8-2
昼休み、昼食を摂ると職員室を訪ねた。部活について質問するためだ。なにせ訳の分からない部が多過ぎる。運動部なのか文化部なのかさえ分からない。正確には分かりたくない、であるかもしれない。
腹式呼吸部、培養部、ラジオ体操部、……なんでもかんでも名詞に部を付ければ済むと思っているのではないか、というような部が乱立している。部というよりもサークルとなのではないか、とも思うのだが。よくわからん。
そして皆目見当がつかないのがIAI部とMJ部だ。何の略式名称なのだろう。聞いたことがない。……居合?
「あー、ここら辺ねー。ここはう~ん、何て言えば良いのかな~」
担任は何とも煮え切らない返事をした。私は担任の意見を待った。
「正直言うとね、実質帰宅部なのよ。名目だけなの。活動も週に一回か二回だし、その活動も顧問が掛け持ちだったりするから実際行われてるのか確認もあんまりとれてないしね。毎月活動報告書は提出しなきゃいけないけど、逆に言えばそれさえ誤魔化せれば後は何しててもいーでしょって子たちばっかりなの。だからね」
担任が私の両腕を掴んだ。やめてくれ、不愉快だ。
担任はまるで、自分が篤厚な人間であるかのように訴えた。
「七瀬さんにはそうなってほしくないの! 前の学校の成績も良い方だし、転入テストも良かったし、授業態度も問題ないし! ちゃんとした部活に入って良い成績出せたらもっと素敵になれるじゃない? 勿体ないでしょ?」
話の区切りが付いたところで、そっと腕を払った。
多分、この担任と私は、相性が悪い。まともな子であれば、善意が善意のまま、向上に繋がるのだろう。だが私の場合、このタイプの善意は全てマイナスが掛けられて、不信や反感になっていく。根本的な考え方がねじれの位置にあるのだ。
「御厚意痛み入ります。しかし時間がありませんので」
「何かあるの?」
「バイトです」
「バイトって……。学生なんだから、今のうちにもっとやることいっぱいあるでしょ?」
夢も希望もなければ金だって余分にない。そんな人間がやることはバイトだけだ。それ以外に何をしろと言うのだ。
「なら先生が生活費を出して下さるということですね?」
担任は信じられないものを見るような顔で、もしくは軽蔑を混ぜて、あくまで悟すように喋った。
「七瀬さん、ちょっとその言い方はどうかと思います」
「事実です」
「事実なら何でも言って良いわけじゃないでしょ?」
徐々に苛立ちを見せる担任とは裏腹に、私には何の感情も湧かなかった。これを言えば余計に相手を刺激するだけだろう、と分かっていても、思いついた言葉を発せずにはいられなかった。
「なら先生に嘘をつけばよろしいんですね」
「――もう良いわ。好きに書いてちょうだい。明日までに出してくれれば良いから」
「失礼します」
一礼して職員室を出た。
相手が私でなければ、先生は『いい先生』のままでいられただろうに。
私に必要なのは愛想とか愛嬌だろうとは分かっているが、なくて困ったことがないのでいまいち手に入れようとも思えない。相手を怒らせてしまうという点は、困ったことと捉えることもできるが、エネルギーを消費するのは怒る方だ。
しかし今回は、言わなくても良いことを言ってしまった、という部分は反省点であると思う。正直であることが全て美徳であるとは限らない。分かってはいるが、つい口に出してしまった。もう少し要領良く、スマートに生きねば。私もまだまだお子様だな。
教室に戻り、目星を付けると早めに昼寝をとった。
放課後のチャイムが鳴った。
さて、今日はバイトがあるので、ささっと見学を済ませて決めてしまわなければならない。
訳の分からなかった部活名の大半はほぼ帰宅部らしいので、部室だけ覗かせて貰おう。培養部とラジオ体操部は実際に培養とラジオ体操をしているらしいのでやめておこうと思う。しかし培養とは一体何を培養しているのかという点は少し気になる。
腹式呼吸部を見せて貰った。放課後集まれる人だけ集まって十分ほど腹式呼吸をするらしい。なんだそれ。だが思い描いていた腹式呼吸よりがっつりした……何というべきか「部活!」という感じの腹式呼吸だった。なんだかヨガっぽい。保留。
ところで部長さんが言っていた「ウチは誰でも入れるし健康にも良いしカラオケで使えるよ!」の誰でも入れるとはどういうことだったのだろう。入部に制限のある部があるのか。
