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14-2


 教室に戻る廊下を歩いていた。

 部長の話は有意義だった。部長は奇特な人材だ。

 もしも私が何らかの職種に就いて、そこに上司という存在があるのであれば、是非部長のような人になっていてほしいとは思う。だがそれが厳しいことであることは承知している。

 特に私は面倒な人間だ。相性の良い人間が少ない。大勢の人にとっては何とも思わない人でも、相性が悪いことがある。納得できなかったりすると、うっかり口を挟んでしまうことがあるので、特に年の近い年上には生意気であると疎まれやすい。曰く、尊敬の念が足りないんだとか。

 尊敬できるか否かはその人物を見て決めるし、尊敬できる人の言うことならば、喜んでやる。尊敬できる要素がないから尊敬していないだけで、別段反抗したいとか、やりたくないだとか、そういうものではないのだ。

 必要なことならばやる。必要でないなら徹底的にやらない。因習や儀礼的なもの、矛盾した言動や明らかに必要性のない指示を出す人間を、ただ年上であるというだけで尊敬するのは私にとっては無理だった。そしてそれが、要らぬ衝突を生み、私は年上を見下した偉そうな人間となる。

 だから部長のように尊敬できる人というのは、私にとって貴重な人だ。


 自分の席へ着くと、次第にそれぞれの席へと収まっていく同級生たちの背中を、ぼんやりとした眼差しで眺めた。

 人との巡り合わせというのは、選べないのに重要であるからたちが悪い。強制的に引かされるクジ引きの結果で、人生が決まるとすれば。引いた「大凶」を元に人生が構築されていくのであれば。「大凶」を恨んで生きるのか? 「大凶」を引いた自分を恨むのか。それとも「大吉」を引いた相手を妬むのか。

 仕方ないと割り切って、生きていけたのであれば。「大凶」を引いたのは自分だからと、覚悟を決めて進んでいけたのであれば。人生は少し変わったのだろうか。

 『ガチャはな、出るまで引けば出るんだよ。実質百パーだ』とは、どこで覚えてきたのかは知らないが、りっちゃんがよく口にしていた台詞だ。根本的なシステムが違うし、なんで今思い出したのか分からないが……、勢いは感じる。

 そうだな、「大凶」を引いたからと諦めるのではなく、引いた「大凶」を因果を変えてまで「大吉」にするのだと意気込むぐらいが、少年漫画の主人公らしくて良いだろう。私にもそういう前向きな考え方ができたのであれば。

 私は時間どおりに昼寝に入った。




 放課後はバイトへ向かい、帰宅すると掃除を始めた。

 魔のイベント、面接に合わせて掃除の量を増やすことにしたのだ。今日と明日に加え、前日は大掃除をする予定だが、バイトもあるのでもしも掃除が足りていない部分があるなどとなるのは、沽券に関わる。

 羽山さんに加え、陰険の祖も訪れるとなれば、ここは陰と陽が混沌と渦巻く修羅の館とな……らないけれども、私の心情は似たようなものだな。ゴーヤといちご大福を同時に食べるような気分になること間違いなしだ。そんな状況で汚れた部分があるなどとなれば、私は丸腰で戦場に立つのと同じだ。

 戦の前には掃除に掃除、時々甘味(かんみ)で士気を上げてはまた掃除、それぐらいで丁度いいだろう。

 さて、羽山邸の別荘は広いところが魅力的だが、掃除をする際は広いところが難点であるな……。いや、「簡単に終わってしまってはつまらないからな」といって舐めてかかって倒される、三番目あたりに出てくる小ボスのような精神が大事だ。舐めてかかってはいけないけれども。


 掃除用具を取り出しながら、課題があることも思い出す。如月と話し合った内容を吟味して、もう一度契約書を描き直さなければ。

 ああ、こんなときに話題のお掃除ロボット・グルンバがあれば。ボタンを押すと、円盤のようにぐるぐると旋回しながら、部屋中をくまなく掃除してくれるらしい。つまり私が紅茶を飲みながら、如月を呪いつつ契約書を睨んでいる間に、床掃除は終わるということだ。良いよなぁ、文明の力。

 羽山邸はいろいろと新しい設備(私の中では最新)が揃っているというのに、なぜ掃除ロボが導入されなかったのか。不思議である。

 ……待てよ。仮に導入されれば、それは事実上、私は給料泥棒と同義なのでは……! だ、ダメだ、それはだめだ。いくら私が怠惰の権化であろうと、それでは羽山さんに申し訳なくて地殻に沈みたくなる。だめだめ、導入してはいけない。グルンバは諦めよう。自分で掃除しなくては。


