僕の世界
僕は不幸だ。
五つ下の弟は、兄の僕よりずっと明るくて優しくて成績も優秀で、両親もそんな弟にばかり時間をかけている。
弟ばかり大切にされているような気がして寂しかった。
友達も少ない僕は普通の大学一回生。
それでも、決していい成績というわけでもないし、ちゃんと勉強していても落単ギリギリだ。
「翔平兄ちゃん、これ間違うとるよ」
単位を落とさないようにと講師がくれた課題を見て弟の康平がアイスを食べながら呟く。
中学生の弟に指摘されるような馬鹿な兄貴でごめんな。
「俺にはこれ難しいんよ」
へらりと笑い、何も気にしてないような素振りで返すが、内心はすごく劣等感に苛まれていた。
「頑張りすぎなんちゃうん?しっかり休まんと脳みそも疲れてまうからな」
康平は寂しげに眉を下げ、眉間に皺を寄せる。声色からしても不出来な兄を心の底から本気で心配してくれているのだろう。
こいつさえいなければ、僕はここまで苦しまなかったのに。
「んー、夜バイトやし課題終わらせときたいねん」
そんなどす黒いことを弟にぶつけるわけにもいかない。僕は必死にいい兄を演じ続けている。
「せやけど……」
「ほれ、翔平の邪魔せんと部屋に戻りぃ。康平も宿題終わっとらんやろ」
父さんが康平を連れて行こうとするが康平は微動だにしないどころか駄々を捏ね始める。
「父ちゃんからも言ったってやー!絶対兄ちゃん頑張りすぎやって!」
「せやんな、翔平も頑張っとるんや、康平も頑張らなあかんで」
「なしてそうなるねん!!!」
父さんはぎゃいぎゃい吠える康平を無理矢理持ち上げ出て行った。
これで課題に集中できる。
康平に教えてもらえばよかったかも、と思ったがそれは何故かプライドが許さなかった。
その後、何とか課題を片付けてバイトに向かう。
家庭教師のバイトだ。
今日の生徒は先輩から引き継いだ中学生の女の子。家族に少し問題があるからあまり刺激しないように気を付けろと言われた。
所謂モンスターペアレントなのだろうか。
ただ勉強を教えるだけだからそんな大きな問題なんかないだろう。そう思っていた。
生徒の家に着き、風で少し乱れた襟元を正してから呼び鈴を鳴らす。
「はい、どちら様ですか?」
凛とした幼い声がインターフォン越しに聞こえて背を伸ばす。
「榊原の後任として来た朝霧と申します、彩花さんはご在宅でしょうか?」
いつも生徒の名前を呼ぶ時は緊張する。心臓が痛いほど高鳴って不安になる。
「……っ、少々お待ちください」
時間にしてコンマ数秒、体感では5分ほどの沈黙の後、息を飲む声がして震えた声で囁くように呟いた。
暫く待っていると、玄関の扉が開かれる。
「お待たせしてすみません、私が彩花です。どうぞ」
幼さの残る顔とは裏腹に、頬がガーゼで処置されている。よく見れば服の隙間から見える腕や足にも新古問わず様々な傷があるようだ。それを見た瞬間、叩かれるような痛みが身体に走った。
「っ、!?」
反射的に自分の頬に触れるが何もない。当たり前だ。周りには誰もいないのだから。
「ど、どうしました……?」
慌てた彩花さんに、俺は「何でもない」と返し、共に部屋に入る。
ここから、俺の世界は変わっていった。