9-2
もしかして彼が轟さん……だろうか。
彼はトイプードルのようなくるくるとした焦げ茶色の髪に、真顔なのにトイプードルのような愛嬌が滲む顔をした、トイプードルのような男子生徒だった。
なんとなく制服やセーターが彼より一回り大きいような印象を受けるが、お下がりだろうか。兄がいそう――というよりも弟属性が強そうだ。なんというべきか、姉に虐げられ扱かれ続けてきたような、不憫な日々による疲れが目元に見える。……ような気がした。
つまりは不憫そうなトイプードル、という印象だ。
そんな彼が口を開いた。
「あれ、席変わってる?」
「今変えたとこ!」
元気よく佐倉さんが返事したところで、部長が互いを紹介してくれた。
「ブン太とタンゴも、おはよう。ブン太、彼女が新入部員の七瀬さんだ。シジョウで決定した。シジョウ、彼がブン太だ」
「よろしくお願いします」
「ん。よろしく。で、俺どの席」
やはり彼が轟さんで合っていた。彼は簡素な返事をすると、佐倉さんに指定された椅子に座った。自然と残った席に八木さんが座ったが、轟さんが斜向かいなのでなんと、目の前だ。美少女のご尊顔を正当に拝することが許された席だ。おっと危険思想が。危ないアブナイ。
轟さんは席に座るなり、教科書やノートやらを出して課題と思しき作業に取り掛かっていた。塾か何かのだろうか。
八木さんがぽつりと呟いた。
「席……変えたんですね」
「シジョが入ったからね、順番調整」
佐倉さんが補足を入れた。どうやら私がこの部に入ってしまったことで、多少なりとも迷惑をかけてしまったようだ。謝辞を告げた。
「はっ、申し訳ありません」
すると佐倉さんがビシリとこちらに視線を向けて言った。
「自意識過剰。あなたには誰も申し訳ないことされてないから」
そこに井門さんが参加する。
「だよな~そもそもニジョーが――あイタァッ!」
井門さんはグーで頬を殴られていた。
な、なるほど……。なかなかに手厳しい意見だ。だがなぜだろう。佐倉さんの言葉は素直に受け止められた。どこぞの誰かさんの発言は、どんな正当な意見でも反感を持ってしまうというのに。
それでこの部は何をする部活だったのか。
机の上に数冊置いた作品集を一冊手に取ったところで、部長から声が降り掛かった。
「そういえば、説明がまだだったな」
「え? 知らずに入ったの?」
課題に集中していた、と思っていた轟さんが顔を上げて言った。
もしかして轟さんはナワバリ意識または仲間意識が強い方なのだろうか。排他的、ともいえるかもしれない。やはりまだまだ異分子からの脱却は難しいのか。
しかし排他的な人ほど、プライドを尊重し、仲間意識さえ持ってもらえれば籠絡しやすい。ここは下手に出るのがいいだろう。
「すみません、昨日はすぐに帰ってしまったので、詳しく伺っておりません。ご説明お願いできますか?」
「だ〜からかたいって! 何でもバンバン聞きんしゃい! つっても教えられることなんか、そんなにないんだけどさ」
「ウッ」
井門さんにバンバンと背中を叩かれた。痛くはないが、驚いた。
おかげで、少し緊張していたことに気付いた。そうだ、ここにいる人々にあの二月野郎みたいな人はいない。警戒せず、落ち着いて、ゆっくりでいいから仲間と認めてもらおう。そしてまずは私が、みんなを仲間と思えるようになろう。
私は作品集を開こうとした――瞬間、作品集が消えた。な、なんだ?
見上げれば立ち上がった部長が、作品集を取り上げていた。なんで?
「あ、すまない。いきなり普通に見ても面白くないんじゃないかなと思ってな。まず、説明をする。それから当てて欲しい」
「当てる……?」
何かのゲームか?
