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第二話 出会い

 5歳のころ、彼は、お使いの買い物の途中で迷子になったことがある。

 両手に握ったビニール袋の持ち手が、やけに手のひらに食い込んで、半ば引きずるかのように荷物を運んだ。・・・重いなあ、でも、早く帰らなきゃ、と思えば、思うほど、家までの道のりが永遠に感じられる。見慣れたはずのいつもの道がまるでいきなり冷たく他人事のように静まりかえっていた。不安が不安を呼ぶように、一分、一秒がこんなに長く感じるのは、彼にとって初めての経験だった。

 浜の近いこの街は、日が暮れ始めから暮れるまでが異様に早い。ザザァ…と耳に届く岩場に打ち付ける波の音はいつもより強く、風が出てきたようだった。彼の影法師は、道路にずうと長くなり、不安が胸の奥にもやもやと影を落とす。目の前にいっぱいの涙が溜まり、完全に足が止まった。

「泣くな。」

 そんな時、視線の先に同じくらいの背格好の女の子が仁王立ちで立っていた。おかっぱで眉毛の上で切りそろえられた前髪。丸眉で、覗く瞳は黄色味がかった切れ長で、じいと木之元義経を見つめていた。女の子は成長が早いというが、当時の自分より、一回り大きくて、その視線が物語る態度も大きかった。

 少女は、顎をくいとあげて、彼を見下げるように目で品定めした。その目に見つめられると、腹が空く、というようなプレッシャーを感じた。一瞬お互いの呼吸が止まるような・・・そんな感覚。すると彼女は、そのまま踵を返し背を向け、

「・・・ついてこい。」

 声色は年相応で愛らしいのに、威圧的な態度そのまま、そう肩越しに言付けた。

「ほら、早くしろ。家だろ?連れて行ってやる。」

 言い終わるやいなや、スタスタと歩き始めた少女の背中を、木之元義経はポカンと見つめていた。3メートル、5メートルと距離が開くと、少女はまた振り返り、丸眉の付け根を寄せながら、

「帰りたくないのか。…早くしろ。」

  と、キンキン声で一喝した。縮み上がった彼は、慌ててビニール袋の荷物を握り直し、彼女の後ろに続いた。

 二つの影法師は、東の空に出始めた月の光で、薄くなりつつある。二本の影は近寄っては離れ、離れては近寄って、まるで独立した生物のようだった。

 数歩先、足早に進む少女。一方、木之元義経は、手からぶら下がる荷物の重さに息が切れ切れで、どうしても足が重くスピードは上がらなかった。しかし、不思議と、距離は開かなかった。

 母親が幼子をその自身の足で歩かせるように、後ろを見て歩く速さを調整しているようでもない。彼女に、どんなからくりがあるのかなあ、とぼんやり木之元義経は幼心に考えていた。だが、不思議は不信感にはならなかった。一生懸命、少女について行くという目標ができたことで心が一杯になり、先ほどまでの不安感は無くなっていた。

 どれくらい、二人前後して歩いただろうか。

 すると、眼前の少女が、立ち止まった。

 木之元義経にとって、一度はもう帰ることができないとまで思われた道だが、園児の母親が、そんな遠くまでお使いをさせるわけもない。見覚えのある景色が、彼の目前に広がってきた。あ、赤屋根のおうち!あと、二軒先を右に曲がって、・・・と、知っている景色を視覚がとらえると、しおれていた元気が腹の底から湧いてきて、荷物の重みも感じなくなった。

「もう、帰り道、分かったか?」

「わかる!大丈夫!」

「じゃあ」

「待って!!君のおうちは??この近所なの??なんで僕のことを知っているの??今度遊んでくれる??」

「・・・どうかな。先のことは・・・わからん」

 そこに住んでいる。と、少女の黄色い瞳が目線をやる方を見ると、住宅地の中に突然に木々が重なる暗い林がそこには広がっていた。

 木之元義経は首をかしげる。保育園の帰りに母親の手を引かれて通る道のはずなのに・・・彼は初めて、その林に気づいた。

 辺りがぼんやり紫黒くなりつつあるから、重なり合う木々の先にあるものまで目を凝らしても見ることができなかった。彼の背中にスーッと一筋の冷や汗が走る。幼心にも感じられるその林の静けさ。なぜ夜間際夕暮れの自然って荘厳に感じるのだろう。

「そこって・・・?ど、どういう意味・・・?」

「もういいから、早くかえれ」

 そう悲しげに少女はいうと、背を向けて木の生い茂る暗闇へ歩を進めた。

 彼女はもう木之元義経に気にかける様子はなく、彼は背中を見つめるばかりだった。これ以上声をかけても駄目か、と小さくなっていく背中を見送り、彼は帰路についた。

 また、明日、あそこへ・・・行こう。

「またーーー・・・・」

 明日ー!と、手を振ろうと振り返っても、もうそこには誰もいなかった。音もなく、少女は消えてしまった。辺りは薄暗さを増し、潮のにおいを含んだ風が木之元義経の肝を冷やした。じわあとこめかみに汗がにじむ。彼は、手下げ袋をもう一度、握り直して、足早にその場を発った。

