K 1/4
もはや習慣化したと言っても過言ではない羽山邸での休日、如月と過ごす食後のお茶を、今日の我々はソファで取っていた。
契約上はやはり月二回の交流のままにしておいたのだが、隙さえあれば如月は尋ねて来たり、一緒にどこかへ出掛けようとする。……飽きないのだろうか? というかお坊ちゃんなのに暇なのか?
如月は料理以外の趣味を見つけるべきだ。それとなく一人で楽しむ趣味を押し付けよう。私はもっと一人になりたい。
ソファに並んで杜撰な会話をしていれば、右隣の如月は驚いたように言った。
「え? く、来るの? 僕の家に……?」
会話の流れとして不自然でなかったと思うのだが、そこまで驚かれる話だっただろうか。
「やはり迷惑か?」
「いや迷惑ではないんだけど」
「けど?」
「ど……どうして」
「君が道具は『実家にしかない』と言ったから」
おかしなものだ。如月は自分からパスタマシーンが家にあると主張したくせに。勝手な想像だが、他にも色々と便利家電などがありそうだし、面白そうだよな。
私は一人が好きとはいえ、興味深い話を聞いたら見に行きたくはなる。来られたくないのなら、何でそんな話をするんだ。
「あ……、うん。実家ね、うん。僕は大丈夫だよ。確認するね。分かったら連絡するから」
一転、如月は笑って頷いた。私も同じく笑った。
最近の如月とは、概ね良好な関係が築けていると思う。再び契約してから一、二ヶ月経って、ようやく関係に安定性を見出せたというところだろうか。
私は笑ったまま呟いた。
「ああ。ありがたい。もし大丈夫なら……嬉しいな。ちょっと楽しみだ」
が、またも如月は驚きを見せた。
「え。え? どうして?」
「ん? いや、純粋に。君の家にも興味がある」
「どうして?」
連続して質問されたことで、私は片眉を上げた。如月との距離を詰め、不審なものを見るように覗き込んだ。
何か隠しごとか、もしくは来られては不味い問題でもあるのだろうか。それならハッキリと「知られたくないことがある」と言ってくれ。そうすれば無理に尋ねたりはしない。
「こちらこそどうしてだ? 私が何か興味を持つことは不思議か? なぜ今日の君は『どうして』ばかりなんだ」
如月は視線を彷徨わせたあと、そっとこちらを見た。
「……多少は、不思議だよ。それに、何だか今日の梓真さんはすごく積極的に思えて、その……」
最後まで答えを聞く前に私は少し拗ねたので、体の向きを変えて如月を背凭れにした。小さく「う」と聞こえたような気がしたが無視する。
「確かに私は能動的な人格に見られていないと理解していたつもりだったが、そんなにとはな。想定と現実との差に少々へこむ」
「いや、そういう意味じゃなくて」
「良いよ、気を使ってくれずとも。もう少し、せめて君には能動的な人間に見てもらえるよう努力するさ」
「ど、どうして?」
少し上ずった声が尋ねた。私は背凭れを本物に変え、如月を横目で見た。
「そう聞かれてばかりでは円滑な会話ができないだろう?」
「あ……うん。そうだよね……」
「それに、君には良く見られたいからな」
「え」唐突に如月は立ち上がって、こちらを振り返った。「……え⁉︎」
……どうした如月、今日は変だぞ。医者に診てもらった方が良い。
私は不審人物を見上げて説明をした。
「正直、私の今までの対応が、君に対して良いものだったとは言えないだろう。その、友好的でなかったというか。私なりに反省しているんだよ」
「そ、そう? そこは別に、良いんだけれど……」
如月はゆっくりと腰を下ろした。
「私が能動的に振る舞うたび疑問を持たれるような関係が、好ましいものとは思えない。つまり君に疑問を持たせる私に問題があるということだ。そしてそれは君からの信頼が良好でないということ。信頼というのは時間を掛けて構築していくもので、現時点で信頼のバランスが悪いということは、それまでの対応が悪かったということだ。だから過去の対応が――」
「いやいや、ちょっと待って。その、どちらかというと、それは僕自身の問題というか」
如月は私の話を遮った。
私の能動性に関して如月の方に問題が? すぐには思い当たらないが。
「どういうことだ?」
「だって、僕は梓真さんを騙していたわけだし」
私は数度瞬いた。如月は眉尻を下げ、不安気に視線を揺らした。
――まだ君はそんなことを言うのか。たまに酷く幼い顔をする君が、私には不思議でならない。
私は軽く笑って尋ねた。
「それで?」
「梓真さんが僕を好きになってくれる理由が分からないっていうか……」
「はあ。なるほどな。……そうか、そこで齟齬があったのか。分かった」
如月が抱えている問題は信頼の部分か。
「君は意外と自信がなかったんだな」
「え」