「あーその方が面白いか! 客観的意見、てのが聞けるもんな」
井門さんが口を挟んだ。
「あ〜そっか、それいーじゃん」
「貴重な意見ですね」
佐倉さんと八木さんが賛同したところで、ようやく部長がこの部の説明を始めた。
「昨日は言葉遊び、とは言ったよな?」部長は作品集のページをめくり、一部を手で隠しながら、大きく広げこちらに見せた。「ああ、まだ読まなくていい。ざっくり見てくれ。こういうのを作ってる」
するとすぐさま作品集は閉じられた。数秒しか見えなかったのでよく分からなかったが、見えたのは縦に長い枠線がいくつか並び、そこに一文ずつ文章が並んでいたことだけだ。どこか詩集のような……。
「俳句か川柳か……何かですか?」
「おお、惜しい!」
井門さんが大振りな動作で指を鳴らした。
「だがそんなに立派なものじゃない。ゆるい部のゆるいお遊びだ」部長は座り直した。「ルールは俳句から拝借して、十七文字以内。しかし俳句と違って十七文字を超えるのは厳禁だ。逆に十七文字以内ならば何文字でも良い。そして数え方は原稿用紙の一マスと同じ。つまり漢字の方が沢山書けるということだ。ただし音声を付けない記号はカウントしない。で、その十七文字で何をするかというと」
「連想ゲーム!」
ビシッ! っと佐倉さんに指を突き付けられた。動きが大きいな……。私と井門さんは思わず少し仰け反った。
説明を横取りされた部長は、特に気にする様子もなく続けた。
「そう。連想ゲーム……それが一番分かり易いかもしれない。良いこと言うな、ニジョウ」
「でしょ!」
褒められた佐倉さんが、ご主人の元までボールを運んできた子犬のように、目をきらきらさせて喜んでいた。佐倉さんは部長のことが好きなのだろうか。その、ご主人みたいな意味で。
部長は変わらず説明をした。
「テーマを決めて、それを表現する。例えばりんごと決めたのならば、赤い、丸い、食べ物、果物、など『りんご』という単語以外の様々な言葉で、りんごを表現する。基本的にその単語の使用は、非推奨であるが厳禁ではない。それから文章になっていなくても良い。守らなければならないのは十七文字以内。これだけだ」
連想ゲームとするならばやはりテーマの単語を使わない方が面白いだろう。しかしテーマの単語を使っても良いということは、連想ゲームの枠を出ている。
そうなると、本当に自由な、言い換えれば表現に幅のある……あんまり意味のよく分からないただのお遊びだ。
「あとは誰かを貶したりだとかそういうのはルール以前に人としてダメだからな。そういうのもなしだ」
「じゃ、お披露目!」
区切りを悟った佐倉さんが、待ってましたとばかりに作品集の一つを手に取った。
しかし佐倉さんの動きを制し、部長が作品を選定していた。
「よし、ではこれから皆が作った作品を見せるので、それを見てテーマを当てて欲しい」
「おっしゃ頼むぜシジョー!」
井門さんが一瞬私の肩に腕を回した。すぐに釈放されたが、突飛な行動に多少驚いた。これがいわゆる体育会系のノリ……だろうか。
「えっマジで見せんの恥ずくない⁉︎」
またもや真剣に課題をしていたかと思われた轟さんが顔を上げ、焦りをみせた。
それを落ち着いた様子で部長が宥めた。
「今更恥ずかしがってどうする」
「そうだぞ。芸術は爆発四散だぞ」
「飛び散っちゃダメでしょ」
井門さんの言葉に、轟さんは冷静に反論した。
「肉片は拾っておきますね……」
「骨! そこは骨拾っといて!」
思わぬ刺客、八木さんの言葉は、穏やかに微笑む見た目に反し不穏だった。
もしや、轟さんはいじられキャラかつ唯一のツッコミ要員か。南無三。私は傍観者に徹する。
「遺骨は海に沈めておきますね……」
おそろしい。八木さんは多分、アーケード型格闘ゲームで、そのゲーム内では最弱と言われているキャラを使用し、真顔で相手をギッタンバッタンのボッコボコにするタイプだ。そんな気がする。もちろん偏見だ。
「よし。じゃあまずはこれにしよう」
部長の宣告に、轟さんは叫びながら開いていた教科書で顔を覆った。顔を隠すとは、恥ずかしがり方がなんだか乙女だな。
死刑宣告だ……とくぐもった声で呟く轟さんを横に、部長がこちらに広げた作品集を差し出した。テーマを表示している部分は、他の作品集で隠されていた。
では順番に見るとしよう。
まず一つ目は。
『350トンの鳥』
シンプルだ。そしてとても分かりやすい。もう当ててしまっても良いのだろうか。
「これは飛行機……ですか?」
「早いな!」
井門さんの反応により、やはり正解だったのだと理解した。
そこに佐倉さんが尋ねてきた。
「どれで分かったの?」
作品の下にはそれぞれ名前が書かれていた。
「こちら……一乗、あ、部長のですね」
「あ〜イチね、分かりやすいもんね」
分かりやすいと言われた部長は、穏やかに微笑んでいた。あれは喜んでいるのだろうか。それとも何とも思っていないのか。
「えっ他のは見た?」
「いえまだです」
「とりあえず他のも見てみな」
井門さんに促され二つ目を見る。
『ゴォーーグドゥボワーーーンシューン』
……ん? テーマは飛行機だったよな? うん、飛行機と書いてある。飛行機……飛行機? 飛行機とは……?