 あちらこちらと掃除機をかけ、その後フロアワイパーで拭き掃除をしながら、契約書について考えていた。

 私が提示した定義に、如月は新たな項目を付け足すように言っていた。

 私が考えていたのは主に、「定期的な時間の共有、契約者以外との交際禁止」だけだった。それで関係性は成立するはずだからだ。

 だが奴が言った追加項目は意味がわからない。


『恋人だと認めること』


 そう、それに何の意味があるのか。追加希望の項目が一つだけだったのは救いだが、どうにも頭が痛い内容だ。なぜ奴は恋人に拘るのか。思い返して気分が悪くなった。どういった理由で必要なのか、さっぱり分からない。もしかして意味を求めるのが間違いなのか。そうか。

 一般的には「『付き合う』イコール『恋人』」であることは、何となく認知している。しかし私が以前、「『付き合う』イコール『恋人』ではない」と言った、認知のズレに対し、修正を目論んでいるのだろうか。如月はあくまで同義であるとの主張か。

 むしろ拘っているのは私の方かもしれない。だが奴と恋人……? 私が恋人と認めたとどのようにして判断するというのか。しかし主張するだけで気が済むのなら良いが、奴はそうじゃない。認めたが最後、絶対に、なんなら定期的に、こちらに確認してくる気がしてならない。

 それは無理だ。ダメだ。精神の安穏を守るには、やはりこの条項は認められない。

 うむ、検討はしたのだから、十分尊重していると言えるだろう。よしよし却下。七瀬脳内会議、満場一致で否決。

 そういえば定義ではなく、条件に関して如月は、疑問や調整は口にしたものの、不満は言わなかったのが意外だった。あの様子では私が不当な条件を入れていた場合も、もしかして承諾したのではないか、なんて考えが過る。


『答えは決まっているようなもの』


 それは私だけではなく、如月自身もだったのだろうか。だから例えば、好意での提案だったのならば、私に理不尽な要素や面倒な部分、嫌な部分を見つければやっぱりなかったことに、となるはずだ。

 ……私に嫌な部分がなかった可能性も極わずかに存在するかもしれないが(確率は極めて低い)、あの顔――唇を噛み締めるような険しい顔をしておいて、不快な感情がなかったとは思えない。

 つまり如月は、好意などの心情からこの話を持ち掛けたのではない。確固たる意志があった。私が如月に決定権を移した時点で答えは決まっていた(・・・・・・・・・)

 ということは、私がどれだけ理不尽な条件を付けていても、如月は承諾したのか?

 そこまでの意志を生み出す、如月の目的は?

 どう考えたって、私そのものではない。如月とは出会って一週間かそこらでの提案だ。私そのものの魅力が――あるかどうかは個人の価値観によるだろうが――外見という一瞬で判断できる要素以外で、伝わったとは到底思えない。私の周囲で唯一価値のあるもの、それはこの別荘を含めた羽山さんとの繋がりだ。

 この別荘が気に入ったのであれば、偽友人としてのまま交渉しても良いはず。付き合う必要はない。

 付き合うということは、より強い繋がりを求めるということだ。つまりパイプを太くしたかった。

 では羽山さんには何を求めている? 建築家としてなら、依頼すれば良い。ならば人として? 羽山さんだけが知り得る情報があると? それなら直接やりとりすれば良い。パーティとやらで会ったことがあるのなら、難しいかもしれないが、全く話せない関係というわけでもないだろう。それとも「悪くない仲」の私を通した方が近道だと思ったのか? 私を間諜にしようと?

 しかし私が聞けることなんてあるのか? 仕事の内容など聞いたって分からないし覚えられないだろう。それに仕事の内容でならば、「羽山さんだけが知る情報」があるのかどうかというのも疑問である。建築は半分芸術みたいなものだろうし、羽山さんにしかないセンスはあれど、羽山さんしか知らない情報……? いや一般人の私では分からないか。

 それとも羽山さんに直接聞くのが難しく、私という第三者を通して知りたい情報がある?

 何にせよ、狙いが羽山さんに関するものならば、私は全力で如月と対峙しなければ。


 依然、如月の腹は読めない。

 だから私は如月そのものを嫌いとしているのではなく、如月の言動が嫌いなのだ。納得できない。如月の話は、納得できないから「如月の話」が嫌い。

 もしも私が、羽山さんと出会わずに君と出会っていたら、私の君に対する心情は何だったのだろう。でも、羽山さんに出会うことがなければ、如月と出会うこともなかっただろう。もう既に死んでいた。ここには居ない。生きていない。

 羽山さんは私の因果を変えてしまった。

 世界にとっては、取るに足りない人間の一つ。だがその人間にとっての人生は大きく変わった。そして羽山さんそのものが、もう既に居ないはずの人間で。この世界にない存在に助けられた私は、一体何だ?

