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 約束した当日の放課後、部活ではざっと作品を見返した後、特に直さずに提出してしまった。初回ならば当たって砕けろという精神で、半ば自棄になって出したのだった。そうしてすぐに退散すると、駅から少し離れた場所にある図書館へと向かった。

 図書館に着くとパソコンコーナーで手近な席に座った。パソコンを触ってみたところ、インターネット検索機能しか搭載されておらず、絶望しながら泣く泣く手書きで仕上げた。幸いにも資料はいくつかあったので、本書で参考にできそうなものを数冊借りた。こういった本はあまり借り手が居ないのか、本の状態は綺麗なものばかりだった。

 そうして荷物を増やしてから、例のファミレスへと向かった。



 ファミレスに着けば、大まかに店内を確認した。如月はまだいないようで安心した。ファミレスは学校から見ると図書館と反対に位置するので、遅くなったかと危惧していたのだ。そして店内は相変わらずガラガラだった。

 ここ、本当に大丈夫だろうか。じきに潰れそうだな。……と、よく見れば建物の角、窓際の席に一人いた。お客さん、いたのか。

 なんとなく、その席からは対角に近い場所に腰を下ろした。見知らぬ他人といえど、あんまり聞かれたくない話だ。内容そのものは実に下らないことなのだけれど。

 如月を待つ間、借りてきた本を読もうと思ったが、先にドリンクバーとアイスクレープを頼んだ。

 夏のアイスが美味しいことは当たり前だが、冬のアイスも乙なものだ。ぬっくぬくの、暖か~い部屋で頬張る冷たいアイス。くふふふ。

 だがこのファミレスはぬくぬくとは言えない。それでも良い。歩いて来たのもあるし、寒くはないから大丈夫だ。

 いや、寒くても良い。冬空の下、寒風が吹き荒ぶ中、マフラーに包まれて、アイスを齧る。この馬鹿みたいな行動は、ただただアイスの甘さを求めるだけに集約し、そしてその寒さを前に霧散する。よいではないか。アイスを求めて馬鹿になる、大いに結構。ふふふ。

 ドリンクバーの紅茶を入れ、アイスに思いを馳せていれば、本を取り出すまでもなく、アイスクレープがやってきた。来たぞきたぞ。

 ふっふっふ。これは戦に備えた腹拵えだ。正当なる理由なのだ。何人たりとも我を邪魔立てする権利はない。

 目の前に置かれたアイスクレープは、「アイスクレープ」と呼ぶよりも、「アイス」と「クレープ」だと考えた方が良さそうである。チョコレートが掛けられたクレープの横にアイスが添えられているので、クレープがアイスを内包しているわけではないようだ。

 合掌すれば無意識に持ち上がる頬を諫めつつ、まずはクレープを一口大に切って食べた。う~ん、うま……い、のか、これは。生地がパサパサしていて、生クリームからは得も言われぬ「油」を感じる。クレープ全体が、咀嚼するより前にボロボロと崩れていくような……。中のバナナは特筆することはない。次いでアイスを食べた。あ、うまい。アイスは美味い。

 クレープとアイスを交互に口に放り込むことで事なきを得た。

 うん、まあ、寂れたファミレスのデザートならば、これで妥当なのかもしれない。腐ってなければ大丈夫だろう、保証はないけれど。しかし確実に意気消沈した。戦の前に士気を上げるはずのものが、逆に士気を下げるとは。ついでに体温も下がった。かなしみ。


 気分が少し沈んだところで、奴が――如月が来た。まるで図ったようなタイミングに、まさかこのアイスクレープも貴様の仕業か! と言いたくなるところだが、さすがにそれは彼の所為にしてはいけない。自業自得であるのだから。

 しかし因果を考えればこのファミレスを指定したのは如月であるからして――。


「お待たせ、梓真さん」


 如月はこちらまで来るとそう言った。

 待ってない。貴様など微塵も待ってない。私はクレープとの真っ向勝負に時間を費やしていたのだから、とは馬鹿らしくて言えない。そして客観的に見て明らかに待っていた状況なのに「全然待ってない」なんて言えば、それは如月を気遣ったことになる。それも釈だ。今の時間帯に適した挨拶はなんだ。


