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7-3


 私が「今の表情、良いですね」と言ったと同時に、如月は「なんてね。冗談だよ」と言った。如月は「え?」と聞き返したが、私は答えなかった。

 私は如月に自分の鞄を押し付けた。


「ではこれを持ってあちらの席に移動してください」


 如月は反射的に鞄を受け取ったまま、まじまじとこちらを見返していた。不服か?


「鞄だけでは心許ないですか? 他にも何か?」

「いや、だから冗談だよ。さっき、何て言ったの?」

「先程の表情が素晴らしかったと、申し上げたのです」

「え? どういうこと?」

「言葉どおりの意味です」


 如月は納得がいかない表情をして、しばらくこちらを見ていたが、やがて私の鞄だけを向かいの席へ移動させると、すぐに戻って再度私の隣に座った。

 ――お、おいおい。それはないだろ。あんまりだ。あっちへ行け。

 私は睨み上げたが、如月は笑みを深めるばかりだった。

 如月は体ごとこちらを向き、変わらない笑みで言った。


「梓真さん。僕と友達になる?」


 あ? 何を言っているんだ貴様は。その長い足を踏ん付けてやろうか。


「状況として無理、心情として無理です」

「どうして?」

「ご自身でお考えください。秀才と伺いましたが?」

「別に? 普通だよ? やるべきことをやってるだけで。けど、友達になれない状況って分からないなぁ。会ったこともなく、意思疎通をしたこともない人なら、なれないかもしれないね? でも梓真さんは目の前にいて、こうして会話もしてるし……あとは何が問題あるんだろう?」


 心情は無視か?

 おい、コイツ、面倒くさい奴だぜ。どうする、シメるか。頭突きにする? 正拳突き? アッパーカット?

 ――いかんいかん、私が考えるべきなのは、どうすれば早く帰れるか。このことに尽きる。

 こういうのはひどく突っねれば突っ撥ねるだけ、執着したり激化したりするのだ。手早く済ませるには要求を呑んだように感じさせれば良い。


「分かりました。私と貴方は友達です。今日限りの友達です。明日以降は友達ではありませんので、事務連絡以外はしません。以上」

「ふーん? じゃあ今日限りでも友達なら、敬語では喋らないよね」


 ほう? 良いんだなその選択肢を選んで?

 敬語は、心の壁が厚いのもあるが、口の悪さをオブラートに包むために構えているものでもあるのだ。仮初めといえどこの「ですます口調」を崩せば、口汚さが露呈するだけなので気が進まないところではあるが、致し方あるまい。悪い口が滑っても知らんぞ。


「よし。じゃあお前はあっちに座れ。狭い、邪魔だ、鬱陶しい」

「お前……」


 如月は数回目をしばたかせて、じっとこちらを見た。


「なんだ、何が言いたい」

「鬱陶しい……」

「嫌なら今すぐにでも友達をやめよう」


 如月はあからさまに眉根を寄せた。お、レア顔だ。


「それが友達への態度なの?」

「大丈夫だ。今日さえ我慢すれば友達じゃない」


 私が微笑めば、如月は苦笑いしながら、諦めたように小さく溜め息をついた。


「梓真さんが君主になれば暴君になりそうだね」

「それも大丈夫だ。私は賎民となり、君のような主を恨みながら、日々寝首を掻くことばかり考えて生きているのが精々さ」

「それは怖いなぁ……」

「そうだろうそうだろう。実行されたくなければあちらの席に座ると良い」


 如月はまた元の調子に戻って、笑みを張り付けていた。


「そんなに隣がイヤ?」

「そうだな」


 ようやく如月は対面に座った。

 これで元の位置関係に戻った。良かった。あのままパーソナルスペースを侵され続けていれば、頭突きか、もしくは正拳突きを実行していたかもしれない。危ない危ない。転校早々、自宅謹慎なんて笑えない。

 私は話を本筋に戻した。


「それで、連絡方法は下駄箱にメモを入れるという方法で良いんだな?」

「そうだね」

「羽山さんと連絡がとれ次第、報告する。下駄箱の位置は」

「ああ、それは、二組の七番だから……数えたら分かると思う。見ても分かると思うし」

「では、他に何かあるか?」


 如月は殊更に笑った。……嫌な予感だ。わざわざ聞かずにこれで帰ると主張すれば良かった。このポンコツカタブツ脳みそめ……。


「じゃあ、本日限りの友達さん。明日以降も友達であれる条件は何?」


 これでよく分かった。如月は絶っ対に、根に持つタイプだ。ねちねち野郎だ。知育菓子よりもねちねちネチネチと捏ねた恨みを、伸ばして伸ばしてムチのように振るう奴だ。ネチ湖のネッチーだ。