 その翌日、木之元義経は、保育園の帰りに同じ場所を通ったものの、残念ながら、その林に立ち寄ることはできなかった。

「どうしたの、ここで遊びたいの?うーん、晩ご飯作らなきゃいけないから、帰ろう。よしくん。」母親の言葉に、彼は、むっつりと頷いた。

 それからというもの、木之元義経はたまに、その林に一人で向かうようになった。明るいうちに、つまりは、彼がまだその林の薄暗さに恐怖心を持たないくらい、日が高いうちに、という意味だが、林の奥に足を踏み入れたときに、彼は、神社であると気づく。

 空気がシンと張り詰め、静まりかえった社は、親と言い争いになった彼の頭を冷やしてくれたり、友達とけんかをして悔しさで一杯の胸を優しく包んだ。その穏やかな感覚、この神社での時間を大切にしたいと思う気持ちが、彼の変わったルーティーンを生んだ。

 その間、木之元義経は、あの少女に会うことはなかった。幼い頃の記憶は薄れ、今ではそれがまるで幻であったかのように、胸の奥にしまっていた。

 そう、目の前の、彼女を見るまでは。


 木之元義経は腰を抜かしていた。

 ちょうどお参りをするため、呼び鈴に手をかけたところ、突然背後から言葉をかけられたため、驚きのあまり境内の段差に足を取られたのだ。境内に向かってつんのめるように転んだため、境内の階段に突っ込み、体を埋めていた。

 驚きは恐怖なのかという問題があるが、それは全く別の感覚であると結論づけることができる。彼は、基本オカルトやホラーのような恐怖には耐性を持っている。一通りのホラーゲームや、パニック脱出ゲームなどは一人でクリアできる。また、お化け屋敷や怪談話や心霊番組など、夏場に増えるこれらのイベントを、一般人以上に好みにしてその季節感を楽しむ余裕さえある。ただ、その恐怖というのは、前情報などで一定数想像ができるものだ、ということを彼は見落としていた。万が一にも、自分がそのような状況に陥ったら、どのような反応になるか・・・そういった可能性は生じたときに初めて分かるものである。

 薄暗い人気のない神社の中で、いきなり女性の声がする。しかも、その女性は明らかに時代錯誤の言葉使いをしていて、かつ、足音もなくいきなり耳元に届くなまめかしい息づかいを感じた彼は、当然のごとく驚きを隠せなかった。恐怖ではなく、気味悪さ。背筋に嫌な汗がジワジワわいてくる感じ。これまで、サスペンスやホラーのジャンルの違いをうまく理解できなかった彼は、今やっとその違いを理解した。これから、ホラーサスペンスで敵が分からないまま進んでいくスタイルの映画は見ることができなくなりそうだな、と思った。それくらい、気が動転していたともいえる。

 彼にとってはその神社はとても神聖な場所で、秘密基地のような場所で、そこを訪れたときにはいつも一人だった。その上、その場には誰もいない事が多く、誰が手入れをしているのかは分からないくらい、その神社は閑散としていた。彼は、人がいないという安心感があったからこそ多くの弱さや、甘えなどを吐露した。自己顕示欲を発散を求め、また誰かに認められたいという自己承認欲求の高まりがもっとも発達する中学生時代は、恥ずかしいポエムのような物を賽銭箱に入れてみたり・・・。木之元義経が、この神社とともに育ってきたと思えば、当然なのである。その過去を思い出せば、木之元義経が恥ずかしさの余り、過去を猛省し、顔を真っ赤にして恥じ入るのは誰にも伝わる感情であろう。

 ずっとこのままでいることはできない。耳まで恥で真っ赤にしながら、ようやく突っ伏したままの上半身を押し上げて、声がした方を見やる。

 木之元義経は、呼び鈴の方に立つ女性を見て、言葉を失った。

 あの日、自分を助けてくれた少女が、そのまま同い年くらいに成長して、仁王立ちでふんぞり返っていたのである。

 失礼千万ながら、彼の目はじいと彼女の上から下までを見つめていた。彼女は、印象的なおかっぱから、そのまま後ろ髪を腰辺りまでのばして、一本に束ねていた。まるで巫女のように、髪の毛に白い半紙(後に彼女に聞いた話だが、これを檀紙と呼ぶそうだ)で結わえている。白衣と緋袴の紅白のコントラストが、彼女の端正な顔つきによく映えた。

 前髪は眉上に切りそろえられ、当時から特徴的だった丸眉が目立っている。日本人離れしたゴールドイエローの切れ長の目が、まっすぐに木之元義経を見据えていた。余りに眉目秀麗な顔過ぎて、冷たささえ感じるが・・・

 まじまじと彼女を見つめて、一向に口を開こうとしない木之元義経に、彼女は余計に眉を顰め訝しげな表情で、鼻息荒くフンと一息ついた。一拍遅れて、

「あ、あ、あ、あーーー!!!」

 と、木之元義経が指を指しながらリアクションをとると、「無礼な・・・。やかましいわ。」とため息混じりに、差された指を遮るように手を翳しながら、彼の隣に腰をかけた。

「のう、木之元義経、お主の願いを叶えるためにここに来たのじゃ。」

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