11-2
帰宅すると布団を取り込み、敷き直した。
任務完了だ。布団は乾いてた。今夜は爽やかに寝ることができるだろう、多分。
リビングに座ると鞄を開いた。菓子と作品集、授業の課題を机の上に出した。順番に処理していこう。
まずは菓子だ。パッケージを見るに、一口サイズのものが何粒か入っており、「ザックリ食感」の何かをチョコレートでコーティングしているようだ。これは冬だから良かったものの、夏ならば危し存在だったな。
合間につまむとして、まずは一口食べてみる。うむ、うまい。「ザックリ食感」だ。
ボリボリと頬張りながら、菓子と併せて入っていた紙片を手に取った。二つ折りにされていたのを広げ見た。
『総合栄養価が高いので、疲れたときにどうぞ』
無記名だが……この字は如月だ。やはりこれはあの女の子本人からのものではなく、如月に使いっ走りにされて届けられた、ということだ。
ほんの少し、僅かにでも井門さんの言うように、私自身を応援してくれる存在かと、少しだけ期待したのだが。敢えなく散った。むなしい。
後輩どころか同じクラスの人にさえ関わりのない私が、そんな物を貰えるはずもないのだが。考えれば分かる話だ。自分で思いながら虚しくなってきた。やめよう。
それにしても、奴は変わらず人使いが荒い奴だな。接触するなと言ったからにせよ、直接でなければ良いというものではない。私に関わろうと思うのがそもそもいかんのだ。ねじれの位置は、永遠に交わることがないものだ。無理に座標を変えようとするな。
――しかしなぜだ? 何の意図で、どういうつもりでこれを届けさせた?
私を労るフリをして、奴に一体何の得があるというのだ。交渉を円滑に進めるための賄賂か。
だが奴の求める「実利」は、変化の幅がないものだ。どうしろと言うのか。何を、考えているのか。
いや、答えの出ん問いについて考えるのは不毛だ。やめたやめた。
さて、課題をさっさと済ませてしまおう。これが一番早く終わりそうだ。しかし課題はなくしていく方針ではなかったのか。長期休暇だけの話だったのか。
課題が終わったところで、ご飯を食べることにした。今日もお茶漬け、だ。
お茶漬けを掻き込んだ後、机やシンク周りを整理した。
緑茶が飲みたい……がそういえば切らしていた。やむなし、紅茶を入れた。
次は作品集の研究だが、その前に羽山さんに確認を取ろう。
しかし、何と言えば良いのか。
自由に出入りできる、の定義はなんだ。鍵を渡せということか? それは私が居ないときでも勝手に入れるということか? 良いのかそれは、羽山さん以前に私として。良いのか私? 良くなくないか?
……あれ? 大丈夫だと言ってしまったような。というか言った。あれ?
いや、待て。まだ余地はあるはず。私が居ないときでもとは奴も言っていない。ここは奴のやり方に則って「私は言っていない」と言い切るほかあるまい。
私がいるときは気兼ねなく来てもいいよ、という可愛らしいニュアンスにしてしまえば怒り辛いだろう、たぶん。
ところで羽山さんにどう伝えるべきかだが。
鍵をなくしたので作って欲しい? いやそれはダメだろう。
友達が羽山さんの別荘に住みたいと言っている……? いや、怪しいだろう。
できるだけ正直に、所々ぼやかすのが何事もベストだ。
友達が遊びに来たところ、いたく別荘を気に入り自由に出入りできるようにしてほしいと頼まれたがどうすればいいか? そうだ、これでいい。一人で考えても分からぬことは聞いてみるべきだ。そうだそうだ。
羽山さんに尋ねたところ、「じゃ、面接するから日曜その子呼んでおいてね」と言われた。
通話が切れ、受話器を置いた。
…………マジで?
面接、とは?
如月と羽山さんの二人で? それとも私を入れた三人か?
面接。面接……? 面接とは何たるか。
羽山さんは羽山さんで、何を考えているのか分からないことが多々ある。そもそも死角からの豪速球デッドボールだ、避けられるはずもなく打撲する。
何を聞かれるのだろう。何も予想できない。本気で羽山さんの考え方が、次元から分からない。多分羽山さんは五次元あたりで生きているのだ。理解できるはずがない。
ここはもう如月に丸投げするしかないのではないのか。私がいくら足掻いたところで提案したのは如月だし、私は聞かれたことを答える以外に何もできない。
しかし如月との関係性を聞かれると厄介だ。大して仲良くもないのに出入りさせるのか、などと問われれば余命宣告だ。いや、しかし付き合うのならば別段不思議は……――アッ⁉︎
付き合、ちょっと待て。
私と如月は付き合うのか……? そうだ、そういう話だった。だが、あの如月と?
