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昨日は如月と接触したことで、また悪夢でも見てしまうかと危惧したが快眠であった。それにしても、早朝に八木さんと会えたのは一度だけで、以降は部活でしか会ったことはない。部活で会えているので問題ないが、少し寂しい気もする。
部活以外の校舎内で、佐倉さんや部長はたまに見かけるのだが、轟さんや井門さん、八木さんは全く出会わない。クラスが離れているからだろうか。
つまり、だ。クラスや部活が同じでもないのに、奴との遭遇率が高いのは何かがおかしい。作為的に行動を起こさなければ、起こり得ない現象だ……と言い切ってしまうのは自意識過剰だろうか。如月に対し好意的な感情があれば「運命ダワ!」と言えるのだろうが、生憎持ち合わせがない。
またもや解決策の見出せないことをうだうだと考えながら、昼休みの図書室へと向かった。
図書室は時折利用する。
本は基本的に買って読むことの方が多いのだが、あまり買うばかりでは財布が風邪をひいてしまう。本屋で見かけた面白そうな本は、その場で買おうと即断するものと、買うべきか迷うものがある。そうして迷った場合は、図書館や図書室で何度か探してみる。そしてあれば読み、なければそれまで、と諦める。
今回は契約書の追加資料になりそうなものが他にないかと思い、寄ってみたものの、特に参考にできそうなものはなかった。
私は代わりに「名前は聞いたことがあるが、そういえば読んだことがない」作品のうち、なんとなく気になる本を手に取った。
貸し出しの受付に行くと、そこには部長がいた。今日は部長が受付を担当していた。
部長とは、教室付近で出会うことはないのだが、こうして図書室ではそれなりの頻度で見かける。部長は部長のみならず、図書委員までをもこなしているようだ。勤勉、努力家、誠実……言い表す言葉は様々だが、今のところ部長に一番似合うのは、真面目だと思う。
だが、部長を見ていると、真面目というよりも、「好き」なのだろうという感想が湧く。本も好きだろうが、本自体よりも「本を好きな人が好き」なのではないかと思えてくるのだ。そしてそんな人々の相手をするのが好きなのだと。
部活でもそうだ。活動内容よりも、部員のみんなが好きなのだろうと思えてくる。佐倉さんが威嚇しても、轟さんが拗ねても、井門さんがボケても、八木さんが黒い笑みを見せても、宥めることはあっても怒りはしないし、温かく見守っている。
優しい、どこまでも優しい眼差しをしている。そしてそれは、私にも分け隔てなく、平等に降り注がれていた。
――それが、どこか申し訳なく思う。
私に光を受ける資格はあるのだろうか。同じ空間に居ても良いのだろうか、と。
だがこの感情もきっと、佐倉さんに言わせれば、自意識過剰なのだと思う。だからあまり考えないようにしている。しかしそれでも、心の奥底にふつふつと申し訳なさが募るのだ。
部長は手続きを済ませると、本を差し出して笑顔で言った。
「面白い本を選んだな。面白いと言っても、わくわくする方じゃなくて、興味深いの方だぞ。……あ。読む前にハードルを上げてはいけなかったな。今のは聞かなかったことにしてくれ」
即座に訂正を入れる部長に、私は自然と笑いが滲んだ。
「いえ。他人の感想はあくまで他人の主観的意見ですから。でも参考にはしますし、部長が言うのなら間違いないでしょう」
私の発言に、部長は少し目を見開いた。
「へぇ。興味深い意見だ。七瀬に信頼されていたとは知らなかった。そうだ、時間があるなら少し話していかないか? 今は、同じ委員の子しかいないから、喋る程度なら問題ないと思うのだが」
平時は数人ほど利用者がいるのだが、見れば今日はたまたま私だけのようだった。ならば確かに迷惑を掛ける相手がいない。
部長の提案を受けることにした。
「ええ、大丈夫ですよ。聞きたいことがありましたし」
「それは良かった! 七瀬とはあまり話したことがなかったから、一度話してみたかったんだ」
部長は爽やかに笑んで言った。やはり、なんとなく眩しい。後光が出ていそうだ。浄化されそうな気分になる。
部長に勧められ、椅子を受付前に運んで座った。カウンター越しに雑談とは、妙な気分だが、これも数ある青春の一つなのだろうか。しばしの間と割り切ることにした。
