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なぜ竜崎さんが、ここに……。
先行する疑問に阻まれ、私はしっかりと挨拶ができなかった。しかし竜崎さんはにこりと笑みを返して話し始めた。
「花岡様、そして梓真さんより依頼された調査が終わりましたので、こちらに参りました。本来なら日を改めるべきですが、内容が重なる部分も多いので、お二方にお伝えしたく無理を申しました」
「構わんよ」
竜崎さんの挨拶を祖父が肯定すると、二人から視線を向けられた。私はただ「分かりました」と答えた。
そして内心ずっと驚いていた。私が竜崎さんに相談を持ち掛けてからまだ、あまり日が経っていない。こんな短期間で全て分かったのだろうか。さらに祖父の依頼を抱えていた状態だったというのに。敏腕という言葉は竜崎さんのために生まれたのかもしれない、などと思う。
竜崎さんも椅子に座り、話が始まった。祖父に向けられた彼女の横顔を、私はただ見つめていた。
「結論から申し上げますと、花岡咲子が手引きをしたようです」
長い沈黙のあと、祖父は沈んだ声で「そうか」と答えた。
花岡咲子……ええと、確か伯父のお嫁さんだったような。そして、「手引き」……ということはやはり、事件性のあるものだった、ということだろうか。
「花岡博斗夫妻は昨年九月頃から、事業の失敗により借金を抱えていました。総額約六千万円、ですね」
私は目玉が落ちるかと思った。
ろ、ろくせんまん……⁉︎
そ。そんなことってあるのか。規模が違うよりっちゃん……タスケテ……!
ということは伯父夫婦が借金を抱え、その余波が私にまでやってきた……とでも?
「博斗様方に借金があったことは、花岡様はご存知でしたか?」
「いや。知らんかった」
今まで祖父に向かって話していた竜崎さんは、次にこちらを向いて説明した。
「花岡様は昨年末頃、体調不良を訴えていらっしゃいました。そしてそれが毒物によるものだったことが判明し、ずっと調査していたのです」
「――ど。毒を盛られたと⁉︎ 祖父が⁉︎」
私の声は明らかに狼狽していた。
竜崎さんは真っ直ぐにこちらを見たまま、深く頷いた。
「はい。詳細は省きますが、入手が簡単で検出しやすい毒物でした。そして私はずっと、その犯人の調査をしていました。あと一歩、というところでしたが、その決定打が梓真さんからの電話だったんですよ」
明らかな『事件』に驚愕した私は、末端から力が抜けていくような気がした。
祖父は幼少の記憶より細くなったとは思ったが、それは加齢によるものとばかり思っていた。まさか、毒を盛られていたなんて……。
毒物を盛られるなど、架空の話だと思っていた。報道や過去の記録などで目や耳にすることはあれ、どこか遠い出来事だった。それがまさか、自分の知っている人物に、実際に降り掛かるなどと、想像ができなかった。正直、信じられなかった。正確には、信じたくなかった。
「よく……ご無事で……!」
私は祖父を見つめ、たったそれだけしか言うことができなかった。声も、体も、どこか震えている。
しかし祖父はあっけらかんと笑い飛ばした。カカカ、と響く声が、私の中で芽生えた恐怖を弾き出すようだった。
「まあ、過ぎたことよ。しかし『誰か』が分からんことには、また繰り返すかもしれん。それが咲子ちゃんだったとは……なあ……」
そして祖父は寂し気に笑った。途端に、祖父が儚い存在のように見えた。
竜崎さんは掛けた眼鏡のフレームを押すと、説明を続けた。
「彼女には動機が少し不足していたんです。花岡咲子容疑者は『毒が盛られた時点で返済の目処が立っていたから、わざわざ花岡寿俊様を殺害する必要はない』。こちらが言い分でした。事実、調査当初はそのように見えていました」
九月頃に得た六千万円の借金を、年末までの約三ヶ間ほどで目処が……? 随分と早い……。
「しかし返済に充てられた入手経路の不明な二千万は、花岡洸志さんからだった。そしてそのお金のほとんどは梓真さんのお父様、七瀬為正様より出た保険金によって賄われました。それが偶然か、必然なのか。つまり」
竜崎さんはそこまで語ると、我に返ったように唐突にやめた。私を真っ直ぐに見たあと、僅かに瞳が揺らいだ。一度目を伏せてから、再び口を開いた。