IAI部はなんと、インターネットアイドル育成部、の略称だった。居合じゃなかった。活動内容は各種SNSで有名になる手立てや何やらを考え出したりそれにまつわる行動をしたりする……ようだ。
前面に出る人と補佐する人に分かれてはいるが、俗に言う「パーリーピーポー」の集まる場所だと断じた。スマートフォンを持たぬ前時代な私には高過ぎるハードルの部活だった。サヨウナラ……。
MJ部を覗くと、私は、運命という言葉を信じたくなった。
そこには、可憐な少女がいた。あの、鍵を取りに行って出会った少女が。なんという偶然だろう。神に愛されているのかもしれない。ここに決めよう。危険思想がそう告げている。
しかし活動内容は把握しておかねば。声を掛けてみた。
「すみません、部活見学に来たのですが」
「ほう――君、名前は?」
部屋の一番奥に座った男子生徒が言った。
第一声がそれか? 何か意図があるのだろうか。
ところで机の上にはやたらと菓子が広がっているが……担任が言っていたとおりの、実質帰宅部かもしれない。
「七瀬梓真……です」
「ナナセアズマ? 名前がアズマ?」
「はい」
するとその場にいた部員同士で何やら口々に言い始めた。
え、何、なんで今更? そういえば転校生がいるらしいじゃないか。だよな? あーなるほどね、その子なら納得。じゃあ、どうする? あと一人か二人ぐらいならまだ許容範囲だよな。そうだな。一人なら良いだろ。なら、なんかある? あれじゃん、女子ならアズマよりナナセの方が名前っぽいから逆だろ、反対とか? うーん、逆転は? いや、帰国子女で良いんじゃないか? あーなるほど、それならいけそうだね。うんうん、面白い。いーじゃん賛成! じゃあ新枠登場だねぇ。決定! 決定!
放置されていた間に、どうやら何らかの権利を得たようだ。途中から話が分からなくなったので、聞いていなかった。
「ということで、どうする?」
一番奥の男子生徒が言った。
ということ、とは? 何が「ということ」なのか全く分かっていない。逆にこちらがどうすれば良いのか。
私はとりあえず活動内容を知りたい。
「ええっと、ここって何をする部ですか?」
「ん~ダベり部?」
奥の方にいる女子生徒が、指で髪をくるくる巻き取りながら言った。
「名目上は、言葉遊びというか表現の研究……をするってことになっている」
先程の男子生徒が答えた。様子を見るに、彼が部長なのだろうか。
「まあ、色んな意味で遊んでる部だな。でもこうやって毎日ほぼ全員、なんだかんだで集まってんだけどなー」
手前に座る浅黒い男子生徒が、お菓子を摘みつつ、笑いながら付け足した。やはりほぼ帰宅部だったか。ならば是非入らせて貰おう。
決意表明をしようとしたところで、もう一度部長(多分)が説明し始めた。
「部活が強制ということで、ウチのような自由でユルい部は、自然と希望者が多くなりがちだったんだ。だが人が多くなると面倒が増えるだろう。だから少人数のままで進めたかった。……で、入部するのに条件を決めることにした」
「その条件というのは何なのですか?」
「じゃあ自己紹介をしよう」
――ん? 会話のキャッチボールがいきなりインビジブルボールになった。会話の流れはどこに消えた。
構わず部長(仮)は続けた。
「じゃ俺から時計回りで。俺は庄司章二、部長をやってる。二年五組だ」
――んん? ショウジ、ショウジ? そうか、名前に特徴がある人、ということか。だからやたらと名前に拘っていたのだな。
「佐倉桜でーす。二の三」
奥の女子生徒が言った。緩く波打つ、長い茶髪の毛先を掴んで眺めていたが、手を振る代わりに毛先を振った。
しかし、そんなにいるのか、苗字と名前が一致している人って。どんな確率だ。印象が強い。
「俺は七組で井門快。ここの部員は全員二年だから」
浅黒い男子生徒が爽やかに笑って言った。スポーツが似合いそうだが、ここを選んだのだな。
イカドカイ、イカドカイ……。あ、逆から読んでもイカドカイ……。なるほど。
「あ、わ、私は、八木珠子……で八組です」
机とこちらを交互に見ながら、手前に座っていた可憐な少女が答えた。
タマコ……大和撫子な名前だ。ヤギタマコ……。普通じゃないか? ヤギタマコ、ヤギタマコ、ヤギ……「卵焼き」か⁉︎ そういうことか⁉︎ そんなまさか⁉︎
……この解釈で合っているのだろうか。これは場合によっては失礼なのではないか? しかし本人が認めているなら問題ないか……? そういうことなのか……?
