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朝の日課を終えると、会衆席に寝っ転がった。教会というものは薄暗くて居眠りには丁度良い。礼拝が終われば誰も来やしないのだから。
近頃は少し肌寒くなってきた空気を吸い込みながら、手足を放り投げて微睡んでいた。そろそろ仮眠用の毛布でも引っ張り出してやろうか……。掃除は昼からにしよう……。
寝ているような眠れないような中途半端な感覚の中で、声が降り掛かった。
「生臭坊主、って言われたりしてません?」
私は飛び起きた。――誰だ⁉︎
足音もしなかった。扉の開く音も……!
見れば、目の前に男が立っていた。
見上げた男は一見細身の長身だが、その立ち姿でしっかりとした筋肉と、体幹を持っていると分かる。剣や弓を身につけ、肩当てのある動きやすそうな服装から冒険者か傭兵かとは思うが、全体的な印象が小綺麗で、専門職かどうかは怪しい。
傷一つない顔は整っていて優しげで、明るい髪と明るい瞳に、濁ったところはない。異国民か。貴族の令息と言われた方が、納得しやすい顔付きだ。若くはあるから、なりたての冒険者の可能性は捨て切れないものの、足音や気配の無さは場数を踏んでいると勘が告げる。
少しずつ何かがおかしい男だ。
私は黙ったままだったが、男は柔和な顔で口を開いた。
「司教はいらっしゃらないようですね」
「私は留守を預かっている者です。朝の礼拝ならば終わりましたが、他に御用でも」
私が尋ねれば、男はにっこりと笑った。
「まあそう警戒しないでください、アルマ・ハッセ司祭」
この男、なぜ名前を知っている……⁉︎
私は全身に鳥肌が立つような気がした。隠しているわけではないが、必要もないので村人は私の名など知らない。ハグマイヤ様しか呼ばぬ名を、なぜこの男が知っている。
警戒するなと言っておきながら、より警戒を深めるようなことをして、何がしたいのか。
「実はハッセ……と少し発音しにくいのでアルマ司祭でよろしいですか。私はニコ・キースキです」
何が発音しにくいだ。完璧に喋っておきながら。大体発音しにくいから名前で呼ばせろなどと、失礼極まりない。
だがこの役職上、慈悲深そうに振る舞わねばハグマイヤ様の名に傷が付く。真っ向から疑うのは厳しい。あくまで「らしく」、「清く」で問わねばなるまい。
人心を読むのはもう二つ上の等級で発動できる魔法だったな……、チ、必要な技術資格がまだ足りない。
それらしいことでも言っておくか。
「呼び名は人の本質ではありません。どのような呼ばれ方においても我々は、我々の名を呼ぶ人々が幸せであればまた、我々も幸せであるのです。して、キースキ殿、ご用件は」
男は返答せず、笑ったまま尋ねた。
「隣、座っても?」
「ええ。主の前には皆平等です」
「司祭というのは皆貴女のように敬虔なのですか」
微笑む男がどことなく腹立たしい。
先程は生臭坊主と言っておきながら、嫌味な奴だな。
「私はここで暮らすばかりで、他の聖職者はハグマイヤ司教しか知り得ません。ハグマイヤ司教においては、それはそれは素晴らしい司教でいらっしゃいます」
私はハグマイヤ様に拾われてここにいるだけだ。他の聖職者にあったことなどないし、知っていたとて似たように答えるだろうが。
「そうですか。私は他でもない、ハグマイヤ司教の話を伺いたかったのですが……いらっしゃらないのであれば、アルマ司祭から伺ってもよろしいですか」
「ええ、もちろん、神もお喜びになる。私で伝えられることであれば何でも」
私が微笑めば、男もこちらの手を取って微笑む。
「では、まずは貴女のことを。そしてハグマイヤ司教のことを」
「……主の話ではないのですか」
私は礼を欠かぬ程度にそっと手を離して、袖の中に両手を隠した。なぜか物理的に距離を詰めようとしてくる男が煩わしい。
分かっていたような展開だが、やはり私の中で警戒は滲む。
初めて見たはずの笑顔は、何度も見たことがある笑顔のようだった。
「そうですよ。貴女は知っているはずだ、司教の行方を」
突然、僅かに視界の端が渦を巻き始める。視線を通して彼の能力が私の能力源に触れ、何かを引き出そうとしていた。これは、彼より能力が低い者であれば全く分からない上に、同等であってもちょっとした目眩を感じる程度の違和感で終わる。
だが、私には彼が何をしようとしているのか、手に取るように分かった。
何も知らぬ他人が見れば、私と相手はただ睨み合――見つめ合うだけの状況だった。大衆演劇であれば主役が恋に落ちた瞬間として、盛り上げる音楽が鳴り始める場面にしても良いだろう。
しかし無言の中に攻防があった。優し気にこちらを見つめる瞳の奥で、放たれた能力は。どこか、何か、見覚えがあるような気がしたが、私に届くことはない。
――こちらの情報は渡さない。そもそも、渡せるような情報もないのだけれども。彼からは私が何も知らないように映るはずだ。……事実、でもあるのだが。