「――いえ、詳細はまた、改めて花岡様と二人のときにお話しします。梓真さんには、まだ話すべきことがあります。ただ……」
竜崎さんは迷っているのだと、よく分かった。それは竜崎さんから見て、「私にとって辛いこと」なのだろうとも思う。
私はいつも、大人にこんな顔をさせることしかできないのだろうか。それは私が未熟だからなのか、それとも――一人だからなのか。
早く大人になりたいなどとは思わないけれど、自分の立ち位置を、どこかもどかしくは思う。
私は竜崎さんを見た。
「伝えるか迷うことこそ、私には全て伝えてください。事実を知らないことには、どうするべきか……判断できません」
「しかし、あなたを苦しめてしまう」
いつだって事実を告げる竜崎さんが言うのだから、そうなのだろう。
目の前に迫る何かに対して、今さら覚悟がどうのだとか、確認や準備をする時間などない。しかしその何かをどうにかするには、何よりも現状を把握しなければならない。
部分的に聞いて下手な想像を膨らませてしまうよりは、隠されることなく聞いた方が良いはずだ。
私はもう一度竜崎さんを見て言った。
「私は知るべきです」
「……分かりました」
どこか竜崎さんも緊張していたような面持ちだったが、しばらくしてくすりと笑った。
「ふふ、以前よりも熱のある目になりましたね。今の生活は、よいものですか」
熱のある、目……。
自分ではそのような変化は、何も分からなかった。健康状態は良くなったような自覚があったけれど。
問われた「今の生活」を振り返った。私は、周りの人々に恵まれている。
「……はい。とても」
私が笑ったのを見て、竜崎さんも微笑んだ。
そうして、竜崎さんは説明をしてくれた。
「卵が先か、鶏が先か、というべきでしょうか。問い詰めたところ想定よりも簡単に口を割りました。花岡咲子容疑者は七瀬為正様と梓真様、お二方を殺すつもりだった」
「……え」
それは普通ならば、ただ恐怖を得るだけの発言だった。だというのにどこか、安心した自分がいた。今まで漠然と感じていた恐怖感へ、ようやく納得できる説明を得た気がしたのだ。
それはずっと、孤独感によるものだと思っていた。寄る辺のない身が、不安を掻き立てることがあるのだと。
全てを否定することはできないが、けれど……別の要因があったのだとしたら。幾度か感じた視線は、如月だけでなく、もしかすると別の視線もあったのではないか。そもそもあの日、誰かに背を押されたように感じたのは、気のせいではなかったのだと。
今まで感じていた感覚の全てが震えて、総毛立つような気がした。
竜崎さんは不安そうにこちらを見つめながらも、話を続けた。
「寿俊様の遺産を狙い、配分先を減らす意図だったと。まずは寿俊様を殺す前に、七瀬為正様を狙ったようです。義弟である洸志様はまだ、先に交渉の余地があると判断したようです。彼女は事故死に見せ掛けるため、為正様の車にGPSを付けました。外出するたびに何度か後をつけ、機会を見計らっていたようです」
彼女は誰を見るでもなく話した。
「そして事故当日に為正様がパーキングへ駐車後、彼女はGPSを回収し付近の自販機にてキャップ付きの缶コーヒーを購入しました。睡眠薬を混入し、買い物を済ませた為正様と偶然を装って接触しました。彼の目の前で蓋を開けて手渡し、その場で彼が飲み干すまで会話を続け、空の缶は『捨てておきます』と言って自ら処分したようです」
最後に竜崎さんは顛末を振り返るように言った。
「行き当たりばったりにしては随分と上手くいったようですが、為正様の人柄をある程度知っていたからこそ可能だった犯行でしょう」
父は杜撰なところが多々あった。気位は高いが人の目を気にするので、知人などには特に、愛想良く振る舞おうとする見栄が強かった。夜にたまたま出掛けた先で偶然義兄の嫁に出会うなど、経緯を疑う以前に、自分がどう評価されるのかが心配だった。
だから一見、親切心で差し出された物を断ることは選択肢になかった。そもそも、偶然出会った顔見知りに殺されるなど、普通は誰も思わないだろうが。
