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1-3

 羽山さんは少し考えているようだった。


「……そう。こういうこと、私に聞く義理ないと思うけど、お金の方はどうなってるの? 自分一人で全部出して食べていけるの?」

「それは、大丈夫です。先日までは、二人とも何事もなく生きてこれましたから。むしろ一人分必要無くなったので、これからは余裕が出るかとは思います」


 羽山さんは小さく驚くと共に怪訝な顔をした。


「えっ、今まで二人分ってどうやって、そんな。亡くなるまでお父さんは一体何を」

「父は何もしていません。いえ、正確にはお金を減らすことはしていました。私はただ、兎にも角にも働いて、――働いただけです」


 羽山さんの言いたいことは分かる。女子高生が普通のアルバイトだけで自分のみならずもう一人養うなど、そうできる事ではない。休み無く働きはしたが、日々の生活費はギリギリだった。

 勿論人様に言えないような非合法なアルバイトをしていた訳ではない。ただ単に必要な分は貯金を切り崩していただけだ。

 父に見せる事ができる表向きの通帳と、もう一つ母と私しか知らない通帳があった。父は通帳に入った分だけ使い倒してしまうので、裏の通帳が必要だった。

 まだ父が健全だった頃、母は所謂ヘソクリの為にその通帳を使用していたが、破綻した後の数年間は、私の為に貯めていてくれた。母は何となく、死期を悟っていたのだろう。母の死ぬ一ヶ月前に詳細を聞き、父の監視を欺く方法を伝授された。


「今は、家を見つけるのが最重要事項でして。先生には一応相談して、お休みを頂いて。休日でも良かったんですけれど、早く一人の時間が欲しくて。今の状態で授業を受けても、身に入らないと申し出ると、納得して頂いたので」


 羽山さんは、暫く何かを考えているようだった。大して面白くもない、寧ろ不快と思っても相違ない話を聞かされて、言葉を失くしてもおかしくはない。


 放課後に、私から話があると申し出た時の担任教師は、明らかに同情した目で私を見ていた。それほど好都合なことはなかった。落ち着いたら学校に来なさい。悩むことがあったら、先生に相談しなさい。確か、そんなことを言っていた。毛ほどもそんな気はなかったが、謝辞を述べた。


 そう言えば出席日数はどうなるのだろう。あまり休むと今後に響く。何にせよ早い方が良い。二、三日が理想だが、手間取ると一週間はかかるかもしれない。

 羽山さんはまだ黙ったままだった。やがてこちらに真剣な面持ちを向けると、ほんの少し身を乗り出して言った。


「分かった。やっぱり、梓真ちゃんが私の探していた子だと思う」

「――は?」


 呆気に取られて目を瞬いた。

 予想外、どころではない。羽山さんの返答は、予想の外、更にその先にある未知の世界からやってきた。地球外来返答だ。


「何……、どういう意味ですか」


 答えを待つ為に羽山さんを見つめた。

 眺めていると、にぱっと笑って頬杖をついた。


「梓真ちゃんって、占いって信じる?」


 今の質問はどう繋がるのだろう。全く意図が読めない。意味は分かりそうにないが、とりあえず、答えることにする。


「う、占い、ですか?……物によりますね。テレビや雑誌でやっているような血液型占いや星座占いを信じることはありません。でも、手相占いとかなら、信じるかもしれません」

「それなら私と似てるかも。私の好きな人が、私のことを占ってくれたんだけど、今日探してるものが見つかるかもしれないって」


 羽山さんは、頬に付いていた杖で私を指した。


「それが君」

 

 私はただ前を見ていた。

 やがて左に首を傾げた。反対にして右にも首を傾げた。元に戻した。

 羽山さんはにっこりしたまま姿勢を戻した。


「彼の占いだけは、信じてるんだ。よく当たるんだよ?」


 そういえば何の話をしていたのだったか。

 占いが好きかどうか。そうだ。羽山さんは占いが趣味で、最近行った占いでは良い結果が出てハッピーだった。と喜んでいたら好きな人と出会えてハッピーハッピーだった。だから占いは最高のソリューションでエンターテイメントだった!