「そうですか。それは良かったです。そういえば、部長も仕事とプライベートは分けるタイプなんですね」
「ん? 何の話だ?」
「以前、井門さんに尋ねたときに、そう仰ってたんですよ。部活とそれ以外の場合で、部長への呼び方が違うことを指摘したときに」
一拍のち部長は合点がいったようだった。
「……ああ! ははは、そんなこと、気にもしたことがなかった。なんだろう、自然とそうなっていたんだな、多分。今まで意識したことはなかったな」
「そうでしたか」
部長の心にも、穏やかながら少年がいたようだ。こうなると、轟さんと八木さんの中にも存在するのかが気になる。特に轟さんは気になる。少年がいそうなイメージが湧かない。
「井門とは先に話したことがあったんだな。他の皆とはどうだ? だいぶ打ち解けられたか?」
部長の質問に僅かに戸惑った。部長の言う「打ち解ける」とはどのような状態を指すのだろう。警戒は、轟さん以外にはされていないと思うが、親密にもなっていないように思う。そして当事者である私が、客観的に判断することは難しい。
「どうでしょうか。邪険にはされていないと思っていますが。部長からはどう見えますか?」
「そうだな……皆面白い者ばかりだから、不仲だとかの心配はしていない。ただ、七瀬はまだ一歩、いや、三、四……五歩、ほど距離を置いている気がしてな。ああ、いや、親密になることを強要しているわけではないんだ。まだ入ったばかりであるし、これから互いに、色んな姿を知れたらと思っている。……迷惑だったか?」
「いいえ。まったく。わざわざ気にかけていただいていて、嬉しいです」
……嬉しい? 自然とそんな感想が突いて出た自分に、自分で驚いた。……なぜなのだろう。気にかけてもらうことが嬉しいと、単純にそう感じた。
――だが、今の発言が如月であったなら?
胃酸が逆流しそうである。なぜか。それは如月が嫌いだから?
しかし、相対しておらず冷静であろう今の状況で、「如月を嫌い」と言い切るのは何か違和感があった。如月の発言は嫌いだが、如月の存在そのものが嫌いなのだろうか。
「なら安心した。そういえば聞きたいことというのは?」
部長の質問で、意識を対話に戻した。
「ああ、部活名のことなんですが、由来と言うべきなのか……意味が分からなくて。MJとは一体何の略称なんですか?」
「なんだそれか。別に、大層な意味はないんだがな。表向きは『名状』。名状しがたい、とかのあの名状だ。元々はメイメイジジョウだ」
「メイメイ――……なんです?」
……わけがわからん。
MJ部は思っていた以上に、意味が分からない部だということは分かった。
すると部長は、手元にあったメモ用紙に、さらさらと文字を書いて見せた。
「漢字で表すと二通りある。一つ目の『命名二乗』は名付け、名前が二乗。ショウジショウジ、がそうだな。正確には二乗ではなく掛ける二だろうが、細かいのはナシだ。二つ目の『銘々事情』は……ほら、俺と桜はちょっと複雑だから、それぞれにワケがある、で事情だ。今ので分かるか?」
漢字を見ると、何となく部長が言いたいことは察することができた。しかしなぜそんなことを名前にしたのだろうか。
「概要は分かりました。しかしMJ部である必要は? 名状部でも良かったのではないですか?」
「名状部って訳がわからないだろ?」
身も蓋もない。しかしまだ「名状」の方が、活動内容を言い表わせているのではないのか。
「それはそうですが。それはMJ部も同じでは」
「そう。だからMJにしたんだ。まだMJの方が想像の余地があるだろう? さっきの七瀬みたいに、何の略称だろうって」
「……なるほど?」
部長の言も一理あるか。私は部長の思惑に嵌った典型例ということだ。となると校内でどれだけの人間が正確に、MJ部の由来と活動内容を知っているかだが、どちらも知る必要はないことを考えると、ごく限られた数だろう。そもそも存在自体あまり知られていない気がする。少し寂しいような、愉快なような。
すると部長は、淡々と語り始めた。
