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 リゾットへの怒りを溜めながら、テスト約一週間前の月曜日となった。

 早朝に登校し、一人の教室で自席を見れば、ニタリと笑みが生まれた。

 ――ある。落書きだ。

 机の上に暴言が落書きされている。まさか本当に起きるとは。古典的だが、衰えることのない手法に最早伝統技術ではとさえ思えてくる。それとも他に方法が思い浮かばなかったのか?

 いや、ある意味でスマートフォンを持っていない恩恵だろうか。持っていれば情報戦に突入するからな。ない私への攻撃には、古典技法に頼らざるを得ないだろう。

 油性ペンではなく、鉛筆もしくはシャープペンシルであるという点で、まだ相手に迷いがあるのが見て取れる。今後油性ペンに移行するかもしれない可能性を考慮し、落とせるものを用意しておこう。除光液というので落ちるのだったか? あとは確か油が使えると、りっちゃんが何かの拍子に言っていたような。

 並んだ文言を見た。ブス、バカ、消えろ、どれも常套句で面白みがないな。「死ね」という単語が見当たらない点でも、やはり思い切りが付いていない印象だ。ふむ、「調子乗んなクソ」、これは少し頑張っているな。お、「お高くとまってんじゃねえよ」、これはオリジナリティに溢れている、良いじゃないか。

 私がスマートフォンなどの撮影機器を持っていれば、撮影しておいて竜崎さんに相談できたのだがな。ないものは仕方がない。

 自分の消しゴムを消費しなければならない点は不服だが、とりあえず綺麗に消した。ゴミを片付け、ついでに見つけた埃も一緒に処分し、荷物を持って教室を出た。



 三石先輩と話した屋上手前の空きスペースにやって来ると、鞄を置いて居座った。

 そういえば三石先輩は元気でやっているだろうか。会えるとしても卒業式だけだろうな。三石先輩の人柄には好感があるので、道行きを応援したい気持ちは少しある。会えたところで、話すことはないが顔は見たい。式の入退場で探す暇つぶしとしての楽しみにしておこう。……なんて、人を暇つぶしに利用する算段をしていてはいけないな。そもそも卒業式って自由参加だったりするのだろうか。

 階段でしばらくの間ボーッと座りながら、今後の対策を考えることにした。

 今回は消し去ることで「なかったことにした」だけだが、対策としては弱いと思う。

 書いたはずの落書きが、本人が登校していないのになぜか消えている、となれば疑問は生まれる。そしてそこに「味方」の可能性を見出してくれることを祈る。しかし教室の鍵は開けたままここに来たので、私の自作自演と気付く場合もあるだろうし、まだまだ弱い。

 今は、自分の想像できる範囲でなら少しだけ対策ができるが、できていないに等しいし、それだけだ。予想外の攻められ方をすれば敗戦するだろう。だからこそ、どれだけ多くの予想ができるか、さらに予想外の攻撃にどう対処できるかが重要だ。


 しかし同時に、基本さえ押さえておけば大丈夫なんじゃないか、なんて楽天的な思考もあった。基本とは相手の意欲を削ぐ、もしくは実行するに到る意識の転換を図るというものだ。

 なぜ攻撃をするのか? これはきっと単純で、防衛本能であろう。防衛本能の攻撃性が発展した結果、先程の結果が生まれるのだろうという自論がある。

 では何に対して防衛本能を働かせているのか。今回の場合はもちろん、如月に関連するストレスだろう。もし仮に如月が存在しない世界で、同じ状況に陥っていた場合は、実行した者に潜在的なストレスがある可能性があるが、それはまた別の話だ。


 今回は既にストレスやフラストレーションが十分に溜まっていて、先日――バレンタインでの譲渡が引き金となった。なぜストレスが溜まっていたのか。ここは真の意味で理解はできず、推し量るのみであるが、如月という「好きな人」が自分を顧みないことや、許容していない人間――私が「好きな人」と接触を持っていることなどが挙げられるだろう。

 そのストレスを発散する方法として、ストレスの一端である私を捌け口として利用する、または私の存在そのものを消し去ろうと考えていると仮定する。

 消し去ろうという方にまで効果があるかはさておき、捌け口の場合は対策ができそうだ。


 「面白い」と感じる項目の中には、「自分の予想どおりに事が運んだ」というものがある。たぶんドミノ倒しのようなものだ。予想を立てて、それが綺麗に倒れていく様に快感を覚えるような。私は実際に、立てた予想に沿うような机の落書きを見て、笑う程度には面白いと感じた。