そうか、こういうのもアリなのか。ということはこれはある意味で才能……なのか?
「これ、すごく独特のセンスですね」
「あ〜ニジョーのな。なんか画伯みてーな発想だろ」
佐倉さんの作品ということで、何となく納得できるような、やっぱり予想外なような。
井門さんの言葉に佐倉さんが満足気に言った。
「まっ、そ〜でもあるよね」
「褒めすぎ」
水を差した轟さんは、顔面に正拳突きを食らっていた。
乱闘をよそに次の作品を見た。
こ、これは――!
『赤いスカーフ君と夜空でランデブー』
思わず心に湧いた笑いが、口元に歪みとして浮き出てしまった。飛行機というテーマから考えて、赤いスカーフとはキャビンアテンダントさんのことを描いているのだろうか。読んでいる方が少し恥ずかしくなるような、このロマンス溢れる作品は――と、轟さんだ……!
だから先程は赤の他人に見られるのを恥ずかしがったのだろうか。別に堂々とすれば良いのに。でもそこが可愛らしい。素直な感想を述べた。
「ふふ、この作者さんはロマンチストですね」
鼻血……は出ていなかったが、鼻を赤くした轟さんは、次第に耳まで真っ赤になった。ふむ、イジりたくなるのが少し分かるような。反応の鮮度が高い。
「ラブコメ担当、ラノベ主人公枠ですよね」
八木さんがぼそりと呟いた。りっちゃんの調教により意味が何となく分かってしまう私は、思わず少し笑ってしまった。もしかして八木さんは先程も、轟さんの鮮度が高い反応を見ていたのだろうか。少し荷担してみよう。
「ラノベ主人公というよりは、モブ以上脇役未満B枠の方が近いのでは」
「ほー、なるほど、鋭利な解釈ですね」
八木さんは爽やかに笑った。爽やかだが、色を付けるなら黒だった。私も同じように笑い返した。
連帯意識が芽生えた。
「なんっか俺の扱い急に酷くないか⁉︎ 新入りの癖に何だよそれ!」
轟さんは喚いたが、そこに新入りも何もない。付け入る隙があるかないかだ。
「この部に来て良かったです。みなさん面白くて」
「そう言って貰えると嬉しいな」
「だね〜」
部長は真面目に、嬉しそうに笑い、そこに佐倉さんが同意し、井門さんは無言で頷いていた。
「無視すんなっ!」
轟さんは思っていたより扱いが理解しやすかった。
さて、四つ目を見る。
『群青を突き抜ける鋼鉄を見上げた』
ふむ、爽やかだ。作者の欄には二重丸が書かれている。ああ、これは回か。ならば井門さんだ。それにしても作品まで爽やかにせんでも良いだろう。だがなぜだろう、昭和というべきか、火薬の臭いがするような、鮮やかなのに気分はグレーというべきか。気のせいか。
「これは爽やかですね」
「へへっさんきゅ」
照れたように井門さんが笑った。
「軍服が似合いそうです」
「ど、どういう意味だ……?」
困惑を示した井門さんを放置して、最後の作品を見た。
『天空のトライアングルにて消息を絶つ』
うわ、不穏だ。状況も記名も作者が八木さんであると告げているが、不穏だ。トライアングル、はバミューダトライアングルのことだろうか。もしやオカルト好きであるとか?
先程からの発言内容といい、作品といい、その愛らしい見た目からは想像ができない、何かドス黒いものでも秘めているのではと少し心配になる。
「これは不穏ですね……」
「タンゴのはいっつもよく分かんねえんだよなぁ」
「知らない方が良いことも世の中には沢山あるんですよ」
井門さんの言葉に、八木さんは暗闇を垣間見せた。おそろしい。
「しかし思ったより早くテーマが分かってしまったな」
部長の嘆きを佐倉さんが指摘した。
「イチのが単純だからダメなんじゃん」
「じゃあニジョーのから見てけばいんじゃね?」
「うむ、そうしようか」
井門さんの提案に部長が賛同した。佐倉さんはギロリと両者を交互に睨んだ。
「今バカにしたっしょ」
「どうどう」
焦った様子で井門さんが佐倉さんを宥めたが、既に遅かった。再び佐倉さんの正拳突きが唸りを上げることとなった。
私は随分と愉快な部活に入ったようだった。