いやいや。私は何を今更、どうした。散々その前提で話を進めてきたじゃないか。え?
今更過ぎる。だが奴と、奴と付き合うのか? あー……、本当に今更だ。勘弁してくれ。馬鹿だ私は。大馬鹿野郎だ。
こうして我に返ると、とんだ悪手を講じた気がしてならない。やはり誰かがいる空間での判断はダメだ。一人きりの空間でなければ、しっかりと考えられない。
だがまだ、まだ大丈夫だ。とにかく如月が承諾できようもない無茶苦茶な条件を付ければ良いのだから。……これがなかなか思い付かないのだけれども。
とりあえず、まずは如月との関係性を白黒付けねばならん。しかしそれを決めるには羽山さんの許可がいる。羽山さんに尋ねた際、もし如月との関係性を聞かれれば、……ん? こ、これはどういうことだ。メビウスの輪……? エッシャーの滝……?
落ち着こう。風呂に入ろう。思考をリセットだ。
風呂から出ると、もう一度机の前に座り、先に作品集の研究をすることにした。考えるのをやめた。
あのまま考えていれば確実に脳の回路が焼け落ちたに違いない。もしくは胃にぽっかり穴が開いていた。
誰がどのような作風なのかを大まかにまとめた。そして具象テーマと抽象テーマでの比較と傾向もなんとか掴んだように思う。
あとは自分のアプローチをどうするか、だが、これが何にも思い付かない。まずは手当たり次第に作ってみて方向性を決めた方がいいかもしれない。始めから決めてかかって、そうできるとは限らないだろうし、自分の得意、不得意もあるだろう。
ああ、こういう芸術は昔から頭を悩ませるタネだ。絵は理科のスケッチだし、歌は腹から声が出せるだけだ。
笑えるほど下手なわけではないが、やはり上手くはないし、どちらかに分類するならば下手だ。
いや、考え過ぎるのが私の悪い癖だ。これは文字の組み合わせだ。初心者ならばうまく作ろうとしなければいい。初めてだもの。よし。
与えられた三つのテーマに対しそれぞれ五つずつ、合計十五作品作ったところで力尽きた。もう何にも出ない。
あとは一つずつに絞って、部長に提出して今週のノルマは達成だ。推敲は次の部活でして、後回しにした頭痛のタネを少しでも摘んでおかねば。
だが……。
契約書に取り掛かろうとして、ふと思う。
私はなぜこれほどまでに如月を警戒しているのだろう。なぜ怪しいと思い、彼を厭うのか。彼に対しての思い込みは自分でも強いと思う。客観的に見れそうにないし、主観が取り払えそうにない。なぜ。何がきっかけで、何か意識できない原因でもあるのか?
原因について今は分かりそうにないが、彼を厭う主な要因は「何となく」、そして「勘」だ。
「何となく」も言ってしまえば勘になるが、勘よりももっと漠然とした、理由のないものなので放置しておく。
では「勘」は。勘は彼の言動、表情、しぐさなどから得られる情報を総合的に判断し、「不愉快」と表現した。だが私は「勘」が辿ったプロセスを知らない。だからこそ主観的としか表現せざるを得ない。
ならば「私」がちゃんと如月のことを判断しなければ。
奴の怪しい点はどこにある?
奴の発言を全て正しいものと仮定して、行動を振り返る。
奴は転校前から私を知っていた。「転校生」が来ると。しかし名前は知らない。たぶん顔も知らなかった。私が転校してきてから噂を聞いた。「転校生」は「ナナセ」「アズマ」であの「別荘」に住んでいる。
――私が窓越しに、如月を初めて見たのはこの噂の前後だろう。前と後では大きく意味合いが違うのだが、今は判定しようもないので放置する。
真相を確かめるために私との接触を試みる。教室に入り、振り向いた顔が見慣れない顔だったので「アズマナナセ」で間違いない。放課後に話し合いの約束を取り付け、教室を出た。
ファミレスで別荘見学の交渉をする。理由は羽山さんの作品が好きだから。見学は可能となった。ここまでは分かる。
不思議なのは友達申請をしたことだ。話していて別段気が合うやり取りをした覚えはない。大体友達の定義も分からない。ただ数分話しただけで友達、同じ学校にいるのなら友達、そういう気軽な人もいることは分かる。だが奴は気軽な人間には思えない。それとも顔と名前を覚えたら友達か?
