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3 - 17 「宣戦布告」


樹人(ツリーフォーク)はこのまま防衛ラインを固めろ! 見せかけの先駆けは野犬達がやる! 敵が野犬に気を取られたら、いつも通り根で拘束しておわり! じゃ、いくぞ!」



 イシリスの軍隊を目の前に見据えながら、炎の雄牛(ファラリス)に乗ったハルトが叫ぶ。


 今回は、前回攻めてきた軍隊よりも人数が少なそうだ。


 楽勝だろう。


 とはいえ、身に纏っている鎧は洗練されており、列の乱れもなく、統率も取れているように思える。


 正規の騎士団。


 それが最初に抱いた印象だ。


 油断は禁物だと、今一度気を引き締め直す。



「突撃ぃーー! 行けぇーーーー!!」



 ハルトの号令が響き渡り、それに呼応して炎の雄牛(ファラリス)と犬達が吼える。


 一斉に森から狼と野犬の混合部隊が平地へ駆け出し、イシリス軍への突撃を開始。


 一方で、イシリス軍は隊列を組んで待ち受ける構えを見せていた。


 いや、少しずつ後退し始めていた。



「何っ!? 後退!?」



 何かがおかしい。


 目の前に布陣したイシリスの騎士団は、盾を構えて迎撃の態勢のまま、じりじりと後退している。



『ハルト! 精霊術の気配がするぞ! 警戒しろ!!』


「精霊術!? 罠か!? と、止まれっ!!」



 犬達に号令をかけ、進軍を止めさせる。


 敵までは、まだ数百メートルの距離がある。


 このまま根で拘束を開始させてもいいが、相手がこちらを誘い込むような罠を用意しているのであれば、警戒する必要はある。


 こちらも、できれば被害なしにしたいのだ。


 だが、相手は後退するだけで仕掛けてくる様子はなかった。



「何だよ…… 不気味だな…… まぁ、不気味なのはこっちか。お見合いしてても始まらないし…… 仕方ない。多少被害が出るのを覚悟でも突っ込むか?」


『警戒は怠るな。敵に精霊術使いがいるなら少々厄介だぞ』



 そう、炎の雄牛(ファラリス)が警戒を促したその瞬間、イシリス軍とハルト軍と丁度中間の場所に、無数の旋風が発生した。



「危なっ!? これが精霊術!?」


『この力は…… 不味い……』


「何が!? 不味いって何が!?」



 炎の雄牛(ファラリス)に問い掛けるが、すぐに返答が返ってこない。


 強風で舞い上がった砂が、次々に瞳へ飛び込んでくるだけだ。



「くっ…… 炎の雄牛(ファラリス)! 聞こえてるだろ!?」



 尚も呼び掛けるも、声は風にかき消され、自分の声すら耳に届かない状況だった。


 それならばと、心の中で『おい!』と念じたが、結局炎の雄牛(ファラリス)は返事をしなかった。


 その代わり、炎の雄牛(ファラリス)は前脚で地面を抉るようにかきはじめた。


 炎の雄牛(ファラリス)が何かに闘争心を剥き出しにしている。



「おい! ファラ…… 一体何…… ん? なんだあれ……? 人!?」



 炎の雄牛(ファラリス)の見据えた先で、青白い光とともに、一際規模の大きい旋風が発生する。


 その光と風の中心には、白銀の髪を靡かせた美女の姿が。



「なんだよあれ…… め、女神様とか?」



 ハルトは突如目の前に現れた絶世の美女――セルミアに、釘付けになっていた。




◇◇◇




 鈴が鳴った。


 透き通る音色の鈴の音。


 それは、轟音轟く雷雲の中でも、音の響かない水の中でも、決して聞き逃すことのない魔法の音色。


 その音色は、同時に、私の乾いた心に激情という名の濁流を注ぎ、心の奥底に眠っていた情炎を焚きつけた。



「ついに…… ついに…… あいつが…… あいつがぁあああ!!」



 突然叫び始めた私に、長老会議に出席していた国の重役達が何事かと驚き、私へ奇異の目を向けた。


 先程聞こえた鈴の音は、ローデスに持たせた緊急連絡用の精霊道具が使用された合図であり、その所有者である私にしか聞こえていない。


 そのため、私以外の者には、私が突然奇声をあげたように映ったのだろう。


 そんな私に対して、長老の一人が叱責を飛ばした。



「セルミア! 何事か!」



 だが、今の私は長老の叱責などに時間を割いている暇などなかった。



「説教なら後にして! 私はそれどころじゃないの!!」


「何を…… お、おいセルミア! 待ちなさい!!」



 長老達の呼び止めの声も、今は耳に届かない。


 後でどんなにどやされようが、今はどうで良かった。


 それよりも、あいつだ!