 ――違う。

 全然違う。

 何一つ合っていない。何がハッピーだ。

 落ち着け、そう驚くような話じゃない。まずは話を聞くのだ。


「探していたって一体」

「私の話、聞いてくれる?」

「今まさにお聞きしてるところですが」

「そういう意味じゃなくて」

「すみません」

「提案なんだけど」羽山さんはにこやかに言った。「私の別荘に住まない?」

「……べッ。ベッソウ?」

「そ。別荘」


 羽山さんは期待に満ちた笑顔をしていた。





 私はまだ羽山さんの放った言葉の意味を捉えかねていた。

 アイスティーを蓄えていたグラスは、空になってからもう、何も注がれることはない。後は回収されるまで、このままここで立ち尽くす他あるまい。

 別荘と言うと、あの、別荘だろうか。お金持ちしか持つことを許されない、一般庶民とは、縁も所縁もない、あの。

 羽山さんは天使とも悪魔とも分からぬ、穏やかな微笑みを湛えていた。


「君は家を探しているわけでしょう。一人で住める所を」

「はい」

「そこで」


 羽山さんは間を置いて言った。


「家賃と電気・水道・ガス代がタダで住める家があるって言ったら、どう?」


 ――甘言だ。無料などという言葉は、蜂蜜よりも甘く、アナフィラキシーショックよりも恐ろしい。世の中に溢れるタダの裏には、タダでなかったモノ達の屍がごろごろと転がっているのだ。

 家賃だけでなく電気・水道・ガス代がタダ? 全てが? そんなうまい話があるか?

 ……だが、これだけ美味い話をみすみす逃すのも愚の極みである。提示される条件が如何程のものであるか。それが分かるまでは、まだ結論を出すのは尚早であった。

 羽山さんは続けた。


「私の方は、住み込みで家を綺麗にしておいてくれる人を探していたんだ。タダで。つまりタダで住める代わりにタダで掃除に維持管理をしてもらうってこと。これは、お互いの利害が一致していると言えない?」


 言える。むしろ万々歳だ。要は掃除していればタダで住めると言うことだ。

 だが、まだ何かあるだろう。

 私が何も言わないでいると、羽山さんは話を進めた。


「その別荘は、海と山の間にあるんだ。夏の間に数日だけ寄る別荘。でもそれ以外で寄ることなんてほとんどないから、ほぼ一年中放ったらかしなわけ。だから定期契約で業者に掃除を頼んでるんだけど、それも面倒になってきて」


 羽山さんの話は、内容ではなく話し方に、その別荘が好きなのだと、なんとなく感じ取れた。大して寄らない別荘に掃除を頼む時点で好きだというのも解りはするが。

 私ならばもし仮に別荘があったとしても、掃除を頼んだりはせず、ほったらかしであろう。しかし別荘など買える身分ではないので、実際どうなのか全くわからないのだが。

 羽山さんは腕を組んだ後、指でとんとんと顔を叩いていた。


「たまにふらっと訪れたい時に急に頼んだりもできないしね。私は行きたい! と思ったときに行きたくなるけど、さすがに業者に当日に……とかは無理だし。となると定期的に頼んでおかないと、ってなるわけ。でもそれってやっぱりロスも多いしな、って思っちゃって。私が行きたい直前に『掃除しといて!』って頼める子が居れば良いのに、とはずっと思ってたんだ。でもそんな都合の良い知り合いは居ないし。ならいっそ赤の他人で良いから、誰かここに住んでずっと綺麗にしてくれてたらなあって思ったんだ。報酬としてそこでの生活権利をあげれば、というかそこでの生活が報酬になる人が居れば、成立するんじゃないかなって。だからどうにかタダで住んで働いてくれる人、いないかなって」


 そんな軽いノリで、大事な別荘に赤の他人を住まわせて良いのだろうか。今までプロに頼んでいた仕事を、素人に任せて良いのだろうか。此方は日常で必要な最低限のスキルがあるだけだ。

 そしてその技術が素晴らしいものでも、これから確実に伸びていくという保証もない。見込みが有るとは、限らないのだぞ……?