 では暴言を提示するという行動において、求めている予想とは何か。大抵は「暴言を浴びせた相手が負の感情を抱く」ことであろう。つまりバカと言って相手が悲しそうにしたり、怒ったりすれば嬉しいのだ。

 しかし求めた反応を得られなかった場合、つまらないという感想になる。ドミノが途中で倒れなくなったようなものだろう。バカと言って相手が何の反応もなければ、面白くないのだ。

 さらに予想外の反応だった場合、恐怖や嫌悪を覚える可能性がある。ドミノが倒した方向と反対に倒れていくようなものだろう。……物理法則からしてあり得ない事態だが。

 つまりバカと言って相手が笑えば、気持ち悪いと思うだろう。頭のおかしい奴だ、と。あまつさえ「ありがとう」などと礼まで言おうものなら、人によっては恐怖を感じるかもしれない。

 恐怖とは基本、予想外から得るものだ。オバケが怖いのは予想外だからだ。死人という、この世に「存在していない」という前提を持つ者が、目の前に「存在している」。自分しか居なかった道に、振り返れば背後に白い人が立っていた。これらは予想外の出来事であるから恐怖を感じるのだ。

 つまり暴言や暴力を振るったのに、相手が――私が、笑ってありがとうと言えば、恐怖を抱く可能性がある。恐怖は攻撃性よりも逃避を助長するはずだ。

 目指すは「防衛本能による攻撃性」を、「恐怖による逃避」へと転換していくことだ。


 ……しかし実行するには、面と向かって言われる、または暴力を受ける必要がある。現在はまだ周囲で囁かれる程度だ、実行者のストレス値が足りない。

 だがそれも、放置していれば勝手に溜まるだろう。

 だから私は、今は何もしなくて良い。敢えて挙げるとすれば、来たるべき本番に備え、周囲での囁きに対して心中で「ありがとう」という念仏を唱えるという、予行練習をしておくぐらいだろう。

 そう、それは頭のおかしい奴だ。私は頭のおかしい人間となり、忌避する存在としての地位を得る。ああ、楽しみだ。どのように嫌悪されていくのだろう。

 さて、そろそろ実行者の一人ぐらいは登校してきただろうか。私は今登校してきましたという顔で、いつもどおり教室に入って行った。




 佐倉さんに頂いた過去問は終えたので、今日からはちゃんと範囲の勉強をすることにした。過去問と戦っている間に、教室内でもある程度は集中できるようになってきていた。さらに朝、昼いずれの休み時間も如月が来ることはなかったので快適だった。たぶん講座開設をまた頼まれているのだろう。

 私はそれなりに楽しみにしていたのだが、今日は机の落書き以外には、何かが起こることがなく放課後になった。もしかしたら体育の授業になれば、ぶつかられたりだとか、何かあるかもしれないな。楽しみだ。

 ただ、私が持ちうる所持品の中では、制服が一番高価なので、それだけは純粋に守りたい。体育の授業をしている間は制服もロッカーに入れておくつもりだが、皺にならないかが心配だな。ちゃんと畳めばなんとか入るだろうか。

 授業中は教科書類を入れていた机も、再び空にしてロッカーに中身を詰め込んだ。これで今日の任務は終了だ。

 席に戻り鞄を手にすると、帰ろうと振り返った。思わず小さな悲鳴が出た。


「――ヒッ」

「梓真さん」


 背後に如月が立っていた。

 ストーカーとか、そういう次元はもう通り越して、今や幽霊と同格になっている。怖い。もう何というか、怖い。

 ……さっきまで居なかったのに。いや、入り口が近いからドアやらが死角となっていただけだろうが、気配も足音もしないし、なんというか、怖い。

 もしかして今までは如月センサーが反応するから知覚できていただけで、アイドル(笑)にもかかわらず本来はオーラとか、そういうのもないんだろうか。それともオンオフを切り替えられるタイプのオーラなのか。何なんだ。


「一緒に帰らない?」


 如月は笑って言った。

 ど、どうしてだ。先日の忌まわしき日を除き、今まで放課後は接触してこなかったのに。生徒会は……と思えばまさか、生徒会も一週間前は停止するのか。そういうことか。

 遅れて如月の存在に気付いたセンサーズは悲鳴を上げた。それはいつものサイレンのようでもあり、負の感情を含むようでもあった。その悲鳴で教室内に残っていた人間は、こちらに視線を送ってにわかに凍り付いた。