「お疲れ様です。どうぞ」


 私は立ち上がることなく会釈だけすると、机を挟んだ前席を示した。従った如月は座ると、変なことを聞いてきた。


「怒ってる?」


 いいや、意気消沈はしていたがな。怒ってるように見えるのか、この顔は。困ったものだ。


「いいえ。全く。本日はお時間頂きまして誠に――」

「いやいや良いよいいよ、そういうのは」こちらの言葉を遮った如月は、少し間を置いてにっこりと笑った。「僕たち二人の(・・・)問題だしね」


 視覚と聴覚から取得した情報に、なんとなく嫌ぁな気分になる。そう、真っ向から向き合っては駄目だ。心の座標をバックで入庫、オーライオーライ。

 私は一度目を細めると、気を取り直して話を進めようとした。


「では早速本題に……」

「あ、ごめん注文だけ先に済ませるね」


 ……それもそうだよな。私は気持ちが急いていたかもしれない。さっさと終わらせたいのだが、如月とのやり取りはいつもそうはいかない。毎回長丁場になる覚悟を持っていないから、より精神的に疲弊するのだ。

 店員を呼び、注文する如月を真っ直ぐ見ていた。凛とした横顔は、整っている。顔が良くて、頭が良い――らしくて、お金があり、運動も料理もできる。そんな人間の望みは何だろう。そんな人生を歩んだことがないから、何も想像できない。それを知るために、彼の提案を承諾しようと決めたのだが、果たして本当に分かるときなど来るのだろうか。

 如月はコーヒーを入れてくると、こちらを不思議そうに見返した。


「梓真さん? 僕の顔に何か付いてる?」

「……いや、すみません。不躾でしたね。綺麗だと思いまして、つい」


 私は言える部分だけ言うと、本題に入るため、仕上げた書類を鞄から取り出した。紙の端を整え、如月の前に置いた。

 如月を見ると、厳しい顔をしていた。な、なんだろう。普段笑っている分、妙に威圧感があり、少し怖い。顔が似ているわけではないのに、初めて会った瞬間の、高橋さんを思い起こした。私が不安を覚えていると、如月が口を開いた。


「梓真さんの……それは、どういう意味で言ったのかな」

「え? っと、言葉どおりの意味で、他意はなく、単純な感想です。不快でしたら、すみませんでした。たまに、思ったことを吟味せずに発することがございまして」

「いや……ごめん、怒ってるわけじゃないから」


 如月は唇を引き結ぶと、険しい表情で視線だけを窓に移した。見たことのない表情に内心驚いた。

 怒っているわけでなければ、それこそどういう意味だ? 苛立っている? それともトラウマか何かに触れてしまったのだろうか?

 不思議に感じつつも、本人が何の主張もしないのであれば問題はないのだろうと思い、私は説明を始めた。


「それは原案で、定義に関しては貴方の意見も取り入れるべきだと考えました。話し合ってから正式なものを渡します。条件に関しては、貴方が明らかに不当と感じるもの以外は、変えるつもりはありません。御確認ください」

 

 如月は表情を戻すと一度こちらを見たが、何事もなかったようにして書類を手にした。唇を噛んでいたのか、冬に似合わず血色が良くなっていた。

 さて、如月が読んでいる間は暇だな。借りてきた本を読んでいても良いが、契約者本人がいる目の前で『はじめての契約書の作り方』なんて本を読むのもな……ちょっとな……。

 大人しくドリンクバーを満喫するか。紅茶を飲み切ると、カフェラテを入れてきた。カフェで働いておきながらどうかと思うが、カプチーノやらエスプレッソやら、未だにコーヒーの種類があんまりよく分かっていない。確か焙煎がどうのと、ミルクの状態や分量がどうのという差だったように思うが……。

 バイト内での見た目と名前は、概ねちゃんと一致させているが、構造は記憶していない。今度ちゃんと勉強しようか。その点、私の知る範囲で、紅茶は淹れ方に違いはないから良いな。茶葉の違いだけだ。コーヒーは豆の種類だけに留まらず挽き方、淹れ方やらややこしい。だからこそハマる人にはハマるんだろうなとも思うが。

 そうして虚空を見ながら取り留めのないことを考えていれば、如月が読み終えたようだった。


「定義に関しては僕の意見も反映されるんだっけ?」

「はい。ただし、考慮はしますが、必ずというわけではないので。そのままにする可能性もありますが」

「まずこれ。月一はあんまりじゃない? 週二、三でも少ないよね」


 如月が示したのは定期的に共有する時間を設けること、というものだ。簡単に言ってしまえばデートであり、本心としては書きたくなかった条文だが、あくまで関係性を主張するならば、避けては通れぬと思ったから止むなく記したのであって、頻度はこれでも多い方だ。

 私は当然に反対した。


「そうでしょうか? 週二、三は多過ぎると思いますが。それに如月様自身、御多忙なのではないですか? 私に割く時間がそれほどお有りですか?」

「付き合いたてなら毎日放課後になんて聞くけどね」

「我々は一般的な関係性とは違うのです。我々は我々で、我々の定義を模索しましょう。他人と比較しても意味はありません。如月様の割ける時間がどれほどあるのか、が重要ではありませんか?」

