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5-1


 教壇に上ると、教卓の隣辺りに立った。黒板を背にして見渡す教室は、前の学校に比べれば随分と新しく綺麗に感じた。

 見慣れぬ顔をこれだけ一度に見るのも不思議な気分だ。他学年の教室に入ってしまったような錯覚をするが、今日からここが自分のクラスになるのだ。

 緊張を感じていると、担任が私を紹介した。


「彼女は七瀬梓真さんです。今学期からこちらに転校してきました。皆さんよろしくね」


 私は紹介が終わると頭を下げた。顔を上げると、指定された席へ向かおうと思ったが、小さくざわめきが聞こえた。


 苗字がナナセで名前がアズマ? アズマナナセじゃないのか? 言い間違えたか? 女子でアズマ?


 一度予想はしたが、どうやら混乱を招いたようだ。

 私は担任をちらりと見た。担任もこちらに目線をやり、少し困ったような、当惑した顔をしていた。

 ここは転校生の紹介シーンにありがちな、自ら黒板に名前を書くというパフォーマンスをするべきか。字が汚いのでできれば避けたいところだが……。復唱すればなんとかなるだろうか。

 事前に私からの名乗りは必要ないと言われていたのだが、ここは予定変更せざるを得ないだろう。

 私はできるだけ、はっきりと発音するようにして喋った。


「苗字がナナセで名前がアズマになります。よろしくお願いします」


 周囲から若干の驚いた空気を感じた。納得を得たような、しかし珍種生物と遭遇したような雰囲気が漂う中、今度こそ私は席へ向かった。

 事前に指定されていた窓際の席に座ると、前方と斜め前の生徒に、小さく「よろしく」と告げた。一人だけ横列からはみ出した、一番後ろの席だ。

 斜め前からは会釈が、前方からは似たように小さくよろしくと挨拶が返ってきた。本当はよろしくせずとも良いのだが。

 私が席に着いた後、ホームルームは始まった。要点だけを聞きながら、目の前に並んでいる後頭部を眺めていた。

 このクラスは今まで六掛ける六という、均整の取れた席数だった。しかしそこに私が割り入ったので、現在一つだけはみ出している。そのはみ出し者が私だ。

 このクラスよりも人数の多いクラスはあるらしいので、そのクラスも似たような配置だろうが、ここは元々は均整が取れていたからこそ、輪を乱してしまったようで多少申し訳なくはある。

 だがこのクラスとは三学期の間だけの付き合いだ。気に病む必要はないだろう。たったの数ヶ月だ。それが過ぎれば同じ学校の生徒というだけの、赤の他人にまた戻るのだから。……今でも赤の他人か。


 ホームルームが終わり、始業式も終わり、そしてテストが終わり、午前中に全てが終わった。テストが終われば、あとはおうちに帰れるのだ。やったぜ。

 と思っていたのだが、先生に呼び出しをくらった。そうは問屋がおろさないか。

 職員室に向かう道すがら、今日話し掛けてきた人の名前をなんとか思い出そうとしていた。

 一度に大量の顔と名前を覚えられる技術も気力もないのだが、覚えていないよりは覚えていた方が良い。そしてなんとか思い出そうと試みているのだが、全然思い出せそうにないぞ……。

 唯一覚えているのはなか、中……中島さんだ。中島梨奈さんだ。肩で終わったふわふわの髪をしていて、明るくざっくばらんな、陽気なキャラクターに分類されるであろう人という印象だ。

 あとは名前だけであれば前田さんと……久住さんに竹内さん……、他は……どうだったかな。

 大勢に囲まれるということはなかったが、数人ずつに話し掛けられることが何度かあった。

 名前を覚えてほしいと、強い印象を与えるように努めてくる人、逆に名乗らなかった人、「この時期の転校生」に興味はあるが私には興味のない人、転校生さえ興味のない人、様々な人がいた。

 この学期間だけの関係だからと思っているのは、私以外にも沢山いるのだろう。その方が私としてもありがたい。無駄な接触を増やしたところで疲労が溜まるだけなのだから。

 私は内向的であると自覚している。意識が内側に向かっている人間は、他人との接触で疲労するらしく、私はそのとおりの人間なのだ。学校という場所自体があまり向いていないのだが、致し方あるまい。