全員が自己紹介を済ませると部長(真)が言った。
「今日はいないがもう一人、轟渉ってのがいる。どう、何となく分かっただろう?」
トドロキワタル、轟き渡る……か。そうか。
私は自分の見解を述べた。
「名前に特徴がある人、ということですね?」
「そう! そして君にはその資格がある。それで、どうする?」
インパクトに塗れた名前をお持ちの方々と並べられると、いかに私の名前が平凡であるか思い知らされる――というべきか、この部に入部する資格があるのかと疑問を持ってしまう。だが、その資格は既に得てしまっていたようだ。ならば答えは決まっている。
「分かりました。入部したいです。お願いします」
「よし、みんな異論は?」
部長が尋ねれば、三人それぞれに異論はない意を示した。
「では決定! よろしく。放課後、ここに来たいときに来てくれたら良い」
「わかりました。今日は予定があるので、明日、改めて伺います」
軽く頭を下げた私を見て、井門さんが言った。
「かったいな~。もう部員同然だし、気楽にいこうぜ~」
彼の軽い口調と、部の柔らかい空気感に、私は自然と笑っていた。手を上げて別れを告げた。
「では、また」
お~う、またなー! ばーい。また明日。さよならっ。
それぞれの声を聞きながら、扉を閉めた。
入部届けの提出を済ませると、少し浮ついた足取りでバイトへ向かった。そういえば、MJ部の由来を聞くのを忘れていた。また機会があれば聞こう。
バイトはまだお客さんが少ないようだ。私はバイトから帰宅した後、食事や雑用を済ませ、リビングで一息ついていた。若い子の斬新なアイデアをちょうだい、と言われたが、私は感覚が若い子と若干……いや、それなりに、ずれている。なにせ情報源の携帯を所有していない。
部活も入ることになったし、嫌でも他人との交流は増えるだろう。それなのに、携帯はない、テレビもあまり見ない、情報源はラジオ、となると馴染めないことは目に見えている。
MJ部の雰囲気はなんとなく好きだし、何より可憐な少女……ではなく八木さんとお近付きになりたい。となればやはり、携帯は必須アイテムであるのは明らかだ。
しかし十八にならないことにはどうもな……。手の出しようがないというべきか。一度本格的に手にしようと思ったこともあった、が、りっちゃんの協力のもと調べた結果、やはり現状の私には手に入れ難い物だった。
仮に羽山さんに協力を願えば入手は可能だろう。だが羽山さんにこれ以上恩を受けるわけにはいかなかった。これ以上迷惑や、世話をかけてはいけない。それはポリシーというよりも、自らの生き易さのためだ。恩という可視化できない概念は、増えれば増えるだけ、確実に私の足を泥沼のように絡め取り、重石のように沈めていく。
りっちゃんのように私に理解があって、わざわざ私にいろんな情報――大いに偏りのある情報ではあった――をくれる、という人はそうそういない。「イマドキ」の代名詞である高校生諸君と、話が合う気がしない。
教室では孤立していようが何とも思わないが、あのMJ部では少し歩み寄っていきたいと思う。そんな人たちだった。だからこそ少しの不安がある。
私はこのまま、携帯がなくても乗り切れるだろうか。
羽山邸に越してくる以前の忙しさとは違った、目まぐるしい日々に、私は自ら朝を迎えに行くようになっていた。