そして別荘見学となった。部屋を見て回る姿には、そう違和感はなかった。羽山さんの作品が「好き」だという感情と、不一致な部分は見当たらなかったからだ。なぜか? 如月は笑っていた。奴の笑いにはいくつか種類があった。――これも勘による判断だが――あの時は素直に笑っていた、と思う。
ここまでも、行動の点で不思議はない。だが如月の心理状態としては、違和感が残る。「友達申請」は百歩譲れたとして、「恋人申請」は如何なるものか。
最大の謎は「恋人申請」、つまりなぜ如月は「付き合おう」と言ったのか、だろう。
ここまでの私とのやり取りで、如月が私を好きになる要素はあったか? どう考えてもない。好かれるようなことをしたこともなければ、私が好意を示したこともないし、大した日数経過もない。例外としてあるのは、三石先輩のように外見が好きだったという場合だ。
しかし如月が私の外見に対し、褒めたりだとかの好意的感情を示した記憶はない。
――分かった。如月の行動だけに関しては概ね問題ない。如月の私に示す、私に対する「感情」と「言動」に怪しさを感じるのだ。感情と言動が伴っていないように感じる。そこに怪しさがあるのだと。
……しかし、如月が本当に私を好きでないのかどうかは、如月本人にしか分からないことだ。ならば私は問い質さねばならない。私のどこを以て好きだと思うのか。
けれどその行為は、如月の信憑性を判じるためのもの。如月を信じる、信じないを確定させたところで、何の意味があるのか。今問題としている、付き合うか否かという問いに影響はあるのか。
信じない場合は、特に変化はない。現に今私は奴のことを信じていない。ならば信じた場合はどうか。如月が私を本当に好きならば、私も如月との関係性を建設的に考えたいと思う……と思う。たぶん。
だが建設的に考えたところで、これまた変化はあるのか?
私が契約書を作成するに際し、無茶苦茶な条件を入れるか入れないかが変わるだけだろう。
……この無茶苦茶な条件とやら、本当に思い付くのだろうか。うむ、思い付く気がしないんだなこれが。それに私の如月に対する心情が変わるだけで、現状に変わりがないのなら、始めから前向きに真剣に、考えた方が良いのではないか。
契約書は真っ当に作ろう。真面目に、誠実に取り組もう。
よくよく考えれば、如月と付き合う利点はある。我が切実なる願い、料理技術の向上が望める……はずだ。
今日はとりあえず、自分だけで考えられる範囲だけ考えて、どうしても話し合いが必要な部分は置いておく。
如月ともう一度話合わねばならない。
学校以外でとなると、今私が取れる手段は電話ぐらいだ。あとはあの寂れたファミレスに呼び付けるかだな。携帯があればメールなどの、文字でのやり取りという選択肢が増えるのだろうが、無い物ねだりは無駄なことだ。
とりあえず面接の件は如月に報告せねば。契約書について大まかに片がついたところで、新しいルーズリーフにミミズを走らせた。
やむなく電話受付時間を拡大することにした。もしくは掛けても良い時間を教えろと書いておく。ついでに、一週間という期限も延長してもらえるように打診しておくか。しかし奴の様子からしてそんな慈悲は期待しない方が良さそうだ。小さな溜め息とともに紙を折り畳んだ。
あとは明日の如月に聞け。今日の私は寝る。
ああ、またもや早く起きねば。まるでご長寿さんのような生活だ。健康で結構。
布団に潜り、目を閉じた。干したことでなんとなく前よりふかふかになったように感じた。
私は如月とどういう関係を構築していくのだろう。どうなりたいのだろう。
私はこれからも固定観念や、偏見なく如月を見ることができないと思う。少女漫画の主人公ならば、ありのままのあなたを見てるの! などと言えるのだろうが、生憎、少女漫画の主人公とは程遠い存在なのが私だ。
誰かを恨み、憎み、疎ましく思い生きてきた。疲労だけが色濃く残るエネルギーを消費して生きてきた。そしてその名残りはまだ、完全に消失してはいない。
私は誰かを愛せる人間になれるのだろうか。