「ところで何でまた敬語になってるの?」

「今私は如月様に、友達として相対しているわけではありませんから」

「ふうん……分かった。じゃあ週二」

「分かりました。そこまで仰るのであれば、月二に変更致します」


 私はシャーペンを取り出すと、書面にさっと「月二」の訂正を入れた。

 如月はようやく笑うと、腕を組んだ。なんとなく、如月が標準に戻ったような気がした。やはり普段笑ってる人間が笑っていないと、落ち着かない。そういう意味では常に笑ってる人は損なのかもしれない。高橋さんのようにあまり笑わない人が笑えばどきりとするしな。うむ。

 私は適宜笑っているから、そういう効果はなさそうだな。発揮したい相手もいないのだけれど。

 如月は苦笑しながら言った。


「そういう感じかぁ……。なかなか骨が折れそうだなぁ」

「他に気になる点は?」

「はいはい。言っていかないと遅くなるね」


 それは注文沢山あります宣言か。

 そうして如月と私はとことん話し合った。




 より寒さが増して暗くなった帰りの、バス停まで向かう道すがらに、如月はまたもや変なことを言った。


「今日は、梓真さんが僕との関係を真剣に考えてくれてたみたいで、嬉しかったよ」


 ……はあ。自己肯定感が高い人間はそういう考え方をするのだろうか? それとも如月だからか? どちらにせよ、内臓が爛れそうだ。特に食道の辺りが。


「左様ですか。喜んでいただけたノデアレバ何よりデス」


 するとくすくすと如月の笑い声が聞こえた。


「やっぱり答えは決まっている(・・・・・・)ようなものだった(・・・・・・・・)ね」


 ――その、何気ない会話を装った言葉に、違和感だけが響いた。

 如月の顔は多少暗かろうが、よく見える。横を見上げれば、その顔をにっこりとさせていた。

 ……「言ったとおりだろう?」とでも?


「そういう呪いをお掛けになったからでしょう?」

「あれは言葉の綾だよ。そんな能力はないから。梓真さんは、優しい真面目な人(・・・・・・・・)だって信じてたから」


 ――『甘ったれた愚直な人間』。


 目を細めた如月の、その言葉で背筋せすじが冷えた。

 奴が発したのは、肯定の言葉だったはずなのに。普段と変わりない、穏やかな口調で言っていたのに。まるで冷酷に鉄槌を振り下ろされた気分だった。

 それが思い込みだとしても、「優しい」や「真面目」なんて本気で思ってないことぐらい分かる。罠に気付かず突っ込んできた、愚かなイノシシ。そう言ったのだと。


「ええ。お望みどおりであったのであれば。良かったですね」


 自然と小さくなった返事に、如月はしっかりとした声で否定した。


「違うよ。ちゃんと考えてもらえれば、僕は必ず梓真さんの利益になるはずだから、受けてくれると思ってた」

「……そうですか」


 ……私の思い込みだったのだろうか。陰鬱な思考を跳ね除けられたような気がして、戸惑いを覚えた。

 バス停に到着すると如月がなぜか、こちらの頬に手を伸ばしてきたのが見えた。反射的にその手首を掴んだ。


「基本的に接触は禁止と表記いたしましたが」


 如月は一瞬不思議そうにしたが、すぐに笑って言った。


「でもまだ契約は結んでいないよね。それに今触れているのは梓真さんだ。いたた。ごめん、髪に埃が付いているのが見えたから」


 思わず腹が立って、一瞬如月の手首をきつく握りしめてしまったが、我に返ってすぐに手を離した。ダメだ、正面から向き合ってはいけない。嫌いな人間こそ、傷付けてはいけない。己の手をけがす必要はない。


「失礼しました。しかし口頭注意で済ませてください。髪も人体の一部ですので」


 冷たい風が吹き、バスのエンジン音が聞こえる。

 如月は、私が掴んだ手とは反対の手を振って、寂し気に笑った。


「分かった。気を付ける。それじゃあまた」


 君の表情は、言葉は、どこからが演技で、どこまでが本当なんだろう。分かるときなど来るのだろうか。


「……申し訳ありませんでした。失礼します」


 私は頭を下げ、停止したバスに乗り込んだ。

 たった一人の乗客だった。私が乗ると扉を閉めて、バスは発進した。日の沈んだ窓の外を眺めた。

 嫌いな人間ほど、傷付けてはならない。私はもう一度、同じ後悔をしたいというのか。


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