 私は出入り口の方向を確認しながら杜撰に答えた。


「ん? そんなものはない」

「今日は友達なのに、なぜ明日以降は友達じゃないの?」

「理由はない」

「友達って期限があるものだっけ」


 埒が明かないと思う反面、なんだか如月が憐れになってきた。もしかして友達が一人もいないんじゃないか……? 異性から好かれやすいと、妬みやらで同性の友達ができない、なんてのはよく聞く設定じゃないか。その類いじゃないのか。

 防戦一方の状況も飽きた。喉元目掛けて、つるぎを突き出す。


「……君、他に友達がいないのか? ああ、そうか。そんな風にしつこい性格ならできそうにないか」


 切っ先が届くか……! 皮膚に触れるか否かの刹那、ピタリと刃が静止する。疑問が脳を占めたのは束の間。目に映る光景に、驚かずにはいられない。奴はたった二本の指で、白刃の動きを止めていた。

 全てが動きを止めた世界で、奴の口元だけが愉快に吊り上がる。


「そうだよ。僕はしつこいからね。納得できるまで君を追い詰める」


 私は思わず口角が上がりそうになった。

 そのまま笑い声になってしまいそうな呼吸を、腹の中へ押し留め、ただ相手を見ていた。

 如月は頬杖をついた。にっこりと、口から笑ってみせている。


「さあ、僕が納得できる理由を話してごらん」


 私は押し留めた空気を、溜め息として吐き出した。


「あーあー、分かった。明日以降も偽りの友達さ。無理やりなったところで、何の意味があるのかは知らんがな。君は本当に友達はいないのか? そちらこそ納得のいく回答を頼むぞ」

「いるよ。それなりにね」


 それなりってなんだ。


「へえ。良かったじゃないか。なら私一人減ったところで、どうということはないだろう?」

「梓真さんは特別だよ」

「ふん。そりゃ羽山さんの橋渡しはそうそういないからな」

「はは、そういうことにしとこうか」


 私が羽山さんを知らず、もっと純粋で可憐な少女であれば、勘違いもできたのだろうが。生憎、としか言いようがない。

 羽山さんとの出会いは私にとって、奇跡に等しい。羽山さんからすれば因果なのかもしれないが、私からすれば偶然であり奇跡だ。羽山さんとの関係性は、易々と手に入るようなものではないのだ。

 だから私はできる限り、彼に害が及ぶようなことはしたくない。羽山さんを知っている如月を、気安く近付けたくないのだ。

 あの視線、窓越しに見たあの言いようのない視線を、勘違いだったと済ませることはできない。自意識過剰で済むなら良い。恐れているのは、私が気付けていない何かを、狙われているのではないかということだ。

 目の前にいる人間は、羽山さんを知っていた。私よりも詳しく。私を通じて、羽山さんの別荘や、羽山さんに関わる何かを探っているとすれば、それを止められるのは今、私だけだ。

 相手を見据えて問う。


「ところで、教室で会ったときの話なんだが。君は誰からの紹介もなく、一人で真っ直ぐ私の所を目指してきたな? 名前を間違える程度の認識であったにも関わらず、だ。これはどういう矛盾なんだろうな?」


 君が「生徒会長」として私の顔を覚えていたのならば、名前だって覚えているはずだろう? 名前を覚えていなかったのならば、顔だって曖昧だったはずだ。

 こちらは手応えを求めて斬り込んだものの、如月は焦ることなく、穏やかに答えた。


「見たことない顔だったから、間違いないと思ったんだ。同じ学年の人は全員、顔と名前を覚えているからね。教室に入ったときに、こっちを向いたでしょ」


 奴は贋作を、最もらしく真作だと言う人間だ。この人間と戦うには、普通の人間のままでは太刀打ちできない。私はまだ、普通の人間だ。敗戦を予期しながらも、再び振りかぶった。


「では、同学年全員の顔と名前を覚えられるような記憶力の持ち主が、たったの六文字を覚えられなかったのか。自ら校舎を案内すると買って出ておきながら?」


 如月は笑った。


「噂で名前を聞いたから、東七瀬さんかと思ったんだ。先生に確認しておけば良かったよね、ごめん。そこまで傷付けてるとは思わなくて。案内を提案したときは、『転校生』が来るっていうのは聞いていたよ。だから会話の流れで、僕がしましょうかって言ったんだけど。でもその時に名前は教えて貰ってなかったかな。結局断られたしね」


