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12-1


 無事に報告書を下駄箱に届け入れ、普段通り本を読んでいると、女子数人に周囲を囲まれ質問攻めに合った。今度は井門さんについてだった。

 私には爽やか駿足好青年の認識しかなかったのだが、どうやら井門氏も名立たるモテヒューマンの一人だったらしい。そして、井門さんは女子と帰ることなどなかったと言うではないか。そんなこと言われても私にゃどうしようもないのだが、とにかくただただ事実を告げた。

 そしてまた、言われてから気付いたのだが、私自身も誰かと帰っていることがなく、その状態で初めて一緒に帰った相手が井門さんだったために、どういうことなのかと野次馬探偵たちが集合したようだった。うん、確かに登下校は(正しくは登下校も)いつも独り身のロンリーウルフだった。木枯らしと共に去る、正真正銘のぼっちだ。

 それにしてもなぜ私の帰宅事情を正確に認知されているのだ。誰だ、わざわざこんなしょうもないことを言いふらす脳味噌コンニャク人間は。見つけた暁にはおでん行きだ。顔面に芥子を塗り込んでやる。大体他人がどう帰ろうと関係ないだろう。興味あるか?……あるから詰め寄られているんだよな。価値観の違いか。

 兎にも角にも、ただの部活帰りだと、他意はないと、穏やかに主張を繰り返した。何とか納得を得て、解散する頃には朝休みがほとんど終わっていた。

 女生徒たちの尋問を受けて、無駄に疲弊した。無意義な時間を過ごした。

 こんなことを繰り返す彼女たちには、他に楽しいことがないのだろうか。何か別に夢中になれるものがあれば、こんなくだらないことに、気を取られることもなくなるんじゃないか。なんて、自分も大して夢中になれることがない身で、言えたことではないのだが。

 何か、彼女たちに楽しみを提供できるのであれば、まずは私自身が趣味を増やさなければならない。そして彼女たちと友好的な、または友人として関係を築かなくてはならない。

 友好的には即座にできないので追い追いとして、まずは趣味だな。何か良い趣味はないだろうか。

 女子高生ウケの良い趣味……気が向いたら本屋で探してみるとしよう。

 新たに自らの課題を宿し、本を読みながらチャイムを聞いた。




 学校が終わって帰宅すると、またすぐにバイトへと向かった。

 エプロンを付け、準備を整えたところで、ふと違和感に気付いた。マスターがいない。奥さんもいない……!

 誰もいない? 今日は休みだったか? だがそれならば鍵が閉まっているはずだし、電気も点いていないはずだ。

 少し不安を覚えながらキッチンへ入ると、人がいた。食器を洗っている。いたのは良いが……誰だ?


「あの、すみません」


 声を掛けると、こちらを見た男性は一瞬驚いたかに見えたが、すぐさま睨んできた。うむ、不審者を見る顔だ。

 心情としては私も同等なのだが、それではいけない。この店のエプロン姿で食器を洗ってるということは、同じスタッフだと分かる。挨拶せねば。


「初めまして。先々週ほど前に入った七瀬です。よろしくお願いします」


 言い終えて頭を下げた。顔を上げると男性から険は取れていた。


「ああ、美春ちゃんの言ってた……。……高坂たかさか。よろしく」


 ミハル……? 確か奥さんの名前だったような。どういう関係だ? そんなに仲が良いのか? もしや親戚か何かなのだろうか。

 よく見れば、なんとなく顔の雰囲気が奥さんと似ているような気もする。奥さんが総合的に派手で華やかな顔立ちなのに対し、高坂さんはあっさりしているが、目元には華のある感じだ。