 あいつがまた姿を消す前に、何としてでも捕まえなければ!!


 捕まえて、叩いて、殴って、蹴って、踏んで、踏んで、踏みつけて。


 それから、それから……


 そうだわ!


 噛み付いてやろう!


 噛み付いて、噛み付いて、噛み付いて。


 全身、私の歯型だらけにしてやるわ!


 私にこんな思いをさせた罰よ!


 多重契約なんて裏切り……


 許せない!


 本当になんなのあいつ!


 で、でも、もしあいつが許してほしいと懇願してきたら?


 もしもあいつが、私に泣いて許しを求めたら?


 その時は。


 その時は――



「ゆ、許してあげなくもないかしら?」



 で、でも、それだけで許してあげちゃうのも勿体ないわよね。


 う、うん。


 私の願いも聞いてもらわなくちゃ。


 私の願い。


 私の。



「わ、私を抱きしめてくれるかしら…… で、できれば、乱暴に。強引に……」



 その光景を妄想すると、たちまち甘酸っぱい感情が、出口を求めて胸の中で暴れ狂い始めた。


 思わず口元が緩み、ニヤケてしまう。


 それを必死に我慢しようとするが、無理だった。



「きゃー! 恥ずかしい! そんなことしてきたら首の骨へし折ってやるんだから!」



 私は湯気が出るほどに熱を帯びた顔を両手で隠しながら、転移精霊術を行使できる広さのある場所まで急いだ。


 途中、前をろくに見もせずに駆け抜けたため、何人か跳ね飛ばしたような気がしたが……


 いや、気のせいではなかった。



「セ、セルミア!? 長老会議に出席しているんじゃなかったのか!?」



 私にひかれた内の一人が、私の後を追ってきていた。


 彼の名は、ユーリウス・フェイト。


 精霊剣術に長けたフェイト一族の末裔にして、聖霊魔導騎士に最も近い男。


 私の幼馴染。


 ハイデルトを蔑み、嫌う者のうちの一人だ。



「セルミア! 待て! 僕の話を聞け!」



 ユーリウスが私の腕を掴み、強引に引き止めようとした。



「なによユーリウス! 今、急いでいるのが見て分からないの!? 」



 また厄介な奴に掴まってしまった。


 この男は、どういうことか、私に対して嫌気がさす程に、本当に、本当ーっに、しつこいのだ!


 それがハイデルト絡みだと知ると、そのしつこさは更に倍増する。


 どうにかして、ハイデルトの事だけは隠さなければ――



「ハイデルトか!? あのゴミ屑のことで何か進展があったんだな!?」


「なっ!?」



 ユーリウスは、私へ顔を近づけると、エメラルドグリーン色の、透き通る瞳を向け、じっと私の瞳を見つめてきた。



「目が泳いでいる。脈も速い。顔も赤い。湯気が出るほどに身体も熱い。いつも沈着冷静で、可憐で、美しい君がここまで取り乱すのは、認めたくはないが、決まってあのゴミ屑が絡んだ時だ」


「くっ! 離しなさい! 今はあなたに構っている暇はないの!!」



 ユーリウスの腕を強引に振り払い、全速力で走る。


 だが、ユーリウスを撒くことはできなかった。



「行かせないぞ! 君にあのゴミ屑は釣り合わない! ここで大人しくしてるんだ!!」



 ユーリウスが目の前に立ち塞がる。



「あーっ! もうっ! ユーリウス邪魔よ!!」



 私の言葉に、ユーリウスが若干怯む。


 しかし、すぐいつもの自信に満ち溢れる顔に戻った。



「例え君に嫌われようとも、僕は君の為に、君をここに引き止める!」


「それは私の為じゃなくて、あなた自身の為でしょ! もういいわ! ここでやってやる!!」



 まだここは、長老議会場へと続く通路の途中だ。


 転移精霊術を行使するには、広さが圧倒的に足りないし、何より天井がある。


 ここで行使すれば、恐らく、いや、間違いなく通路が大破するだろう。


 だが、もう我慢できない。


 ローデスからの緊急連絡が届いてから、既に数分が経つのだ。


 相手はあのハイデルト。


 いつ何時でも一瞬で姿を消すことができる天才魔導師。


 元、魔導帝王(マジックエンペラー)


 最強の魔導師なのだ。


 早くしなければ、あの姿を一目見ることさえできなくなる。


 早くしなければ!