 苦手だし向いてはいないが、必要とあらば最低限はできるはずだからな。……はずなのだ。


 断りを入れ、暖かい職員室に入ると、担任の元へ向かった。

 話を聞くに、どうやら私に対し不安要素を抱いていたようだ。「心配」とでも言えば、まるで私に対して気を配っていたかのような印象を与えるものだが、素直にそう受け止められないのは私が捻くれているからだろう。

 こんな時期の転校生、家庭事情、取っ付きにくい性格及び見た目、どれもが馴染みにくさを示している。担任が気にするのも仕方のないことだ。孤立がやがていじめに変化し、それが悪化すれば、最終的には学校や担任が追い詰められるのだ。

 教師とは、私と同じ前時代のまま、うまく変化できずに取り残された職業なのではないか……なんて、高校生ごときに同情される方が哀れか。やめよう。

 安心してくれ。今のところ自殺する予定はないのだ。私は羽山さんのために生きると決めた。何らかの事件や事故に遭わない限りは、真っ当に生きるつもりだ。

 私は担任に問題ないという意を伝えた。ある程度は不安を除去できたのか、鬱陶しいと感じるほど、わざとらしく寄せられていた眉は本来の位置に戻った。

 そしてこれから生徒会長により校内案内をしてもらうと告げられた。

 えっ、そんなイベントはいらない。聞いてないぞ。

 早く帰りたい。バイト先を探したいのだ。休暇中に探さなかったのは、「学校帰り」という条件下で都合の良い場所を探したかったので、あえて探していなかった。つまり今日は学校帰りの上に、探す時間が大いにあるという、バイト探しには絶好の日なのだ。早く帰りたい。


「すみません、今日はもう先約がありまして、そろそろ時間の方が。構造は資料で確認していますので、後日自分で確認します。相手の方には先生から断りを入れていただいてもよろしいですか。では、これで」


 私は一礼して立ち去ろうとした。しかし担任に鞄を掴まれ呼び止められた。


「待って、七瀬さん。彼が折角、自ら提案してくれたことだから、そんな無下にすることないじゃない。ね? 今日がダメなら違う日にしてもらえば良いし」


 私は辟易した。そういう善意を盾にした、押し付けがましい話ほど鬱陶しいものはないな。貴女が本当に彼の善意とやらを重く受け止めていたのなら、事前に私に通達するべきだし、彼とやらが今日思い付いた提案ならば、私にも断る権利はある。

 だが「善意の盾」を跳ね除ければ途端、こちらが悪者だと決めてかかられる。つまり相対したが最後、というやつだ。ここはいかにうまく回避できるかが重要だ。


「ええ、お気持ちはありがたく頂戴いたしております。私のために割く貴重な時間を、是非ご自身のためにお使いください、という意味で申したかったのですが……言葉足らずですみません。先生を使うようで心苦しいですが、お伝え願えますか」


 私はできる限り微笑んで言った。担任は数秒私を見つめた後、諦めたように小さく溜め息をついた。


「……分かりました。時間の問題じゃなくて、七瀬さん自身に受け入れる気持ちがないってことは、よぉく分かりました。伝えておきます。じゃあ七瀬さん、気をつけて。何かあったら、相談してね。そんな風に頑ななんじゃなくて、何事も歩み寄る姿勢が大事よ」


 歩み寄る姿勢がないのは貴女もだろう。興味がないのでどうでも良いが。

 回避は失敗したようだが……重要なのは、断ることには成功したことだ。私は満面の笑みで言った。


「はい。ありがとうございます。失礼します」


 ああ、これで晴れて自由の身だ!