「今日はマスターと奥さんはどうかなさったんですか」


 二人とも肩と腰でも痛めたのだろうか。

 しかし二人揃って体調不良となると、食当たりとかだろうか。もしくは風邪か感染力の強い病気か。


「デートって」


 ――デートかい。心配を返してほしい。

 営業日に経営者が休むとは一体どういうことなんだ……。自由すぎる。私としては、私に害さえなければ、ルーズな方がありがたいところではあるが。

 高坂さんは呟くように言うと、それきり皿洗いを再開した。

 これ以上話しかけるなという雰囲気は分かるのだが、年齢だけでも教えてくれ。こちらの対応も若干変わるのだ。


「……そうですか。私は高二なんですが、高坂さんはおいくつですか」


 高坂さんは数秒の間を置くと、ぼそりと呟いた。


「大学。二年」

「分かりました。では、業務に戻りますので、よろしくお願いします」

「ん」


 ほんの一瞬、高坂さんが安堵した表情を浮かべたような気がしたが、気のせいだろうか。もしや今のやり取りの中で、何か苦手意識を持たれるようなことを言っただろうか。

 見なかったことにして、私は店内の清掃に向かった。



 あと三十分ほどすれば、今日の営業は終わってしまうのだが、やはり客足はあまり芳しくなかった。清掃範囲だけ着実に増えていくようだ。

 土曜に入っているときは、それなりに仕事があるので、平日の夕方以降がどうやら寂しいようだ。

 高坂さんはカウンターにいた。淡々とコーヒーを淹れている。しかし注文も無ければお客さんもいないのに、そのコーヒーをどう消費するつもりか。

 高坂さんとの会話らしい会話といえば、一番最初の会話以外、あとは業務連絡のみだ。最初の会話も業務連絡と言われてしまえば、何も言えないのだが。

 しかしたったそれだけでも、彼はコミュニケーションを避けている、又は必要ないと感じているタイプだと分かる。

 従ってここで軽率に「何してるの?」と聞けば「コーヒーを淹れている」で終わってしまうタイプだ。更に「はい」か「いいえ」で答えることができる質問なども、それだけで会話が終了してしまうタイプと言えるため、現段階では非推奨な問い掛けだ。ある程度会話を続けたいのならば、肯定か否定以外の答えが望める質問をしなければならない。

 カウンター越しに高坂さんに質問をした。


「なぜコーヒーを淹れているのですか」


 無難だが、はいかいいえ以外の答えになるはずだ。

 高坂さんは一瞬、ビクッと肩を震わせた。

 ……驚く要素はあっただろうか? いきなり話しかけたからなのか。

 すると高坂さんは、何事もなかったかのように作業を続けながら、努めて落ち着いた様子で答えた。


「練習」


 ん? 練習が必要な段階であるのに、店を任されているのか? それとも彼がいわゆる芸術家思考で、自身の能力にまだまだ納得できていないというやつなのか。

 後者でなければお客さんからお金は取れないだろう。後者であっても、人によっては出すべきでないと考える人もいるだろうが、ここはお金を貰えるだけの腕はあるが、彼の極めて個人的な、更なる技術向上と捉えることにする。

 しかし「なぜ練習しているのか」なんて質問も灰にす可能性が高い。目的や目標を答えてくれれば良いが、およそうまくなりたいから、という流れにしかならないだろう。

 では「淹れ方に違いがあるのか」という質問ならば、私の正確な感想ではあるものの、これまた違いがあるから練習しているのは明白であり、分かり切ったことを聞くのはコミュニケーションを望まない相手には相応しくない。

 現時点で私が思い付く質問は……。


「どのような味を目指しているのですか」


 高坂さんはコーヒーを淹れ続けている。

 私の声は聞こえているようだが、答えるのには数秒を要するらしい。やはり集中しているのだろう、次で最後にしよう。


「……マスター」


 高坂さんはまるでどうでもいいように、投げ槍な言い方をしたが、それが何となく照れ隠しのようにも感じた。

 へぇ、ということはマスターの淹れたコーヒーというのは美味しいものなのか。店を閉めた後で何度か淹れて頂いたことはあるが、普段コーヒーを飲まないがために、マスターのコーヒーが美味しいのかどうなのかが全く分からなかった。いや、不味ければまずカフェなぞ開けないよな。うむ。


「高坂さんから見てマスターの味はどのような味ですか?」


 私が再び質問をすると、ギロリと一度睨まれ、その後、高坂さんははずっと手元を見ていた。


「……」

「……」


 今の睨みは、答えるつもりはないという意思表示だったのだろう。諦めて退散しようとしたところで、ようやく彼はぼそりと呟いた。


「…………安心する」


 返答に要した時間の記録更新だ。睨んでおきながら答えるつもりだったことに驚いた。思わず私は感想を零した。


「へぇ、そうですか。マスターのことがお好きでいらっしゃるのですね」


 ブェッフ! ゲッホ、ごっほ、ガホ……!