「な、何をするつもりだ!? 正気かセルミア!?」


「あー、もう! うっさいわね! 早くしないと間に合わないのーー!!」


 

 私の呼び掛けに応え、周囲の精霊達が集まり、床に青白い光で魔法陣を描き始める。


 だが、やはり床面積が圧倒的に足りていなかったのか、光は壁を登り、天井まで伸び、反対側の壁へとぐるっと一周した。



「あ…… 魔法陣が重なっちゃった…… だ、大丈夫よね?」



 一抹の不安が脳裏をよぎる。


 だが、この転移精霊術は、ハイデルトが組んだ術式だ。


 そう考えると、不安もすぐに消え去った。



「セ、セルミア! 今すぐ止めるんだ! こんな通路で、こんな多くの精霊を集めて…… き、危険だ!」


「あなたが邪魔しなければ、ちゃんと安全な場所でやったわよ!」



 青白い光の線が、視界を霞ませるほどの強い光を放ち始める。



「セルミア! こ、ここは危険だ! ほ、ほら早く! ぼ、僕の手を掴むんだ!」


「なんでよ! 掴まないわよ! そっちの方が危ないわ!」



 光が視界を埋め尽くす。



「セ、セルミアぁあ! 好きだぁあああ!!」



 身体に感じた浮遊感に身を任せていると、ユーリウスの唐突で、訳の分からない告白が耳に届いた。



「……馬鹿」



 どんな状況でも、どんなに突き離しても、折れずに私を欲してくるユーリウスの行動に、胸がきゅんと締め付けられる。


 こういう風に、ハイデルトが私を求めてくれたらどんなに嬉しいことか……


 そう思いながら、私は光の中へ消えていった。




◇◇◇




 白銀の長髪を靡かせた美女が、両手を広げてゆっくりと舞い降りてくる。


 その優雅な姿は、周辺に舞い上がる青白い光の粒子によって演出され、あれが女神様だと表現しても疑う者がいないような、おごそかで神々しい雰囲気さえ身に纏っているように感じた。


 そんな女神様の若緑色の衣装――スカート部分が、時より風に煽られてめくれ上がると、股付近に、白い何かがチラチラと見え隠れしているのが見えるではないか。



「あ、あれはっ!」



 視界に入ったその異物に、言葉を失う。


 無意識に吸い込まれる視線。


 高まる集中力。


 まるで望遠鏡でズームしたかのように、ぐんぐんと見つめたその一点が、よりクリアになっていく。


 それではっきりした。


 チラチラと覗いていた白いもの。


 あれは紛れもなく――



 パンツだ!



 それも白絹!


 薄い!


 ピッタリサイズ!


 あっ!


 あれはぁあああ!!



「マンす…… うっ!?」



 まずいまずいまずい!


 見るな見るな見るな!


 待て待て待て!


 一度冷静になろう!


 冷静に!


 冷静にな!?


 い、いいか?


 少しずつ現状を把握するぞ?


 まず、光の中から何が出てきた?


 うん、すっごい美人が出てきたよな?


 で、チラチラ見えたあれって――


 やっぱりパンツ……


 やめろやめろやめろ……


 考えるな考えるな考えるな……


 思考がループしてるぞ?


 把握したかったのはパンツじゃないだろ?


 あっ!


 パンツ!!


 ひぃいいいいああああ!?



「ひぃー、ふぅー」



 深呼吸で気持ちを落ち着かせる。


 不意打ちのパンチラで死ぬほどヤワじゃない。


 発狂しそうになったけどセーフ。


 未遂だ。


 白目剥きかけていたとしてもセーフ。


 きっと誰も見ていない。


 あれは目の錯覚。


 薄っすらと筋まで確認できた気がしたけど、この距離で見える訳がない。


 錯覚だ。


 錯覚。


 欲求不満が見せた幻想だ。


 そう。


 俺は疲れているだけだ。


 うん。


 そうに違いない!


 それに、まだ逝ってない。


 ……いや、正直少し危なかったけど。


 大丈夫。


 ちょっと肌に触れるトランクスが一部冷たい気がするけど。


 まだ大丈夫。


 生きてる。


 まだ生きてる。


 うん。


 大丈夫。


 もう見なければ大丈夫!


 もう見なければ!



炎の雄牛(ファラリス)! 状況は!?」



 目を瞑った俺に、炎の雄牛(ファラリス)がようやく答える。



『目を瞑ったのか? ふむ…… それなら…… よし。賢い判断だ』


「何訳わかんないこと言ってんだ!? 状況はどうなんだ!?」


『厄介な力をもったエルフが一匹増えた。また奴の幻想に惑わされぬよう、耳もしっかりと塞いでおけ! 奴はワシが何とかする!』


「わ、分かった! 頼んだ!」



 耳を塞ぐと、炎の雄牛(ファラリス)の咆哮が場に響いた。



――ブモォオオオオオ!!



 それは、炎の雄牛(ファラリス)からセルミアへ向けた――ハルトを賭けた――宣戦布告だった。


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