「好かれていない」はずの相手から「好かれている」と思えるような行動を受けたときに、彼は「信じられない」との結論を選択していた。つまり如月は私に好かれている自信がなかった。
やはりそれは、私の表現力不足もあるとは思うのだけれど、彼にとっては負い目があったため、好意判断にマイナス補正が掛かっていた。
つまり私に関しては多少の好意では伝わらず、肯定的な判断ができなかったということか。
「私は君のことを自信に溢れている人だと思っていたけれど、正確ではなかったようだな。『肯定する力が強い人』だったのか。そして君の中では私に対して肯定できる要素が少なかったと」
「え……っと?」
「君は『何で私が付き合うかと言ったのか分からない』とか思ってるんだろう?」
如月は目を見開いた。そして何かを喋ろうとしていたが言葉にはせず、口を何度も開閉するばかりだった。
「当たっているのか? この際ちゃんと説明しよう。以前私が好悪は半々だと言ったのを、君は少し引きずっているんじゃないか?」
私が問えば、如月は視線を下げた。気にせず私は話を続けた。
「私も説明が悪かったと思うよ。私は君の人柄が好きだ。私が嫌いだった部分の大半は、君がやりたくてやってたことじゃない。ならその事実を知った時点で、私の中で嫌いの大半は消えた。なら、残った割合は分かるだろう?」
一転、如月は瞬いたのちまた目を見開いた。そして慌てたように言葉を出した。
「そ……、え? ほ、本当に?」
「私が嘘をつくのは……たまにだけだ。今日のところはついてない」
「たまについてたの⁉︎」
「君ほどじゃない」
「僕は……嘘は……そんなについてない」
私はケラケラと笑った。
「本当かぁ〜?」
「今日はついてないよ」
「ふふん。まあ良いだろう。他に疑問はないか? 他に自信のないところは。この際ハッキリさせておこう」
「え」
「ないなら今日は」
「待って。その」
如月は私の手の上に自身の手を重ねた。こちらを覗き込む瞳は僅かに揺れていた。
「僕の……どこが好き? 人柄って、どういうところ? なんで好きになってくれたの?」
「ふむ。順に話そう。私は君が嫌いだったんだ。本当に、今までこれほど嫌いになった人は稀だったよ」
如月は眉を下げた。好かれていると思っていなかったのに、嫌いだったと言われて落ち込むのか? 変な奴だ。……まあ、嫌いと言われて喜ぶ方が少数か。
「私は自分さえ良ければそれで良い人間だからこそ、他人がどうしようが構わないけれど、それが我が身に災難として降り掛かるのであれば猛烈に抵抗する」
私は懐かしいものを語るように喋った。
「だから干渉してくる君が大嫌いだった。大抵はこちらが杜撰な対応をしていれば、向こうから離れていくから今回もそうだろうと思ってた。なのに君は何度も何度も、しつこくしつこく話し掛けてきたから、嫌いだった。そしてそれほどしつこく行動するからには、必ず目的があるんだと思った。でなければ人間として説明がつかない」
「なにそれ」
「君は変な奴なんだよ。変だしおかしい。なのにその変な部分も嫌いな部分も、全部ひっくるめて君で、それが個性だ。その個性として見たときの君は不思議と、変な奴ってだけで、嫌いだとまでは思わなかった」
おかしな奴だった。でもそのおかしさがなければ、今こうして関わっていることもなかったと思う。
おかしい君とだから、私は巡り会えた。
「そして君の事実を知った。ただ血が繋がってる程度の、ただ同じ家に暮らしているだけの、ただただ『兄』という存在のためだけに、人生を棒に振るかもしれないほど、自らを投げ捨ててきた。そんな風に誰かのために自分を捨てることができるか?――私には無理だよ」
「そう……だよね」
如月は少し俯いた。
例え血を分けた家族であっても、私は救いたいとは思えなかった。あまつさえ、私は――。
いいや、もう……過ぎたこと、どうにもできないことだ。
私は隣の他人を見て笑う。
「だからそんなの、知ってしまったら好きになるしかないだろう?」
如月は数度瞬いた。
「え。……え? これってそういう流れだった?」
私はカラカラと笑った。
「私は、自分にはないものを持つ人の方が、輝いて見える。だから君は美しい。たった一つのために邁進していく勇気も、熱意も、今の私にはない。君の内に秘めた溢れるエネルギーが、たまらなく美しい。だから、君が好きだ」
「え、えっ、ちょっと待っておいつけない。思考が追い付かない」
「美しい君が好きだ。君が美しいから好きだ。それだけの理由だが、不十分だろうか」
君の内側で溢れているエネルギーは、きっと眩いものだろう。見ることなんてできないけれど、みなぎる力というものは、ふとしたときに誰にでも感じることができるもののはずだ。