 高坂さんは盛大にむせた。面白い人だ。


「な、ば、何だよ、いきなり」

「違いましたか」

「ちがっ……! 違う……こともない、けど、そういう話じゃなかっただろ」

「それは失礼しました。業務に戻ります」

「アンタ何がしたいんだよ……」


 高坂さんは動揺と呆れを混ぜて言った。

 暇なので意思疎通を図るという名のサボりを目論んでいました、と正直に言うのはさすがに憚られるので、笑顔で誤魔化し、清掃に戻った。



 ようやく閉店を迎え、帰り支度を済ませて帰ろうとしたところで、レザージャケットを着た高坂さんが邪魔に……失敬、立っていた。スタッフルームは少し狭いので、ロッカーの前に立たれると、接触なしには通り抜けできない。

 声を掛けようとして、なんとなく、その服装で外に出て寒くはないのだろうかと思った。しかし、心配する間もなく、ネックウォーマーにニット帽や手袋など、防寒具が一式揃ったところを見れば、どうやら杞憂のようだ。

 結局あのコーヒー群はどう処分したのだろうか。取れる手段は、飲むか捨てるかしかないのだから、どちらかを行ったのだろう。わざわざ尋ねるまででもないか。

 すると高坂さんが事務机に移動したので、挨拶をして帰宅することにした。


「お疲れ様でした。お先に失礼します」

「あ、待って。送ってく。すぐ終わるから」

「エッ」


 私があからさまに怪訝な顔をしたせいか、高坂さんは一瞬ムッとしたような表情をした後、顔をそらし視線を彷徨わせた。


「み、美春ちゃんに言われたんだ。ちゃんと送ってくのよって」


 なぜ今更そんな。今までマスターや奥様に送られたりしたことはないし、一人で帰っていたのに。

 そもそも普通「送る」とは、どこまでを指すものなのだろう。家まで、となると羽山さんとの都合上よろしくない。途中まで、となるとまことにどこまでなのか。

 送られた経験がないので、うまく判断できない。


「その……必要性を感じられないのですが、どうしてでしょうか。今まで一人で帰ってきましたが」


 思わず質問をすると、高坂さんは眉間を詰めた。


「俺に聞かれたって」


 奥様に聞いてくれ、ということか。面倒だな。奥様に言われたので実行しているということであれば、口裏さえ合わしてしまえば済む話ではないか。


「左様ですか。ならば奥様に問われた場合は『送った』と答えてくだされば問題ありません。大丈夫です、私も問われた場合は話を合わせますので。では」


 すると高坂さんはより眉間の皺を深めた。


「嘘はつきたくないんだけど」


 融通の利かん野郎だ。おっと、言われたことに忠実な素晴らしい学生さんですこと、オホホホ。

 ここは大人しく従った方が早く済むだろう。

 仕方ない、徒歩で帰れる距離なのだが、遠回りになる上に運賃のかかるバスで帰ろうか。まだ最終の時間ではなかったはずだ。


「……では、バス停までよろしくお願いします。お手数お掛けします」


 私が軽く頭を下げると、高坂さんからは拍子抜けしたような空気が滲み出た。


「やけにあっさりなんだな」

「どちらかが折れるしかない場合は、立場上私が折れるべきです」


 高坂さんは「ふうん」と答えると、それきり目を合わせることはなく、店仕舞いをした。私はなんとなく先に外へ出て、冷えた夜空を見上げていた。



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