 やはり、容易く流された。その上、痛くない傷を痛むように仕向けてきた。感情の上書きをする奴は嫌いだ。貴様が掲げるその「善意の盾」がべこべこになるまで叩き潰してやろうか。

 若干の苛立ちを感じ、睨みながら言った。


「この顔で傷付いているように見えるなら、目を治療するか認識を更新した方が良い」

「ははっ。そんなこと本当に言う人いるんだ。じゃあ、今のその顔はどういう顔?」


 ……はあ。呆れてものが言えん。そんなことをいちいち尋ねてくるな鬱陶しい。面倒臭い野郎だ。


「では問題だ。次の三つの内から選べ」私は指を順に立てていく。「その一、バカらしい。その二、鬱陶しい。その三、面倒臭い」

「ああ、なるほど。全部だね」

「なんだ。分かってるじゃないか」

「説明されればね。ククッ」


 何が可笑しいのか、如月はずっと笑っていた。笑いの沸点が低いのか? 中島さんのように笑いのツボは人によって違うから、私が言えた話ではないが、こういう奴を「変な奴」というのだろうな。


「さて、もう良いだろう。暗くなってきたし」


 同じ過ちは繰り返さん、と席から立ち上がると素早く伝票を手に取った。そして連鎖的に相手の反応が遅れている間に、自らの鞄を確保した。さらに脱兎のごとく会計へ向かい、支払いを分けてもらう。私はドリンクバーとガトーショコラ、残りのドリンクバーは奴が払う分だ。

 追い付いた如月は困ったような、不可解であるような表情をしていた。

 私は満足気に笑うと、軽く頭を下げて店を出た。


「では後日。さようなら」


 バス停へ向かって歩き始めたところで、背後から声が掛かる。


「待って」


 同じく店を出た如月が、少しだけ焦ったようにして私の鞄を掴んだ。なんだ、まだ言い残したことがあるか? 辞世の句? 此奴はしぶとそうだからまだまだ生きそうだよな。


「送ってくよ」

「不要だ」

「暗いし危ない。来てくれと頼んだのは僕だ。僕にはその権利があるはずだ」


 如月は至極真面目な声で言い放った。

 外に出られた解放感からか、私は思わずわはははは! と笑い出していた。

 賢いはずなのに馬鹿な奴だ。そんな権利、主張したところで貴様に何の益がある。

 仮に私がこの後死亡し、最後に会った人物として事情聴取されたところで、貴様には出る埃などないはずだろう?

 ああ、そうか。自分といる間は何事もなかったと、第三者を通した方が確実性は増すか。この場合バスの運転手、となると。


「分かった分かった。バス停まで行こう」

「車で送るよ」


 げ。それってお坊ちゃんの送迎車だろ。どんなに大きな車であっても、一つの密閉空間で同じ空気を吸わねばならんのは勘弁だ。可能性として第二次パーソナルスペース侵略も待ち受けているかもしれない。無理無理。


「おいおい、羽山邸見学はまだ確定していない。外観を見るのもまだお預けにしといてくれ」

「あのね、梓真さん。梓真さんが思っているよりも、暗くなった世の中は恐ろしいんだよ」


 ふうん。死亡を想定するより恐ろしい世界ねぇ。拷問でも受けるのだろうか。


「へえ、そうか。頭の片隅で記憶しておくよ。しかし今回はお互い譲歩するべきだ。私はもう譲れる部分は譲った」


 如月は一度視線を外して、小さく鼻息を出した。

 ああ、これはどうしようもない奴を見る顔、こちらが聞き入れるつもりがないと分かって諦めた顔だ。何度も見てきたさ。分かっているとも。自分に頑固な部分があることくらい、重々に。だが直す気はさらさらない。

 如月はこちらを見ると、笑っていない顔で頷いた。


「わかった。行こう」


 割り切った如月は歩き出した。私も後に続いた。

 杜撰な会話をしながらしばらくすると、バスが来てようやく帰宅ができた。






 羽山さんに問い合わせたところ、了承の旨が出た。

 受話器を置くと、思わず鼻から溜め息が出た。

 彼はとにかく怪しい奴なのだ、との説明が足りなかっただろうか。胡散臭い奴だと、伝わらなかったのか。それとも同じ学生だから大丈夫だと?

 ……いや、大人である羽山さんが問題ないと判断したのだから、問題はないのだろう。邸内を案内するだけであるし、不審な行動があれば通報すれば良い。私は諦めて如月を招待することにした。



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