 私は何のために生きている――なんて、面白みもない使い古された疑問が、浮かんでは消える。

 ……私は今、羽山さんのために生きている。そう結論を出したはずだ。今は、それで良い。

 掃除を終えれば、いつもどおりの行動を済ませて就寝した。






 靄がかかったような、曖昧な病室にいた。


「あずま」


 その声は朧げで、だけど忘れてはいない、懐かしい声だった。私はその手を握りしめたまま、顔を上げる。

 ベッドに横たわっていたはずの――もう起き上がることのなかった――母は上体を起こしていた。違う、もう既に立っていて、軽やかな、何の枷もない身体で、私の前に立っていた。明るい服の、明るい場所で、やっぱり母だと深く感じた。それは私が幼いときと変わらない、元々はそうだった母の姿だ。


「母さん……?」


 意図もなく、言葉が漏れた。色んなものが自らの内側から止めどなく溢れてくる。

 これは……?

 感情、記憶、際限なく湧き出すものは、分類するよりも早く、奔流となる。私の内側には、こんなに、溢れるほどの鮮やかな何かがあったのか?

 これほど輝くものが?『全てを捨てて、傾倒できるほどの熱意、誇り、希望、愛情、そういった突き進むときに必要な、輝かしいもの全て』が、私の中にあったと?

 ――今も、あるのだと?

 お母さん……。

 最期に見た穏やかな顔で、それ以上の安らかさをもって、母は微笑んだ。


「あずま。生きなさい」

「お母さん。……どうして」


 私の問いは、母の言葉に対してではなかった。どうして、母はここに、私がいる目の前にいるのか。

 いないはずの母が、実感をもって言葉を紡ぐ。


「生きて、生きなさい」


 これは――夢……。母の言葉は、最期に聞いた言葉だ。それはどこか、使命のような、理由も分からずに、ただただ私がこの場にとどまるだけの言葉だと、そう……思っていた。けれどもこうして、改めて聞く言葉は、意味が違うように思えた。


「自由に。生きなさい」


 力強く繰り返す語気は、記憶と違う。これは、母が言いたかった、続きの言葉だ。直感で、そうだと全身が受け止めた。


「あなたの人生は、あなたのもので、あなたの好きに生きなさい。あなたの選択を、誰も責めたりはしない。あなたが自信を持てる道をいきなさい」


 これは使命ではない。指標なのだろう。母は命令を下したわけではなかった。それは分かっていた。それでも母の言葉は私の何かを拘束していた。ずっとどこか鎖のように、そしてその先に重りが付けられたものだと思っていた。でも本当は、道標だった。母が渡したのは「想い」だった。


「あずまはいい子だ。私は知っているから」


 頭を撫でられ、どこかに忘れていたような、あたたかい気持ちが灯った。胸の内にあった容器は補修され、湯船のように満ちていった。

 鎖に繋いでいたのは、自分自身だ。忘れないように、しっかりと繋いだ。でも自分で繋いだことを忘れていた。

 今はまだ、このままで良い。このおもい鎖を断ち切ってしまえば、どこかへ飛んで行ってしまうだろう。だから自分で踏みしめて、自信を持って道を歩けるまで、今はこのままで良い。

 私に繋がっていたものは、絶対に切れない鎖ではなく、いつか自分で外せる鎖だ。母の言葉で、ようやく気が付いた。


「ありがとう、お母さん」


 母は穏やかに、しっかり頷いた。

 目覚めた朝は、不思議な気分だった。

 私は一人きりなのに、一人ではない気がした。羽山邸は不思議な別荘だ。「家も生きている」のだろうか。時々そんなことを思う。

 目元を擦るように拭った。

 支度を済ませて、寒い朝の中をしっかりとした足取りで登校した。



 放課後は部活へ向かった。初めての合評で、少し緊張を交えつつ臨んだが、直に忘れた。たわいもない話や下らないやり取りに、久々に声を出して笑った。

 直面の問題が解決したわけではないのに、粗方の憂いは晴れたような気分だった。後は来たる面談に挑むのみとなった。嗜好品のバリエーションを増やしておくか。

 一人で歩く下校途中、ようやくそんなことが思い浮かんだ。



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