 先日よりも空気が冷ややかなのは、今日は元々浮ついた感情がないことと、放課後の接触を目撃したのは今回が初めてだからだろう。

 休み時間と放課後では、意味合いが変わる。今まで如月が私に接触しても悲鳴が上がらなかったのは、如月が生徒会長であり、「不慣れな転校生を思いやっている」という如月の慈悲だと評価されていた部分があるからだ。しかし放課後となると、生徒会長としてではなく、個人としての接触であるという意味の可能性が強くなる。……なんというか、私も悲鳴を上げたい。

 私は数秒の間、返事もできずに如月を凝視していたが、ようやく口を開いた。


「なぜ……でしょうか」

「だめ?」


 如月は小首を傾げた。可愛くないし、答えになってない。不愉快かつ、不愉快で、不愉快だ。

 いや、落ち着け七瀬。予想外の出来事に対応できてこそ、実力が試されるのだ。背後から忍び寄る如月に動揺しているようでは、先行きが不安じゃないか。

 場のストレス値を上げるためにも、願ったりの状況だ。快諾してはあまりに不審なため、とりあえず笑っておいて、曖昧な返事をする。


「ご厚意痛み入ります」


 机、壁、如月に三方を囲まれていたため、唯一空いている方向へ、会釈しながらススス……と移動して冷えた教室を出た。そのまま少し足早に廊下を進んで行った。

 少しして隣に追い付いた如月がこちらを尋ねる。


「大丈夫って意味で良いのかな?」


 私は笑うだけ笑って、返事をしなかった。好きにとれ。

 すれ違う生徒が振り返る。視線と囁き声で満ちていた。

 如月は何も喋らなかったが、ずっとにこにこと笑っていた。よくその表情で固定できるよな。

 校門を出れば人は少し減った。それでもやはり気付いた何人かからは、こちらを伺う様子があった。如月にだけ聞こえる音量で、私は尋ねた。


「それで、用件は」

「ないよ」


 私は思わず眉を曲げて如月を見た。如月はこちらを見て笑う。何が面白いんだか。

 心情としては「契約違反だ」と言いたいところだが、最早意味を成さないのを知っているし、この状況を利用するためにはそういった話題に持ち込まない方が賢明だろう。

 別の質問をした。


「君は車で送迎されているんじゃないのか?」

「そういうイメージ?」

「そうだな」

「基本はバスだよ」


 お坊ちゃんでもバス通学だったとはな。知らなかった。


「なら車のときもある、と」

「イレギュラーなときはね」


 バス通学なら、この欺瞞はバス停までで良いだろう。しかし如月も、今度は一体何の目的なのか。


「では君の奇行にはバス停まで付き合おう」


 如月は少し驚いたように尋ねた。


「……本当に良いの?」

「やめろだどうだと言ったところで聞かんだろう。耳のない奴に喋り続けるほど愚かじゃない」

「酷い言いようだね。……でも、怒られると思った。この前は『嫌です』って言ってたし」


 心の中でだけ、溜め息をついた。

 今までの主張は、全て私が「怒っている」という認識で受け取られていたのか? 「嫌だ」というのは「嫌だ」という意味だけで、そこに怒りなどない。感情を含まず、事実だけ告げたとしても、そこに感情を見出されるのは面倒なことだ。そして心情との乖離を訂正するのもまた面倒だった。

 私は杜撰な返事をした。


「ご希望なら致しますが?」

「遠慮しとくよ」

「君に遠慮なんてあったとはな」

「梓真さんは一体僕を何だと思ってるわけ?」


 如月は拗ねたような、おどけたような口調で尋ねた。しかし疑問の出所は、根底からのように感じた。

 私は一度遠くを見て考えた。

 如月をどう思っているか、か。面倒、厄介、鬱陶しい……が根は真面目で、多分説明をするのが好き、スキルと設定が過多で、結局のところ何を考えているのか分からない人間、を一言で表すとなると――


「如月」

「な、なに」


 如月を見た。今は高校生に見えた。


「だから如月は『如月』という概念であるという以外に説明のしようがない」

「なにそれ」


 如月は笑っていた。なんとなく楽しそうだった。やっぱり如月は友達が少ないんじゃないだろうか……と思ってしまう。アーメン。

 それから約一週間、休み時間などでは関わりがなくなった代わりに、毎日放課後に如月はやって来た。



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