんが冬治とうじで、妹が春香はるかだよ」

「まさかとは思うが……お兄さんは夏至に生まれたとか」


 如月は目を見開いた後にくすくすと笑った。


「よく分かったね。そのとおりだよ」

「ほほお……」


 まさか当たるとは。半分冗談だったんだが。

 如月は笑っていた名残りで、目を細めたまま尋ねた。


「梓真さんの由来は?」

「……何て言ってたかな。生まれる前から決めていたというのは聞いたが。男であるとか女であるとかいう可能性を微塵も考慮せず、始めから『これだ』と決めていた、と聞いた気がする。由来らしい由来というのはなかったはずだ」


 如月はゆっくりと笑みを深めた。暗くなってきても、よく見える顔だ。


「でも梓真さんの名前は、この上なく梓真さんにぴったりの名前だと思うよ」

「それは褒めてるのか?」

「もちろん。真っ直ぐで、しなやかなところが」


 言われれば、なんとなくむず痒い。こんなに捻くれているというのに、どこが真っ直ぐというのか。もしかして、捻りすぎてしめ縄のように見えるんだろうか。それとも「えらい賑やかでよろしおすなあ」とかと同じ法則じゃないよな? もしもそうなら頑固で強情、となると思うのだが。


「君こそよくそんなことを言えるな。褒めたところで何も出ないぞ」私は言ったところで、オリーブオイルの存在を思い出した。「いや、既に渡したんだったか」

「ありがとう、大切にするから」


 如月は再び笑った。やはりなんとなく、今日の如月はやり辛い。


「いや、傷むからさっさと使ってくれ」

「食べ物なの?」

「似たようなものだな。それで、君の話とは?」

「ああ……そうだね」


 言えば、如月は海を見ながら立ち止まった。気付いた私も数歩進んだ場所で立ち止まった。ガードパイプの向こうには、遠くに砂浜が、さらに向こうに海があった。僅かに残る暖色は、じきに全てを海に吸い込まれそうだった。

 如月は真っ直ぐ海を見ながら、はっきりと言った。


「梓真さんの提案どおり、関係性を破棄しようと思う。返事が遅くなって……ごめん」


 ――良かった。


 如月から全てを聞き終えた瞬間、真っ先に思い浮かんだのは「良かった」という感想だった。私の都合も含んではいるが、ようやく如月が自分を見つけたような、自らの意思で選択した答えのように思えた。意思と行動が一致したもののように感じた。

 そんな感想も、私の思い込みなのかもしれない。それでも如月の横顔がどこかすっきりしたような、不純物が少しずつ取り払われたような、本来持っているであろう、無駄のない姿に近付いたように見えた。

 これは珍妙な時間を共有した、珍妙な友人としての感想なのだろう。


「良かった。君はやっと、『何か』から解放されたんだな」

「え?」


 如月はこちらを振り返った。私は如月に歩み寄って、海を見た。そのまま感想を続けた。


「確かに、今の如月は……何かが変わったと思っていた」


 今はまだ冷たい風が吹く。


「何があったのかは分からないし、君も言えないんだろう。結局分からないままなのは少し残念だが、それでも君にとって精神的負担が減ったのなら、良かったと思う」


 私は如月の方を向くと、手を差し出した。


「凡庸だろうが、私は君の幸せを祈っている」


 私は自然と笑っていた。如月は未だに分からないことが多いけれど、今では知れて良かったと思っている。不思議な奴だった。変な奴だった。それも、面白かったのかもしれない。

 真っ直ぐにこちらを見ていた如月は、苦しそうに顔を歪めた。泣き出しそうにも見えた。なぜそんな顔をするのか、と聞く機会はなかった。如月に力強く手を握り返されたと認識した頃には、腕を引かれていた。気が抜けていたので咄嗟のことに対応できず、私は前方へバランスを崩した。倒れゆく上体は如月に当たって止まる。

 体に当たった紙袋の音で、如月に抱き止められたのだと気付いた。いや、抱き締められていた。強く、強く拘束され、身動きがとれない。苦しいと、訴えることもままならなかった。

 冷静な自分と、混乱する自分が分離していった。どうした。どうして。なぜ如月は、こんなことをしている。なぜこんなことをしようと思った。なぜ私は、何の抵抗もできないのか。これは、どういうことなんだ。

 肩口に当たる鼻は、如月の匂いと混じったコートの匂いを吸い込んだ。どくどくと心拍数が上がっていく。動揺と圧迫感から、緊張せずにはいられなかった。


「ごめん。好きだ。梓真さんが好き」


 耳元で、震える声で告げられた。あの如月が緊張しているのかと、遠くで思っていた。



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