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6-1


 クラスの人にとっては新しい席、私にとってはそのまま変わらぬはみ出し席に座り、登校して以来本を読んでいた。

 冬の朝にする読書も良いものだ。

 しかし朝に限らず、休み時間には積極的に本を読むようにしている。本好きな人間だという印象を定着させるためである。

 本が好きな人間は決まって、近寄り難い存在と思ってもらえるからだ。なんてったって読書の邪魔をしてはいけないからな。うむ。更に場合によっては、陰湿なイメージも付属させてくれる。そうなるとより人付き合いをせずに済むのだ、わはは。

 人付き合いさえなければ、穏やかな日常待ったなしだ。下手に人付き合いをしていこうとすると、昨日のような悲劇が起こる。不可抗力だったが。

 誰とも何とも接触せず、一人で過ごす。ああ素晴らしい生活よ。

 そしてそんな効果を抜きにしても、単純に読書は好きだ。つまり一石二鳥である。

 さて、そんな計略と、紙のブックカバーに包まれた本のタイトルは、「恋の駆け引き必勝法」。「恋愛対象外から勝ち取る恋の逆転劇!」という帯を見て思わず買ってしまった。しかし、そもそも対象外の意味が根本的に違うのではないかと気付き始めた自分から、そっと目をそらしている。

 勝ち取る気も、駆け引きをする気もない。ただちょっと気になったのだ。人生には「もしも」ということも、「まさか」ということも起こり得る。その時にどう行動をすべきか、事前に知識を蓄えておくことは、別に間違ってはいないはずだ。弱みに付け入るとか、そういうのじゃありませんのよ。ほんとですのよ。

 そもそもこの感情は、恋というものではない。憧れに親しみを混ぜたものだ、分かっている。だが、何か名前を割り当てるのであれば、恋が一番近いのではないかと思っただけだった。

 日本語は沢山あるのに、私は最適な言葉を何も知らない。私が羽山さんに抱く感情の最適解は何だ。敬愛を俗世に浸して馴染ませたもの。何と言うのだろう。


「おはよー七瀬ちゃん」


 む。誰だ、早速自論をぶち壊してくれた、読書の邪魔をする愉快な人間は。

 少しだけ顔を上げて声の主を探した。どうやら目の前から近付いてくる人物のようだ。親しみやすい笑顔に、ふわふわとした髪が印象的な彼女は、確か……な、なか――。


「中島さん。おはようございます」

「あはは、昨日も気になってたけどなんで敬語なの」

「……心の壁、でしょうか」

「それは……。厚いね」


 登校してきた中島さんは自らの席、私の前席に座った。

 中島さんは身の回りを整えると、壁を背凭れにし、こちらを覗き込んできた。何か用だろうか。


「何読んでるの?」


 中島さんは何の捻りもない質問をした。

 ……正直なところ、この手の質問は苦手だ。質問の対象そのものにあまり興味がない人ほど、コミュニケーションの題材として使いたがるが、成功する確率は低い。興味の釣り合いが取れないからだろう。

 とりあえず返事はしておこう。


「指南書です」


 中島さんは数秒黙ったかに思えたが、少しすると笑い出した。


「ははっ! 何ソレそんなの読んでる子初めて見たわ! 何のやつなの?」


 意外と食い付いた。中島さんはまだケラケラと笑っている。楽しそうなら何よりだ。


「人間関係について……ですかね」

「ははー。さては恋ですなあ、お嬢さん。隠そうったって無駄だよ!」

「えっなぜそれを」

「うんうん皆まで言うな……って、えっ。本当にそうなの⁉︎ 意外~! っていうかなになに、相手は誰?」


 相手、ねえ。

 ふむ……。こういうふざけた話の場合は、別に真実である必要はないだろう。答えても答えなくても、からかいのネタになるのだろうし、杜撰に答えるのが適当だろう。


「ジャーヴィスさんです」

「えっ外国人なの⁉︎」

「どうなんでしょうね」

「なにそれ~⁉︎ あはは、意味わかんないわ。ってか七瀬ちゃんて面白いね。もっととっつきにくい子かと思った」


 エッ、取っ付きにくいままで良いデス……。認識を改めないでおくれ。

 今の会話のどこがどう面白かったのか全く分からない。イマドキのナウでヤングな女子高生の感性が分からん、タスケテ羽山さん……。

 私も分類は女子高生なのだがな。そもそも携帯電話を所持していない旧人類は土台から違うのだから、理解しようとするのが間違いなのかもしれない。そういうことだろう。

 その後も、中島さんの話を適当に聞き流していると、何やら黄色い声が湧き立った。教室から窓の外へ、数人の女子が身を乗り出して手を振っていた。


「おーい如月く〜〜ん!」

「ちょっと今の見た⁉︎ こっち見て笑った!」

「きゃあ! 如月君、手振ってくれた!」


 きゃいのきゃいのと、口々に何かを叫ばれている「如月君」とやらは、えらい声援の受けようだった。どこかのアイドルか。様子を見るに、生徒の一人ではあるようだが……。登校している最中か何かだろうか。

 しかし、本当に如月という苗字は実在していたのだな。小説や漫画ではよく見かけるが、架空の苗字かと思っていた。すると、またもや中島さんが話しかけてきた。


「あ、七瀬ちゃんて如月君、知ってる?」

「いいえ」

「あー、まだ知んないか。如月君はたしか二組で、家がめっちゃお金持ち、そして現生徒会長! 顔が良いしスタイルが良い、性格も良い、運動神経も良いし頭も良いからもー、如月君が何かする度にキャー! がついてまわんのよ! そんな歩くお伽話が私らと同じ学校、おんなじ学年だよ、奇跡だね! 七瀬ちゃん以外、この学校に知らない人はいないね」