そして犯人の目論見どおり父は死亡した。父は司法解剖されていないので、睡眠薬が検出されることのないまま骨になった。
日を置かずして私も殺そうとしたのは、さっさと関係者を始末することで、例え父の死に不審な点があったとしても、調べる者がいなくなれば問題ないと考えたようだ。父は勘当された身であるため、調べる可能性があるのは私だけだ。さらに私の死など、父よりも誰も調べる人などいないだろう。
そうして私は羽山さんと出会ったあの日、殺されるはずだった。彼女は適当なホームレスに金を渡して、私を尾行して道路へ突き飛ばすように言ったそうだ。
しかしホームレスは突き飛ばすまでが命であって、私が死んだかの確認はせずに逃走した。それが私にとって、一つの幸運だった。そして羽山さんに助けられたことが、何よりの幸運だった。
後日、私の殺害に失敗したと知った伯父の嫁は、改めて今度は計画的に殺そうと私を調べ始めた中で、私に父の保険金が降りると知った。ならば下手にすぐ殺してしまうよりは、何とかして確実に横領してからの方が良い。
世間知らずの未成年など、どうとでも騙せるはずだ。それは祖父が死んだあとでも変わらず、このまま殺さず放置しておいたとして、私に配分された分を丸め込んで受け取れば良い。下手に殺してリスクを負うよりは、そちらの方が易い。
しかし後見人は叔父だったため、そのまま叔父から受け取った。叔父の口振りからして、伯父に直接頼まれたのかと思っていたが、頼んだのは咲子さん……だったようだ。
叔父から簡単に借りられたことで、すぐに私を殺す気はなくなったようだった。祖父が死んでからも、同様に果たせるだろうと。
叔父は横流しに関して口止めされていたようだが、私には問題ないと判断したか、もしくは嘘がつけなかったのだろうと思う。けれど竜崎さんがあと一歩のところまで来ていたのなら、私に喋らずとも事態が判明するのは時間の問題だったとも思う。
伯父は、自分の妻が殺しにまで関与していたとは知らなかった。伯父の方は伯父の方で、賭けた株の投資に成功し、借金の約半額を獲得した。そして咲子さんがどこかから調達してきたお金の全ては、彼女が「方々の知人に頼み込んで貸してもらった」という言葉を鵜呑みにして、自分の分と合わせて返済に充てた。
咲子さんの言葉は半分事実であり、実際に直接借りたお金も多かった。しかし誰かから負債を得ているという事実に変わりはなく、依然大金が必要な状況ではあった。
咲子さんの祖父を殺害するという意思は変わりなく、彼女は毒を盛った。しかし祖父は一命を取りとめた。その上毒が盛られたと露見した。調査が始まってからは、下手に行動ができなくなり、彼女は鳴りを潜めていた。
話を聞いていて、私には咲子さんが計画的な人柄なのか、衝動的なのかよく分からなかった。毒を盛る過程は計画的だったが、検出されやすい毒物を用いるなど、事後処理などに関しての算段が杜撰だった。父が解剖されなかったのを知って、不審でなければ祖父も解剖されないと思ったのだろうか。
そして竜崎さんに問い詰められてからの呆気ない自白は、衝動性から来ていたのか。それとも良心の呵責、とやらなのだろうか。
彼女について詳しいことは分からなかったし、知りたくもなかったけれど、伯父は犯罪そのものには直接関与していなかったことが、私にとっては一つの救いだった。
叔父を含めた関係者のこれからは、祖父と竜崎さんで話し合うようだ。私は叔父に関して、できれば事件にしてほしくないとだけ伝えた。しかし後見人は変わるだろうとのことだった。これからまた何度か、竜崎さんとやり取りをしなければならないのだろう。
そして竜崎さんや祖父は、保険金については心配しなくて良いと言ってくれた。私はその言葉にただ頷いた。
それからしばらく三人で雑談のような話をした。どこか、私の気を紛らわせるもののように感じた。そんな気遣いが、どこかむず痒いような気もした。
やがて話を終えると、私は祖父と竜崎さんに別れを告げた。笑って「また来い」と言った祖父に、私は同じく笑って返事をしてから、頭を下げて祖父の家を出た。
【補足:主人公との関係】
(祖父)花岡寿俊
(伯父)花岡博斗──花岡咲子(伯母)
(母)七瀬佳清──七瀬為正(父)
(叔父)花岡洸志……後見人