 羽山さんの言う「生活が報酬になる」、というのはつまり「羽山さんの別荘に住むこと」に対し価値が見出せるかどうか、というところだろうか。

 しかし別荘と名乗る程の物であるからには、きっと綺麗な家なのだろう。そんな所に家賃もなし、電気ガス水道代もなしともなれば、誰でも喜び勇んで駆け込んで来そうなものだが……。


「……その、『利害関係の一致』以外の、他の条件は何だったんですか。探していた、という事は誰でも良かった、というわけではないのでしょう?」


 そうだなあ、と呟くと羽山さんは人差し指をぴんと立てた。


「約束を破らない、真面目な子が良かったから。梓真ちゃんはすごく真面目そうだし」


 にこにこ、という擬音が似合う笑顔を向けられた。

 自分でも、自分のことは真面目な方だとは思っている。だが同時に、柔軟さに欠けた、固く生き辛い性格でもあると知っている。

 しかしその固さを買われたとあれば、少し、嬉しい。

 羽山さんは落ち着いた笑顔で言った。


「今、一月に頼んでる値段で十分、一人で暮らす分の水道と光熱費ぐらいは払えるんだよね。普通に過ごして貰えれば。だから次に節制が出来る子。というよりは無駄遣いをしない子って言う方がしっくりくるかな。豪遊……しようもないけど、一応大風呂と普通の風呂があってね、大風呂に365日入られるのもちょっとね。要は常識的な使い方が出来る子を求めていたって言えば良いのかな。でもこれも突き詰めれば真面目な子に行き着くからやっぱり真面目が第一条件かな」


 どういうことだろう。風呂を二つも付けた別荘を買える人から、何故節制などという単語が出てくるのだろうか。社長ではあるし、別荘も買えるけれど、倹約家であると? それとも社長とは言えど、そう稼ぎがある訳ではなく、貯めに貯めて、もしくはローンで大好きな別荘を買った、という所だろうか。

 大した稼ぎがある訳ではないのに、高級車を何台も買う人も居るとは聞く。そういう感覚と似たものだろうか。

 羽山さんは次の条件を提示した。


「そして最後は私より年下であること。これは単に年上だと私が気を使うからなんだけど」


 笑みとしての雰囲気は残しながら、羽山さんは真面目な面持ちになった。

 しっかりと私を見て言った。


「その全ての条件を満たすのが、梓真ちゃん。梓真ちゃんにとっても、悪い話ではないと思うんだけど」


 悪い話であるどころか、とても、良い話だ。

 だからこそ気になる点は聞いておきたい。


「質問をしても?」

「なに?」

「ほとんど通わないのに月一で掃除をする必要はあるのですか?」

「……なるほどね。私の訪れる頻度だと、掃除は確実に必要になるんだよね。帰って来た時も、出て行く時も。それで時間が大分取られるでしょ。でもホテル代わりとして、寝る為だけに寄った時に、掃除とかしてらんないんだよね。けど埃に塗れたまま寝たくないし。だから、定期的にお願いしていたんだよ」

「しかし、埃とは服や布団などの繊維から来る部分が多いですから、誰も居ないのにそんなに溜まるのでしょうか」

「埃だけに限れば、確かにそんなに必要ないかもしれないけど、外の雑草とか枯れ葉とか、その辺もお願いしてるし、毎回違う場所を頼んでるから。各部ローテーションで掃除して貰ってて、点検も頼んでるし」


 もし仮に住み込みの管理人を雇うとなれば、その管理人にとって「別荘に住むこと」は業務であり、前提となるため、価値としては数えられない。そしてその状態から更に管理人としての報酬が与えられるとなれば、羽山さんからはその管理人の生活費と管理費が出て行くわけである。

 臆測だが、その内の管理費を削減したい……と、いうことだろうか。そう考えると、なかなか無茶な発想である。

 だが年に数回、しかも数日しか訪れない場所に払い続ける資金として考えると、結構な額にはなりそうだ。その経費を少しでも抑えたい、という気持ちもわかる。

 羽山さんの持つ雰囲気は基本的に柔和だが、少しシビアな面もあることが分かった。どことなく、同族の臭いはする。きっと根が真面目で、妥協はせず、効率を重視する。そんな人間に思えた。



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