コマドリのヒロミ
ツツジの花が、一斉に開いて、蜜蜂たちを甘い歌声で誘う頃、
小さな友人が、ツキノワグマのゴロー達のもとへ、やって来ます。
コマドリです。
コマドリは、旅をする鳥です。
夏が始まる前に、この逆さ虹の森へとやってきて、
冬になる前に、海を越えて旅をするのです。
コマドリのヒロミは、旅の一座の歌い手です。
小さな体からは、思いもよらないような、大きく、しなかやかな声で、
ヒーン・カラカラ……
と、あの美しい馬達のように、囀ずることができるのです。
コマドリとは、駒鳥と言う意味で、昔の人間たちは馬のような、その声にちなんで、この小さなオペラの名人を呼びました。
ヒロミもまた、異国の美しい物語を、その張りのある歌声で、森のみんなに聞かせるのです。
かつて、絶世の美女とうたわれた、美しい楊貴妃の物悲しい一生や
三人の友達と、理想の国を作る為に頑張った、劉備玄徳と言う勇者の胸踊るお話を。
さあ、この夏は、どんな話をしてくれるのでしょうか?
森のみんなは、ワクワクしながら、根っこ広場に集まる事でしょう。一番にやって来たのは、意外にも、のんびりもののゴローでした。
しばらくすると、コマドリのヒロミは、パタパタと忙しなくやって来ました。
「お久しぶりだね、ヒロミさん。この夏は、どんなお話を聞かせてくれるのかい?」
ツキノワグマのゴローは、待ちきれずに、根っこ広場のむき出しの木の根に、とまったヒロミに声をかけました。
「うーん。まだ、決めてないんだよ。でも、虎の女神様の話にするつもりなんだ。」
ヒロミは、キョロキョロと根っこのまわりを見回して、小さな虫を見つけると、素早く飲み込みました。
「虎の女神?なんだか、ワクワクするね。俺は、闘う女のヒトの話が好きなんだ♪」
ゴローは、首を縦に振りながら、見た事のない、異国の強く美しい女神を思い描きました。
ゴローが、ぼんやりと空想に浸るあいだも、ヒロミはチョコチョコと根っこのあいだを動き回り、小さな虫を見つけては、飲み込んでゆきます。
「なんだか、忙しそうだね?そんなにお腹が減っているの?」
ゴローは、ヒロミに聞きました。
ヒロミは、礼儀正しい鳥で、いつもは、話しかけられたら、その相手をちゃんと見つめて話をしてくれるのです。
それなのに、どうしたことでしょう?
三びき目の虫を飲み込んでから、ヒロミはゴローの顔を見つめて、灰色の胸の羽を反り返らせながら、
「赤ちゃんが生まれたんだよ!僕はお父さんになったんだ。だから、ごめん。当分は僕の歌は、ゆっくりと聞かせてはあげられないよ。それから、虎の女神様はね、僕らが冬に帰るところでは、子育ての神様なんだ。とても強くて優しい、素敵な女神様なんだよ。だから、闘う話じゃないよ。」
ヒロミはそういって、巣で待つ子供たちに、今とってきた餌を渡すために飛び立ちました。
しばらくすると、ホンドキツネのアキコが、自慢の尻尾を左右に振りながら、ゴローの前に現れました。
「おはよう、ゴロー。今日は早いじゃないか?」
アキコは、優雅にゴローの前に座ると、これ見よがしに自慢の尻尾で、前足をおおいました。
「そうかな?アキコさんが遅いんだよ。あっ、なんか、尻尾がフサフサしているね。」
ゴローは、目の前で右に左に悩ましく揺れる、アキコの赤みのかかった茶色の尻尾を見つめました。
ゴローの様子に、尻尾の毛繕いが上手くいった事を確認しながら、アキコはわざとそっけなく、
「そうかい?いつもと変わらないと思うけどね。」
と、すまして言いました。
それから、辺りを見回して、コマドリのヒロミが居ないことを知ると、
「ヒロミさんは、まだなのかい?」
と、身を乗り出して聞きました。
「来たよ。でも、すぐに飛んでいったよ。」
「なんでだい?いつもなら、頼まなくても、長々と異国の旅の話をしてくれるというのに。」
アキコは、ヒロミに会えなかったので、悔しそうに呟きました。
「うん。なんか、忙しいみたいだよ。」
ゴローは、目に染みるような明るい木漏れ日にあわせて、きらやかにうたう、風の妖精を見つけて、リズムにあわせて首を横に振りました。
「なんだって!?久しぶりの友人をほおっておくほどの、大切な用事なんてあるのかい?」
アキコは、ヒロミに会えなかったので、不機嫌そうに叫びました。
「あるんじゃないかな。ヒロミさん、赤ちゃんが生まれて、お父さんになったんだ。」
ツキノワグマのゴローは、木漏れ日の風の妖精に手を振られて、嬉しそうに自分も右足を振りかえしながら言いました。
「え?あ、赤ちゃんができたのかい?それは、めでたいね。」
アキコは、不機嫌だったのも忘れて、自分の事のように喜びました。