 一礼して、去ろうとしたときだった。ふと、視線を感じた気がした。反射的に顔を向けると、それぞれの机に教師数人と、男子生徒が一人いたが、誰もこちらを見ていなかった。気のせいだったか。

 気のせいでなかったとしても、「ああアイツが転校生ね」程度に見ただけだろう。さあ、帰ろう帰ろう。


 ようやく下駄箱にたどり着いた。数分拘束されていただけだが、ここまでの道のりが遠く感じたよベイビー。職員室が暖かかったぶん、廊下や下駄箱は寒いな。

 靴を履き替えて、外に出た。冷たい風を受けたところでまた、背後に何かを感じた。私は振り返った。

 自然光と隣合うせいで、蛍光灯が点いていても薄暗く見える下駄箱に、人の姿は見えなかった。

 今戻って、下駄箱の向こう側を確認することもできる。だが、すれば藪をつついて蛇を出してしまうような気がした。

 様子を見よう。日数が経過しても続くようであれば、証拠を集めなければならないようになる、かもしれないが。困ったときは竜崎さんがいるもの、大丈夫だ。

 私は歩き出した。転校初日で、やはり緊張はしていたのだろう。自意識過剰だったのかもしれない。

 校門を目指して歩いた。そういえば手袋が随分と汚れてきてしまった。洗っても半分も落ちないタイプの汚れだな、これは。さすがにそろそろ新調するべきか。

 校門には数人の生徒がたむろしていた。早く帰ったらどうだ、と思うがそれを言うのは私の仕事ではない。彼らを見ることもなく校門を通り過ぎようとした――が、淡い理想は露と消え、呼び止められた。な、何なんだ。


「君、見たことない顔だけど。一年?」


 そりゃ見たことないだろう。転校生なのだから。

 口を開いたのは、三人いる男子生徒のうち、真ん中に立っていた人物だ。三人とも全員、服装に締まりがなく、反面頭髪には拘りを持っている印象だ。簡単に言うと、素行不良に見える。

 人は見た目による印象が大きいというが、正にそのとおりだ。彼らがきちんと制服を着ていれば、私の警戒は半減していたはずだ。入学前の手続きで私が失態を犯した二人と印象が近いゆえに、嫌な緊張が混じる。私はまた何か余計なことをしでかさないか、相手の口から暴言は出ないか。


『相手をせずに立ち去った方が良いかもね』


 思い出したのは高橋さんの助言だ。それが、一番良いのかもしれない。「相手をしない」とは、無視するだけが選択肢ではなく、質問に答えないということもまた「相手をしない」ことの一つだと思う。同じ学校の人間であるからして、無視は後々何らかの形で悪影響を及ぼしてしまうかもしれない。

 私は私が出せる最大限の笑顔、かつ爽やかさで言った。


「お疲れ様です。急いでいますので、失礼します」


 そして振り返ることなく、歩きながら急いでバス停へと向かった。運命の女神は私に微笑んでくれるでしょうか。すぐにバスが来る時間でなければ、その次のバス停まで歩けば良い。そうしよう。

 すると背後から大声が聞こえた。


「一年なの~! 二年なの~!」


 私はぎょっとして思わず振り返った。三人は追ってくる様子はないが、校門を出た所で私を見ていた。大声を出したのは先程と違う男子生徒のようだが……いやそんなことはどうでも良い。

 あんな風にしてまで聞いてくるなんて、よっぽど学年が知りたいのか。このシマのテッペン牛耳るにゃあザコの管理がなってねぇと足元掬われんのサァ、とかそういうのか。

 ああ、振り返ってしまった自分が恨めしい。振り返ったのならば聞こえたということ。聞こえたのならば答えないのは無視したということ。無視したのなら、さっきの努力は水の泡だ。この愚か者! もっとスマートに行動できんか!

 私はやむを得ず、嘘なく答えることにした。後ろに向かって大声を出しながら、歩き続けた。


「二年ですー!」


 言い終えるや否や上体を戻し、速度を上げて進んでいった。何なんだ、本当に、ここの人々は。

 さすがに取り繕えない嘘はつけなかった。一年だと言ったところで、もしも発覚でもして、追い詰められるのは私だ。

 それにしても今日は、そこそこ嘘をついてしまった。前の学校じゃ嘘なんてついたことなどなかったのに。いや……つく必要がなかったというのが正解か。

 私は異分子で、きっとここに馴染むことはないのだろう。異分子は異分子なりの生き方があって、そこにはきっと嘘も必要なのだ。嘘を許容できないのは狭量なのだから、などと自分を正当化する言い訳を考えていると、気付いた頃には目指したバス停を優に通り過ぎていた。



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