そして、数度の瞬きで終えたやりとりに音楽が鳴るとするのなら、それは私の凱歌だ。
彼が触れたマナの先から直線上にこちらと繋がり、向こう側が垣間見えた。彼の過去、現在、未来、全てが断片的な絵画のように散りばめられて濁流となって映った。
私は思わず小さくハッと息を呑んだ。
私はこの表情を知っている。私は、どこかで彼を知っている……。
「私は以前、どこかで貴方と会ったことがある」
思わずついて出た私の言葉は、一瞬静寂を呼び込んだ。そして低く乾いた声が響いた。
「はは、それは私を口説いているのですか」
笑っているはずの声も微笑みも、何一つ笑ってなどいなかった。彼が笑った顔の奥で、燃えたぎる憎悪を見た。貴方はまた何か、不条理に憤る熱を奥底で抱えている。火の山に眠る熔けた岩と同じ美しさを秘めている。
「そうかもしれません。貴方の内に秘めた美しさだけは変わらない」
「……何を」
「姿が変わろうと、内側は変わっていない。貴方はまた何かを探し、怒りに震え、燃えたぎる熱さを奥底に隠して糧にしている。不思議でありながら、美しい人だ」
司祭のように振る舞うことも忘れ、私は口説いているのと変わりないだろう言葉を喋っていた。私にとってはただの事実のつもりではあったけれど、それが客観性を維持している言葉だったと言い切れるかどうかは知らない。
彼は徐々に顔色を失っていった。
「まさか、私の力を……⁉︎」
男は僅かに私から距離を取った。私は真実を告げる。
「貴方の探す宝剣では、貴方の友人を救うことはできない」
「なぜそれを⁉︎」
私はまるで司祭のように微笑んだ。
「私がともに参りましょう」
反面、彼は顔色を変え、怒りをその沈んだ声に滲ませた。
「貴女にあの方が救えるとでも? 国内最高位の大神官を当たっても治らぬと言われた呪いを、貴女が⁉︎」
私は一度目を伏せる。覗き見た状況と結び付く事柄を、私は知っている。
男を真っ直ぐに見つめた。
「貴方の探す宝剣には、残念だが呪力を斬る力はない。あれは過去、勇者に王から贈られた、噂の誇張された飾り剣だ。そして私は、似たような呪いを払ったことがある」
元の国ではある程度正確に伝えられている伝承も、国を跨げばそうなってしまうのだろうか。いやはや、夢のある話だ。
そして男は信じられないものを見る目で私を見ていた。見たことのない表情を、私はどこか愉快に思う。こんな顔もたまには引き出してみたいものだ。
「そのような力があるのなら貴女は大神官にだってなれるはずだ」
「ああ、面倒だからなっていない」
「何ですって」
どこか正義感を含んだ声に私は笑った。
「察しのとおり、生臭坊主だ。神官には過去、力はあると言われたし、私自身、力がある自負はある。ただ、こちらでは幼い頃に全員一度力を封じられ、技術資格を獲得して解放しなければ力を使えない。……正確には、不可能ではないけれども、負荷が掛かる上に安くない違反金を払わなくてはならない。その過程も結果もまとめて面倒で、していない」
「その力があれば貴女は、こんな所でこんなことをしていなくても――」
「私はハグマイヤ司教のためになればそれで良い。だから今は司教の代わりに私が留守を預かっている。それ以上は面倒だった」
「ならばなぜ私に協力するのですか。ここを発てば、留守はどうなさるのです」
この男、胡散臭そうに見えたが、根は青年そのものだ。そしてきっと自国では、影響力を持っている地位にいることだろう。ハグマイヤ様のため、布教するのも悪くはない。
「留守番用の分身を置く程度なら造作なく。困る人々に手を差し伸べることは、主の幸福でありますから」
「そんな……、いえ。そうですか」
「道中、私の資格を解放していきましょう。貴方の助けになるはずです」私は立ち上がると彼を振り返った。「ああところで、私に旅費や受験料の持ち合わせはないんですがね」
――君が全額出してくれるんだろう?
私が首を傾げれば、彼は少し間を置いてからハハッと笑った。
「……食えない司祭だ」
呆れたような、困ったように笑った彼の顔に、私はクツクツと笑った。
さて、不本意ではあるが観光がてら真っ当に働くとするか。
目が覚める。もちろん夢……、を見た。
私はソファから上体を起こし、ぼやけた頭を小さく振った。
「掃除するかぁ……」
休憩としてファンタジーものの漫画をずっと読みながら、いつの間にか寝たせいだな。ファンタジー色溢るる夢を見てしまった。
以前りっちゃんが勧めていた作品を、レンタル屋で見掛けてついうっかり全巻借りてきた。やはりりっちゃんのオススメにハズレはない。面白くて読み続けていたが、昼寝の習慣には抗えなかった。
明日からはハグマ――……羽山さんが来るのだから、手は抜けない。私はあくびをして背伸びしながら、まずは漫画を整頓し始めた。
如月には何と言おうかな。君が詐欺師みたいな冒険者になっている夢を見た。違うな、冒険者のフリをした詐欺師のような貴族になっている夢を見た、だな。
馬鹿げたことに一人で小さく笑うと、少しだけ軽やかな気分になった。