「部活名は何でも良かったんだ。俺たちの集団を表す名前であればそれで。最初は俺と桜がクラスで一緒になって、意気投合したのがきっかけだったんだ。お互いこんな名前だから、俺は勝手に、初対面だけど桜に親近感があったというか。そしたら桜も同じ感想だったんだ。そこから桜とは仲良くなって、他にも面白い名前の仲間を探さないか、なんて話になって。もしそんな奴がいたら変な名前どうし、一緒になって遊んだりする同好会みたいなのでも作ろうか、なんて、ふざけて話してた。そしたらほんとにそうなった。だから最初のきっかけの、俺と桜のことを名前にしたんだ」
部長と佐倉さんは仲が良かったのか。知らなかった。てっきり佐倉さんが一方的に懐いているのかと思っていたが。
「意味あるじゃないですか」
「はは、こじ付けのようなものだ。俺は親が再婚してこうなった。桜の方は、まあ、想像できるだろうし、想像どおりだろうが、本人から聞いてくれ。俺から話すことじゃないからな」
「ええ。心得ています」
あっさりと「メイメイジジョウ」の「事情」を告白した部長に内心驚いた。井門さんといい部長といい、気軽に話すものだ。おいそれと話すことではないと思うのは、外野だからこその感想なのだろうか。……と思えば私も「事情」を抱えた当事者であった。
過去を振り返れば、私も羽山さんや如月にそこそこペラペラと喋っていることを考えれば、そう大したものではないのかもしれない。時・場所・場合によるのだろう。
「そういえば、七瀬の作品、一足先に見せてもらった」
その一言で、胃に鉛が入った気分になった。
恐ろしい。恐ろしいが、同時に怖いもの見たさで感想を知りたい。感想なのか批評なのか添削なのかは分からないが。
「う。ど……どうでしたか」
「ああ、俺は好きだな。質素な面白さというか。辛辣なコメントのような感じがして。あ、褒めてないかこれ?」
「辛辣なコメント……」
部長の一言で、鉛は融解した。変だとか意味がわからないだとか、そういうのでなかったのだから何だっていい。今なら気兼ねなくコタツで緑茶を飲み、煎餅をボリボリ砕くことができる。なんなら部長に煎餅を贈りたい。部長と煎餅、似合いそうだ。今度、部活で差し入れようか。
「三つの中なら『大股旋回丸』が一番好きだな。ククッ、端的でユーモラスだ」
思っていたよりも褒められて、照れ臭かった。
「あ、ありがとうございます……。しかし、わざわざ覚えてらっしゃるんですか」
「七瀬のは、昨日見たばかりで記憶が新しいしな。それに全てではないが、印象的なものはそれなりに。『ドンツルペッタングンヌフヌフ』とか。ところで、七瀬はもしかして抽象テーマは苦手か?」
ドンツルなんたらヌフヌフ。ヌフヌフ……。作者は絶対に佐倉さんだろうが、テーマが気になる。ヌフヌフ……。
と、佐倉さんの作品に気を取られたが、部長は超能力者だろうか。なぜ作品を見ただけで、そんなところまで分かったのだろう。
「えっ、よく分かりましたね。どうしてですか」
「なんとなく、としか答えられないが。筆の進みが悪そうだなと感じた」
つまりは経験値により導き出されし『勘』か。積み重ねで磨かれた感性だろう。私には無いものだ。
「そうですね。抽象というよりも、曖昧なものに対する苦手意識は強いです」
それを聞いた部長は、柔和なまま、少し真剣さを足して言った。
「ふむ、そうか。人には得手不得手があるからな。七瀬には七瀬の得手不得手があるだろう。だが、わざわざ苦手に思う必要はないんじゃないか」
「と言いますと?」
「苦手に限った話ではないが、思い込みや決め付けは幅を狭める。それはつまり違う側面を見辛くしてしまう」
「固定観念ですか」
私には売るほどあるものだ。些細なことで、様々なものを枠に放り込んで見てしまう。
――私の持つ「嫌い」も固定観念だろうか?
「ああ。だが突き進むときには必要なものだ。何事もバランスだろうな」
「それは、なんとなく分かります」
例えば将来の夢だとか、目標だとか、そういうものには、思い込みという材料も必要なのではないかと思うことがある。私にはない。全てを捨てて、傾倒できるほどの熱意、誇り、希望、愛情、そういった突き進むときに必要な、輝かしいもの全てが。
錯覚や、陶酔できるだけのきっかけすらない。手にした瞬間、砂となって砕け落ちていく。
部長は時計を見ると、頃合いだとでも言うように立ち上がった。
「じゃあ、引き止めて悪かった。また、部活で」
「はい。ありがとうございました。お話伺えて良かったです。失礼します」
一礼すると、椅子を元の位置に戻して図書室を出た。