すると如月は俯きがちに顔を覆って溜め息をついた。はっきりとしない声で呟いた。
「また似たようなことを……」
「また」が何を指しているのか分からないが、そういえば私にはファミレスでの前科があったか。如月は美しいと言われるのが得意でないようだった。
「ん……? やはり美しいからというのは不純だったか」
「いや違うでしょ。そうじゃなくて……僕はまた、より梓真さんを好きになってしまったってこと」
如月は悩ましげにこちらを見た。憂いを帯びた表情も美しい、と思うがあまり言わない方が良いのだろう。
「……そうか。理解がもらえたのなら、何より」
私が杜撰な返事をすれば、如月はこちらの顔をじっと見つめた。外されることのない眼差しが、下げた眉尻に細められて少し近付く。
「キスして良い?」
切実そうな声は小さいのに、鼓膜へ大きく響くようだった。
彼はやはり言葉と表情と心情とが、ちぐはぐだと思う。だからこそ読み辛くて、軽率に許可すれば言質を取ったとばかりに、あれもこれもとなりそうな気がしてならない。なので良いとは言えない。
だって、如月だもんな……。
「いやダメだ」
「――手に」
絶対手じゃなかっただろ。
私は少し睨んでも、如月はずっとこちらを見ていた。この捨てられた子犬から可愛げを引いたような如月に、私は弱い。
可愛くないのに、承諾したくないのに、こちらを見つめ続ける如月に勝てる気がしない。潔くはできないが、負けを認めよう……。
「聞かれると了承し辛い」
「じゃあ手なら聞かずにしても良いってこと?」
「……少しなら」
告げた途端、如月はこちらの右手を両手で持ち上げた。柔らかく温かな唇が私の手の甲に触れて、やがて離れていった。……なんというか、痒い。色んな意味で。
そして如月は顔を上げると、こちらを覗き込んで目を細めた。
「楽しみが増えた」
「……楽しみ?」
「正確には『嬉しい』だけど、楽しくもあるよ」
「どの辺が」
「梓真さんの違う表情が見える」
私は一瞬言語を忘れた。
アベスペポバ? ピロロフェフヘハ。ホムヘニャヌヌトヘ。
小さく頭を振って気を取り直した。
如月には私の眉間に刻まれた渓谷が「楽しい」と映るのか?
「そ、そうか……。やっぱり君は変な奴だ」
「お互い様でしょ」
如月は笑って指に口付けを落とした。おい、もうすでに言ったことが守られていないぞ。やっぱり嫌いだ。
そして私が変であるのが事実でも、如月には言われたくない。
「私のどこが変だと」
「ぜんぶ。梓真さん、分かって言ってるでしょ」
「やっぱり君って根に持つタイプだろ⁉︎」
「そうだよ」
如月はどこまでも笑って答える。そうやってすぐに、笑って隠してしまうから嫌いだ。
ちぐはぐな君が嫌いだ。けれどちぐはぐなところが君の個性で、ちぐはぐじゃない如月は如月じゃない。嫌いだけれど、嫌いを含めた如月が好きだ。
「そういうところは嫌いに含まれているからな」
「でも嫌いは消えたんでしょ?」
「残った嫌いもあるし、増える嫌いもあるだろうな」
「梓真さんに全てを嫌われても、僕は梓真さんが好きだからね」
如月はそう言って笑った。
なぜだろう。素直に喜べない。
普通は……こういう状況なら、喜ぶのが妥当なはずだ。いわゆる恋人と呼ぶべき存在に好きだと言われているのだから。しかし……むしろ気分が沈むのはどうしてだ。
私は如月が好きなんだよな……? そうだよな七瀬……?
すると如月は自らの頬へ、私の手の平を引き寄せた。しばらくそのまま笑っていたかと思えば、流れるようにそのまま手の平へ口付けた。
私は思い切り顔をしかめた。危惧したそばから、やっぱりこういう奴なんだ。
契約内容を更新しなければ。月一ぐらいにしておこう。ああ、また言い合――話し合わなければ……。
私は遠い目で如月を見た。
「君、犯罪者にはなってくれるなよ」
「ならないよ」
「訴えられるようなこともするな」
すると如月は沈黙した。そしてただにっこりと笑った。
「そこで黙るなよ⁉︎」
私はつい、半ば悲鳴のような声を上げた。
「僕は梓真さんのことが好きだからね」
如月は心から嬉しそうに笑って言った。
反面、私は深く深く溜め息をついた。この気分の沈みようならきっと、海底を歩ける。
何でだろうな。自分は好きな点を説明したけれど、如月の説明は聞きたいと思えない。やっぱり如月と喋るのは疲れるし、最後にはいつも気分が重たくなる。胃もたれに近い感覚だ。
これでは果たして私は本当に如月を「好き」なのか分からない。しかし好きだと言った手前、撤回もしがたい。いつか、慣れるときが来るのだろうか。
私は如月が好きだと言った。嘘ではなかったはずなのだけれど、何も言わずにこちらをじっと見つめてくる如月を見ると、嘘にしたくなった。