「ヘェ、ソウデスカ」


 頼んでもいないが、中島さんが説明してくれた。

 つまり「如月君」は物凄い人らしい。設定が盛りに盛られている。神は二物も三物も与え過ぎだろう。

 これでは足の裏が臭いだとか、私服が目も当てられないくらいダサいとか、耳が壊れるぐらいの音痴であるとか、何かマイナスステータスがないと少し納得がいかないような。どうせ無いのであろうが。

 それにしても、その「如月君」とやらが生徒会長だったとは。私はすんでの所で、火中に飛び込むのを免れたようだ。担任の好感度を下げた甲斐はあったということか。

 そんなあからさまに面倒臭さの塊みたいな人物と、接触せずに済んだのは僥倖だった。大丈夫だ、私の幸先は悪くない……はず。

 ところで炊き込みご飯が食べたい。帰りに買って帰ろう。炊き込みご飯に合うおかずって何だろう。煮物、唐揚げ、金平ごぼう、揚げ出し豆腐、煮卵、温かい……味噌汁……うっ。お金を払うので日替わりで全部誰か作ってくれまいか。無理か。そうだよな……。

 食生活の嘆きを脳内でこねていると、中島さんが顔を近付け、こっそりと耳打ちしてきた。


「あの三人はねぇ、如月君ファンクラブの会員だから、気を付けなよぉ。如月君絡みで何かあれば、とんでもない目に会うかもしれないから」


 一体どんな過激派会員だ……。触らぬアイドルに祟りなし、と。そのような人間、こちらからお相手することはないので知ったこっちゃないが。

 適当に相槌を打ち、本読みに戻ろうとした。すると、


「七瀬ちゃんも顔ぐらい見ときな! ほれ!」


中島さんに体をぐいっと引っ張られて、無理矢理立たされ、窓の外へと顔を固定された。

 なんと余計なお世話であるか。仕方ない、そこまでされては、見るほかあるまい。

 複数人いる中で、説明されずとも「如月君」は一目見て分かった。オーラ、というのだろうか。周囲の人間と圧倒的に違う何かがあった。彼は爽やかな好青年という雰囲気を、これでもかと撒き散らしていた。

 二階からなので、確実とは言えないものの、ある程度の人相は認識できた。なるほど、顔立ちが整っていそうではあった。女の子たちが黙っていないのも無理はないだろう――が、そこまで騒ぎ立てずとも良いのではないか。

 私ならば毎日あれほど騒がれれば、ストレスで禿げそうだ。そんな事態に陥る心配は、微塵もないのだけれども。「如月君」はよくやってられるな。君に幸あれ、アーメン。

 心の中で哀れみの祈りを捧げていると、一瞬彼と目が合ったような気がした。そしてその瞬間、薄っすらと笑ったように見えた。それは先程まで振り撒いていた爽やかな笑顔ではなく、冷ややかな空気を纏う内側から浮かび上がった笑顔だった。


 ――気のせいかもしれない。


 だが、その、初めて受けたはずの視線が、なぜか初めてには思えなかった。相手はこちらを知っている、と直感が告げた。あの視線は、気のせいでは済まない。

 その瞬間、ぞわぞわと奇妙な感覚が背筋せすじを駆け抜けた。全身の毛が逆立つような感覚は、鳥肌となって現れた。思わず席に座った。何か、何か見てはいけない、恐ろしいものを見てしまった、そんな気がしてならなかった。


「七瀬ちゃん、如月君見えた~?」

「……はい」


 中島さんの問いに上の空で答えた。

 あの目は何だったのだろう。あの視線は。初めて見た人間のはずだ。誰か、誰かに似ていたのだろうか。ならばそれは誰だ。見られただけでこれほど悪寒が走ったことなどありはしない。

 生徒会長だから、事前に私の顔を把握していた? それにしたって、あんな視線ではない。その程度の認識であれば、あれが転校生かという、多少の不確実さが残る。

 相手は確実に私を知っていた。この「顔」と「転校生」そして「七瀬梓真」が強く結びついた状態で、何度も「私」を認識している、そうだとしか感じられなかった。

 ああ、ただの自意識過剰であれば、それが一番良い。

 今日は、今日はもう早く帰ろう。

 この寒さは、暫く窓が開いていたせいなのか。次のチャイムを、ただ本を広げたまま待っていた。




 終業を迎えると、逃げるようにして学校を去った。

 雑務を済ませると多目的室(体育館)へ向かい、倉庫から縄跳びを取り出した。

 走り飛びをしながら何周も何周も、くたばるまで走り回った。何にも考えず、空っぽの頭で、飼われたハムスターのように、ただただ走り続けた。そうして馬鹿みたいに体力を使った後、呼吸を整え、購入して冷えたままの炊き込みご飯を口の中へと掻き入れた。

 少し休憩をするとまた同じように、ぐるぐると何度も何度も走り回って飛び回った。

 全ての体力を使い果たし風呂に入れば、体から毒素(不快感)や疲労、汗やその他諸々が体から抜け出ていってくれたような気がした。

 どうやら安眠できそうだ。私は良質な睡眠を得られそうな予感に安堵した。こんなリフレッシュの仕方ができるのも、羽山邸並びに羽山さんのおかげだ。ありがたい。

 疲れ切った体を布団に横たえると、ようやく就寝できた。



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